はじめのうちは継母を無視して処刑しようとした清盛でしたが、池禅尼が「夫(清盛の父である忠盛のこと)が生きていればこんなつれないことは言わないだろうに」と激しく抗議(こうぎ)したため、仕方なく頼朝を伊豆(いず、現在の静岡県の一部)へと流罪にしました。
一方、赤ん坊だった源義経(みなもとのよしつね)の場合は、義経の母であった常盤御前(ときわごぜん)が絶世(ぜっせい)の美女であったことで、御前が清盛の愛人となることを条件に義経が助命(じょめい)されたと伝えられています。
いずれにせよ、この時に頼朝・義経兄弟を生かしてしまったことが、やがては平家の将来に暗い影を落とすことになるのですが、当時日の出の勢(いきお)いであった清盛が気づくはずもないことでした。





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なおまゆ 母の愛の変形が歴史を変えたんですね。
禍根を断つ、非情になりきれなかった清盛ですが、やはり、家庭環境がよかったんでしょうか?
平家一門は、仲がよかったと聞いてます。
源氏と違って天下を取れなかったのはその辺りにも原因があるのかもしれませんね。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、身内に対して非情になりきれない清盛の判断が運命を変えてしまいましたね。
身内の結束は良いことですが、それで本家を滅ぼしては意味がありません。
そして、その教訓を身をもって知っている頼朝だからこそ、あそこまで非情になれたのでしょうね。
ぴーち おはようございます!
池禅尼は
「わが子に似ているから」ですかぁ・・
光市母子殺害事件の被告も
母への面影を求め、抱きつきたかったからなどと
と言っていましたが、
親子の愛情は普遍ではあるものの、
それを他に求めたことにより、
一方は、その理由で命が助けられ
一方では、その理由で命が奪われてしまった・・。
親子の愛情に触れる事は言わば心の琴線に触れる事と同じなので、それを引き合いに出して、理由付けにすることは言わば一番卑怯な手段だとも思うし、それによって人の運命が変えられてしまうことは言語道断です。
それを卑怯な手段だと冷静に捉えた現代の裁判所の判断はやはり正しかったのかも知れません。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 誰かの何気ない一言が一族の運命を変えてしまう、というのも恐ろしい話ですよね。
光市母子殺害事件にご意見については私も全く同感です。
「言語道断な罪状に対しては法に基づき厳正に処罰する」。裁判所の当然ともいえる判断を私も支持します。
結果論なので
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
源頼朝、源義経の件は、後から、考えたらの
結果論だと思います。
なぜなら、もし、この二人が凡庸で、そのまま
平家政権が続けば、
平清盛は、慈悲深い武将と思われて、一生を終えたからです。
まさか、この二人があのような成長を遂げるとは。。
ネタバレになるので、ここで、止めておきますね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰る一面は確かにありますね。
ただ、私は頼朝や義経が凡庸だとしても、あるいは両者を殺していたとしても、平家の政権は多少の時間がかかっても滅んでいたと考えております。
その理由は…ネタバレになるのでまた後日の更新で明かしましょう(^^ゞ