選挙という民主的な手段がある現代とは違(ちが)って、昔は政敵(せいてき)とみなされた人物は本人のみならず、子供であろうが一族もろとも殺されるのが常(つね)でした。なぜなら、身内を殺されたことで残った恨(うら)みは消えることなく、当時の子供がそのまま大人になれば、復讐(ふくしゅう)のために生命を奪おうとするのが十分考えられたからです。
こうした原則から考えれば、清盛によって捕らえられた頼朝や義経らの運命は風前の灯(ふうぜんのともしび)であり、処刑されてもおかしくないはずでした。しかし、清盛は結果として彼らの生命を奪おうとはしませんでした。なぜ清盛は頼朝や義経を助けたのでしょうか。
その背景には二人の女性が存在していたのです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 頼朝はこの清盛の温情を戦訓にして、義経をはじめ反鎌倉勢力と見なしたら躊躇なく滅ぼしたかもしれませんね。
その結果、源氏の弱体化をまねき、頼朝の血筋はその息子たちで終わり、平姓の北条氏に幕府を乗っ取られる。
皮肉ですな。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、過去を見事に教訓とした頼朝ですが、同時に「過ぎたるは及ばざるがごとし」でしたね。
それを見事にカバーしたのが徳川家ということにもつながります。歴史は流れですね。
ぴーち おはようございます!
昨日の夜、母が居間でテレビを見ていたので、何を見ているのかと思い立ち止まりましたら、NHKのチャンネルでした。恥ずかしながら、初めて大河ドラマの「平清盛」をチラ見しました(^^ゞ
母は毎週欠かさず見ているようですが、私はどうもテレビ番組を見る余裕が無くなってしまっている様です(^_^;)
女性の存在。。
どんな方なのでしょう^^
女性はなかなか表舞台に登場する機会に恵まれませんが、英雄と呼ばれる男性の影には必ずと言って良い程、献身的に支える女性がいるもとと思われます^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、歴史を陰で支えたのは多くの名もない女性たちでした。
そして、今回の場合は平家にとって陰で支えるどころか、全く逆を行ってしまうのです―。