この飢饉は当時の年号から天明の大飢饉(てんめいのだいききん)と呼ばれ、1782年から1788年まで長く続きました。なお、浅間山と同じ年の1783年にはアイスランドのラキ火山が同じように噴火しており、天明の大飢饉の理由の一つになったとともに、北半球全体が冷害(れいがい)になったことで、1789年のフランス革命の遠因(えんいん)にまでなったと考えられています。
いずれにせよ、天明の大飢饉によって東北地方を中心におびただしい数の餓死者(がししゃ)が出てしまいました。また、飢饉によって年貢(ねんぐ)が払(はら)えない農民による一揆(いっき)や、都市部での米の売り惜しみに対する打ちこわし(=天明の打ちこわし)が多発しました。
この当時は「天災が起きるのは政治を行っている人間のせいである」という考えが信じられていたので、これらの責任の一切を意次が背負わなければならなかったのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
そうでしたか。やはりどっか~んの方でしたか(^_^;)
それにしても、今も昔も自然災害があると時の権力者に怒りのはけ口が向けられてしまうとは、理不尽な話ではありますが、成り行き上、仕方のない事なんでしょうね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうでしたか。やはりどっか~んの方でしたか(^_^;)
> それにしても、今も昔も自然災害があると時の権力者に怒りのはけ口が向けられてしまうとは、理不尽な話ではありますが、成り行き上、仕方のない事なんでしょうね。
不運としか言いようがないですね。
仰るとおり不満のはけ口としてやり玉に挙げられるのは致し方ないかもしれませんが、それが必ず正しい行動とも限りません。過去の歴史がそれを証明しています。
オバrev これって、綱吉の時と同じ展開ですか?
しかし此頃物流はどうだったんでしょうか。
東北で飢饉があれば、他の地方から食料を送ることができていたら、その被害もかなり防げた気がします。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > これって、綱吉の時と同じ展開ですか?
残念ながらその通りですね。
自然現象で政権を去らねばならないことがどれだけ無念だったでしょうか…。
> しかし此頃物流はどうだったんでしょうか。
> 東北で飢饉があれば、他の地方から食料を送ることができていたら、その被害もかなり防げた気がします。
意次は実際に米の物流に神経を配っていました。ところが、それをぶち壊しにした人間がおりまして…。
いずれまた紹介します。