この矛盾を解決するには、米を通貨扱いにする米本位制(こめほんいせい)ともいえる石高制をやめて、戦国時代に行われていた生産される米の量を銭に換算(かんざん)する貫高制(かんだかせい)に戻すのが一番良い方法でした。
すなわち、武士にはそれまでの米に代わって銭を支給して、綱吉の時代に元禄小判(げんろくこばん)でそうしたように、政府が通貨量を調整して経済をコントロールする方式にすればよいのですが、商行為を敵視(てきし)するがゆえに極端な重農主義(じゅうのうしゅぎ)に染(そ)まっていた吉宗には出来ない相談でした。
一方、こうした吉宗による重農主義は、農民にとっても大きな苦しみとなっていました。幕府からの命令で必死になって米を増産しても、結局価格が下がることで収入が減ってしまい、財政的に苦しくなった幕府からは増税を要求され、その結果ますます苦しくなっていくという典型的な悪循環(あくじゅんかん)が続いたからです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんにちは!
やはり上に立つものは、ある程度、公明正大であるべきだと思います。吉宗さんは、もう少し柔軟性のある考えの方かと思っておりましたが、一度その考えに賛同してしまうと、他からの意見に耳を貸さなくなってしまうという欠点があったのですね。
なかなか、上手くはいかないものですね(^^ゞ
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうですね。吉宗の信念たる重農主義が絶対化したことで柔軟な考えができなくなってしまったことが、特に農民にとって不幸な結果を招いてしまったといえます。
そして、農民の不満を解消する方法が…。
わろ うーむ、経済は難しいですね^^;
米を増やして、人口ももっと増えれば、相対的に米の価値も上がって行きそうな気もするのですが、江戸時代は米あまりだったのですか?
初コメで、なんだか、よく分からないコメして申し訳なさす><
わろさんへ
黒田裕樹 > うーむ、経済は難しいですね^^;
> 米を増やして、人口ももっと増えれば、相対的に米の価値も上がって行きそうな気もするのですが、江戸時代は米あまりだったのですか?
元禄時代までは確かにその傾向がありました。しかし、この頃までに人口の爆発的な増加はなくなっていたので、需要と供給の関係がシビアになっていたんですよね。
> 初コメで、なんだか、よく分からないコメして申し訳なさす><
いえいえ、お言葉大歓迎です。今後ともよろしくお願いします。
疑問
ろっぽん 当時は各藩ごとに年貢を納めるのでは?
直轄地は江戸、甲府、奈良、岐阜ぐらいで
(間違ってるかもしれませんが)
直轄地の米の増産ですか
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、今回の記事は直轄地である天領における話です。
直轄地は江戸のほかに甲府や京・大坂、長崎など全国に散らばっていますね。