目安箱に入れられた書状の中には、吉宗の政治に対して批判的な内容のものもありましたが、吉宗は投書した人物を処罰(しょばつ)しませんでした。目安箱は、封建社会(ほうけんしゃかい)においては時として独裁(どくさい)政治になりがちな時代のなかで「お上(かみ)にも過(あやま)ちを犯(おか)すことがある」ことを事実上認めた画期的(かっきてき)な制度でもあったのです。
吉宗は、更なる収益の活性化を目指して新しい産業を興(おこ)そうと考えました。なかでも有名なのが甘藷(かんしょ)、いわゆるサツマイモの栽培(さいばい)でした。吉宗は青木昆陽(あおきこんよう)に命じて薩摩(さつま)で従来生産されていた甘藷を江戸でも栽培させました。甘藷はやがて救荒作物(きゅうこうさくもつ、飢饉=ききんの際に役立つ作物のこと)として全国に広がったのですが、この背景には大きな教訓がありました。
実は、享保の改革が行われた間に大凶作(だいきょうさく)があったのです。1732年に起きた享保の大飢饉(きょうほうのだいききん)によって、西日本を中心に多くの餓死者(がししゃ)が出ましたが、藩全体で甘藷を栽培していた薩摩藩(さつまはん)では一人の犠牲者も出さなかったといわれており、吉宗もその事実に注目したのでした。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
目安箱については批判も多かったとありましたが、処罰をしなかったということが一番大切な部分でもありますね^^
忌憚のない意見を言うことが出来ますね。
確か家康も様々な意見を家臣から聞き入れ、積極的に取り入れていたらしいですものね^^
それとさつまいもの話は存じておりました♪
今でもそうですが、素晴らしい食材だと思います^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 目安箱については批判も多かったとありましたが、処罰をしなかったということが一番大切な部分でもありますね^^
> 忌憚のない意見を言うことが出来ますね。
> 確か家康も様々な意見を家臣から聞き入れ、積極的に取り入れていたらしいですものね^^
吉宗のこういう姿勢は評価できますね。家康の良いところを受け継いだといえるかもしれません。
> それとさつまいもの話は存じておりました♪
> 今でもそうですが、素晴らしい食材だと思います^^
サツマイモは確かに天の配材ですね。
多くの人間の生命を守ってくれたと思います。