綱吉の後を受けて6代将軍になった徳川家宣(とくがわいえのぶ)でしたが、就任してからわずか3年後の1712年に51歳で死亡し、後継として家宣の子で4歳の徳川家継(とくがわいえつぐ)が7代将軍に選ばれたものの、1716年に病に倒れ、8歳で亡くなったことによって、徳川家康以来の将軍家の血が絶えてしまいました。
徳川家にとって悪夢のような受けいれがたい現実でしたが、将来においてこういう事態を予測していた家康は、血の「セーフティーネット」ともいうべき制度を設けていました。家康が晩年に産ませた男子によって創設された、水戸(みと)・尾張(おわり)・紀州(きしゅう)のいわゆる御三家(ごさんけ)のことです。
家継亡き後、次の将軍を御三家のうちどこから迎えるかについて色々な意見がありましたが、最終的に血統の近さなどから紀州藩主の徳川吉宗(とくがわよしむね)が選ばれ、8代将軍に就任しました。
吉宗は30年近くの将軍在職期間を通じて、家康の時代を理想とした様々な幕政の改革を行いました。これを享保の改革(きょうほうのかいかく)といいます。




いつも有難うございます。
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クラチー 130000HITおぉ!?な、なんという数字!
おめでとうございます!
これからも歴史講座、楽しみにしていますよ!
(>∀<)ノノ
お、いよいよ吉宗さんの登場ですか。
どれ、目安箱に何か投稿してこようかな。←
オバrev 家康の危機管理能力というか先見の明たるや、スゴイの一言ですね。
しかし吉宗は、将軍になるという運命だったとしか思えませんけど(^^ゞ
ただ享保の改革は、見事にその効果があったのか、どうなんでしょうか?
クラチーさんへ
黒田裕樹 > 130000HITおぉ!?な、なんという数字!
> おめでとうございます!
> これからも歴史講座、楽しみにしていますよ!
> (>∀<)ノノ
有難うございます。これからも期待に応えられるよう頑張りますよ(^^♪
> お、いよいよ吉宗さんの登場ですか。
> どれ、目安箱に何か投稿してこようかな。←
是非とも某国の政権に関する様々な難問を訴えていただきたいものですm(_ _)m
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 家康の危機管理能力というか先見の明たるや、スゴイの一言ですね。
> しかし吉宗は、将軍になるという運命だったとしか思えませんけど(^^ゞ
確かにそうですね。先見の明というものは時間が経って初めて証明されるものです。
ひるがえって現代は…(´・ω・`)
> ただ享保の改革は、見事にその効果があったのか、どうなんでしょうか?
難しい命題ですね。これからじっくり検証したいと思います。
ぴーち こんばんは!
13万ヒットですか!おめでとうございます!
破竹の勢いですね^^
この勢いでまだまだこれからも
ブログに講座に本業に益々頑張って
いただきたく思います(^^)v
吉宗は家康の時代の理想を実現しようと努力
した将軍だったのですね^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
これからも本業ともども頑張りますよ。歴史講座も近いですしね(^_^)v
> 吉宗は家康の時代の理想を実現しようと努力
> した将軍だったのですね^^
そのとおりです。理想とすることに関しては功罪両方があったと思いますが、そのあたりを今後時間をかけて検証していきたいと思います。