俳諧(はいかい)では、西山宗因(にしやまそういん)による奇抜(きばつ)な趣向(しゅこう)をねらった談林俳諧(だんりんはいかい)に対して、伊賀出身の松尾芭蕉(まつおばしょう)が格調高い芸術による蕉風俳諧(しょうふうはいかい、別名を正風俳諧=しょうふうはいかい)を確立しました。芭蕉は全国を旅しながら俳諧を広め、奥の細道(おくのほそみち)などの紀行文(きこうぶん)を残しました。
武士出身の近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)は国性(姓)爺合戦(こくせんやかっせん)などの歴史的な事柄(ことがら)を扱(あつか)った時代物(じだいもの)や、曽根崎心中(そねざきしんじゅう)などの当時の世相(せそう)に題材をとった世話物(せわもの)を人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)や歌舞伎(かぶき)の脚本(きゃくほん)として書き上げました。
近松の作品は義理と人情の板挟(いたばさ)みに苦しむ人々の姿を美しく描いたものであり、大坂の竹本義太夫(たけもとぎだゆう)らによって語られ、義太夫節(ぎだゆうぶし)として広く知れ渡りました。




いつも有難うございます。
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ろっぽん 確か08年にUpしたネコの浄瑠璃を
描いた時、驚いたのですが
江戸中期ころの東北の片田舎でも
小屋掛け浄瑠璃が上演されていたんですね
わりと細やかな心のひだを読み解く
能力が庶民にもついていたんですね
URLが「ネコの浄瑠璃」です。どうぞご覧ください。
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 ご紹介下さって有難うございます。
人形浄瑠璃は近松によって爆発的に広がりましたね。
上方発の文化というのが誇りでもあります。
ぴーち こんばんは!
本日は本業業務の方がお忙しい中、ご訪問くださってありがとうございますm(_ _)m
松尾芭蕉も歌に出来ない程絶句した絶景とされる
松島も、東北も、早く今まで通りの生活、風景に
戻っていただきたいものです。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 本日は本業業務の方がお忙しい中、ご訪問くださってありがとうございますm(_ _)m
いえいえ、こちらこそお気遣いいただきまして有難うございます。
> 松尾芭蕉も歌に出来ない程絶句した絶景とされる
> 松島も、東北も、早く今まで通りの生活、風景に
> 戻っていただきたいものです。
本当にそうですよね。
絶景がいつの日か再び拝見できる日を私も祈っております。
オバrev 有名人ばかりですね。ということは、まだまだ多くの無名な方もおられるでしょうね。
これはやはり、元禄時代が社会的にも安定していて、表現の自由もかなりあったということなんでしょうか。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、景気も良くて平和だった元禄時代ならではの文化だと思います。
調べれば分かることだと思うのですが、一般的には「綱吉公=暗君」からくる間違った史観がまかり通っていますからね…。