茂睡の説は万葉集などの研究を続けた僧の契沖(けいちゅう)によってその正しさが認められ、契沖は従来までの和歌の道徳的な解釈(かいしゃく)を批判して万葉代匠記(まんようだいしょうき)を著しました。
また、北村季吟(きたむらきぎん)は源氏物語(げんじものがたり)や枕草子(まくらのそうし)などを研究して、源氏物語湖月抄(げんじものがたりこげつしょう)や枕草子春曙抄(まくらのそうししゅんしょしょう)などの注釈書(ちゅうしゃくしょ)を著しました。
これらの古典研究はやがて古代精神への探究へと進化して、後には国学(こくがく)という新しい学問の基礎となりました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
確かに「源氏物語」や「枕草子」などの昔の言葉の言い回しなどは難しいものもあり、今風に解釈するのは、なかなか難しいものだと思います。こうして注釈していただけた事は大変ありがたい事だと存じます^^こういった先人達にはひたすら頭が下がる思いです。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに「源氏物語」や「枕草子」などの昔の言葉の言い回しなどは難しいものもあり、今風に解釈するのは、なかなか難しいものだと思います。こうして注釈していただけた事は大変ありがたい事だと存じます^^こういった先人達にはひたすら頭が下がる思いです。
仰るとおり、現代の私たちが当然のように古典を読めるのも、先人の皆様のご努力のおかげですからね。こんなところにも歴史がつながっています。
いにしえの言葉
ろっぽん 芭蕉は境田(現在の山形)の法人(藩境警備の家)の家で「どうぞねまらいん」と歓迎されました
道の奥には万葉の古語が残ってると気がつきます。
現在も暇で寂しいことを徒然(とぜん)だといいます。美形(びで)など東北ではいまでも万葉言葉が訛って残っています。
芭蕉のことを書きましたが庶民では俳句や戯れ句の川柳が流行ったのもこのころでしょう
北斎や歌麿の浮世絵は次の会ですか
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 芭蕉の感性には素晴らしいものがありますね。
柄井川柳の活躍時期はもうしばらく後になります。浮世絵は元禄文化の頃が元祖になりますので、北斎や歌麿ももう少し後ですね。
HANA子 日本の素晴らしいところは学問・学術・技術の蓄積と研鑽が常に止まらずに行われてきたことなのではないかと思います。
また、大陸の国家のように前王朝──日本の場合は王朝ではないですから政権と呼ぶべきでしょうか──を否定する余り、総てをなかったことにするようなろくでもない習わしがなかったことについてもプラスではないかと。
この元禄の御世に始まった国学の萌芽はまさしく宝と呼んでいいものだとわたしは思っています。
HANA子さんへ
黒田裕樹 仰ること、私も同感です。歴史を知らないことで、私たちは今回のような「至宝」にあまりにも無頓着であると思います。