歴代将軍の中でも特に学問を好んだ5代将軍の徳川綱吉(とくがわつなよし)は、1690年に湯島聖堂(ゆしませいどう)を建てて、林羅山(はやしらざん)の孫にあたる林鳳岡(はやしほうこう、別名を林信篤=はやしのぶあつ)を大学頭(だいがくのかみ)に任じました。
こうした幕府の姿勢は諸大名にも反映され、多くの藩主が綱吉にならって儒者を顧問(こもん)に学問に励むと同時に藩政の向上を目指しました。中でも岡山の池田光政(いけだみつまさ)や会津の保科正之(ほしなまさゆき)、加賀の前田綱紀(まえだつなのり)や水戸の徳川光圀(とくがわみつくに)らが有名です。
徳川光圀は有名なテレビ時代劇である「水戸黄門(みとこうもん)」のモデルとしても有名ですね。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
儒学的な考えは元禄時代以降には
廃れてきたのですか?
それはどんな理由なのでしょうか。
礼節を尊ぶ考えというのは、
今でも日本人の考え方の根底に
脈々と受け継がれている様に思います。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 儒学的な考えは元禄時代以降には
> 廃れてきたのですか?
> それはどんな理由なのでしょうか。
廃れてきたというよりも、さまざまなかたちで発展を遂げた、というべきかもしれません。
例えば、中国から伝来した朱子学が、後述する水戸学のように日本の風土に合ったかたちに変貌するような感じですね。
> 礼節を尊ぶ考えというのは、
> 今でも日本人の考え方の根底に
> 脈々と受け継がれている様に思います。
私もそう思います。いつまでも失いたくないものですね。
こんばんは
ryo 今回のコメントは趣旨がまったく違うというか、リクエストなのですが、独り言と思ってくださってけっこうですw
黒田先生の動画をいろいろ見てきましたが、戦国武将の中でもどうしても気になる武将が一人います。それは上杉謙信です。毘沙門天の化身とまで言われた軍神。その強さは有名ですが、戦い以外でも内政において功績を残したと聞いています。もし機会がありましたら、上杉謙信の講義をお願いしたいと思います。
ryoさんへ
黒田裕樹 なるほど、上杉謙信ですか。
裏切りが当然の戦国時代に「義」の武将として君臨したことも凄いですね。
今回は関ヶ原ですので時代が異なりますし、いつの日か担当してみたいとは思っております。