こうした流れの中で、17世紀後半には江戸・大坂・京都の三都や城下町において地方からの商品の仕入れや受託(じゅたく)を行う問屋(といや)が商業や流通の中心となっていきました。問屋は自己(じこ)の利益を守るため業者ごとに仲間(なかま)や組合という同業者の団体をつくり、仲間掟(なかまおきて)と呼ばれた独自の法を定めて営業の独占を図(はか)りました。
当初の幕府は仲間を公式には認めませんでしたが、商工業者の統制や物価の調節に有効な役割を仲間が果たしたことによって、18世紀には公認するとともに、運上(うんじょう)や冥加(みょうが)といった営業税(えいぎょうぜい)を確保するために仲間の公認を増やすようになりました。
幕府によって公認された営業の独占権を株(かぶ)と呼び、また商人たちの仲間は株仲間(かぶなかま)と呼ばれました。江戸の十組問屋(とくみといや)や大坂の二十四組問屋(にじゅうしくみといや)が有力な株仲間として知られています。なお、株仲間を積極的に公認することで商人からの税を増やし、幕府財政を安定させようとしたのが田沼意次(たぬまおきつぐ)でした。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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クラチー 「営業の独占」…!
今の日本だったら、いくつかの業者は、
「独占禁止法」とかで裁かれそうですね。
でも、時代が違うし、日本産ばかりだから、
敵が少ないから、そうはならないですかね。
いや、現代の日本がうるさ過ぎ…?
(^^;)
…って、ここにきて田沼すぁん!
法人税や消費税の先がけがココに…ウルウル。
(;Д;)
税
ろっぽん 年貢だけかと思ったらやはり商人からも税をとったんですね。現代は記帳による申告制ですけど、そういう申告する税務署みたいなものはあったんですか
それとも貿易税みたいに一個一個に税をかける物品税ですかね。松前藩は全国で唯一、米がとれない藩として本土のアイヌと商取引する大江(おおみ)商人に税をかしていたようですね。
ぴーち こんにちは!
株のお話は、これまた全く分からなくて
申し訳ありませんが、冥加などというと神仏の恩恵みたいな表現で、面白いですね^^
応援凸
クラチーさんへ
黒田裕樹 「独占」といっても、確かに現代とは感覚が異なる一面がありますね。
とはいえ独占に阻まれた商人の恨みは聞こえてきそうですし、難しいところだともいえます。
封建社会の武家政権ならではの税制ですが、現代の我が国は…どうでしょうか(^^ゞ
ハイ、ここでも田沼さんが出てきますよ。
大事な場面で出てくるあたりが、彼の政治家としての優秀さを物語っていますね(^_^)v
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 運上や冥加は物品ごとに税金をかける流通税の一種ですから、税務署のような形式があったかどうか、私も今一つ分からないところがあります。
松前藩の取引は幕府も黙認していたようですが、そのやり方があまりにも問題があったことで調査に乗り出した人物がいました。実はこれも田沼意次です。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 株のお話は、これまた全く分からなくて
> 申し訳ありませんが、冥加などというと神仏の恩恵みたいな表現で、面白いですね^^
仰るとおり、冥加はそもそも「神仏からの加護」という意味で、やがて冥加の祈願や冥加の御礼として寺社に奉納された金銭をも指すようになりました。
後に幕府や藩主などが自らを寺社に例えて、年貢以外に自己に対する税金を冥加と称して納めさせるようになったというわけです。
紗那 営業独占自体もあまり消費者にとっては良い影響がないのですが、それを中央政府が公認、ましてや推進となると、影響が大きくなりすぎますね……
田沼意次の失職の原因になることであるとか……
紗那さんへ
黒田裕樹 > 営業独占自体もあまり消費者にとっては良い影響がないのですが、それを中央政府が公認、ましてや推進となると、影響が大きくなりすぎますね……
> 田沼意次の失職の原因になることであるとか……
確かにそうですね。
営業の独占は幕府の財産を好転させますが、他の業者の妬みは避けられません。この他にも天災などの影響があって田沼意次は失脚してしまうんですよね。