次に、朝鮮通信使に対するこれまでの待遇が丁重(ていちょう)過ぎたと感じていた白石は、家宣の将軍就任の慶賀を目的に新たな通信使が我が国に派遣されてきた際に、その処遇(しょぐう)を簡素化するとともに、それまでの朝鮮からの国書に「日本国大君殿下(たいくんでんか)」と書かれていたのを「日本国王」と改めさせました。
これらは、一国を代表する権力者である将軍の地位を明確にする意味が込められていましたが、同時に将軍と皇室との関係において、将軍家の地位を下げる結果ももたらしていました。なぜなら「国王」は「皇帝=天皇」よりも格下と考えることも可能だったからです。
さらに白石は「金の価値を落とした偽物を市中に出回らせることで不正な利益を上げることは許されない」という儒教的な観点から、元禄小判を回収して金の含有率(がんゆうりつ)を元に戻した正徳小判(しょうとくこばん)を発行しましたが、貨幣の価値の上昇が必然的に物価の値下がりをもたらしたことで悪質なデフレーションを引き起こしてしまい、景気が悪化してしまいました。
優秀な朱子学者だった白石ゆえに、世の中の「生きた経済」が理解できなかったことによる失政でした。そして、このような「朱子学の考えを重視するゆえの経済の無知」は、この後も幕府が何度も繰り返すことになってしまうのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
いわゆる白石という方は、砕けた言い方をさせて
いただくと「頭でっかちで融通が利かない」人間だった訳ですね。朱子学も時の流れで世の中の状況が変化したり、あるいは国の情勢が違ったりしているときに、その教えのまま無理にその時代に当てはめようとしても、どこかに必ず歪が生じてしまう事でしょしね。そういう事を無視し、自分の考えだけを押し通そうとした事で事態は悪化し、失政してしまったんですね。良かれと思った事でも、よく世間というものを知らずに行動を起こすと、たちまち命取りですね。
現代の政治家さんにも当てはまりそうな内容ですね(^^ゞ
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、学問を究めた人間にありがちな「自分の考えが絶対」という発想が、時として生命取りになることが往々にしてありますし、そのような誤りがあるとして、その後の対応が明暗を分けると思います。江戸幕府の場合はどうだったのか…。これから検証していく必要があるでしょうね。
> 現代の政治家さんにも当てはまりそうな内容ですね(^^ゞ
私もそう思いますし、答えを出せる政治家こそが信頼に値することでしょう。
学者先生の将棋下手。
晴雨堂ミカエル そういえば、大河ドラマ「八代将軍吉宗」でしたか、佐藤慶氏が新井白石に扮していました。
朝鮮通信使を赤い束帯で迎え、いささか横柄な態度で接待の内容を変える旨を通告している場面がありました。
家康・秀忠親子が国交回復のために苦心して作り上げた外交方針を変更する訳ですが、白石の他の業績を鑑みるに、たぶん家康の深慮は考慮しなかったと思いますね。
「大君」にしても、練りに練られた絶妙な称号でした。
日本国内で「将軍」は最高主権者でも国際法上はただの一司令官、かといって中国相手に「皇帝」では態度を硬化させるし「国王」では屈辱外交、皇室に対しても「皇帝」では反幕府の口実になってしまうし、「国王」では諸外国に徳川氏は天皇家の臣下であることを認めてしまう。
白石という人間は、暗記は得意だが応用が利かない典型的な秀才バカですね。
先人が苦慮して編み出した方法の経緯や背景には全く無頓着、いまの政治家も反面教師にしてもらいたいものです。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 吉宗は私も見た覚えがあります。
学者としての「頭でっかち」が、家康が苦心して築き上げてきた外交をぐちゃぐちゃにしましたね。仰るとおりの無配慮無頓着がどれだけ国益を害してきたことか。決して昔話ではありません。