新たな宮家は当時の第113代東山天皇(ひがしやまてんのう)の子である直仁親王(なおひとしんのう)によって立てられ、閑院宮家(かんいんのみやけ)と呼ばれましたが、実は設置から約半世紀後に皇室の直系の血が絶えてしまい、閑院宮家から第119代の光格天皇(こうかくてんのう)が誕生しました。
そして、光格天皇の血統は現代の天皇陛下から秋篠宮文仁親王殿下(あきしののみやふみひとしんのうでんか)を通じて悠仁親王殿下(ひさひとしんのうでんか)までつながっています。
つまり、白石が閑院宮家の創設に助力したことによって、現代にも皇室の血統が脈々と受け継がれているのです。その意味においても、白石の功績は非常に大きいものがあったといえるでしょう。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
天皇家は半世紀後に一度途絶えていたのですか!
全く存じておりませんでした!
まあ、長い歴史の中ではそういう事があったのも
仕方が無かったとは言え、白石の功績が多大であったということだけは何故か埋もれてしまっているのが、なんとも可哀想に思いますね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうなんです。新井白石が閑院宮家を創設していなかったら皇統の危機が現実となるところでした。
ただ、いつの世も人知れず危機を救った人物にはなかなかスポットライトが当たらないものですからね。
白石の場合は明暗の「暗」の部分も大きいですから余計かもしれません。
HANA子 しばらくです
確かに新井白石は明暗の暗の部分ばかりが目立ってる人のような気がします…
と思ったのですが、
よくよく思い返すと為政者ってのはすべからく、時には捏造されてまで明暗の「暗」の方ばかりがクローズアップされる存在でしたっけ
新井白石の「暗」といえば荻原重秀の全否定の結果起きたアレでしょうか?
HANA子さんへ
黒田裕樹 ご無沙汰しております。
仰るとおり、時の為政者は誤解を招く部分が多いですが、白石の場合は前任者を不当に評価した分、自業自得な一面がありますね(もっとも、今回の記事のように評価すべき部分もありますが)。
> 新井白石の「暗」といえば荻原重秀の全否定の結果起きたアレでしょうか?
鋭いですね(^^ゞ
明日(15日)をお楽しみに!