綱吉とセットで「悪人」とされている人物として側用人の柳沢吉保が知られていますが、吉保の本来の業務は老中からの意見をまとめて綱吉に報告し、意見をうかがうことであり、彼が私腹を肥(こ)やしていたというのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)です。
ところで、吉保のような側用人を置くというシステムは綱吉自身が考え出したものでした。家康の独断によって始まった江戸時代の政治は、2代将軍の徳川秀忠(とくがわひでただ)以後は老中が意見をまとめて将軍に決裁を依頼し、将軍が事実上何の意見も述べずに承認するという形式が続きました。天下が平穏(へいおん)に治まった頃には家柄(いえがら)や身分で政治を行ってもそれほど大きな問題にはならなかったのです。
しかし、世の中が変革を必要としているときは、その道に詳(くわ)しい者でないと政治を任せられませんから、たとえ身分が低くても優秀であれば登用したいのですが、従来の身分秩序を基本とした合議制ではどうにもなりません。そこで綱吉は、大老の堀田正俊が暗殺された後に、老中の上に側用人を置いて、彼をワンクッションとして将軍自身の意見が通るようにシステムを一新したのです。
このような天才的なシステムを考案できるというのも綱吉の有能な政治家としての一面ですね。さて「世の中が変革を必要としている」とたった今書きましたが、綱吉の治世の間には少なくとも2つの改革が必要でした。一つは生類憐みの令による武士や庶民の意識の変革でしたが、もう一つとは何だったのでしょうか。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
もう一つは何でしょう?(おっと、
自分で考えなきゃいけませんね(^^ゞ)
すみません、ここで10分考えてましたが、
全く分かりませんでしたm(_ _)m
江戸の経済に関係することかしら。←苦し紛れw
応援凸
封建時代
ろっぽん 現代は民主主義で国民が選挙で選ぶ代議員制ですね
と言っても有権者がよく勉強してなく単にイメージで選んでいて
ポピュリズムでセンテンスが短いスローガン的な物に騙され結局はテメラが選んで自分たちの首を絞めてる結果になりますね。(官さんは嫌いだけど、世論のいうこと・・・例えば浜岡原発を止めるということを取り上げたが、他の保守議員ではありえただろうか!ようは官さんを支えあうシステムを作ればいいだけじゃないのかな)
民主主義と言うのは1人1人よく勉強し議論をしあう世論を創りださないと真の民主主義は育たないと思う。
上にまかせている封建主義が楽である。
1人で考えうる範囲は決まっている
現在も封建時代も専門家(官僚)に任せるシステムができたのはこのころであろう
だいたい言いたいことを言わせてもらうと
社会科の先生は大半、質問攻めにするとゴニョゴニョとごまかされていた記憶ばかりである
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なかなか鋭いところをついておられますね(^^♪
次回(9日)以降の更新までお待ち下さいm(_ _)m
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 仰るとおり民主主義といえども万能ではなく、パフォーマンスその他によって民衆の支持を受けながら、実は大した政治を行えないことによって生じる衆愚政治などの様々な問題があります。
独裁的かつ前近代主義的といわれる封建政治ですが、今の世の中のように素早い決断力が求められる際には、かえって都合が良いこともありますね。
最後のお言葉、私も気を付けなければいけません。