現在、公立高校常勤講師としての業務を優先のため、自分自身が主催の歴史講座を休会中でありますが、この度6月5日(日)の午後2時より「学ぼう会・北摂(ほくせつ)」主催の「良く分かる歴史講座」(茨木市教育委員会後援)で講演を行うことになりました。
講座のテーマは「意次vs.定信 ~本当の悪人は?」であり、私の第8回歴史講座の内容に準じて行いますが、ブログをご覧の皆様にも是非ご参加いただければと思います。
第16回「良く分かる歴史講座」
日時:平成23年6月5日(日) 午後2時~午後4時
内容:「意次vs.定信 ~本当の悪人は?」
講師:黒田裕樹
場所:茨木市福祉文化会館 202号
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
(大阪府茨木市駅前4-7-50)
主催:学ぼう会・北摂
ところで、私のブロともであるクラチーさんから今回の講座を記念して素敵な画像を頂きましたので、皆様にもご覧いただきたいと思います。
クラチーさんは私と同じ歴史ブログである「蓼食う虫も好き好き」を運営されてます。お手製の画像を掲載しながら独自の理論で歴史を語っておられますので、皆様もどうぞご訪問下さい!
(※クラチーさんのブログについては、下線部からご覧いただけます。)

田沼意次(右)と松平定信(左)ですね。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
もう6月。
今年も既に半年が過ぎようとしています。
本当に月日の流れるのは、早いものですね(^^ゞ
今月は講座が開催されるのですね^^
お近くの方々は、楽しみになされていることでしょうね!
ブロともさんの『クラチー」さんのイラスト、
とっても素敵ですね(^^♪
黒田さんの記事も毎回丁寧で、分かりやすい文章で書いてくださり、ありがたく存じておりますが、こうしてイラストを添付しながらの歴史話も親しみ安くて良いアイディアですねっ^^
凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 今日から6月ですか。月日が経つのは早いですね。
今月の開催はもちろん、近日中に計画しております「歴史講座の復活」も視野に入れて頑張っていきたいです。
クラチーさんのイラストへのお言葉、有難うございます。
絵画を得意とされておられるブロガーさんと知り合いになれたことは嬉しいですし、今回私のために提供下さったことには大変感謝しております。
これからもこういう機会があれば有難いですね。
数多くの法令の中には、鳥類などを口にしてはいけないという食卓での禁令など、次第にエスカレートしたものが多かったのは確かです。しかし、法令の底辺にあったのは、まぎれもなく「動物愛護」から「人命尊重」へとつながる確固たる綱吉の意思でした。
この当時は作業に使役(しえき)させる目的で牛や馬が飼われていましたが、年老いたり病気になったりすると動けるうちから追放して死なせることがよくありました。野ざらしにされて死んだ牛馬から発生した病原菌(びょうげんきん)が、その肉を食べた野犬が人々に噛(か)み付くなどして人間に伝染(でんせん)することで疫病(えきびょう)が広がることが多かったのです。
こうした伝染病を防止するためや、何よりも野犬化によって犬自身が被害を受ける前に保護しようという考えがあったからこそ、犬に関する様々な法令がつくられたのです。また、生類憐みの令では病気になった牛馬をきちんと療養(りょうよう)させることや、捨て子の禁止、あるいは人が旅先で病気になっても旅籠(はたご)で面倒をみることなども義務付けています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
そうですか。
悪政だと思われていた「生類憐れみの令」も
綱吉の本意は、非常に自愛み満ちていた訳ですね。
時代が変わった後も、以前の時代の名残から
色々な柵を引きずり、それを正していこうとすると、時に強引な政策なとっていかなければなりませんし、なかなか軌道に乗るまでは批判も受けましょう。綱吉の政策もそんな世間の批難をもろに受けていた一人だったんですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうなんですよ。
国や国民のためになる政治の実現のためには、時には心を鬼にしなければいけないこともあります。
綱吉の理想は達成されましたが、それが当たり前になることによって生類憐みの令の負の部分だけが残ってしまった。
綱吉の悪評を聞くたびに、政治家とは因果な商売だと思いますね。
大奥
ろっぽん 綱吉で思い出すのは、映画、大奥のモデルの将軍なことです。自分の愛妾を吉保にゆずり
ゆずってからもたびたび床を一緒したといいます。
そして吉保から甲斐の大名になるよう綱吉に床で懇願するよう頼まれたそうで それが実現したので
その後、大奥では同禽するときは2人の寝ずの見張り役をおき枕の夜のことを逐一報告させたそうですね。
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 映画の世界はあくまで映画ですからね。
実際の柳沢吉保は名君と呼ばれた人物だったようです。綱吉との信頼からくる蜜月関係を他人がねたんでの俗説かと思われます。思えば吉保も損な役回りですね。
ただし、後半の「一緒に夜を過ごして将軍におねだり」というのは本当のようですね(綱吉に限らず)。