次に綱吉は、武士だけでなく庶民(しょみん)に対しても「忠孝の道」を求めさせようとしましたが、その方法として、武士に対する武家諸法度のように法令を用(もち)いて庶民に道徳心を身につけさせようとしました。
1685年に「鳥類を銃で撃(う)ってはならない」というお触(ふ)れが出されると、以後も約20年間に渡って次々と新しい法令が追加されました。世にいう「生類憐(しょうるいあわれ)みの令」の始まりです。なお、生類憐みの令とはそういう名前の法令が出されたわけではなく、約20年の間に少しずつ増えてゆき、最終的に135個の法令が出されたものを総称して名付けられたものです。
ところで、生類憐みの令は「人間よりも犬を大切にする」法令であり、違反した者は厳(きび)しく罰(ばっ)せられたことで多数の死者を含む数十万人の罪人を出したとされ、それゆえに綱吉は「犬公方(いぬくぼう)」という有難くもない別名で現代でも「暗君」と思われていることが多いですが、これらは本当のことなのでしょうか?




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
私も今から出かけて参りますので早めにお邪魔させていただきました^^
なるほど、「生類憐れみの令」は一度に発布されたものではなく次第に増えていったものなんですね!
しかも135個もの法令があったとは、存じませんでした!
その当時、日本に生息する全ての動物に対しての法令だったのでしょうか(*_*;
すごい数です!
霊的な上下関係として人間と同等に動物を扱う(あるいは神様として扱ったりすると)と動物の方の魂が悲劇を生んでしまうとある有名霊能者が以前申しておりましたが。そういう意味で非常に違和感のある法令でしたね。
応援凸
生類あわれみの令
ろっぽん なんか綱吉は、祈祷師に凝っていて
その占いで前世、生類をことごとく殺めたので
子が生まれないと占われ、そういうことから生類あわれみの令を出したそうで
今でいう動物虐待法みたいなもので
後でうわさに尾がついたのであろう
ぴーちさんへ
黒田裕樹 生類憐みの令は135個の種類がありましたが、その影響は犬以外の多数の動物に及びました。
現代から見れば確かに違和感がありますが、我が国全体に何をもたらしたかということも考慮したうえで、今後の更新を続けたいと思います。
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 祈祷師の件は僧の隆光がからんでいますが、生類憐みの令が出された当時、隆光はまだ綱吉に会っていませんし、江戸にもいませんでした。おそらくは俗説ではないかと思われます。