FC2ブログ
RSS  全記事  管理者用
黒田裕樹の歴史講座
受験対策にも万全!現役高校教師による「分かりやすくて楽しい」歴史ブログです。
次回の「黒田裕樹の歴史講座」

第66回黒田裕樹の歴史講座「戦後史検討 その1 ~占領政策の本質」平成30年5月20日(日)午後2時より東京・スター貸会議室 飯田橋にて、5月26日(土)午後2時より大阪市立総合生涯学習センター第1研修室(ホール)にてそれぞれ行います(東京講演の開始時間が1時間早まっていますので、お間違えのないようにご注意ください)。

BLOCK2 ブラック


ハローワークブログパーツ

FC2カウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

Twitter

カテゴリ

お知らせ (271)
┗産経新聞 (1)
ごあいさつ (10)
旧石器時代以前 (2)
┣人類の起源と日本列島 (1)
┗旧石器時代の社会 (1)
縄文時代 (7)
┣縄文文化の成立 (2)
┣縄文時代の生活 (3)
┗縄文時代の社会と信仰 (2)
弥生時代 (21)
┣弥生文化の成立 (4)
┣水稲耕作の展開 (3)
┣社会生活の変化 (2)
┣金属器の普及と土器の進化 (4)
┣小国の分立 (4)
┗邪馬台国の時代と大和朝廷の誕生 (4)
神話伝承 (7)
┣日本の建国伝承 (2)
┗消えた邪馬台国の謎 (5)
古墳時代 (25)
┣古墳文化の発展 (5)
┣朝鮮半島をめぐる情勢 (6)
┣大陸文化の伝来 (2)
┣古墳文化の変化 (3)
┣民族文化の成長 (2)
┣大和朝廷の政治制度 (3)
┗大和朝廷の6世紀 (4)
飛鳥時代 (51)
┣聖徳太子の登場 (5)
┣聖徳太子の内政 (7)
┣聖徳太子の外交 (12)
┣飛鳥文化 (2)
┣蘇我氏の横暴 (3)
┣大化の改新 (8)
┣白村江の悲劇 (4)
┣壬申の乱 (4)
┣律令体制の確立 (5)
┗白鳳文化 (1)
奈良時代 (24)
┣平城京への遷都 (3)
┣奈良時代の外交 (3)
┣奈良時代の社会 (2)
┣奈良時代の政治 (13)
┗天平文化 (3)
平安時代 (73)
┣平安京への遷都 (3)
┣薬子の変 (3)
┣弘仁・貞観文化 (6)
┣藤原北家の台頭 (7)
┣摂関政治の全盛 (3)
┣国司の地方支配と荘園の発達 (8)
┣武士団の形成と地方の反乱 (6)
┣対外関係の変化と刀伊の入寇 (4)
┣国風文化 (10)
┣院政の成立 (5)
┣武士団の成長と源氏の進出 (4)
┣保元・平治の乱 (7)
┣平氏政権 (5)
┗院政期の文化 (2)
鎌倉時代 (57)
┣源氏と平氏の興亡 (11)
┣頼朝・義経兄弟の明暗 (4)
┣鎌倉幕府の成立 (3)
┣鎌倉幕府の組織 (2)
┣源氏の暗転と北条氏の台頭 (5)
┣執権政治の展開 (5)
┣武士の生活と土地の支配 (3)
┣産業や商業の発達とその影響 (2)
┣元寇とその影響 (8)
┣鎌倉仏教 (9)
┗鎌倉文化 (5)
室町時代 (58)
┣鎌倉幕府の滅亡 (4)
┣建武の新政 (3)
┣南北朝の動乱 (4)
┣守護の成長と国人一揆 (2)
┣「室町」幕府の成立と義満の野望 (4)
┣室町幕府の組織 (4)
┣「くじ引き将軍」義教の政治 (3)
┣応仁の乱と下剋上 (4)
┣惣村の形成と土一揆 (3)
┣農業や商工業の発達 (4)
┣倭寇と日明貿易 (3)
┣朝鮮・琉球・蝦夷との交易 (4)
┗室町文化 (16)
戦国、安土・桃山時代 (59)
┣戦国大名の登場 (3)
┣戦国大名による領国支配 (3)
┣都市の発展と自治 (2)
┣大航海時代のヨーロッパ (2)
┣鉄砲伝来と南蛮貿易 (2)
┣キリスト教の伝来と隠された真実 (2)
┣織田信長の統一事業 (21)
┣豊臣秀吉の天下統一 (6)
┣太閤検地と刀狩 (3)
┣秀吉の対外政策と朝鮮出兵の真実 (10)
┗桃山文化 (5)
江戸時代・前期 (89)
┣江戸幕府の成立 (6)
┣幕藩体制の確立 (3)
┣幕府と藩の行政機構 (4)
┣朝廷に対する幕府の統制 (6)
┣寺社に対する幕府の統制 (5)
┣江戸時代の農民の暮らし (7)
┣江戸時代の町人と身分制度 (2)
┣江戸初期の外交 (3)
┣「鎖国」までの道のり (7)
┣江戸時代の交易と琉球・蝦夷地 (4)
┣寛永文化 (2)
┣武断政治から文治政治へ (5)
┣元禄時代 (10)
┣正徳の治 (3)
┣農業の発達 (2)
┣諸産業の発達 (3)
┣交通網の整備 (3)
┣三都の繁栄と商業の発達 (4)
┗元禄文化 (10)
江戸時代・後期 (119)
┣江戸社会の変容 (2)
┣享保の改革 (13)
┣田沼時代 (9)
┣寛政の改革 (6)
┣松平定信の真実 (4)
┣大御所時代 (3)
┣田沼時代の文化・化政文化 (17)
┣欧米列強の接近 (7)
┣大塩の乱 (3)
┣天保の改革 (5)
┣雄藩の登場と経済の近代化 (4)
┣アヘン戦争とその影響 (9)
┣黒船来航 (5)
┣通商条約の締結 (5)
┣貿易の開始とその影響 (3)
┣安政の大獄 (3)
┣公武合体と文久の改革 (3)
┣尊王攘夷運動の激化 (9)
┣討幕運動の展開 (8)
┗幕末の社会状況と文化 (1)
明治時代 (205)
┣幕府の滅亡と王政復古 (5)
┣戊辰戦争の悲劇 (9)
┣明治新政府の発足 (8)
┣中央集権化の完成 (4)
┣四民平等と士族の受難 (3)
┣近代的軍事制度の確立 (4)
┣地租改正 (3)
┣貨幣制度の改革 (2)
┣殖産興業 (3)
┣文明開化 (6)
┣初期の外交問題と領土の画定 (13)
┣士族の反乱と西南の役 (3)
┣自由民権運動の展開 (6)
┣明治十四年の政変と政党の結成 (3)
┣松方財政 (3)
┣自由民権運動の激化 (3)
┣行政機関の整備 (4)
┣大日本帝国憲法の制定 (8)
┣初期議会 (4)
┣条約改正への道のり (10)
┣朝鮮をめぐる情勢 (5)
┣日清戦争と三国干渉 (7)
┣列強の中国分割 (4)
┣北清事変と日英同盟 (5)
┣日露戦争 (11)
┣日清・日露戦争後の国内情勢 (6)
┣日露戦争後の国際関係と日韓併合 (11)
┣資本主義の成立 (9)
┣資本主義の発達 (4)
┣社会運動の発生 (10)
┣思想界・宗教界の動向 (3)
┣教育制度の整備 (2)
┣教育勅語 (3)
┣学問の発達 (4)
┣近代の文学 (4)
┣近代の美術 (2)
┣明治期の演劇・音楽 (3)
┣文化事業の推進 (2)
┣文部省唱歌「われは海の子」 (2)
┣国旗「日の丸」と国歌「君が代」の由来 (2)
┗明治の終焉 (2)
大正時代 (61)
┣大正政変 (5)
┣第一次世界大戦と日本 (3)
┣中国とロシアの動向 (10)
┣政党内閣の成立 (5)
┣パリ講和会議と民族運動 (5)
┣護憲三派内閣の成立 (5)
┣ワシントン会議とアメリカの野望 (7)
┣第一次国共合作と幣原外交の挫折 (4)
┣大戦景気と戦後恐慌・関東大震災 (3)
┣社会運動の展開 (4)
┣大衆文化の広がり (3)
┣学問と教育の発展 (2)
┗文学と芸術の動き (5)
昭和時代・戦前 (156)
┣昭和の始まりと金融恐慌 (7)
┣積極外交への転換 (6)
┣世界恐慌とその影響 (4)
┣金解禁と昭和恐慌 (4)
┣国家社会主義の台頭 (3)
┣軍縮と統帥権干犯問題 (6)
┣満州事変 (6)
┣満州国建国と国際連盟脱退 (7)
┣政党内閣の崩壊 (5)
┣高橋財政と重化学工業の発達 (4)
┣二・二六事件 (5)
┣昭和初期の思想と文化 (6)
┣戦後体制(第一次大戦)の動揺 (3)
┣近衛内閣の誕生 (6)
┣盧溝橋事件と通州事件 (10)
┣日華事変と南京攻略 (14)
┣日華事変の長期化と近衛声明 (6)
┣経済統制の強化と新体制運動 (9)
┣ソ連軍の侵攻とノモンハン事件 (6)
┣第二次世界大戦の勃発 (12)
┣三国同盟と日ソ中立条約 (10)
┗行きづまる日米交渉 (17)
昭和時代・戦中 (67)
┣真珠湾攻撃とその真実 (11)
┣大東亜戦争の始まり (11)
┣戦局の暗転 (10)
┣戦時下の国民生活 (3)
┣戦時下の朝鮮・台湾 (10)
┣戦局の悪化 (8)
┗戦争の終局 (14)
昭和時代・戦後 (159)
┣昭和天皇とマッカーサーとの会見 (3)
┣連合国による日本占領 (11)
┣占領政策の開始 (6)
┣東京裁判という「茶番」 (9)
┣「押しつけられた」日本国憲法 (18)
┣政党の復活 (2)
┣経済面の占領政策 (7)
┣食糧危機とインフレーション (4)
┣占領下の皇室と国民 (6)
┣昭和天皇のご巡幸 (10)
┣冷戦体制の形成とアジア情勢 (10)
┣朝鮮戦争の勃発 (4)
┣日本の独立回復 (8)
┣特需景気と経済復興 (4)
┣独立回復後の国内情勢 (3)
┣激動する世界情勢 (6)
┣55年体制の成立と国連への加盟 (3)
┣安保条約の改定と闘争の激化 (3)
┣高度経済成長 (6)
┣保守長期政権 (6)
┣国民生活の変化 (7)
┣保守政権の動揺 (10)
┣貿易摩擦とバブル景気 (4)
┣戦後の文化 (4)
┗昭和から平成へ (5)
平成時代 (89)
┣冷戦体制の崩壊 (19)
┣湾岸戦争の大きな教訓 (9)
┣55年体制の崩壊 (11)
┣バブル経済の崩壊と金融制度改革 (9)
┣森内閣から小泉内閣へ (17)
┣第一次安倍内閣とその後の自民党政権 (10)
┣民主党政権と東日本大震災 (12)
┗安倍政権の復活 (2)
第1回歴史講座 島国の環境が創った我が国の歴史 (10)
┣日本列島の地理的環境がもたらした「天然の防壁」 (2)
┣中国大陸との交流 (2)
┣聖徳太子と遣隋使 (2)
┣朝鮮半島とのかかわり (2)
┗「島国」ゆえの最大の危機 (2)
第2回歴史講座 「鎖国」という名の悲劇 (9)
┣「鎖国」に対するイメージとは (1)
┣「鎖国」に至るまでの歴史 (2)
┣なしくずしの「鎖国」とその影響 (2)
┣逃してしまった「開国」へのチャンス (2)
┗「しなくても済んだ苦労」をする「悲劇」 (2)
第3回歴史講座 源義経 (11)
┣平氏に捕まりながらも生きながらえた奇跡 (2)
┣戦術の天才ぶりを遺憾なく発揮 (2)
┣ついに平氏滅亡、しかし… (2)
┣「戦略」が理解できなかった「戦術」の天才 (3)
┗役割を終えた「アイドル」の末路 (2)
第4回歴史講座 明智光秀 (12)
┣最大のミステリー 「本能寺の変」 (1)
┣光秀の動機は「怨恨」か? (2)
┣信長と光秀との理想的な主従関係 (2)
┣「不信感」という名の導火線 (2)
┣ついに爆発した光秀の不信感 (2)
┣本能寺の変に「黒幕」はいない (2)
┗たった一人で歴史を変えた男 (1)
第5回歴史講座 毛利家の栄枯盛衰 (15)
┣信長に次いで天下取りに近かった男 (1)
┣重大な決意 (3)
┣すべてが思い通りに (3)
┣凄まじいまでの謀略 (2)
┣三矢の訓(おしえ) (2)
┣元就の不安的中 (2)
┗因果はめぐる (2)
第6回歴史講座 徳川綱吉 (19)
┣徳川綱吉は本当に「暗君」か? (2)
┣ハンデを乗り越えて始まった綱吉の治世 (3)
┣「生類憐みの令」の背景とその真実 (5)
┣綱吉の治世における数々の功績 (4)
┣立て続けに綱吉を襲った「災害」 (2)
┣恐るべき「歴史の捏造」からの名誉回復を目指せ (2)
┗綱吉が我が国にもたらした「思わぬ効果」 (1)
第8回歴史講座 田沼意次と松平定信 (18)
┣田沼意次=悪役は本当か? (2)
┣田沼時代の真実 (8)
┣偶然と陰謀と (3)
┣前政権の全否定 (4)
┗「名君」と「悪人」の目くらましに惑わされないために (1)
第9回歴史講座 明治憲法とは (15)
┣明治憲法の一般的な評価は真実か? (2)
┣明治憲法の歴史的経緯 (5)
┣明治憲法の公民的考察 (6)
┗統帥権の干犯 (2)
第10回歴史講座 信長と信玄との「決定的な違い」について (17)
┣信長と信玄との「決定的な違い」とは? (3)
┣一つめの違い (6)
┣二つめの違い (4)
┗「決定的な」三つめの違い (4)
第11回歴史講座 太閤殿下の夢 (16)
┣我が国と「ある国」との秀吉の評価の違いとは? (2)
┣世界史の流れから見た我が国侵略への恐怖感 (5)
┣秀吉の朝鮮出兵の意図は「明への先制攻撃」にあり (3)
┣徳川家によってねじ曲げられた朝鮮出兵の真意 (2)
┗歴史教育に必要な「それぞれの立場」による認識 (4)
第12回歴史講座 戦国時代の宗教戦争 (15)
┣「政教分離の原則」が定着した我が国 (1)
┣「政教一致」が我が国にもたらした様々な問題 (4)
┣信長の政策 (4)
┣秀吉の政策 (3)
┣家康の政策 (2)
┗政教分離による恩恵と問題点 (1)
第13回歴史講座 日本とトルコ (15)
┣屈指の親日国家 「トルコ共和国」 その理由とは? (1)
┣エルトゥールル号の悲劇と懸命の救助 (5)
┣我が国とトルコとの間に生まれた絆 (2)
┣トルコの恩返し (4)
┣固い絆は永遠に (2)
┗補足 (1)
第15回歴史講座 遠山の金さん (18)
┣「遠山の金さん」の実像とは? (1)
┣時代劇「遠山の金さん」のストーリー (5)
┣将軍から「お墨付き」をもらった北町奉行 (3)
┣水野忠邦や「妖怪」との対立 (4)
┣庶民の楽しみを守った名奉行 (3)
┗「金さん」伝説は永遠に (2)
第16回歴史講座 政権交代の歴史 (16)
┣選挙だけではない「政権交代」の歴史 (2)
┣朝廷による政治から平氏政権へ (4)
┣鎌倉幕府の誕生 (4)
┣建武の新政と三英傑との大きな違い (3)
┣江戸幕府から明治維新へ (2)
┗そして現代へ (1)
第17回歴史講座 徳川家康 (22)
┣歴史に学んだ家康の平和主義とは? (2)
┣独立後も続いた辛抱の日々が報われるとき (3)
┣独立までの苦難の日々で身に着けたもの (4)
┣律義者から狸爺へ (3)
┣幕府存続を目指して (4)
┣皇室をも利用した容赦ない家康の「平和主義」 (3)
┗「平和主義者」家康に対する誤解と偏見 (3)
第18回歴史講座 日韓併合 (20)
┣日韓併合の歴史的経緯を探る必要性 (2)
┣不幸な行き違いから始まった明治の日朝関係 (4)
┣二つの事変と朝鮮半島に忍び寄る清国の影 (2)
┣日清戦争で清国の介入を防ぐも、迫るロシアの魔の手 (5)
┣「保護国」から「併合」へと導いた一発の銃弾 (5)
┣日韓併合までに至る歴史の評価とは? (1)
┗補足 (1)
第19回歴史講座 織田信長 (18)
┣織田信長の全体像とは? (1)
┣「生きた情報」を重視する信長の姿勢 (3)
┣「目先の利益」よりも長期的なビジョンを優先 (2)
┣地名の変更と大胆な城下町政策で都市を繁栄に導く (2)
┣信長が敵から学んだ「独自の政策」とは (4)
┣自らの権威を高めるために信長が選んだ手段 (3)
┣独裁者の精神が招いた「本能寺の変」 (2)
┗「歴史の転換者」の完成した姿とは? (1)
第20回歴史講座 幕末百景 (25)
┣幕末における大きな歴史の流れとは? (1)
┣薩摩藩の場合 (7)
┣長州藩の場合 (8)
┣土佐藩の場合 (2)
┣肥前藩の場合 (2)
┗江戸幕府の場合 (5)
第21回歴史講座 昭和天皇・前篇 (23)
┣我が国の危機を救われた昭和天皇 (2)
┣幼年期からご即位まで (3)
┣立憲君主制の重み (6)
┣一日も早い戦争終結を願われて (5)
┣ご聖断下る (5)
┣終戦を迎えて (1)
┗大東亜戦争終結ノ詔書 (1)
第22回歴史講座 日本国憲法誕生秘話 (15)
┣日本国憲法をめぐる謎 (1)
┣GHQが主導した新憲法の制定 (4)
┣脅迫に屈した占領の悲劇 (3)
┣憲法改正への動きが鈍い理由 (2)
┣自主的な憲法改正の必要性 (3)
┗補足 (2)
第23回歴史講座 昭和天皇・後篇 (24)
┣我が国の運命を決めたマッカーサーとのご会見 (2)
┣現在も続く「皇居勤労奉仕」の源流 (1)
┣「人間宣言」に対する大きな誤解 (4)
┣昭和天皇のご巡幸 (10)
┣世界における天皇陛下の権威 (2)
┣太陽は静かに沈み、そしてまた昇る (4)
┗東日本大震災と天皇陛下のビデオメッセージについて (1)
第24回歴史講座 日韓併合後の歴史 (10)
┣「日帝三十六年の真実」とは? (1)
┣植民地支配における過酷な真実 (2)
┣朝鮮半島の統治における数々の真実 (5)
┗外国が絶賛した我が国の朝鮮統治 (2)
第25回歴史講座 風雲・関ヶ原 (21)
┣「関ヶ原の戦い」にまつわる様々な側面 (1)
┣避けられなかった「豊臣家の落日」 (4)
┣「敗軍の将」 石田三成の真実 (3)
┣実は「薄氷の勝利」だった徳川家康 (4)
┣もし関ヶ原の戦いで西軍が勝っていたら (5)
┣関ヶ原の戦いから見えてくるもの (1)
┗補足 (3)
第26回歴史講座 藤原氏の栄枯盛衰 (25)
┣藤原氏から見えてくる大きな歴史の流れ (1)
┣誕生 (3)
┣発展 (7)
┣完成 (4)
┣実は不可思議な藤原氏の栄華 (2)
┣没落と復活と (6)
┣藤原氏の歴史をたどる意義 (1)
┗補足 (1)
第27回歴史講座 からくり儀右衛門 (12)
┣我が国を支えた「ものづくり」の精神 (1)
┣「からくり儀右衛門」の誕生 (3)
┣人々の暮らしに貢献した数々の発明 (2)
┣歴史を変えた「アームストロング砲」 (3)
┣歴史をつくった晩年の事業 (2)
┗知識は失敗より学ぶ (1)
第28回歴史講座 真説・平家物語 (23)
┣平家滅亡の真の理由とは? (1)
┣武士の誕生とその飛躍の背景 (3)
┣平家を栄光へと導いた二つの乱 (6)
┣「開拓者」の宿命としての大きな「欠陥」 (5)
┣悲運と必然とがもたらした平家の没落 (7)
┗大いなる教訓としての平家の功績 (1)
第29回歴史講座 室町幕府の教訓その1 (15)
┣「室町時代」の分かりにくさ (1)
┣「鎌倉幕府」滅亡への道のり (4)
┣「建武の新政」の理想と現実 (4)
┣欠陥だらけだった「室町幕府」とその原因 (5)
┗課題を残した尊氏の「負の遺産」 (1)
第30回歴史講座 室町幕府の教訓その2 (22)
┣義詮から義満へ (2)
┣南北朝の合一 (3)
┣義満の野望と挫折 (6)
┣神に選ばれた将軍 (5)
┣後南朝の悲劇 (5)
┗「やり過ぎ」がもたらしたもの (1)
第31回歴史講座 室町幕府の教訓その3 (18)
┣「箍が外れた桶」となった室町幕府 (2)
┣「応仁の乱」の思惑と現実 (5)
┣権威の「使い捨て」に振り回された足利将軍 (6)
┣「室町幕府の教訓」とそれを活かしきった男 (4)
┗歴史に学んで「教訓」を活かす重要性 (1)
第32回歴史講座 聖徳太子 (21)
┣建国以来の危機に敢然と立ち向かった男 (1)
┣内憂外患からの大改革 (3)
┣冠位十二階に秘められた深慮遠謀 (2)
┣現代にもつながる憲法十七条の精神 (3)
┣遣隋使で見せた我が国の気概 (8)
┗聖徳太子をめぐる昨今の諸問題 (4)
第33回歴史講座 明治天皇 (28)
┣崩御100年にご遺徳を偲んで (1)
┣明治天皇のご誕生と激動の維新 (4)
┣西郷隆盛とのお若き頃の日々 (2)
┣明治天皇と立憲君主制 (6)
┣教育勅語に込められた陛下の願い (3)
┣戦時における陛下の大御心 (5)
┣大津事件での誠実なご対応 (2)
┣明治の終焉とその後 (4)
┗「明治の日」を実現しよう! (1)
第34回歴史講座 真説・忠臣蔵 (22)
┣「元禄赤穂事件」の真実 (7)
┣「水と油」だった浅野家と吉良家 (4)
┣「浅野vs.吉良」と「討ち入り」の本当の理由 (5)
┣「元禄赤穂事件」が「忠臣蔵」になるまで (4)
┗「隠されたメッセージ」を理解するために (2)
第35回歴史講座 人権法案の矛盾 (23)
┣人権法案に秘められた矛盾 (8)
┣治安維持法の真実 (4)
┣自治基本条例の恐るべき実体 (7)
┗今こそ問われる国民としての自覚 (4)
第36回歴史講座 山田方谷 (16)
┣山田方谷の誕生とその半生 (2)
┣方谷による財政改革の全容 (7)
┣他藩も参考にした方谷の改革精神 (2)
┣藩を救った改革とその後の方谷 (3)
┗「アベノミクス」成功の切り札として (2)
第37回歴史講座 北条時宗 (15)
┣元の建国 (3)
┣文永の役 (4)
┣弘安の役 (5)
┗「征夷大将軍」の重責 (3)
第38回歴史講座 乃木希典 (32)
┣「武人」乃木希典の青年期 (4)
┣連隊旗喪失の悲劇とその後の乃木 (5)
┣旅順攻略戦の苦悩・前編 (6)
┣旅順攻略戦の苦悩・中編 (4)
┣旅順攻略戦の苦悩・後編 (6)
┣奉天会戦、そして帰国後の乃木の決意 (3)
┗晩年の乃木将軍と殉死 (4)
第39回歴史講座 樋口季一郎 (20)
┣「エリート将校」の様々な横顔 (4)
┣オトポール事件 (6)
┣キスカ撤退作戦 (5)
┣占守島の戦い (3)
┗「誇りある決断」がもたらしたもの (2)
第40回歴史講座 西郷隆盛 (30)
┣若き日の西郷と藩主斉彬との出会い (6)
┣不遇の時代を乗り越えて討幕へ (5)
┣西郷の武士道精神を支えたものとは (6)
┣征韓論争にも見られた「武士道精神」 (5)
┣西南戦争に見られる西郷の「覚悟」 (5)
┗身は城山の露と消えても (3)
第41回歴史講座 鈴木貫太郎 (23)
┣「鬼貫」と呼ばれた男の半生 (5)
┣運命の「二・二六事件」 (4)
┣最難局での総理大臣就任 (6)
┣陛下のご聖断を導いた男 (6)
┗「鬼貫」の生き様から学ぶもの (2)
第42回歴史講座 黒田官兵衛 (14)
┣播磨で名を挙げた青年期の官兵衛 (3)
┣信長・秀吉との出会いと幽閉の日々 (4)
┣天下平定から朝鮮出兵への道のり (3)
┗家康への臣従と関ヶ原以後の官兵衛 (4)
第43回歴史講座 文部省唱歌の世界 (14)
┣講演編 (8)
┗歌唱編 (6)
第44回歴史講座 条約改正への道のり (28)
┣江戸幕府が結ばされた不平等条約 (8)
┣条約改正への道のり・前編 (7)
┣条約改正への道のり・後編 (5)
┗条約改正が我が国に残した大きな教訓 (8)
第45回歴史講座 大化の改新と壬申の乱 (23)
┣蘇我氏の横暴 (5)
┣大化の改新への道のり (5)
┣白村江の悲劇 (6)
┗壬申の乱とその後の情勢 (7)
第46回歴史講座 自治基本条例の真実 (23)
┣自治基本条例の「本当のねらい」とは (8)
┣「日本侵略ウィルス条例」の恐怖 (7)
┗ヘイトスピーチへの規制は第二の「人権擁護法案」である (8)
第47回歴史講座 大東亜戦争その1 (42)
┣日米関係の悪化をもたらした「ハリマン問題」 (9)
┣「日英同盟」を破棄に追い込んだアメリカの野望 (10)
┣共産主義国家ソ連の脅威と日本国内の経済状況の悪化 (11)
┗昭和恐慌と統帥権干犯問題 (12)
第48回歴史講座 大東亜戦争その2 (55)
┣満州事変とその影響 (10)
┣相次ぐ「血の粛清」とその背景 (6)
┣盧溝橋事件と通州事件、そして「日華事変」 (12)
┣「南京大虐殺」は有り得ない (10)
┣追いつめられていく日本 (7)
┗ついに開戦へ (10)
第49回歴史講座 大東亜戦争その3 (66)
┣真珠湾攻撃に秘められた真実 (11)
┣大東亜戦争の始まり (11)
┣戦局の暗転 (10)
┣戦時下の朝鮮・台湾 (10)
┣戦局の悪化 (9)
┗戦争の終局 (15)
第50回歴史講座 大東亜戦争その4 (63)
┣WGIPによる日本洗脳工作の開始 (15)
┣恐るべき占領政策の実態 (12)
┣東京裁判という「茶番」 (9)
┣日本の独立回復 (11)
┣日本の安全保障と自虐史観をめぐる問題 (7)
┗大東亜戦争を「本当に終わらせる」日を目指して (9)
第51回歴史講座 吉田松陰と井伊直弼 (28)
┣吉田松陰の生涯 (6)
┣井伊直弼の生涯 (7)
┣自主的な開国を拒否し続けた江戸幕府 (7)
┗不本意な開国がもたらした大きな問題 (8)
第52回歴史講座 徳川吉宗と徳川宗春 (31)
┣強運の男・吉宗の出世物語 (6)
┣享保の改革による「善政」 (5)
┣享保の改革による「失政」とその後 (6)
┣尾張藩主「徳川宗春」の誕生 (4)
┣宗春による数々の効果的な施策 (4)
┗宗春隠居謹慎の「本当の理由」とその後 (6)
第53回歴史講座 昭和天皇 (57)
┣天皇陛下の大御心 (8)
┣立憲君主制の重み (6)
┣一日も早い戦争終結を願われて (7)
┣ご聖断下る (8)
┣終戦直後の昭和天皇と皇室をめぐる様々な動き (9)
┣昭和天皇のご巡幸 (10)
┗昭和から平成へ (9)
第54回歴史講座 江戸後期の政治史 (49)
┣意次と定信、そして「金さん」に秘められた真実 (5)
┣開明的だった田沼時代とその後の「悲劇」 (9)
┣寛政の改革の様々な「弊害」  (7)
┣いま明かされる松平定信の「人間性」 (5)
┣大御所時代と大塩の乱 (6)
┣時代劇「遠山の金さん」のストーリー (5)
┣水野忠邦や「妖怪」との対立 (7)
┗「金さん」伝説は永遠に (5)
第55回歴史講座 奈良・平安前中期の政治史 (41)
┣藤原不比等 [藤原氏] から長屋王 [非藤原氏] へ (5)
┣藤原四兄弟 [藤原氏] から 橘諸兄 [非藤原氏] へ (4)
┣藤原仲麻呂 (恵美押勝) [藤原氏] (6)
┣道鏡 [非藤原氏] から再び藤原氏 [藤原百川・藤原永手] へ (5)
┣摂関政治全盛までの道のり (8)
┣藤原氏を支えた財政的基盤 (4)
┣源氏物語に秘められた藤原氏との関わり (4)
┗藤原氏の「不可思議な」栄華とその後の没落 (5)
第56回歴史講座 日本文明の誕生 (22)
┣縄文文化は「世界最高水準」であった (6)
┣最新の調査研究で明らかになった「弥生文化」の真実 (4)
┣神話の正しさを証明した「地質学的事実」 (6)
┗「建国に関する伝承」と「日本文明」 (6)
第57回歴史講座 平安後期の政治史 (43)
┣武士の誕生と院政の成立 (9)
┣武士団の成長と源氏の躍進 (5)
┣平氏を栄光へと導いた二つの乱 (6)
┣平氏政権に秘められていた「大きな欠陥」 (5)
┣頼朝の台頭と平氏の滅亡 (9)
┗「戦略」が理解できなかった「戦術」の天才 (9)
第58回歴史講座 日本と韓国のほんとうの歴史 (41)
┣「日本と韓国のほんとうの歴史」を学ぶにあたって (4)
┣日朝関係を悪化させた「不幸な行き違い」 (4)
┣朝鮮半島に迫る清国の影とロシアの魔の手 (8)
┣併合を決定づけた「運命の銃弾」 (5)
┣一般的な植民地支配の厳しい現実 (3)
┣朝鮮半島の統治における数々の真実 (7)
┣慰安婦問題の「日韓合意」について (7)
┗外国が絶賛した我が国の朝鮮統治 (3)
第59回歴史講座 東條英機 (41)
┣「軍人」東條英機が政治の舞台に登場するまで (6)
┣日米開戦を導いた「アメリカの思惑」 (7)
┣コミンテルンの謀略と東條首相の苦悩 (9)
┣大東亜戦争は「無謀な戦争」だったのか (9)
┗東條英機元首相の遺書 (10)
第60回歴史講座 日本外交史その壱 (29)
┣「小国」が始めたチャイナとの外交 (5)
┣「邪馬台国」と「倭の五王」の外交について (6)
┣聖徳太子がもたらした「対等外交」 (10)
┗「聖徳太子抹殺計画」の恐怖 (8)
第61回歴史講座 日本外交史その弐 (38)
┣遣唐使のはじまりとその後の中断 (11)
┣鑑真の渡日と刀伊の入寇 (9)
┣元寇で見せた「鎌倉武士の意地」 (8)
┣神風をもたらした「断固たる決意」 (5)
┗征夷大将軍の重責と「元寇抹殺計画」 (5)
第62回歴史講座 日本外交史その参 (49)
┣室町幕府の誕生と南北朝の動乱 (11)
┣日明貿易に秘められた義満の野望 (11)
┣室町時代の様々な外交 (7)
┣大航海時代と南蛮貿易の真実 (7)
┣秀吉の外交政策 ~「やられる前に、やれ」 (6)
┗朝鮮出兵の真実と豊臣家のその後 (7)
第63回歴史講座 日本外交史その四 (55)
┣厳しい制限貿易による「鎖国」の完成 (10)
┣閉ざされた「自主開国」への道 (11)
┣「平和ボケ」の極みだった幕府の外交政策 (10)
┣不本意な開国による様々な問題と「征夷大将軍」の重み (16)
┗「貧乏くじ」を引いた井伊直弼は現代の縮図でもある (8)
第64回歴史講座 日本外交史その五 (64)
┣初期の外交問題と領土の画定 (13)
┣条約改正への道のり (11)
┣日清戦争と三国干渉 (9)
┣列強による中国分割と日英同盟 (9)
┣日露戦争の世界史的意義 (11)
┗日露戦争後の国際関係と日韓併合 (11)
第65回歴史講座 日本外交史その六 (17)
┣第一次世界大戦とロシア革命 (14)
┣ヴェルサイユ体制とワシントン体制 (3)
┣幣原外交の挫折と復活 (0)
┣世界的な恐慌と統帥権干犯問題 (0)
┗満州事変と国際連盟脱退 (0)
第1回公民授業 民主政治と基本的人権 (9)
第2回公民授業 明治憲法と日本国憲法 (24)
┣明治憲法の真実 (10)
┣明治憲法における「国民の権利」と「統帥権干犯問題」 (8)
┗日本国憲法制定における「真実」 (6)
第3回公民授業 平和主義 (23)
┣日本国憲法の「平和主義」をめぐる問題 (6)
┣自衛隊の国際貢献に関する歴史 (6)
┣日米安保条約と北朝鮮による日本人拉致事件 (9)
┗「積極的平和主義」と憲法改正 (2)
黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編 (24)
┣「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の内容再現について (1)
┣幕府の滅亡と王政復古・メルマガ編 (6)
┣戊辰戦争の悲劇・メルマガ編 (9)
┗明治新政府の発足・メルマガ編 (8)
鎖国に至るまでの歴史 (27)
┣「鎖国に至るまでの歴史」について (1)
┣大航海時代が招いた南蛮貿易とキリシタン大名 (6)
┣秀吉によるカトリックへの弾圧と家康の当初の姿勢 (6)
┣江戸幕府による厳しい弾圧がもたらした「鎖国」の完成 (8)
┗「抑止力」に学ぶ我が国の未来 (6)
自由民権運動の真実 (33)
┣「自由民権運動の真実」について (2)
┣自由民権運動の始まりと政府の姿勢 (7)
┣政府と民権派とが育て上げた自由民権運動 (7)
┣激化事件の続発とその後の自由民権運動 (6)
┣自由民権運動に関する政府の条例の覚え方 (2)
┣行政機関の整備 (4)
┗初期議会 (5)
授業研究(日本史) (25)
┣討幕をめぐる動き (11)
┗廃藩置県から士族の受難まで (14)
授業研究(政治・経済) (102)
┣参議院選挙 (9)
┣憲法改正 (13)
┣平和主義(憲法の理念) (3)
┣平和主義(自衛隊をどう教えるか) (3)
┣平和主義(専守防衛と非核三原則) (2)
┣平和主義(防衛装備移転三原則) (2)
┣平和主義(日米安保条約) (5)
┣平和主義(思いやり予算と在日米軍施設) (4)
┣平和主義(ガイドラインと安全保障関連法) (8)
┣平和主義(有事法制) (2)
┣平和主義(自衛隊の海外派遣) (11)
┣平和主義(シビリアン・コントロール) (2)
┣国際政治(国際連合) (2)
┣国際政治(冷戦のはじまり) (8)
┣国際政治(多極化と第三世界) (8)
┣国際政治(冷戦の終結) (14)
┗国際政治(冷戦後の東アジア) (6)
歴史講座60回を迎えて (19)
次期学習指導要領の改定案について (7)
ナイトセミナー「徳川綱吉の真実」 (18)
┣倫理法人会について (2)
┣「徳川綱吉」=「暗君」説は本当か? (6)
┣「生類憐みの令」の背景とその真実 (4)
┗ケインズよりも200年以上早く実践した経済学 (6)
黒田裕樹のTweetより (6)
番外編 (6)
未分類 (0)

「百万人の歴史講座」開設しました!

今なら10,000円をお支払いくださるだけで、これまで65回にわたる歴史講座(公民授業)のすべてと、今後も展開される講演のレジュメを、ずっと入手できます!(※詳しくは以下のバナーをクリックしてください)


メルマガ登録バナー

4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。

メルマガ登録・解除
黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編
>> サンプル
詳細ページへ
powered by まぐまぐ!
 

ブログランキング

いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。

ブログランキング 人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

おきてがみ

足跡が残りますので、お気軽にクリックして下さい。こちらからも訪問させていただきます。

おきてがみ

いつもありがとうございます!

#HANDLE#、いつもありがとうございます!

カレンダー

04 | 2011/05 | 06
日 月 火 水 木 金 土
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

facebook

Hiroki Kuroda

バナーを作成

検索フォーム


バナー用画像

バナー用画像ができました。ご自由にお使いください。

Mr Kuroda blog

メールフォーム

当ブログにおける記事の内容や講演の申込み等、何でもお気軽にお問い合わせ下さい。

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

黒田裕樹

Author:黒田裕樹
(くろだ・ひろき)
社会人出身の教師(大阪府内の公立高校非常勤講師)です。歴史教育のブログ「黒田裕樹の歴史講座」を開設しております。
Birthday:S44.02.15(みずがめ座)
血液型:A型
花嫁募集中(未婚)です(^^ゞ
大阪市在住
広島東洋カープの大ファンです♪

教師としての専門科目:日本史、現代社会など
高校地歴・公民、中学社会の教員免許を所有

大阪・明星高校から関西大学法学部を卒業後、複数の司法書士事務所に勤務の後に教師になることを志し、通信教育で教員免許を取得。私立高校の社会科非常勤講師から私立大学の事務職員、大阪府立高等学校期限付常勤講師を経て、現在は大阪府内の公立高校で非常勤講師として勤務中です。

他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」の実践を心掛け、原則として毎日正午に欠かさず更新しております。

リンク

  • 南木の資料室別館
  • 南木家の食卓
  • 歴史講座のご案内 by 学ぼう会 北摂
  • 授業づくりJAPANさいたま 「小6・中学社会 学校でまなびたい歴史」
  • 授業づくりJAPANの「日本人を育てる授業」
  • 授業づくりJAPAN横浜《中学》 「日本人を育てる歴史と道徳」
  • 授業づくりJAPAN TOKIO《高校》日本人を育てる授業
  • 授業づくりJAPAN YOKOHAMAプライマリー
  • 授業づくりJAPAN岩手《小学》日本人を育てる授業
  • しばやんの日々
  • 奈津子の徒然雑記帳
  • えだもと建具のブログ
  • 大好きな日本を取り戻し、良くしたい
  • ピアニッシモ・ストーリー
  • 蒼い空と白い雲
  • 蓼食う虫も好き好き
  • 実録!翔の『極楽カナダ生活』
  • ねずさんの ひとりごと
  • 日本古代史つれづれブログ
  • 初代石川流~日本が日本であるために
  • のほほんメモリー ~キレイゴトの秘密基地~
  • 日本美学研究所
  • VTECサウンド
  • わにまろブログ
  • のんびり屋ちゃてれの忙しき日々
  • 江戸歌舞伎とつれづれ日記
  • のんびりとじっくりと!
  • とさを 店主の一言ブログ
  • 宇和島接骨院
  • いいかげん、でもいいかげん。
  • 老年フリーターのつぶやき
  • 徒然なんでも日記
  • ボヤytalday
  • SONG-VOICE-LIFE! ヴォイストレーナーの日記
  • 漫画家佐佐木あつし公式ブログ ☆☆気づきの記☆☆
  • 癒しでおまかせ本舗(癒しで解消☆おまかせ本舗)
  • 1年の春1000年の冬
  • 神戸の司法書士井上真太郎のブログ
  • 空色きゃんでぃ
  • 345ママの愉快な毎日
  • 明日は明日の風が吹く!
  • きなり食堂
  • オプションで生きる ドクトル・ぬきちの専業実録記
  • 東国の古代史
  • 友なる 音楽
  • にじゅうご
  • いささめ
  • 和歌を訪ねて
  • 桜とサムライ
  • 海月のような日記(旧3兄妹日記)
  • しもきたまご
  • 「国際派時事コラム・商社マンに技あり!」 ライブ版
  • 『新着通知はありません』
  • 管理画面

このブログをリンクに追加する

最新記事

  • 「百万人の歴史講座」開始のお知らせ(10,000円で永久会員です) (12/31)
  • 無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」発行のお知らせ(4月13日創刊・毎週水曜日発行) (12/31)
  • ヴェルサイユ体制とワシントン体制 その3 (04/22)
  • ヴェルサイユ体制とワシントン体制 その2 (04/21)
  • ヴェルサイユ体制とワシントン体制 その1 (04/20)
  • 第一次世界大戦とロシア革命 その14 (04/19)
  • 第一次世界大戦とロシア革命 その13 (04/18)
  • 第一次世界大戦とロシア革命 その12 (04/17)
  • 第一次世界大戦とロシア革命 その11 (04/16)
  • 第一次世界大戦とロシア革命 その10 (04/15)

最新コメント

  • omachi:日清戦争と三国干渉 その2 (03/03)
  • 青田:占領下の皇室と国民 その1 (02/18)
  • 青田:初期の外交問題と領土の画定 その1 (02/02)
  • R2:「平和主義者」家康に対する誤解と偏見 その2 (01/09)
  • 青田:「平和ボケ」の極みだった幕府の外交政策 その5 (01/03)
  • 鳳麒:「元禄赤穂事件」の真実 その4 (11/04)
  • 鳳麒:「元禄赤穂事件」の真実 その6 (11/04)

最新トラックバック

  • 蓼食う虫も好き好き:弱腰で世は怖し… (03/19)
  • 蓼食う虫も好き好き:世界を知って自国を知る (01/22)
  • 蓼食う虫も好き好き:クラチー、やらかすの巻 (11/26)
  • 蓼食う虫も好き好き:秀吉「日本が危ない…。そうだ!海外に出兵しよう!」 (09/18)
  • 世捨て人の雑感:文部省唱歌「われは海の子」 その1 (08/15)
  • 「和の心」 ~ とある土木系技術者が綴る:【参加報告】黒田裕樹の歴史講座 第59回「東條英機」(1) (03/27)
  • 蓼食う虫も好き好き:【ミッション】東條英機の名誉を回復せよ (03/13)

月別アーカイブ

  • 2018/12 (2)
  • 2018/04 (23)
  • 2018/03 (34)
  • 2018/02 (29)
  • 2018/01 (34)
  • 2017/12 (33)
  • 2017/11 (31)
  • 2017/10 (31)
  • 2017/09 (33)
  • 2017/08 (32)
  • 2017/07 (33)
  • 2017/06 (31)
  • 2017/05 (33)
  • 2017/04 (31)
  • 2017/03 (33)
  • 2017/02 (31)
  • 2017/01 (34)
  • 2016/12 (33)
  • 2016/11 (31)
  • 2016/10 (31)
  • 2016/09 (33)
  • 2016/08 (34)
  • 2016/07 (32)
  • 2016/06 (31)
  • 2016/05 (33)
  • 2016/04 (30)
  • 2016/03 (34)
  • 2016/02 (30)
  • 2016/01 (34)
  • 2015/12 (32)
  • 2015/11 (32)
  • 2015/10 (33)
  • 2015/09 (32)
  • 2015/08 (33)
  • 2015/07 (32)
  • 2015/06 (31)
  • 2015/05 (36)
  • 2015/04 (32)
  • 2015/03 (35)
  • 2015/02 (32)
  • 2015/01 (36)
  • 2014/12 (34)
  • 2014/11 (36)
  • 2014/10 (35)
  • 2014/09 (33)
  • 2014/08 (35)
  • 2014/07 (33)
  • 2014/06 (34)
  • 2014/05 (34)
  • 2014/04 (33)
  • 2014/03 (35)
  • 2014/02 (32)
  • 2014/01 (34)
  • 2013/12 (34)
  • 2013/11 (34)
  • 2013/10 (36)
  • 2013/09 (34)
  • 2013/08 (34)
  • 2013/07 (31)
  • 2013/06 (36)
  • 2013/05 (35)
  • 2013/04 (32)
  • 2013/03 (34)
  • 2013/02 (33)
  • 2013/01 (33)
  • 2012/12 (34)
  • 2012/11 (32)
  • 2012/10 (32)
  • 2012/09 (33)
  • 2012/08 (32)
  • 2012/07 (31)
  • 2012/06 (32)
  • 2012/05 (32)
  • 2012/04 (35)
  • 2012/03 (32)
  • 2012/02 (32)
  • 2012/01 (33)
  • 2011/12 (33)
  • 2011/11 (31)
  • 2011/10 (32)
  • 2011/09 (31)
  • 2011/08 (33)
  • 2011/07 (32)
  • 2011/06 (32)
  • 2011/05 (31)
  • 2011/04 (30)
  • 2011/03 (33)
  • 2011/02 (33)
  • 2011/01 (34)
  • 2010/12 (33)
  • 2010/11 (31)
  • 2010/10 (33)
  • 2010/09 (31)
  • 2010/08 (36)
  • 2010/07 (34)
  • 2010/06 (22)
  • 2010/05 (26)
  • 2010/04 (32)
  • 2010/03 (37)
  • 2010/02 (31)
  • 2010/01 (34)
  • 2009/12 (23)
  • 2009/11 (34)
  • 2009/10 (40)
  • 2009/09 (47)
  • 2009/08 (34)
  • 2009/07 (42)
  • 2009/06 (33)
  • 2009/05 (39)
  • 2009/04 (33)
  • 2009/03 (11)

ブロとも一覧


345ママの愉快な毎日

日本古代史つれづれブログ

実録!翔の『極楽カナダ生活』

これからどうする?~ インターネットビジネス ~

漫画家佐佐木あつし公式ブログ ☆☆気づきの記☆☆

にじゅうご

『新着通知はありません』

ひとはみんな 自分自身の経営者

まるちゃんゴルフ (^^)/

蓼食う虫も好き好き

のほほんメモリー ~キレイゴトの秘密基地~

 ぬきちのにっき

I hear that I am maniac.

蒼い空と白い雲

大好きな日本を取り戻し、良くしたい

日本が日本であるために

幸せな道

戦国からっぽブログ

桜とサムライ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ジオターゲティング


ジオターゲティング

人気ブログランキングパーツ

グーバーウォーク

RSSリンクの表示

  • 最近記事のRSS
  • 最新コメントのRSS
  • 最新トラックバックのRSS

QRコード

QRコード

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

武断政治から文治政治へ その3
1651年、3代将軍の徳川家光が48歳で死去して子の徳川家綱(とくがわいえつな)が4代将軍になりましたが、新将軍はまだ11歳と幼く、老中の松平信綱や、家綱の叔父(おじ)にあたる保科正之(ほしなまさゆき)らが政治を行うことになりました。

新将軍はまだ少年である―。これを絶好の機会であると見なし、幕府を倒して牢人を救済しようと行動を開始した男がいました。その名を由井正雪(ゆいしょうせつ、別名を由比正雪=読みは同じ)といいます。

正雪は江戸を焼き討ちし、幕府が動揺(どうよう)している間に江戸城を乗っ取り、同時に大坂や京都でも一揆をおこして天下を混乱に陥(おとしい)れようとしましたが、計画が事前に幕府に漏(も)れてしまったことで未遂(みすい)に終わり、1651年7月に正雪は自害しました。この事件は当時の元号から慶安の変(けいあんのへん、または由井正雪の乱)と呼ばれています。

正雪の計画は失敗しましたが、あわや幕府転覆(てんぷく)かという事態が現実になりそうだったということは、幕府に大きな衝撃(しょうげき)を与えました。そして、この事件をきっかけに幕府はそれまでの武力で世の中を支配するとした武断政治(ぶだんせいじ)の方針を大きく変更することになるのです。


人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ    blogram投票ボタン

いつも有難うございます。
Tweet
スポンサーサイト


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2011/05/31 12:00】 | 武断政治から文治政治へ
トラックバック(0) |


ぴーち
こんばんは!


なるほど、平和である時は確かに武力はかえって無用の長物になってしまうのでしょうけれど、平和な時ばかりが続くとは限りませんし、いざこういう事件が起こったりした時は、備えあれば、憂いなし。
盾ばかり備えていても、すぐに負けてしまいますものね。
凸


ぴーちさんへ
黒田裕樹
仰るとおり、平和な時代はいつまでも続くとは限りません。
幕府は慶安の変が起きてしまったことを反省し、その原因を食い止める方法を考えるようになりました。
詳しくは次回に紹介しますので、どうぞご期待下さい。

髭と茶筅髷。
晴雨堂ミカエル
 時代劇によりますが、この頃から髭を蓄えた武将や茶筅髷の武将が姿を消し、座り方も胡坐だったのが正座に変わっていきます。
 
 髭については昔NHKで放送されていたクイズ番組で、戦国の威風を払拭させるために髭を剃る事を強制したという話を聞いた事があります。
 
 茶筅髷も、時代物の劇画で「茶筅髷禁止令」という作品があり、そこでも髭剃りと同じ理由で禁止になったとありました。
 
 正座については、単に畳が普及しただけと思いますが、正座をすることで脚を痺れさせ自由を奪うという意図があったのでは、と勘繰ったりもします。
 
 黒田氏はどう見ていますか。

晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹
形から入る、という意味を考えれば仰る一面があったと私も思います。
ただ、精神的なものまでにはなかなか至りませんから、別の荒療治も必要だったのではと考えております。
荒療治についてはもうしばらく後に出てきますね。


ろっぽん
横山光輝の伊賀の影丸にも出てきますね
倒幕という芽はこのころから存在していたんですね
たしか周五郎のモミの木は残ったにも
原田甲斐が船宿で外様の倒幕の密談をするシーンがありましたね
いつ何時、火種が爆発するかわからんものですからね
よく300年近くもったものだと思います。
世界的にまれでしょうね

ろっぽんさんへ
黒田裕樹
仰るとおり、倒幕の目は早くから出ていたようですが、安定政権といえども打倒の勢力は地下に潜んで機会をうかがい続けることも多いですね。
幕府自体が弱体化して、世間から見放されそうだと分かった際に、地下に潜っていたのが一気に噴き出したともいえるかもしれません。


オバrev
由井正雪の名は、学校で日本史を学ぶ前から知っていました。それは少年サンデーに連載された横山光輝の「伊賀の影丸」第二部の「由井正雪の巻」を読んでいたからです。

由井正雪の乱で自害してさらされていた首が、実はニセモノだったということから、伊賀忍者と由井正雪を守る忍者達の忍術の掛け合いによる、息もつかせぬ戦いが繰り広げられます。

この時の私のお気に入りの忍者は、全盲の忍者左近丸。他の伊賀忍者を惑わす由井正雪側忍者の幻術を鮮やかに破ります。

な、懐かしいが、年がバレる?^^;

オバrevさんへ
黒田裕樹
「伊賀の影丸」ですか。残念ながら私は未見なんですよ。オバrevさんとはそんなに年が離れていないはずなんですが…?

由井正雪は作品によっては悪役になったり、ヒーローになっていたりしますね。未遂で終わった分、想像を膨らましやすいのかもしれません。

コメントを閉じる▲
武断政治から文治政治へ その2
多くの大名が改易されたという事実は、様々な影響を社会にもたらしました。武力に優(すぐ)れた侍が常に必要とされた戦国時代と違って、平和な社会の実現で新たな召(め)し抱(かか)えが滅多(めった)に無くなった江戸時代は、大名の改易によって職を失った元家臣の再就職を非常に困難にしていました。

しかし、だからといって武士が農民や町人として再出発することは至難(しなん)の業(わざ)ですし、何よりもプライドが許しません。かくして、大名の改易によって誕生した数十万人の牢人(ろうにん、別名を浪人)は、職にあぶれたまま失意の日々を送っていました。

活路を見出そうと思った多くの牢人たちが江戸などの大都市にやってきましたが、厳しい現状がそう簡単に変わるわけがありません。食いつめた牢人の中には、自分たちをこんな境遇に追い込んだのは政治のせいであると幕府を深く恨んだり、苦しい生活から盗賊などに身を落とす者もいたりして、社会不安が増大していきました。

追いつめられた牢人たちの不満が頂点に達しつつあったその時、一人の指導者によって大きな組織が出来上がるとともに、たまたま起きたひとつの出来事によって江戸幕府は崩壊(ほうかい)の危機を迎えようとしていました。


人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ    blogram投票ボタン

いつも有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2011/05/30 12:00】 | 武断政治から文治政治へ
トラックバック(0) |


ぴーち
こんにちは!

今日の記事を読ませていただいて
いかに自分は今まで歴史について無頓着だったか改めて思わされた気がしました。
ただ漠然と戦国時代から江戸時代へ時代が
移ったという上辺だけの事実だけに気を取られていて、そこで実際に生きていた人たちの気持ちや、生活には全く気にもとめませんでした。
実際問題、戦国時代には常に必要とされていた侍たちは職を失った訳ですから、江戸時代の武士はどのようにその危機を乗り越えていったのかということをまずは知らなければ、江戸時代を語れないというものですよね(私は知りませんでしたが(^^ゞ)
また詳しく勉強させてくださいね^^

応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
お言葉ありがとうございます。

歴史の流れを実感できない教わり方(あるいは教え方)では、今回のような牢人発生における様々な事情が理解できないのは無理もないと思います。

今後も「分かりやすい歴史」を目指しますので、よろしくお願いします。

浪人
ろっぽん
 その辺のことをコミック化してるのが「焼け野のわらび」なのです。
仙臺藩は戦国時代、覇権に次ぐ覇権でほぼ東北の太平洋岸を手中にしました。そうして沢山の兵をリストラさせるわけにゆかないので、新田開発隊として山岳部や沼の干拓をやらせました。実質、農民なんだけど武士という半士半農の身分の武士集団が2割いたと言われます。

ろっぽんさんへ
黒田裕樹
半士半農は八王子千人同心もそうですよね。
士農工商といっても身分の差は厳格ではなかった。これもまた時代ではありますが、記事の頃はまだまだ武士のプライドが高かったですから、結果的に「事件」が起こりそうになってしまいましたね。

由比正
青田です。
黒田先生

こんばんは

青田です。

いよいよ、登場ですね。

由比正雪ですね。

私が、興味深いのは、この乱に紀州徳川家が
関わっているという黒い噂です。


この乱の後、徳川頼宣は、江戸での滞在期間を
長くされました。

その後、紀州藩でもこの一件は、タブーとなりました。

もし、紀州徳川家が関わっているとすると
徳川吉宗の将軍就任の謀略を考えると

紀州藩は、昔から、天下を取りたかったんですね。







青田さんへ
黒田裕樹
徳川頼宣の話は有名ですね。
物語要素が強くなりますから今回は省略しますが、その後の徳川綱教と綱吉の娘の鶴姫との婚姻や吉宗のことを考えれば、あながち物語だけの世界ではないような気もします。

謀略
青田です。
黒田先生

おはようございます。

青田です。

徳川頼宣、鶴姫、徳川吉宗の将軍擁立、御三卿の設立

と、証拠はないですが、どう考えても、おかしいですね?


『一番、得をした人間を疑え。』の鉄則から考えても。。。


青田さんへ その2
黒田裕樹
吉宗に関しては、一昨年の第7回歴史講座で私も指摘しています。
証拠がない以上は想像の域を出ませんが…。

武士にとっての苦しみ
青田です。
黒田先生

こんにちは

青田です。

もう、ご存知かもしれませんが

10月に市川海老蔵主演で、『一命』という映画が全国で、上映されます。

これは、『切腹』という映画のリメイクなのですが、

取り潰しになり、江戸に出てきた浪人が、狂言切腹をするために井伊家に行き、本当に切腹させられるという封建制度の残酷さを描いた映画です。


この時代、カネに困った浪人は、狂言切腹という話は、本当なのでしょうか。

もし、この話が本当なら、江戸幕府による平和の政治というのは、農民だけではなく、武士にとっても苦しい時代だったんですね。

<取り潰された大名の数>

家康時代・・104家

秀忠時代・・54家

家光時代・・48家

家綱時代・・17家

綱吉時代・・27家

家宣~家茂時代・・・16家

家康時代は、仕方ないとしても、秀忠。家光時代も大名の取り潰しが多かったのですね。

綱吉時代も家綱時代よりも増えているのに、少し、驚きました。


【取り潰された大名の家臣】

・ 江戸に出て、傘貼りなどの内職で、食べるしかない。

・ 他の大名に仕官しようとしても、平和な時代なので、武芸が出来ても仕官できない。


【通常の武士】

・ 石高が決まっているので、米の価値が下がるとそのまま、収入が減る。
役職は、石高で決まるので、なかなか、出世できない。


江戸時代というのは、農民にとって、苦しい時代のイメージがありましたが、実際は、武士にとっても苦しい時代だったんですね。

江戸時代は、280年も平和な時代が続いたと言われますが、よく、由比正雪の乱レベルで、おさまった思います。

ただ、江戸時代の文化の担い手のほとんどが、町人であることを考えると、町人のほうが、自由度があり、楽しい社会だったのでしょうね。






青田さんへ その3
黒田裕樹
確かに江戸時代は町人の方が生き生きとしていたというイメージがあります。
身分やプライドが高くとも、武士の生活は困窮する一方でしたからね。

平和な生活は、武士の存在を無意味なものにしてしまいました。
しかしながら、水面下でプライドを守りつつ懸命に鍛錬に励んだか、身分の違いから武士にあこがれて、純粋に武士としての修練を積んだ人々によって、幕末の混乱期にも武力が存在したのもまた事実です。

コメントを閉じる▲
武断政治から文治政治へ その1
江戸時代の初期、幕府は各大名に対して厳しい態度で臨(のぞ)み、大名に少しでも落ち度があれば、外様(とざま)や譜代(ふだい)、あるいは親藩(しんぱん)の区別なしに容赦(ようしゃ)なく取り潰(つぶ)すという改易(かいえき)の処分を行いました。

改易の原因で一番多かったのは、跡継(あとつ)ぎが決まらないうちに大名が死亡してしまうという、いわゆる無嗣断絶(むしだんぜつ)でした。例えば、関ヶ原の戦いで西軍に属しながら裏切った小早川秀秋(こばやかわひであき)や、徳川家康の四男の松平忠吉(まつだいらただよし)らが無嗣断絶で改易となっています。

無嗣断絶は大名にとって深刻な問題でした。本来であれば大名が元気なうちに後継者を決めておくべきなのですが、例えば子供がいない大名が弟を養子に決めた後に実子が生まれた場合には、お家騒動の原因となって改易の口実を幕府に与えてしまいます。

また、人間はいつ死ぬかわかりませんから、万が一の場合に急いで跡継ぎを決めることができれば大名は助かるのですが、このような末期養子(まつごようし)の制度は幕府が一切認めていませんでした。


人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ    blogram投票ボタン

いつも有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2011/05/29 12:00】 | 武断政治から文治政治へ
トラックバック(0) |


ぴーち
こんにちは!

これまた厳しい沙汰ですね。
当時は今のように寿命だとてさほど長くは
無かった事でしょうから、大名にとっては頭の痛い問題
だった事でしょう。
何故これほどまでに大名に対して厳しかったのでしょうか。幕府の絶対的権限を知らしめる為だけが理由だったのでしょうか。


応援凸


ぴーちさんへ
黒田裕樹
当初の江戸幕府にとっては、親藩・譜代・外様を問わず、各大名は「いずれ幕府を脅かす敵」であると認識していました。

そこで「謀反は芽の出ないうちに潰す」という考えと、取り潰した大名の領地を幕府の直轄とすることで実収入を増やすということ、また仰るとおり「幕府の絶対的権限を知らしめる」ためという一石三鳥を狙う目的で、次々と大名を改易処分にしたのです。

しかし、このようなことはやはり無理がありますから、幕府はいずれそのツケを支払わされることになるんですよね。詳しくは次回以降に紹介します。

御三卿
青田です。
黒田先生

こんばんは

青田です。

徳川吉宗の講座で、御三卿がインチキということは、わかりました。

大名にすると後継者がいないと断絶するからなのですね。

何というウルトラC。吉宗の権力欲の強さは、

テレビ番組とは、まったく、違いますね。

青田さんへ
黒田裕樹
仰るとおりです。
絶対に潰れない御三卿は、それまでの大名制度のことを考えれば明らかなインチキです。
吉宗の権力欲の強さは凄まじいものがありますが、その報いは慶喜の際にしっかりと受けることになるのも皮肉ですね。

権力
ろっぽん
 ズート疑問でしたが
そんな後継ぎの問題、内政干渉では
この時代、各藩の藩侯も天皇と同じで飾りにしかすぎなないだそうですね。決めるのは老中で逆らえば暗殺、毒殺それは天皇も同じで(この国のかたちより)
日本は独裁者が生まれず飾りのトップが世の中に君臨している。

ろっぽんさんへ
黒田裕樹
仰る一面は確かに存在しますね。
合議制を好む我が国の風潮は、同時に独裁政治を極端なほど嫌います。

織田信長のように、我が国の独裁者はたいていの場合ろくな死に方をしません。
信長以外にも、歴史に埋もれた「暗殺された独裁者」は多数存在していることでしょう。


なおまゆ
保科正之、この政治家の名が刻まれた時代ですね。
現在、彼のような政治家がいれば日本はどれ程良い国になるでしょう。
江戸時代の政治家の白眉というべき名宰相ですね。
彼のことに触れられるのでしょうか?
楽しみにしています。

なおまゆさんへ
黒田裕樹
徳川将軍家の血を引いていながら名宰相に徹した保科正之の実直さと有能さは、政治家の鑑(かがみ)ですよね。
正之については6月2日に紹介する予定です。

コメントを閉じる▲
寛永文化 その2
(※お蔭様で、当講座は昨日[5月27日]で120,000HITを達成しました。皆様のご支援に心から感謝いたします。)

絵画では狩野派(かのうは)から狩野探幽(かのうたんゆう)が出て、幕府の御用絵師(ごようえし)として活躍し、大徳寺方丈襖絵(だいとくじほうじょうふすまえ)などの作品を残しました。また京都では土佐派(とさは)から俵屋宗達(たわらやそうたつ)があらわれ、風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)などの大胆な構図(こうず)と色彩(しきさい)が魅力の作品を生み出しました。

多才(たさい)な文化人として知られた本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)は、絵画の他に蒔絵(まきえ)や楽焼(らくやき)と呼ばれた陶芸(とうげい)に優れた作品を残しており、舟橋蒔絵硯箱(ふなばしまきえすずりばこ)が有名です。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、諸大名が我が国に連れてきた朝鮮人の陶工(とうこう)の技術が広まったことで、この時代までに陶磁器(とうじき)の本格的な生産が始められました。鍋島氏(なべしまし)の有田焼(ありたやき)や島津氏(しまづし)の薩摩焼(さつまやき)、毛利氏(もうりし)の萩焼(はぎやき)、松浦氏(まつらし)の平戸焼(ひらどやき)などが有名であり、特に有田焼では酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)が赤絵(あかえ)の技法を完成させました。

また、文芸面では教訓的な内容を主とした仮名草子(かなぞうし)があらわれ、連歌(れんが)から独立した俳諧(はいかい)からは松永貞徳(まつながていとく)の貞門俳諧(ていもんはいかい)が流行しました。


(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)

人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ    blogram投票ボタン

いつも有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2011/05/28 12:00】 | 寛永文化
トラックバック(0) |


徳蒼 唯我
高校のときに習った懐かしい言葉が並んでいますが、ここまで分かりやすくはなかったです。

応援しますので、このまま続けていって下さいね!!

徳蒼唯我さんへ
黒田裕樹
お言葉有難うございます。
今後も「分かりやすい歴史」を目指して更新を続けます。


ぴーち
こんばんは!


楽焼とは、ロクロを使用しないヘラや手だけで作られた焼き物の事ですね!
綺麗に成型された焼き物よりも、楽焼のような
いびつさが残る焼き物、好きですねぇ^^


応援凸


tursiops
120,000HITおめでとうございます!
応援しております♪

お忙しい中、畑違いの私のブログへも毎日お越し下さりありがとうございます。

ぴーちさんへ
黒田裕樹
仰るとおりですね。
楽焼の素朴さも良いですし、朝鮮人陶工による陶磁器も素晴らしいものがあります。
他の国との融合の文化もまた魅力がありますね。

tursiopsさんへ
黒田裕樹
お祝いのお言葉有難うございます。

こちらの方は読み逃げばかりで申し訳ありませんが、今後とも末永くよろしくお願いいたします。

コメントを閉じる▲
寛永文化 その1
江戸時代初期の文化については、当初は桃山文化(ももやまぶんか)を引き継いだものでしたが、戦乱の世が終わったことで次第に新しい傾向が見られるようになりました。この当時の文化を、3代将軍徳川家光の全盛期の頃の元号から寛永文化(かんえいぶんか)といいます。

儒教(じゅきょう)に由来し、主君に絶対の忠誠を誓うとともに上下の秩序(ちつじょ)を重んじる学問であった朱子学(しゅしがく)は、室町時代には五山(ござん)の学僧が学んでいましたが、江戸幕府の公的な学問として採用されたことで大きな広がりを見せました。

朱子学は京都の相国寺(しょうこくじ)の禅僧(ぜんそう)であった藤原惺窩(ふじわらせいか)によって広められ、惺窩の門人(もんじん、弟子のこと)である林羅山(はやしらざん)は徳川家康に招かれ、羅山の子孫は林家(りんけ)と呼ばれて、幕府代々の儒者(じゅしゃ、儒教を学び、研究する学者のこと)として仕えました。

建築では、家康を祀(まつ)るために築かれた日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)をはじめとする霊廟建築(れいびょうけんちく)が広がり、神社建築では精巧(せいこう)かつ豪華(ごうか)な権現造(ごんげんづくり)が用いられました。

また、京都では伝統的建築として数寄屋造(すきやづくり)の桂離宮(かつらりきゅう)が建てられたほか、突き出した舞台が有名な寄棟造(よせむねづくり)の清水寺本堂(きよみずでらほんどう)もこの時代の建築物です。思い切って物事を決断することを「清水の舞台から飛び降りるつもりで」とよく言いますね。


(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)

人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ    blogram投票ボタン

いつも有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2011/05/27 12:00】 | 寛永文化
トラックバック(0) |


ぴーち
こんにちは!

朱子学が公的な学問として採用されたということが要因で、江戸時代は主君と家来の主従関係がより確立されていったのでしょうか。
間近に東照宮があるのに、実は一度も拝観した事がありません(^_^;)
清水寺は修学旅行の時に、一度だけ行った事があります^^

近いといつでも行けるという思いがあるせいか、
なかなか実現出来ないものですよね(^_^;)
一度歴史的建造物という観点で、見物に行かなければなりませんね(^^ゞ

応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
仰るとおり、朱子学の影響は江戸時代の様々なところに影響しています。
良いところも、悪いところも…。

私も清水寺は小さい頃に一回しか行ったことがありません。
大阪城も滅多に行きませんし。
近いと本当に行かないものですよね(^^ゞ

想像してみました。
徳蒼 唯我
なるほど。

ひょっとすると、今の仕事における人間関係や親子などの関係も、このころに採用された朱子学が影響しているんでしょうか?

まあ、仕事上の人間関係も一昔前に比べたらマシにはなってきているのですが……。

もし信長が天下統一していればどんな世の中になっていたのか想像してみたのですが、アメリカみたいな自由主義な国になっていたのかもしれませんね。

藩校
ろっぽん
こちらに有備館という伊達政宗の元本拠地、岩出山にある藩校なのですが。おれの先祖も学んだそうで
朱子学だそうです。
教科書は漢文なのですか、それとも訳した本ですか

徳蒼唯我さんへ
黒田裕樹
朱子学は確かに現代にも様々な場面で影響を与えていますね。

朱子学は徳川幕府にとって都合が良かったからこそ採用されましたからね。
信長だったらおそらく見向きもしなかったでしょう。そうなると、自由主義な国になっているかもしれませんが、同時に日本人の勤勉さも失われていたかもしれません。

ろっぽんさんへ
黒田裕樹
仙台藩でも朱子学が採用されていたのですね。
教科書はおそらく漢文で、読み下していたのではないでしょうか。

コメントを閉じる▲
江戸時代の交易と琉球・蝦夷地 その4
蝦夷地(えぞち)南部の和人地(わじんち)を支配していた松前氏(まつまえし)は、1604年に徳川家康からアイヌとの交易権を保障され、松前藩を名乗りました。松前氏は和人地以外の蝦夷地に住むアイヌとの交易地である商場(あきないば、別名を場所=ばしょ)からの利益を家臣に与えることで主従関係を成り立たせていました。これを商場知行制(あきないばちぎょうせい)といいます。

それまでの自由な取引から松前藩の独占となったことで、不利益を受けることになったアイヌの不満は次第に高まり、やがて1669年にシャクシャインが戦闘を行いました。これをシャクシャインの戦いといいます。

松前藩は近隣(きんりん)の津軽藩(つがるはん)の協力を得て戦いの鎮圧(ちんあつ)に成功すると、以後アイヌは松前藩に全面的に服従することになりました。なお、その後18世紀前半頃には、近江(おうみ、現在の滋賀県)の商人をはじめとする場所請負人(ばしょうけおいにん)が商場の経営を請け負うようになり、彼らからの運上金(うんじょうきん)が藩の財政を支えるようになりました。これを場所請負制(ばしょうけおいせい)といいます。

アイヌは和人商人に使われる立場となり、やがて交易をごまかされるなどの不利益を受けました。こうしたアイヌの人々の生活事情を改善しようとしたのが、18世紀後半に政治の実権を握(にぎ)った田沼意次(たぬまおきつぐ)だったのです。


(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)

人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ    blogram投票ボタン

いつも有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2011/05/26 12:00】 | 江戸時代の交易と琉球・蝦夷地
トラックバック(0) |


ぴーち
こんばんは!

この蝦夷地方のお話は、恥ずかしながら今まで全く存じませんでした(^_^;)
シャクシャインの戦いなどというのは、一度も習った記憶がありませんでしたので、今日はまた一つ勉強になりました。
元々日本の先住民族だと言われているアイヌ人はこの当時、戦いによって次第に虐げられて行った訳ですね。田沼意次がそれを救おうとした人物というのも、存じませんでした。

応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
江戸時代はアイヌにとって受難続きでしたね。田沼意次による救済も、彼の失脚で絵に描いた餅に終わってしまいました。
ただ、明治になってからの同化政策が本当にアイヌのためになったかどうか、という点もありそうですね。

アイヌ
ろっぽん
昨日おきてがみにてURLを送信しました「チカップカムイ」を読んでいただけましたか
私はチカップカムイの資料調べする中でシャクシャインの乱を知りました
本当の経緯は、
1アイヌ同士の部族間の争いがあって
2函館の松前に調停を頼みに行ったシャクシャインの使いが本土のアイヌには免疫がないウィルス性の疾病にかかり死んだのを毒殺と誤解しシャクシャインと争いのあった部族も結束して松前と戦ったのが本当のようです。
ウィルスは例えば疱瘡などは平安時代に日本に渡ってきた。


ろっぽんさんへ
黒田裕樹
なるほど、そういう事情もあったのですか。
その後にアイヌが和人に服従したことを思えば、不幸な話ですね。

有難うございました。

よくぞ取り上げてくれました。
晴雨堂ミカエル
 白土三平「カムイ伝」の主人公カムイの最期はシャクシャイン戦争でアイヌ側に立ち戦うのですが、映像化は無理でしょうな。

 世間では知られていない田沼の先見性です。
 田沼の事ですから、国境線の概念もあったでしょうね。盛んに探検を行わせていますし、海外の動静に敏感でしたから。

 前後左右上下の相関を理解しない楽翁が高く評価されるのは理不尽です。

同化政策
ろっぽん
明治期の同化政策はアメリカのインデァンに対する考えを手本にしています。
松前藩、幕府はこのことを契機にアイヌのニシン場の保護などをしました。
薩摩の琉球のことにしても文化風俗の強制といったことがなかったのが江戸期で
アイヌの同化政策が朝鮮の同化政策に続き、
現在のいつまで文句をつけるということにつながってると思う。
文化、宗教、風俗の強制をやってしまうといつまでも
恨みが続くと思う。
明治期だって山縣有朋などは朝鮮をスイスのような中立国にしたらと考えていた人もいたんのです。

晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹
お言葉有難うございます。

「徳川の血を引く高貴」や「朱子学」ばかりがもてはやされる江戸時代では、田沼意次のような人材は抹殺されてしまうのが悲しいですね。
いずれ通史でも詳しく紹介します。

ろっぽんさんへ その2
黒田裕樹
同化政策は、逆の立場になれば怒るのは当たり前ですからね。
ただ、どの国もつい最近までは(一部の国では現在でも)行われているのがまた歴史の常識ですし、難しいものです。


なおまゆ
アイヌのことは全く知りませんでした。
田沼意次のこともです。
本当に勉強になり、楽しいものですね。

なおまゆさんへ
黒田裕樹
有難うございます。
田沼意次ほど、現代の私たちに誤解されている政治家はいないと思います。
いずれ通史でも詳しく紹介しますし、茨木市の講座もYouTubeで公開したいですね。

コメントを閉じる▲
江戸時代の交易と琉球・蝦夷地 その3
1609年、薩摩(さつま)の島津義久(しまづよしひさ)は徳川家康の許可を得て、3,000の兵力で琉球王国を攻め、征服に成功しました。琉球を支配下に入れた薩摩藩は、従来は琉球の属領であった奄美諸島(あまみしょとう)を薩摩の直轄としました。

薩摩藩は琉球を属領としながらも表向きは独立国として、当初は明、後には清を宗主国(そうしゅこく)とする朝貢関係(ちょうこうかんけい)を続けさせるとともに、中国との貿易で得た物資や琉球産の黒砂糖を薩摩へ納めさせました。

また、琉球は徳川将軍の代替わりごとに慶賀使(けいがし)を、琉球王の代替わりごとに謝恩使(しゃおんし)をそれぞれ幕府に派遣しましたが、これらはいずれも薩摩藩の指導によって異国風の服装や髪型、あるいは旗や楽器を用いることで、琉球人を異民族のように振(ふ)る舞(ま)わせる形式でした。

なお、薩摩藩によって琉球の対中国貿易はその後も続けられ、藩の貴重な財源となったほか、後には貿易による輸入品を薩摩藩が長崎で売却するようになりました。


(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)

人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ    blogram投票ボタン

いつも有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2011/05/25 12:00】 | 江戸時代の交易と琉球・蝦夷地
トラックバック(0) |


ぴーち
こんにちは!

私の理解不足でしたら、申し訳ありません。
何故、琉球をわざわざ異民族のように振舞わせたのでしょうか。

質問ばかりで恐縮ですが(^^ゞ
応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
> 何故、琉球をわざわざ異民族のように振舞わせたのでしょうか。

薩摩藩は琉球を征服しましたが、清との関係や幕府への対応など、琉球を表向きは独立国に見せたほうが何かと都合が良いからです。いわゆる「大人の事情」というやつですね。

> 質問ばかりで恐縮ですが(^^ゞ

いえいえ、何でもご質問下さいね(^^)v

独立国として
ろっぽん
独立国としてあつかったのですね
うまいやりかたですね
民族のアイデティがつぶされると反発を招きますからね
日本なんて言うけど
東北、蝦夷、九州、クマソ、北海道、アイヌ
出雲族、曽我族などの様々な民族を朝鮮の覇権に敗れた百済が難民としてたどり着いたのが天皇一族で大和政権を作ったのが日本の原型だそうで
逆説の日本より

ろっぽんさんへ
黒田裕樹
仰るとおり、うまいやり方だと思います。

我が国の出自にも様々な説がありますね。うまくミックスして日本民族ができて、島国であるがゆえに他の侵略も受けなかった。色んな条件があって、現在の誇れるべき文化や国家が存在するのでしょう。これからも守っていきたいものです。

薩摩藩
青田です。
黒田先生

こんにちは

青田です。


幕府は、当初から、薩摩藩に甘かったように思えるのですが。。。

薩摩藩の琉球支配をさせると、当然、貿易で、儲けるのは、当然の成り行きだと思うからです。

外様大名の薩摩藩には、他の西国大名よりも、かなり、特別待遇のような気がします。

こういう姿勢が外様大名中の外様大名である薩摩藩が、幕末に主役になるキッカケになるでしょうね。




青田さんへ
黒田裕樹
仰るとおり、相当甘いですね。

これは幕府が薩摩藩を恐れていたので、アメを与えて統制しようとしたのかもしれません。

それに、薩摩藩が江戸から遠く離れているという地理的条件もあったでしょう。

また、設立当初の幕府は外交オンチではなかったので、琉球を支配下に置くことの重要性を理解していたとも思われます。

いずれにせよ、様々な思惑がありますね。

コメントを閉じる▲
江戸時代の交易と琉球・蝦夷地 その2
豊臣秀吉の2度にわたる朝鮮出兵によって、我が国と李氏朝鮮(りしちょうせん)との国交は断絶していましたが、その豊臣家を倒した徳川家康によって日朝関係は修復されることになりました。まさに「敵の敵は味方」ですね。

家康から日朝の交渉を任(まか)された対馬(つしま)藩主の宗氏(そうし)によって、1607年に朝鮮使節が我が国に来訪し、1609年には朝鮮との間に己酉約条(きゆうやくじょう)が結ばれました。

日朝貿易は宗氏に独占権が与えられ、貿易がもたらした利潤(りじゅん)によって宗氏は家臣との主従関係を結びました。領地の対馬が耕地に恵まれなかったこともあり、日朝貿易は対馬藩にとって文字どおり生命線だったのです。

1635年、幕府は日朝貿易を監視するために京都五山(ござん)の僧を対馬に派遣(はけん)しました。貿易は朝鮮が釜山(プサン)に設置した倭館(わかん)で盛んに行われましたが、金銀の流出を防ぐ目的で、オランダや清国と同様に1686年には幕府によって対馬藩の貿易額が制限されました。

なお、朝鮮からの使節はその後も幕府の将軍の代替わりの慶賀(けいが)を名目に続けられ、朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)と呼ばれました。


人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ    blogram投票ボタン

いつも有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2011/05/24 12:00】 | 江戸時代の交易と琉球・蝦夷地
トラックバック(0) |


ぴーち
こんばんは!

家康はどうして対馬藩に朝鮮との貿易を一任したのでしょうか。

応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
> 家康はどうして対馬藩に朝鮮との貿易を一任したのでしょうか。

対馬を治めていた宗氏は、戦国以前から地理的状況もあって朝鮮との付き合いが続いていました。
家康は朝鮮との国交を回復するにあたって、以前から付き合いの深い宗氏に一任することで成功しやすくなるようにと考えたのです。朝鮮と宗氏との貿易はいわばその報酬のようなものですね。

朝鮮
ろっぽん
ユーチューブでみた動画なのですが、
現在も島民感情として同胞のような感じがあるんですね。

ろっぽんさんへ
黒田裕樹
> ユーチューブでみた動画なのですが、
> 現在も島民感情として同胞のような感じがあるんですね。

YouTubeの動画の内容は存じ上げないのですが、対馬としての島民感情の意味でしょうか。
最近では韓国が自国の領土と主張しつつあるようですが、れっきとした我が国の領土ですからね。


なおまゆ
日々の更新、素晴らしいですね。お忙しい中で時間を上手に使っておられるのですね。
竹島が韓国領となれば、次は、対馬?
韓国、中国、北朝鮮が外交の切り札と信じている、過去の捏造記事に謝罪する政府の愚かさが国土を狭くしていくのですね。北方領土もしかり。
どうどうと我が国の主権を発揮していただきたいものです。

なおまゆさんへ
黒田裕樹
お言葉ありがとうございます。何とか時間を作って更新を続けております(^^ゞ

領土問題は主張をやめれば終わりですからね。今後もずっと声を上げていくべきなのですが…。

コメントを閉じる▲
江戸時代の交易と琉球・蝦夷地 その1
鎖国の状態をもたらした厳しい制限貿易によって、ヨーロッパで我が国との唯一(ゆいいつ)の交易国となったオランダは、キリスト教(=プロテスタント)の布教を避(さ)けて貿易に専念しました。

幕府は長崎を窓口として、オランダから中国産の生糸や砂糖、あるいは欧州産の毛織物などの様々な貿易品を輸入するとともに、オランダ船が入港するたびに商館長(=カピタン)が長崎奉行を通じて提出したオランダ風説書(ふうせつがき)によって、幕府が独占的に海外の情報を得ました。

この頃までに中国では漢民族の明(みん)が滅んで満州(まんしゅう)民族が清(しん)を建国すると、清国の私貿易船が我が国に来航するようになり、貿易額は年々増加しました。当時の我が国は貿易の代金を金銀で支払っていましたが、貿易額の増加は金銀の流出をもたらしたため、やがて幕府は1685年にオランダや清からの輸入額を制限し、1688年には清船の来航を年間70隻(せき)に限定しました。

また同じ1688年には、それまで長崎領内で自由に雑居(ざっきょ)していた清国人の居住地を限定するために唐人屋敷(とうじんやしき)の建設を開始し、翌1689年に完成しました。


人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ    blogram投票ボタン

いつも有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2011/05/23 12:00】 | 江戸時代の交易と琉球・蝦夷地
トラックバック(0) |


ぴーち
こんにちは!

オランダもなかなか強かだった様ですね。
布教活動よりも、貿易を重要したということは、当時の日本との貿易には相当な価値があったのでしょうか。
カピタンと聞いて、私はマーチの王と呼ばれたスーザの「エル・カピタン」という行進曲を吹奏楽部で演奏していたので、思い出しました(^^ゞ
意味は全然違いますけれど(^_^;)

凸応援!

ぴーちさんへ
黒田裕樹
> オランダもなかなか強かだった様ですね。
> 布教活動よりも、貿易を重要したということは、当時の日本との貿易には相当な価値があったのでしょうか。

数あるヨーロッパ諸国の中で、我が国と直接取引できる唯一の国でしたからね。
相当な「うまみ」があったことに間違いはありません。

> カピタンと聞いて、私はマーチの王と呼ばれたスーザの「エル・カピタン」という行進曲を吹奏楽部で演奏していたので、思い出しました(^^ゞ
> 意味は全然違いますけれど(^_^;)

英語に直せば「captain」ですからね。
色々な意味があります(^^♪

このころは
ろっぽん
琉球=沖縄は琉球王朝なんですよね
幕末に薩摩が植民地化して薩摩に帰属したんですよね 逆説の日本史にも書いていましたが、
薩摩は日本の最南端で幕府の目が届かず
軍事力を蓄積しそれが統幕という結果になったと
仙臺藩だって、黒潮と寒流の合流する金華山沖の石巻をかかえアメリカ、ロシアの捕鯨船がよく難破してきたんですよ。もしも幕府の目が届かなかったらサンフランシスコに直線距離で一番近い、石巻が外国との貿易が栄えたかも
わからんのですが、外様の意識も鎖国に同意してたんですかね?

ろっぽんさんへ
黒田裕樹
琉球については仰るとおりですね。近日中に私の講座でも紹介します。

仙台藩の場合は、政宗はともかく伊達騒動の影響などもあって、幕府に対して従順な態度を取り続けたがゆえに、鎖国の状態を守っていたと考えられるような気がします。

コメントを閉じる▲
「鎖国」までの道のり その7
我が国における「鎖国」の状態はその後200年以上続くことになりましたが、なぜこれだけの長い間、我が国は鎖国を続けることができたのでしょうか。その理由は色々あります。

最初に考えられるのは、鎖国の状態に入った頃の我が国は戦国時代が終わったばかりで、数十万の兵士や鉄砲が未(いま)だに存在していたことでした。これだけの兵力や武器を所有している国は他にはなく、ヨーロッパ諸国といえどもそう簡単には攻められません。

また、この頃はヨーロッパ諸国において大きな変化があり、それまでのイスパニア(=スペイン)やポルトガルの国力が衰える一方で、新たにイギリスやオランダが勢力を伸ばしつつありましたが、両国はプロテスタントを信仰しており、カトリックと違って領土的野心を持っていなかったことも我が国には良い結果をもたらしました。

さらには当時の我が国が鉄砲の増産を可能とするなど先進的な文化を持っており、海外との結びつきがなくても自国だけで十分に経済や文化が発展できたことや、島国であるがゆえに海という「天然の防壁」が我が国の防衛力を高めていたことも考えられます。

しかしながら、これは同時にもし当時の我が国にとって「長所」となっていた様々な利点が失われてしまえば、我が国は一転して苦しい立場に追い込まれてしまうことも意味しました。そして、その心配は不幸にも約200年後に現実のものとなってしまうのです。


人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ    blogram投票ボタン

いつも有難うございます。
Tweet


追記を閉じる▲

FC2blog テーマ:学習 - ジャンル:学校・教育

【2011/05/22 12:00】 | 「鎖国」までの道のり
トラックバック(0) |

日本文化
ろっぽん
 私は俳句をたしなんでいますが
それまで文化的に中国の影響、大でしたが
鎖国時代に様々な日本固有の文化が生まれていますね
そういう点では、世界的にまれですね。
国粋主義者はやたらと日本日本という割には
そういう日本文化を理解してませんね
日本独特の文化を生んだ言うことがあえて言うなら鎖国のおかげだったかも知れませんね。


ろっぽんさんへ
黒田裕樹
仰るとおり、鎖国による最大のメリットは我が国固有の素晴らしい文化が江戸時代に生まれたことです。
その一方で、鎖国の状態を引っ張り続けたデメリットの底知れぬ大きさがあったのもまた事実です。
これから折に触れて紹介させていただくことになりますが、もっと早く自主的に開国していれば…。


ぴーち
こんばんは!
なるほど!戦国時代というと、とかく暗くマイナス要素が強いイメージばかりしか思いつきませんでしたが、江戸時代にそれだけの武力を所有していれば、外国も警戒してうっかり手出しが出来なかったというメリットに変化したのですか(゜o゜;!。
この鎖国には色々な要素が味方してくれての実現だった訳ですね。

応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
仰るとおり、物事はまさに裏表で考えないといけないのです。

様々なメリットがあったゆえに可能であった「鎖国」の状態も、時の流れとともに無理が生じてくる。そんな当たり前のことが理解できなかった政治は果たしてどうなっていくのでしょうか…?


オバrev
アジアで欧米列強による植民地化を免れた国といえば、日本以外にもタイがあります。島国でもないし、軍事力がそれほど優れていたとも思えないのですが、一体全体それは何故なんだろうと、不思議に思ってました。

日本と関係なさそうですが、その辺はどうでしょうか?

オバrevさんへ
黒田裕樹
タイの場合は、その地理的関係から各国の緩衝地帯となったことで植民地化を免れたという一面があります。
また、19世紀の帝国主義の頃には我が国と同じように列強から不平等条約を結ばされていますが、バランスの良い外交によって乗り切りました。

我が国とは間接的に関係が深いといえるかもしれませんね。

コメントを閉じる▲
 | ホーム |  次ページ
Copyright © 黒田裕樹 Allrights Reserved.
Template ac-airwater-3c-js by 斎七 @ 虹のもとブログ
Photo by BEIZ Graphics