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黒田裕樹の歴史講座
受験対策にも万全!現役高校教師による「分かりやすくて楽しい」歴史ブログです。
次回の「黒田裕樹の歴史講座」

第66回黒田裕樹の歴史講座「戦後史検討 その1 ~占領政策の本質」平成30年5月20日(日)午後2時より東京・スター貸会議室 飯田橋にて、5月26日(土)午後2時より大阪市立総合生涯学習センター第1研修室(ホール)にてそれぞれ行います(東京講演の開始時間が1時間早まっていますので、お間違えのないようにご注意ください)。

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┣政党の復活 (2)
┣経済面の占領政策 (7)
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┣昭和天皇のご巡幸 (10)
┣冷戦体制の形成とアジア情勢 (10)
┣朝鮮戦争の勃発 (4)
┣日本の独立回復 (8)
┣特需景気と経済復興 (4)
┣独立回復後の国内情勢 (3)
┣激動する世界情勢 (6)
┣55年体制の成立と国連への加盟 (3)
┣安保条約の改定と闘争の激化 (3)
┣高度経済成長 (6)
┣保守長期政権 (6)
┣国民生活の変化 (7)
┣保守政権の動揺 (10)
┣貿易摩擦とバブル景気 (4)
┣戦後の文化 (4)
┗昭和から平成へ (5)
平成時代 (89)
┣冷戦体制の崩壊 (19)
┣湾岸戦争の大きな教訓 (9)
┣55年体制の崩壊 (11)
┣バブル経済の崩壊と金融制度改革 (9)
┣森内閣から小泉内閣へ (17)
┣第一次安倍内閣とその後の自民党政権 (10)
┣民主党政権と東日本大震災 (12)
┗安倍政権の復活 (2)
第1回歴史講座 島国の環境が創った我が国の歴史 (10)
┣日本列島の地理的環境がもたらした「天然の防壁」 (2)
┣中国大陸との交流 (2)
┣聖徳太子と遣隋使 (2)
┣朝鮮半島とのかかわり (2)
┗「島国」ゆえの最大の危機 (2)
第2回歴史講座 「鎖国」という名の悲劇 (9)
┣「鎖国」に対するイメージとは (1)
┣「鎖国」に至るまでの歴史 (2)
┣なしくずしの「鎖国」とその影響 (2)
┣逃してしまった「開国」へのチャンス (2)
┗「しなくても済んだ苦労」をする「悲劇」 (2)
第3回歴史講座 源義経 (11)
┣平氏に捕まりながらも生きながらえた奇跡 (2)
┣戦術の天才ぶりを遺憾なく発揮 (2)
┣ついに平氏滅亡、しかし… (2)
┣「戦略」が理解できなかった「戦術」の天才 (3)
┗役割を終えた「アイドル」の末路 (2)
第4回歴史講座 明智光秀 (12)
┣最大のミステリー 「本能寺の変」 (1)
┣光秀の動機は「怨恨」か? (2)
┣信長と光秀との理想的な主従関係 (2)
┣「不信感」という名の導火線 (2)
┣ついに爆発した光秀の不信感 (2)
┣本能寺の変に「黒幕」はいない (2)
┗たった一人で歴史を変えた男 (1)
第5回歴史講座 毛利家の栄枯盛衰 (15)
┣信長に次いで天下取りに近かった男 (1)
┣重大な決意 (3)
┣すべてが思い通りに (3)
┣凄まじいまでの謀略 (2)
┣三矢の訓(おしえ) (2)
┣元就の不安的中 (2)
┗因果はめぐる (2)
第6回歴史講座 徳川綱吉 (19)
┣徳川綱吉は本当に「暗君」か? (2)
┣ハンデを乗り越えて始まった綱吉の治世 (3)
┣「生類憐みの令」の背景とその真実 (5)
┣綱吉の治世における数々の功績 (4)
┣立て続けに綱吉を襲った「災害」 (2)
┣恐るべき「歴史の捏造」からの名誉回復を目指せ (2)
┗綱吉が我が国にもたらした「思わぬ効果」 (1)
第8回歴史講座 田沼意次と松平定信 (18)
┣田沼意次=悪役は本当か? (2)
┣田沼時代の真実 (8)
┣偶然と陰謀と (3)
┣前政権の全否定 (4)
┗「名君」と「悪人」の目くらましに惑わされないために (1)
第9回歴史講座 明治憲法とは (15)
┣明治憲法の一般的な評価は真実か? (2)
┣明治憲法の歴史的経緯 (5)
┣明治憲法の公民的考察 (6)
┗統帥権の干犯 (2)
第10回歴史講座 信長と信玄との「決定的な違い」について (17)
┣信長と信玄との「決定的な違い」とは? (3)
┣一つめの違い (6)
┣二つめの違い (4)
┗「決定的な」三つめの違い (4)
第11回歴史講座 太閤殿下の夢 (16)
┣我が国と「ある国」との秀吉の評価の違いとは? (2)
┣世界史の流れから見た我が国侵略への恐怖感 (5)
┣秀吉の朝鮮出兵の意図は「明への先制攻撃」にあり (3)
┣徳川家によってねじ曲げられた朝鮮出兵の真意 (2)
┗歴史教育に必要な「それぞれの立場」による認識 (4)
第12回歴史講座 戦国時代の宗教戦争 (15)
┣「政教分離の原則」が定着した我が国 (1)
┣「政教一致」が我が国にもたらした様々な問題 (4)
┣信長の政策 (4)
┣秀吉の政策 (3)
┣家康の政策 (2)
┗政教分離による恩恵と問題点 (1)
第13回歴史講座 日本とトルコ (15)
┣屈指の親日国家 「トルコ共和国」 その理由とは? (1)
┣エルトゥールル号の悲劇と懸命の救助 (5)
┣我が国とトルコとの間に生まれた絆 (2)
┣トルコの恩返し (4)
┣固い絆は永遠に (2)
┗補足 (1)
第15回歴史講座 遠山の金さん (18)
┣「遠山の金さん」の実像とは? (1)
┣時代劇「遠山の金さん」のストーリー (5)
┣将軍から「お墨付き」をもらった北町奉行 (3)
┣水野忠邦や「妖怪」との対立 (4)
┣庶民の楽しみを守った名奉行 (3)
┗「金さん」伝説は永遠に (2)
第16回歴史講座 政権交代の歴史 (16)
┣選挙だけではない「政権交代」の歴史 (2)
┣朝廷による政治から平氏政権へ (4)
┣鎌倉幕府の誕生 (4)
┣建武の新政と三英傑との大きな違い (3)
┣江戸幕府から明治維新へ (2)
┗そして現代へ (1)
第17回歴史講座 徳川家康 (22)
┣歴史に学んだ家康の平和主義とは? (2)
┣独立後も続いた辛抱の日々が報われるとき (3)
┣独立までの苦難の日々で身に着けたもの (4)
┣律義者から狸爺へ (3)
┣幕府存続を目指して (4)
┣皇室をも利用した容赦ない家康の「平和主義」 (3)
┗「平和主義者」家康に対する誤解と偏見 (3)
第18回歴史講座 日韓併合 (20)
┣日韓併合の歴史的経緯を探る必要性 (2)
┣不幸な行き違いから始まった明治の日朝関係 (4)
┣二つの事変と朝鮮半島に忍び寄る清国の影 (2)
┣日清戦争で清国の介入を防ぐも、迫るロシアの魔の手 (5)
┣「保護国」から「併合」へと導いた一発の銃弾 (5)
┣日韓併合までに至る歴史の評価とは? (1)
┗補足 (1)
第19回歴史講座 織田信長 (18)
┣織田信長の全体像とは? (1)
┣「生きた情報」を重視する信長の姿勢 (3)
┣「目先の利益」よりも長期的なビジョンを優先 (2)
┣地名の変更と大胆な城下町政策で都市を繁栄に導く (2)
┣信長が敵から学んだ「独自の政策」とは (4)
┣自らの権威を高めるために信長が選んだ手段 (3)
┣独裁者の精神が招いた「本能寺の変」 (2)
┗「歴史の転換者」の完成した姿とは? (1)
第20回歴史講座 幕末百景 (25)
┣幕末における大きな歴史の流れとは? (1)
┣薩摩藩の場合 (7)
┣長州藩の場合 (8)
┣土佐藩の場合 (2)
┣肥前藩の場合 (2)
┗江戸幕府の場合 (5)
第21回歴史講座 昭和天皇・前篇 (23)
┣我が国の危機を救われた昭和天皇 (2)
┣幼年期からご即位まで (3)
┣立憲君主制の重み (6)
┣一日も早い戦争終結を願われて (5)
┣ご聖断下る (5)
┣終戦を迎えて (1)
┗大東亜戦争終結ノ詔書 (1)
第22回歴史講座 日本国憲法誕生秘話 (15)
┣日本国憲法をめぐる謎 (1)
┣GHQが主導した新憲法の制定 (4)
┣脅迫に屈した占領の悲劇 (3)
┣憲法改正への動きが鈍い理由 (2)
┣自主的な憲法改正の必要性 (3)
┗補足 (2)
第23回歴史講座 昭和天皇・後篇 (24)
┣我が国の運命を決めたマッカーサーとのご会見 (2)
┣現在も続く「皇居勤労奉仕」の源流 (1)
┣「人間宣言」に対する大きな誤解 (4)
┣昭和天皇のご巡幸 (10)
┣世界における天皇陛下の権威 (2)
┣太陽は静かに沈み、そしてまた昇る (4)
┗東日本大震災と天皇陛下のビデオメッセージについて (1)
第24回歴史講座 日韓併合後の歴史 (10)
┣「日帝三十六年の真実」とは? (1)
┣植民地支配における過酷な真実 (2)
┣朝鮮半島の統治における数々の真実 (5)
┗外国が絶賛した我が国の朝鮮統治 (2)
第25回歴史講座 風雲・関ヶ原 (21)
┣「関ヶ原の戦い」にまつわる様々な側面 (1)
┣避けられなかった「豊臣家の落日」 (4)
┣「敗軍の将」 石田三成の真実 (3)
┣実は「薄氷の勝利」だった徳川家康 (4)
┣もし関ヶ原の戦いで西軍が勝っていたら (5)
┣関ヶ原の戦いから見えてくるもの (1)
┗補足 (3)
第26回歴史講座 藤原氏の栄枯盛衰 (25)
┣藤原氏から見えてくる大きな歴史の流れ (1)
┣誕生 (3)
┣発展 (7)
┣完成 (4)
┣実は不可思議な藤原氏の栄華 (2)
┣没落と復活と (6)
┣藤原氏の歴史をたどる意義 (1)
┗補足 (1)
第27回歴史講座 からくり儀右衛門 (12)
┣我が国を支えた「ものづくり」の精神 (1)
┣「からくり儀右衛門」の誕生 (3)
┣人々の暮らしに貢献した数々の発明 (2)
┣歴史を変えた「アームストロング砲」 (3)
┣歴史をつくった晩年の事業 (2)
┗知識は失敗より学ぶ (1)
第28回歴史講座 真説・平家物語 (23)
┣平家滅亡の真の理由とは? (1)
┣武士の誕生とその飛躍の背景 (3)
┣平家を栄光へと導いた二つの乱 (6)
┣「開拓者」の宿命としての大きな「欠陥」 (5)
┣悲運と必然とがもたらした平家の没落 (7)
┗大いなる教訓としての平家の功績 (1)
第29回歴史講座 室町幕府の教訓その1 (15)
┣「室町時代」の分かりにくさ (1)
┣「鎌倉幕府」滅亡への道のり (4)
┣「建武の新政」の理想と現実 (4)
┣欠陥だらけだった「室町幕府」とその原因 (5)
┗課題を残した尊氏の「負の遺産」 (1)
第30回歴史講座 室町幕府の教訓その2 (22)
┣義詮から義満へ (2)
┣南北朝の合一 (3)
┣義満の野望と挫折 (6)
┣神に選ばれた将軍 (5)
┣後南朝の悲劇 (5)
┗「やり過ぎ」がもたらしたもの (1)
第31回歴史講座 室町幕府の教訓その3 (18)
┣「箍が外れた桶」となった室町幕府 (2)
┣「応仁の乱」の思惑と現実 (5)
┣権威の「使い捨て」に振り回された足利将軍 (6)
┣「室町幕府の教訓」とそれを活かしきった男 (4)
┗歴史に学んで「教訓」を活かす重要性 (1)
第32回歴史講座 聖徳太子 (21)
┣建国以来の危機に敢然と立ち向かった男 (1)
┣内憂外患からの大改革 (3)
┣冠位十二階に秘められた深慮遠謀 (2)
┣現代にもつながる憲法十七条の精神 (3)
┣遣隋使で見せた我が国の気概 (8)
┗聖徳太子をめぐる昨今の諸問題 (4)
第33回歴史講座 明治天皇 (28)
┣崩御100年にご遺徳を偲んで (1)
┣明治天皇のご誕生と激動の維新 (4)
┣西郷隆盛とのお若き頃の日々 (2)
┣明治天皇と立憲君主制 (6)
┣教育勅語に込められた陛下の願い (3)
┣戦時における陛下の大御心 (5)
┣大津事件での誠実なご対応 (2)
┣明治の終焉とその後 (4)
┗「明治の日」を実現しよう! (1)
第34回歴史講座 真説・忠臣蔵 (22)
┣「元禄赤穂事件」の真実 (7)
┣「水と油」だった浅野家と吉良家 (4)
┣「浅野vs.吉良」と「討ち入り」の本当の理由 (5)
┣「元禄赤穂事件」が「忠臣蔵」になるまで (4)
┗「隠されたメッセージ」を理解するために (2)
第35回歴史講座 人権法案の矛盾 (23)
┣人権法案に秘められた矛盾 (8)
┣治安維持法の真実 (4)
┣自治基本条例の恐るべき実体 (7)
┗今こそ問われる国民としての自覚 (4)
第36回歴史講座 山田方谷 (16)
┣山田方谷の誕生とその半生 (2)
┣方谷による財政改革の全容 (7)
┣他藩も参考にした方谷の改革精神 (2)
┣藩を救った改革とその後の方谷 (3)
┗「アベノミクス」成功の切り札として (2)
第37回歴史講座 北条時宗 (15)
┣元の建国 (3)
┣文永の役 (4)
┣弘安の役 (5)
┗「征夷大将軍」の重責 (3)
第38回歴史講座 乃木希典 (32)
┣「武人」乃木希典の青年期 (4)
┣連隊旗喪失の悲劇とその後の乃木 (5)
┣旅順攻略戦の苦悩・前編 (6)
┣旅順攻略戦の苦悩・中編 (4)
┣旅順攻略戦の苦悩・後編 (6)
┣奉天会戦、そして帰国後の乃木の決意 (3)
┗晩年の乃木将軍と殉死 (4)
第39回歴史講座 樋口季一郎 (20)
┣「エリート将校」の様々な横顔 (4)
┣オトポール事件 (6)
┣キスカ撤退作戦 (5)
┣占守島の戦い (3)
┗「誇りある決断」がもたらしたもの (2)
第40回歴史講座 西郷隆盛 (30)
┣若き日の西郷と藩主斉彬との出会い (6)
┣不遇の時代を乗り越えて討幕へ (5)
┣西郷の武士道精神を支えたものとは (6)
┣征韓論争にも見られた「武士道精神」 (5)
┣西南戦争に見られる西郷の「覚悟」 (5)
┗身は城山の露と消えても (3)
第41回歴史講座 鈴木貫太郎 (23)
┣「鬼貫」と呼ばれた男の半生 (5)
┣運命の「二・二六事件」 (4)
┣最難局での総理大臣就任 (6)
┣陛下のご聖断を導いた男 (6)
┗「鬼貫」の生き様から学ぶもの (2)
第42回歴史講座 黒田官兵衛 (14)
┣播磨で名を挙げた青年期の官兵衛 (3)
┣信長・秀吉との出会いと幽閉の日々 (4)
┣天下平定から朝鮮出兵への道のり (3)
┗家康への臣従と関ヶ原以後の官兵衛 (4)
第43回歴史講座 文部省唱歌の世界 (14)
┣講演編 (8)
┗歌唱編 (6)
第44回歴史講座 条約改正への道のり (28)
┣江戸幕府が結ばされた不平等条約 (8)
┣条約改正への道のり・前編 (7)
┣条約改正への道のり・後編 (5)
┗条約改正が我が国に残した大きな教訓 (8)
第45回歴史講座 大化の改新と壬申の乱 (23)
┣蘇我氏の横暴 (5)
┣大化の改新への道のり (5)
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┣「日本と韓国のほんとうの歴史」を学ぶにあたって (4)
┣日朝関係を悪化させた「不幸な行き違い」 (4)
┣朝鮮半島に迫る清国の影とロシアの魔の手 (8)
┣併合を決定づけた「運命の銃弾」 (5)
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┣朝鮮半島の統治における数々の真実 (7)
┣慰安婦問題の「日韓合意」について (7)
┗外国が絶賛した我が国の朝鮮統治 (3)
第59回歴史講座 東條英機 (41)
┣「軍人」東條英機が政治の舞台に登場するまで (6)
┣日米開戦を導いた「アメリカの思惑」 (7)
┣コミンテルンの謀略と東條首相の苦悩 (9)
┣大東亜戦争は「無謀な戦争」だったのか (9)
┗東條英機元首相の遺書 (10)
第60回歴史講座 日本外交史その壱 (29)
┣「小国」が始めたチャイナとの外交 (5)
┣「邪馬台国」と「倭の五王」の外交について (6)
┣聖徳太子がもたらした「対等外交」 (10)
┗「聖徳太子抹殺計画」の恐怖 (8)
第61回歴史講座 日本外交史その弐 (38)
┣遣唐使のはじまりとその後の中断 (11)
┣鑑真の渡日と刀伊の入寇 (9)
┣元寇で見せた「鎌倉武士の意地」 (8)
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┣秀吉の外交政策 ~「やられる前に、やれ」 (6)
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黒田裕樹

Author:黒田裕樹
(くろだ・ひろき)
社会人出身の教師(大阪府内の公立高校非常勤講師)です。歴史教育のブログ「黒田裕樹の歴史講座」を開設しております。
Birthday:S44.02.15(みずがめ座)
血液型:A型
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大阪市在住
広島東洋カープの大ファンです♪

教師としての専門科目:日本史、現代社会など
高校地歴・公民、中学社会の教員免許を所有

大阪・明星高校から関西大学法学部を卒業後、複数の司法書士事務所に勤務の後に教師になることを志し、通信教育で教員免許を取得。私立高校の社会科非常勤講師から私立大学の事務職員、大阪府立高等学校期限付常勤講師を経て、現在は大阪府内の公立高校で非常勤講師として勤務中です。

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植民地支配における過酷な真実 その2
では、西欧諸国やアメリカによって行われたプランテーションや、奴隷制度に代表される一方的な植民地支配に対して、我が国は日韓併合後に朝鮮半島をどのように統治(とうち)したのでしょうか。

こういう場合、一番分かりやすいのは国内における総人口の違(ちが)いを調査することです。もし我が国が朝鮮半島を植民地化して朝鮮の人々を強制的に労働させているのであれば、結果として人口が減少するのが当然ですからね。

日韓併合後に我が国が朝鮮半島を統治するために置いた朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)が記録として残した「朝鮮総督府統計年報」によると、併合した明治43(1910)年の朝鮮の人口は1,312万8,780人でした。一方、大東亜戦争末期の昭和19(1944)年では2,512万174人です。

わずか35年足らずで朝鮮半島の人口が倍増しているのです。植民地化で朝鮮人が被害を受けているのであれば減っていてもおかしくないのに、逆に2倍になっているのはどうしてでしょうか。




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【2011/03/31 12:00】 | 植民地支配における過酷な真実
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これは微妙ですね。
晴雨堂ミカエル
 人口の点は異議はありませんが、もう少し詳しいデータが必要かもしれませんね。
 太平洋戦争末期、「一億総玉砕」なんて言葉があったようですが、その一億は朝鮮半島の人間も入れて一億、「大和民族」は8千万程度だったと聞いています。
 いわゆる「朝鮮民族」は半島にどのくらい居たか、大和民族は半島にどれだけ流入していたか、このデータも合わせて提示されたほうが良いと思います。

 私の立場は、「植民地」ではないからといって、日韓併合を市町村合併と同じ感覚で軽く見てもらっては困るし、同時に欧米のアフリカ・南米・アジアの侵略・搾取と同列の「植民地」とされても違和感を抱く、そんな気持ちです。

 日韓の関係は、強いていえばイングランドとアイルランドの関係、旧ソ連のロシア共和国とバルト三国をはじめとした他の構成共和国の関係に近いかなと思っています。
 特に旧ソ連では連邦を構成する15の「共和国」は一応同格と法律で定められていますが、実態はロシアによる支配です。
 
 植民地といえば、法的にも実質的にも南洋庁が管轄していたマリアナやミクロネシアが当てはまるのですが、これらの地域では反日感情よりもむしろ親日が強く、現地語にも多くの日本語が溶け込んでいます。
 また、法的権利では朝鮮よりも低い地位だった台湾でも親日派がいる。その親日文化人はいま盛んに日本の保守を擁護されている。
 建前では同格にしていた朝鮮半島では激しい反日感情がある。皮肉ですね。


ぴーち
こんにちは!


そうですね。素人目の単なる推測で恐縮ですが、
太平洋戦争中の日本は一人でも多くの男子が生まれる事を望み、産めよ増やせよとばかりに
人口増加作戦が図られた様ですが、朝鮮もそういう意味では、日本の植民地ということで、同じ方針がしかれたのではないのかと思いました。
人口増加現象というのは、単に国が豊かであるからという事だけではなく、(むしろ、治安がよく国力が安定し、平和になると逆に人口が減るような?)
戦争などの有事の際にも、人口爆発が起こるものではないのかと思うのですが、いかがでしょうか。。?

応援凸

晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹
人口の点のみでは確かに説得力が弱いですね。
この後、別の面から植民地化の有無について検証することになります。

仰るとおり、台湾と朝鮮半島では事後の対応に大きな違いがありますね。

ぴーちさんへ
黒田裕樹
なるほど、確かにそういう一面も考えられますね。
ただ、これも仰るとおりなのですが、世の中が平和でないと人口は増えません。植民地化によって朝鮮の人々が迫害を受けているのであれば、寿命も延びるとは思えないのです。

いずれにせよ、人口以外の検証も必要になってきますね。次回以降で紹介します。


オバrev
う~ん、客観的データから欧米の植民地とは違うことは間違いないでしょうが、朝鮮半島の人達の受け取り方はどうだったんでしょうか?

論理的な整合性と感情はまた違うと思います・・・凄く困難なことかもしれませんが(^^ゞ

オバrevさんへ
黒田裕樹
> う~ん、客観的データから欧米の植民地とは違うことは間違いないでしょうが、朝鮮半島の人達の受け取り方はどうだったんでしょうか?
> 論理的な整合性と感情はまた違うと思います・・・凄く困難なことかもしれませんが(^^ゞ

確かに感情の問題は存在すると思います。
だからこそ、私たち日本側は逆に感情を排して冷静に事実を見つめなおす必要があるような気がします。
真実の見極めは今後も続きますよ。

初めまして
mugi
こちらのブログは以前から興味深く拝見させて頂きましたが、初めてコメントさせて頂きます。

 個人的にインド、中東史に関心があり、特に英国支配下にあったアイルランドやインドでは飢饉が頻発、凄まじい餓死者を出したことは知られています。日本統治以前の朝鮮半島の慢性的な貧困もまた、清朝の徹底した搾取にある。何しろ宦官や貴族の娘まで女官として“朝貢”していたほどで、これが自称「父の国」への対応でした。

 常に中国の属国状態であり続けた半島史上で、日本支配が例外的な平和をもたらしたのは明らかです。しかし、半島人が反日を国是やイデオロギーにするのは、結局小儒教主義に尽きるのです。民族のDNAにこれが組み込まれているし、儒教主義では元から男尊女卑で、跡継ぎの男児欲しさにバンバン子供を産む傾向がある。今でも大陸や朝鮮半島で、生まれてくる男女の比率は男が異様に高い実態から、それが伺えます。

 日本の朝鮮支配はアイルランドを参考にしたそうですが、アングロサクソンと違い実に手ぬるいとしか言いようがない。弱いと見れば付け上がり、強いと思えばひれ伏すのが人間なので、日本の半島支配の大失敗は建前では同格に扱ったことでした。シナ式に行えば、日本への憎悪は今よりは少なかったのではないでしょうか?島国で異民族との接触が極めて少なかった日本人の初心さが裏目に出たと思います。

mugiさんへ
黒田裕樹
お言葉有難うございます。
仰るような感情の問題が尾を引いているようですね。
日本人は良くも悪くも「お人よし」ですから、裏目に出ると辛いものがあるような気がします。

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植民地支配における過酷な真実 その1
植民地とは、一般的に「ある国からの移住者によって経済的に開発され、その国の新領土となって本国に従(したが)う地域のこと」を意味しますが、これが世界中で行われるようになったのは、いわゆる大航海時代(だいこうかいじだい)以降に西欧諸国(せいおうしょこく)が海外に乗り出し、アフリカやアメリカ大陸を中心に先住民(せんじゅうみん)への侵略(しんりゃく)を始めてからでした。

西欧諸国はアフリカやアメリカ、あるいはアジアの各地域の先住民を従わせて植民地化すると、本国の経済力を高めるために、先住民を奴隷(どれい)として強制連行したり、白色人種にとって都合の良い作物(さくもつ)ばかりを育てさせようとしたりしました。

例えば、ブラジルではサトウキビの栽培(さいばい)を広い範囲で行ったり、スリランカでは紅茶を栽培させたりしました。これらの利益のほとんどは本国が吸い上げ、先住民はそれこそ無給(むきゅう)に等しい状態で過酷(かこく)な労働を強(し)いられたのです。

なお、このような熱帯(ねったい)・亜熱帯(あねったい)地域の植民地において、奴隷や先住民の安い労働力を使って世界市場に向けた単一の特産的農産物を大量に生産することをプランテーションといいます。プランテーションはその国が輸出によって外貨(がいか)を獲得(かくとく)するための唯一(ゆいいつ)の手段となりますから、仮に自然災害(さいがい)などによって農産物が不作になれば経済が立ち行かなくなるという大きな問題を抱(かか)えています。

ちなみに、プランテーションという言葉は高校の地理で学習しますから、学生の皆さんは覚えておいて損はないですよ。




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【2011/03/30 12:00】 | 植民地支配における過酷な真実
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ご訪問&コメありがとうございました。
toda
10,000カウントにコメ頂きありがとうございました。
これからも面白い内容で頑張りますので宜しくお願い致します。
応援Pochiもしていきます。

todaさんへ
黒田裕樹
> 10,000カウントにコメ頂きありがとうございました。
> これからも面白い内容で頑張りますので宜しくお願い致します。
> 応援Pochiもしていきます。

こちらこそお言葉並びに応援下さってありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。


ぴーち
こんばんは!

この時代のブラジルは植民地として白人に虐げられていたんですね。
北京に続き、今度の2016年度のオリンピックは初のブラジル開催となると、これまでの慣例通り、ブラジルも先進国の一つの国として、発展していくのでしょうね。

これからはアメリカの時代ではなく、ブラジルが経済大国として持て囃される時代が目の前ではないでしょうか・

応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
> この時代のブラジルは植民地として白人に虐げられていたんですね。
> 北京に続き、今度の2016年度のオリンピックは初のブラジル開催となると、これまでの慣例通り、ブラジルも先進国の一つの国として、発展していくのでしょうね。
> これからはアメリカの時代ではなく、ブラジルが経済大国として持て囃される時代が目の前ではないでしょうか・

そうですね。オリンピックを開催できるのはそれだけの国家であるということですから、ブラジルもそう遠くない日にもっと国力が上がればいいですね。

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「日帝三十六年の真実」とは?
 「1910(明治43)年、日本は韓国(=大韓帝国、だいかんていこく)に対して併合(へいごう)を強要し、朝鮮半島を植民地化(しょくみんちか)しました。また、太平洋戦争(たいへいようせんそう)の末期には、数十万人の朝鮮人を日本へ強制連行して働かせました」。

以上は一般的な歴史教科書に掲載(けいさい)されている文章ですが、このうち日韓併合(にっかんへいごう)においては我が国が決して強制したのではなかったことは、平成22年8月の第18回歴史講座で紹介したとおりです。

では、我が国が朝鮮半島を自国の領土として併合した行為は、果たして「植民地化」を意味していたのでしょうか。また、大東亜戦争(だいとうあせんそう)末期において、我が国は本当に朝鮮半島の人々を強制連行したのでしょうか。

今回の講座では日韓併合後の歴史、すなわち北朝鮮(きたちょうせん)や韓国(かんこく、現在の大韓民国=だいかんみんこく)で一般的に呼称(こしょう)される「日帝(にってい)三十六年」の真実について、まずは「植民地化」の観念から探(さぐ)ってみたいと思います。


(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)



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【2011/03/29 12:00】 | 「日帝三十六年の真実」とは?
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ぴーち
こんにちは!

こうしてお話を伺っていると
教科書に載っていたから、それが事実であったと
思い込む事は危険な事なのかもしれないなと
感じました。
今、震災で飛び交っている色々な情報も、
中には事実がわん曲されて伝わってしまう
事があったりして、既に歴史の1ページとなって
しまった事でも改めて調べ直してみると新たな真実が浮上して来ることもある訳ですね。
今回、北朝鮮は震災の義援金10万ドルを送って来たそうですが、自分の国の白頭山もいつ爆発するかも分からないからという内容の言葉があった様ですね。これは素直にありがたいと思った方が無難なのかも知れませんが、本当に手放しで喜んで良いのかはこれからの動向次第かなとも思いました。
日本人のように「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」という発想はないのでしょうか。
政治的、歴史的な憎しみはとりあえず休戦し、震災に対しての純粋な哀悼の意であること
なら、北朝鮮に対する日本人の見方が少しは変わるかもしれませんね。


それでは、応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
> こうしてお話を伺っていると
> 教科書に載っていたから、それが事実であったと
> 思い込む事は危険な事なのかもしれないなと
> 感じました。
> 今、震災で飛び交っている色々な情報も、
> 中には事実がわん曲されて伝わってしまう
> 事があったりして、既に歴史の1ページとなって
> しまった事でも改めて調べ直してみると新たな真実が浮上して来ることもある訳ですね。

残念ながら仰るとおりであるといえます。
教科書のみならず、報道においても「メディアリテラシー」を身につけることが自身のためになりそうですね。

> 今回、北朝鮮は震災の義援金10万ドルを送って来たそうですが、自分の国の白頭山もいつ爆発するかも分からないからという内容の言葉があった様ですね。これは素直にありがたいと思った方が無難なのかも知れませんが、本当に手放しで喜んで良いのかはこれからの動向次第かなとも思いました。
> 日本人のように「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」という発想はないのでしょうか。
> 政治的、歴史的な憎しみはとりあえず休戦し、震災に対しての純粋な哀悼の意であること
> なら、北朝鮮に対する日本人の見方が少しは変わるかもしれませんね。

人道的な問題に関しては素直になりたいものですが、両国間には拉致問題をはじめとする大きな難関が立ちはだかっているのも事実です。
今回の支援が平和的解決への道筋となるのであれば歓迎したいのですが、そう簡単にはいかないと考えた方が良いのかもしれません。

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第24回「黒田裕樹の歴史講座」&ブログ2周年記念講演の報告
お蔭様で、第24回歴史講座並びにブログ2周年記念講演は無事に終了しました。前半と後半において入れ替わりはあったものの、前半は11名、後半は8名の皆様にご参加いただけました。

第24回の「日帝三十六年の真実 ~日韓併合後の歴史」については、従来の講座とは異なり、あえて歴史的事実の紹介を中心に行いました。個人的な感情を度外視した歴史的事実の積み重ねから導き出される結論について、皆様にお考えいただきたいと思ったからです。

逆に後半の記念講演については、これまでの「流れを重視した分かりやすい歴史」の展開を重視しました。内容はこれまでの歴史講座に関することが中心でしたが、数回分の講座を一気にふり返ったことで、より大きな「物語としての歴史の流れ」を紹介できたと自負しております。

第24回歴史講座の内容につきましては、10回に分けたうえで3月29日よりYouTubeの映像とともに更新を開始しますので、是非ご覧くださいますようよろしくお願いいたします。


本当の歴史のみが与えることが許される、素晴らしい感動を皆様へ―

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【2011/03/29 00:00】 | お知らせ
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オバrev
ブログ2周年記念講演無事終了おめでとうございます(^O^)

それにしても2年間、多分1日も休みなく、素晴らしい歴史講座を続けてこられたことに感服いたします。

ということは、黒田先生より3ヶ月ほど早く始めた私も、もう2年が過ぎてるんですね。

黒田先生の一貫した内容に比べて、私の記事は何が何だか分からない内容になってしまっているのがちょっと問題ありですが(´・ω・`)

ところで、黒田先生がPさんのブログにコメントされてましたが、「ある発表」って何ですか?(^_^;)真ん中ストレート~!

オバrevさんへ
黒田裕樹
> ブログ2周年記念講演無事終了おめでとうございます(^O^)

有難うございますm(_ _)m
2つの講演を無事に終了できて良かったです(^^♪

> それにしても2年間、多分1日も休みなく、素晴らしい歴史講座を続けてこられたことに感服いたします。
> ということは、黒田先生より3ヶ月ほど早く始めた私も、もう2年が過ぎてるんですね。
> 黒田先生の一貫した内容に比べて、私の記事は何が何だか分からない内容になってしまっているのがちょっと問題ありですが(´・ω・`)

仰るとおり、一日も休まずにここまで来れました。オバrevさんも長いですよね。
私のブログは特殊な「お勉強ブログ」ですから必然的に内容が一貫してしまいますが、オバrevさんのように幅広い内容で勝負(?)されるほうが本来のブログのあるべき姿だと思いますよ。

> ところで、黒田先生がPさんのブログにコメントされてましたが、「ある発表」って何ですか?(^_^;)真ん中ストレート~!

…そういえば新年度の季節ですよね。
月が替わればそのうち何らかの動きがあると思いますよ(爆)。

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桃山文化 その5
桃山文化の頃には、庶民の生活にも変化が現れました。農村で昔ながらの萱葺(かやぶき)屋根の平屋(ひらや)が普通であったのに対して、京都や大坂などの都市では二階建ての家や、瓦葺(かわらぶき)の家が見られるようになりました。

衣服では小袖(こそで)が一般に用いられ、男子は袴(はかま)を身に着けることが多く、肩衣(かたぎぬ)に裃(かみしも)を用いた簡単な礼服(れいふく)を用いる一方で、女子は小袖の着流しが普通になり、また男女ともに結髪(けっぱつ)するようになりました。食生活が朝夕の二食から三食になったのもこの頃のことです。

この時代に盛んになった南蛮貿易(なんばんぼうえき)によって、宣教師(せんきょうし)はキリスト教の布教の他に天文学や航海学・医学や地理学などの実用的な学問を伝えるとともに、油絵(あぶらえ)や銅版画(どうばんが)の技法ももたらしました。これらの技術によって、やがて日本人の手による西洋画の影響を受けた南蛮屏風(なんばんびょうぶ)が描かれるようになりました。

また、金属製の活字による活版印刷術(かっぱんいんさつじゅつ)が伝えられるともに印刷機も輸入され、キリシタン版や天草版(あまくさばん)と呼ばれたローマ字による日本語辞書や日本古典の出版などが行われました。

南蛮人によって我が国にもたらされた文化を南蛮文化(なんばんぶんか)といい、カステラやパン、カルタ、コンペイトウ、シャボンなどのように、外来語として今でも残っているものがあります。


※これで戦国、安土・桃山時代は終了です。明日(3月29日)からは第24回歴史講座の内容の更新を開始します。

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【2011/03/28 12:00】 | 桃山文化
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ぴーち
こんにちは!

今日は計画停電は免れましたが、夕方以降になるとネット状況が余り良く有りませんので、今の時間にお邪魔させていただきますね^^

この時代に二階建てや、瓦葺が登場したということは、自然災害(地震など)の影響は少ない時代でもあったのでしょうか・・

カルタは外来語だったんですね!(゜o゜;
確かに漢字では書きませんし、どういう意味で
付けられたのかと疑問には思ってはいましたが、
外来語なら、納得です(^^)v

それでは、応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
> 今日は計画停電は免れましたが、夕方以降になるとネット状況が余り良く有りませんので、今の時間にお邪魔させていただきますね^^

いつもご配慮いただいてありがとうございますm(_ _)m

> この時代に二階建てや、瓦葺が登場したということは、自然災害(地震など)の影響は少ない時代でもあったのでしょうか・・

二階建てや瓦葺は建築技術の進歩によるものですが、秀吉政権末期の1596年に京都や堺を中心に慶長伏見大地震が発生しており、多くの方々が亡くなられたり、あるいは被害を受けられたりされております。

> カルタは外来語だったんですね!(゜o゜;
> 確かに漢字では書きませんし、どういう意味で
> 付けられたのかと疑問には思ってはいましたが、
> 外来語なら、納得です(^^)v

そうなんですよね。
この当時の外来語が結構使われているということは、いかに多くの人々に浸透していったかということだと思います。
ちなみにカルタはポルトガル語が由来ですが、英語ではcard=トランプになりますね。

衣服の変遷。
晴雨堂ミカエル
 時代劇によって衣服や髪型の変化は異なりますね。烏帽子を省くようになった時期、月代を剃るのが常態化した時期、直垂や大紋から肩衣になった時期、さらに肩衣から裃になった時期、胡座から正座に変わった時期など。
 大河ドラマでも各々解釈が違います。

 私は女性の座り方を時代考証通りにするべきと常々思っています。江戸時代初期までは韓国と同じく片立て膝座りでしたから。
 「江」はあり得ない。

晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹
>  時代劇によって衣服や髪型の変化は異なりますね。烏帽子を省くようになった時期、月代を剃るのが常態化した時期、直垂や大紋から肩衣になった時期、さらに肩衣から裃になった時期、胡座から正座に変わった時期など。
>  大河ドラマでも各々解釈が違います。

確かに解釈によって異なりますね。
髪形については「戦国=茶筅髷」が定着しているようですが。

>  私は女性の座り方を時代考証通りにするべきと常々思っています。江戸時代初期までは韓国と同じく片立て膝座りでしたから。
>  「江」はあり得ない。

「江」については時代考証そのものがとてつもない状態になっていますからね。
現状では視聴率の低下もやむなし、といったところでしょうか。


しー
昨日から日本史の教科書を読み始めました!!
(弥生時代に入るところまでですがw)

…やはり、細かいですね。。。
見知らぬ単語が沢山…(д)

早くこっちに追いつくのが目標です^^

しーさんへ
黒田裕樹
> 昨日から日本史の教科書を読み始めました!!
> (弥生時代に入るところまでですがw)

いよいよ始まりましたね(^^♪

> …やはり、細かいですね。。。
> 見知らぬ単語が沢山…(д)

確かに単語の一個一個は難敵です。
でも、流れで歴史をとらえることができれば自然と頭に入るものですよ。

> 早くこっちに追いつくのが目標です^^
頑張りましょう(`・ω・´)
ちなみにブログの通史は今回の講座の後に江戸時代に入りますが、まだ教科書の半分なんですよね(´・ω・`)

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桃山文化 その4
この時代の大都市である京都や大坂、堺、博多などでは町衆(まちしゅう)と呼ばれた富裕な商工業者が文化の担(にな)い手となりました。堺の千利休(せんのりきゅう)は簡素(かんそ)かつ閑寂(かんじゃく)さが特徴(とくちょう)の侘(わ)び茶(ちゃ)の方式を完成させ、茶道(ちゃどう、または「さどう」)を確立しました。

茶道は豊臣秀吉や他の有力大名の保護を受けて大いに流行し、茶室の建築や茶器の発達をうながしました。なお、秀吉は1587年に京都の北野(きたの)で身分の上下を問わずに民衆(みんしゅう)を自由に参加させた北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)を行っています。

当時の庶民(しょみん)の娯楽(ごらく)としては、17世紀初めに出雲阿国(いずものおくに)が京都で始めたかぶき踊(おど)りが阿国歌舞伎(おくにかぶき)としてもてはやされ、これがやがて女歌舞伎(おんなかぶき)となりました。

また、琉球(りゅうきゅう)から伝えられた三味線(しゃみせん)が普及(ふきゅう)したことで、三味線を伴奏(ばんそう)に人形を操(あやつ)って演じる人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)も始まりました。他にも堺の商人の高三隆達(たかさぶりゅうたつ)が小歌(こうた)に節(ふし)をつけた隆達節(りゅうたつぶし)が民衆の人気を集め、盆踊(ぼんおど)りも各地で盛(さか)んに行われました。


(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)

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【2011/03/27 12:00】 | 桃山文化
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ぴーち
こんばんは!

こういう文化が盛んだったのは、江戸時代の長い平和が続いていた時期が主だったのかと思っていましたが、秀吉の時代も随分と花開いていたんですね^^
応援凸

ぴーちさんへ
黒田裕樹
> こういう文化が盛んだったのは、江戸時代の長い平和が続いていた時期が主だったのかと思っていましたが、秀吉の時代も随分と花開いていたんですね^^

そうですね。
世の中が平和であれば文化が育ちやすいとすれば、秀吉が天下統一を果たした頃もそうですし、また武力統一から来る力強さもあったといえるかもしれませんね。

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第24回「黒田裕樹の歴史講座」&ブログ2周年記念講演のお知らせ
(※3月11日に発生しました東日本大震災によって被災された皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、お一人でも多くの皆様がご無事でいらっしゃることをお祈りいたします。当ブログでは震災以後も通常どおりの更新を続けておりますが、ご理解いただきますようお願い申し上げます。)

いつも「黒田裕樹の歴史講座」をご覧いただきまして有難うございます。

昭和天皇の後篇である第23回「黒田裕樹の歴史講座」は、東京(2月19日)では8名、大阪(2月26日)では13名の皆様にご参加いただくことができました。

次回(第24回)は、昨年8月の第18回歴史講座の続編となる「日帝三十六年の真実 ~日韓併合後の歴史」を、3月26日(土)の午後3時30分より行います。

「1910(明治43)年、韓国(=大韓帝国)を植民地にした日本は、朝鮮半島の人々に多大な苦しみを与えました」。以上は一般的な歴史教科書によく出てくる表現ですが、これらは本当のことだったのでしょうか?

他国によるそれまでの一般的な植民地支配と照らし合わせながら、我が国が当時の朝鮮半島にもたらした「事実」を明らかにしていくことで、いわゆる「日帝三十六年の真実」について探ってみたいと思います!

本当の歴史のみが与えることが許される、素晴らしい感動を皆様へ―

第24回「黒田裕樹の歴史講座」
「日帝三十六年の真実 ~日韓併合後の歴史」
日時:平成23年3月26日(土) 午後3時30分より
場所:梅田東学習ルーム
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
会費:無料(カンパを受け付けます)

ブログをご覧の皆様も、よろしければ是非ご参加下さい。この記事のコメント欄をご活用いただければと思います。また、今回の講座の内容については、前回までと同様に、後日にはブログ上で映像とともに発表しますので、是非ご覧になって下さい。

なお、予約の都合上、当日の教室一覧(午後)の掲示板に「大阪読書研究会」と書かれているのが「黒田裕樹の歴史講座」の会場となります。ご注意下さい。

ところで、 第24回歴史講座の日(3月26日)に、当ブログは開設以来2周年を迎えます。これを記念して、講座に引き続き当日の午後6時から講演を行います。詳しくは追記をご覧下さい。

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いつも有難うございます。
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「分かりやすい歴史」「流れでとらえる歴史」「人物の生き様を見極める歴史」を目指して始めた当ブログは、3月26日で開設以来2周年となります。これを記念して、当日の午後6時から従来の歴史講座を基本とした講演を行わせていただくことになりました。

「思わず楽しくなる歴史の教え方」という演題で、教師復帰を目標とする私がこれまでのブログを通じて皆様にご紹介しました内容に関して、教える側に立ったうえで改めて見直します。

例えば、
○源頼朝の征夷大将軍へのこだわりで鎌倉幕府から明治維新の流れが分かる!
○経済の基礎が分かればたちどころに理解できる徳川綱吉と元禄小判の「本当の話」!
○儒教の毒が回った江戸の三大改革と、それを乗り越えようとした田沼意次の挑戦!


歴史教育というものは分かりやすさはもちろん、教え手である教師も楽しくなければ本当の面白さを生徒に伝えられるはずがありません。これまでのブログの2年間を通して、教壇に立つために自分なりに経験を積み重ねてきた「黒田節」を、いつもとは違う切り口で皆様にお楽しみいただければと思います!

ブログ「黒田裕樹の歴史講座」2周年記念講演
「思わず楽しくなる歴史の教え方」

日時:平成23年3月26日(土) 午後6時より
場所:梅田東学習ルーム
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
会費:無料(カンパを受け付けます)


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【2011/03/26 15:30】 | お知らせ
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土肥氏の感覚。
晴雨堂ミカエル
 毎週木曜日になると民主党の誰かが「辞任」するこの頃ですが、土肥氏もやってくれました。
 
 保守系市民から見れば理解に苦しむ非常識で言語道断の背任行為ですが、実は左派系市民の間ではさほど「非常識」ではないのです。
 おそらく左翼市民の多くは竹島は独島と思っているはずですよ。北方領土にしても「日本の領土ではなく、アイヌ民族の領土だ」と思っているでしょうから。善意と良心が出発点であるのは理解しているが、必要以上に日本というものを軽く見過ぎです。

 彼はキリスト教徒で護憲派市民、日ごろ支持者や仲間内での常識に慣れ過ぎて、世間の感覚から乖離していることに気づかないか、気づいても世間が誤りで自分たちが正義と思っているのでしょう。
 でないと、菅政権が窮地に立たされている時にあんな馬鹿なことはできないはずです。
 
 これで少しは自分たちが「カルト」である自覚を持てばいいのですが、「カルト」が自ら「カルト」なんて思わないものですから、駄目でしょうね。

晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹
なるほど、今回の事件には仰るような背景があるのですか。
勉強になりました。有難うございます。

補足。
晴雨堂ミカエル
 念のため補足します。同じ左翼でも共産党と旧社会党系は全く性格は異なります。
 
 共産党は早くから安保闘争や学生運動とは袂を分かち逆に学生運動を潰しにかかりました。
 文化大革命の幻想にも早くに気づき中共とは断行しました。北朝鮮とも距離を置き、あまり知られていませんが拉致問題についても早くから問題視していました。(声高に主張しないところが共産党らしい保身術です)
 
 それとは逆に旧社会党系は中国や北朝鮮に接近し過ぎました。学生運動にも幻想をもっている人間は多々います。ですから、保守から見れば「左翼」で一緒くたにしますが、旧社会党系は「共産党は自民党よりも保守政党だ」と非難し、共産党は「社会党は軟弱で空想的」と軽蔑、保革の対立以上に敵視し合う関係です。
 
 良く言えば共産党は堅実な党利益中心の現実主義で、旧社会党は保守に傾いたり極左的になったり左右に蛇行する空想主義的な面があります。

晴雨堂ミカエルさんへ その2
黒田裕樹
そういえば今回に限らず最近の政局で共産党の考えは一貫していますね。
ブレないというのが政治の基本の一つでもありますし、一定の支持率を保っている理由の一つなのでしょうか。

補足2
晴雨堂ミカエル
 面白いデータがあります。データというより、友人知人の例なのですが、共産党はけっこう「世襲」があります。
 
 世襲といっても、親が国会議員だったら息子も国会議員になるというのは自民党ほど多くはありませんが、労組活動を展開したり、左翼系ジャーナリストになったり、平和運動を展開したり、生協活動をやったりと、親の主義主張を引き継ぐ事は多いのです。
 
 ところが旧社会党系の活動家たちは、子供に引き継がすことに失敗しています。子供は引き継ぐどころか、180度反対の思想に傾倒する。親の矛盾を間近に見ているせいでしょうね。言うている事とやっている事が違うという場面を目撃するからです。

管理人のみ閲覧できます
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晴雨堂ミカエルさんへ その3
黒田裕樹
色々と情報を提供下さって有難うございます。
今は我が国自体が危急存亡のときです。こんな時こそ超党派で一人でも多くの生命を救いたいものですね。

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管理人のみ閲覧できます
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mochimochi
震災の影響を受けた方に心からお見舞いを送りたいと思います。自分が出来る救助をしたいと思います。

私たち生き残った者は、力を合わせて日本再生に力を尽くしたいと思います。それには、正しい歴史を知る必要があります。
日本再生を見ずにお亡くなりになった人達のためにも、頑張りたいと思います。

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桃山文化 その3
(※お蔭様で、当ブログは本日[3月26日]で開設以来2周年を迎えました。皆様のご支援に心から感謝申し上げます。)

城郭には建築や絵画・彫刻など、桃山文化を結集した象徴的な要素が散りばめられていました。城の内部には書院造(しょいんづくり)をとり入れた居館(きょかん)が設けられ、広間(ひろま)には彫刻や濃絵(だみえ)の豪華な障壁画(しょうへきが)が描(えが)かれました。

なお、濃絵とは金箔(きんぱく)をはりつめた画面に青や赤、あるいは緑などの原色を彩色(さいしょく)したものです。また、欄間(らんま)には花鳥(かちょう)の透(すか)し彫(ぼり)が彫刻されました。

障壁画の中心となったのは狩野派(かのうは)であり、狩野永徳(かのうえいとく)は室町時代に盛んになった水墨画(すいぼくが)と我が国古来の大和絵(やまとえ)とを融合(ゆうごう)させて、新しい装飾画(そうしょくが)を大成させ、洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)や唐獅子図屏風(からじしずびょうぶ)などの作品を描きました。

また、門人(もんじん、いわゆる弟子のこと)の狩野山楽(かのうさんらく)は松鷹図(しょうようず)や牡丹図(ぼたんず)などを描き、同じ頃に海北友松(かいほうゆうしょう)や長谷川等伯(はせがわとうはく)らも優(すぐ)れた作品を描きました。

この他、彫刻ではそれまでの仏像彫刻が衰(おとろ)えて欄間彫刻(らんまちょうこく)が盛んとなり、家具調度品(かぐちょうどひん)として豪華な意匠(いしょう、デザインのこと)の蒔絵(まきえ)が施(ほどこ)されました。


(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)

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【2011/03/26 12:00】 | 桃山文化
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ぴーち
こんばんは!

ブログ2周年、おめでとうございます!v-308
これからも是非歴史を学ぶ楽しさを流布してくださいね^^
陰ながら、応援させていただきます!

応援凸

祝・二周年
クラチー
二周年、おめでとうございます!
これからも、歴史の奥深さ・楽しさを、
人々に広めていってください。
応援しています!
(>ω<)ノシ

ぴーちさんへ
黒田裕樹
お言葉有難うございます。
今日の講座並びに記念講演も無事終了しました。
より一層の内容の充実を目指してこれからも頑張ります!

クラチーさんへ
黒田裕樹
有難うございます。
歴史好きのクラチーさんからのお言葉は励みになります。
今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m

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桃山文化 その2
桃山文化を代表するものとして、城郭建築(じょうかくけんちく)が挙げられます。鉄砲の伝来によって、それまでの山城(やまじろ)に籠(こも)っていても遠くから狙(ねら)い撃(う)ちされる危険が高まったことで、この時代の城郭は平地に造られるようになりました。

しかし、平地に城を造れば攻め込まれやすいという欠点があったため、城の周囲に幾重(いくえ)にも堀(ほり)や土塁(どるい)をめぐらすことで防御力を高めました。また、城の本丸(ほんまる)には重層(じゅうそう)の天守閣(てんしゅかく)を設けました。

こうして造られた城郭は、単なる防塁(ぼうるい)としてだけではなく、邸宅(ていたく)や政庁(せいちょう)を兼ねるようになりました。この頃の代表的な城郭としては安土城(あづちじょう)や大坂城(おおさかじょう)・伏見城(ふしみじょう)・姫路城(ひめじじょう)などが知られています。

このうち姫路城はその美しさから別名を白鷺城(はくろじょう、または「しらさぎじょう」)とも呼ばれ、また江戸時代初期の建築物が現存していることもあって、平成5(1993)年に世界遺産として登録されています。


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【2011/03/25 12:00】 | 桃山文化
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ぴーち
こんにちは!

城郭と呼ばれる城は、これまでの色々な知恵を集結させた結果であった訳なんですね^^
姫路城は仰る通り、白鷺城と呼ばれる程にその姿の美しさには定評がある様ですが、実際に目の前で拝見した事が無いのでとても残念です(;_;)
お城と言えば、昔、福島の会津若松・鶴ヶ城に出向いた事がありましたがやはり目の前で見るお城は貫禄がありますよね♪
黒田さんはやはりいくつもお城は見て回られている事でしょうね^^

応援凸

姫路城は江戸城に。
晴雨堂ミカエル
 時代劇では姫路城の天守閣を江戸城に見立ててロケが行われました。子供の頃、それを指摘したのですが、周囲は信じてくれなくて歯噛みしたものです。江戸城には天守閣は無いと言ってもダメでした。江戸城と皇居の関係を知らぬ大人も多かった。きちんと説明したつもりなのに、子供(小学校低学年)の意見はこれ程までに軽んじられるのかと悔しい思いをしたものです。今は逆ですが。
 人間というのは、本能的に目下の人間を割引で見てしまうものです。
 
 今の時代劇なら姫路城を江戸城に見立てる事はせず、CGでリアル復元した江戸城をだすでしょう。 ただ、白の内部や守備兵が狭間から鉄砲を撃つ場面などは今でも姫路城は需要がありますね。


ぴーちさんへ
黒田裕樹
> 城郭と呼ばれる城は、これまでの色々な知恵を集結させた結果であった訳なんですね^^
> 姫路城は仰る通り、白鷺城と呼ばれる程にその姿の美しさには定評がある様ですが、実際に目の前で拝見した事が無いのでとても残念です(;_;)
> お城と言えば、昔、福島の会津若松・鶴ヶ城に出向いた事がありましたがやはり目の前で見るお城は貫禄がありますよね♪
> 黒田さんはやはりいくつもお城は見て回られている事でしょうね^^

姫路城は雄大ですからねぇ。よくぞ幾多の危機を乗り越えてくれたものです。
お城めぐりは昔から良く行きますが、皇居近辺は行ったことがないんですよね。
一般参賀に参加してみたいものですが…。

晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹
江戸城に天守閣がないのは意外と盲点のようですね。
焼け落ちた後に必要としなかったのは、それだけ平和な時代だったからでしょうか。

「暴れん坊将軍」などでは一話につき一回は姫路城が出ていましたね。
今も昔も時代劇の名ロケ地です。

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桃山文化 その1
織田信長や豊臣秀吉が政治の実権を握(にぎ)った頃のことを、それぞれの居城(きょじょう)の名前にちなんで安土・桃山時代(あづち・ももやまじだい)といい、この時期の文化を桃山文化(ももやまぶんか)といいます。

この当時は戦国時代を勝ち抜いた新興大名や、戦争や貿易によって巨万の富を得た豪商(ごうしょう)たちが文化の担(にな)い手となりました。そんな桃山文化の特色は、新興勢力の気風にあふれた新鮮味あふれる豪華(ごうか)で壮大(そうだい)かつ華麗(かれい)なものでした。

また、信長や秀吉の政策によって勢力の衰(おとろ)えた寺院勢力の影響を受けて仏教色が弱まったことで、現実的で力感のある絵画や彫刻などが多く制作されました。

さらにはポルトガル人の来航によって西欧文化(せいおうぶんか)との接触(せっしょく)が始まったことにより、桃山文化はそれまでにない多彩なものとなりました。


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【2011/03/24 12:00】 | 桃山文化
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そういえば・・。
晴雨堂ミカエル
 海外との交渉が盛んになると、巨大かつ高層の建物を造りたがる傾向が日本にありますね。

 奈良の都に五重の塔、浪速の町に大坂城、明治以降の高層建築群。

 海外との付き合いが乏しくなると、地味で平屋傾向になるような気がします。


ぴーち
こんばんは!

確かに歴史ドラマなどをたまに見ていると
秀吉の着物などは豪華絢爛な色調が多かったように記憶しています。(記憶違いなら、すみませんm(_ _)m)
屏風絵などもキンキラキンv-352
で華麗なイメージがあります(^^)v

応援凸

晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹
>  海外との交渉が盛んになると、巨大かつ高層の建物を造りたがる傾向が日本にありますね。
>  奈良の都に五重の塔、浪速の町に大坂城、明治以降の高層建築群。
>  海外との付き合いが乏しくなると、地味で平屋傾向になるような気がします。

言われてみれば、確かに時期が一致していますね。
「我が国だってこれくらいのものはつくることができる」という島国根性でしょうか。
それはそれで良いことだと思います。

ぴーちさんへ
黒田裕樹
> 確かに歴史ドラマなどをたまに見ていると
> 秀吉の着物などは豪華絢爛な色調が多かったように記憶しています。(記憶違いなら、すみませんm(_ _)m)
> 屏風絵などもキンキラキンv-352
> で華麗なイメージがあります(^^)v

仰るとおり、後年の秀吉のイメージがそのまま桃山文化を象徴していますね。
これから数回にかけて桃山文化を紹介しますが、その豪華さは出色(しゅっしょく)ですよ(^^♪

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