これらの点に着目した秀吉は、イスパニアと我が国とが同盟を結んで両国が共同して明を征服し、戦後は明国内でのカトリックの布教を許す代わりに、イスパニア所有の外航用の軍艦を売却してもらうという条件を示すことによって、外交によるイスパニアとの妥協(だきょう)を目指しましたが、武力による我が国の侵略を断念していなかったイスパニアに拒否されてしまいました。
進退窮(きわ)まった秀吉は、自分自身がイスパニアよりも先に明を征服してしまう以外に、我が国が侵略から免(まぬが)れる方法はないと覚悟を決めました。先述した数十万の兵力や鉄砲による強大な火薬力を投入すれば、我が国単独での中国大陸の征服も不可能ではないと考えたからです。
秀吉のこうした決断は、天下が統一されたことで今後の領土獲得の機会を失い、力を持て余(あま)していた兵士たちに好意的に迎えられました。古代マケドニアのアレクサンドロス大王や、モンゴルの英雄チンギス=ハーンがかつて挑(いど)んだ、巨大な兵力を持つ人間が当然のように行う遠征(えんせい)という名の道を、彼らと同じように秀吉も歩み始めたのでした。




いつも有難うございます。
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風早 りら 秀吉が 何故 明を征服しようとしたか
今まで 不可解でした
先生のご説明で 理解出来そうです
有難う御座います
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 秀吉が 何故 明を征服しようとしたか
> 今まで 不可解でした
> 先生のご説明で 理解出来そうです
> 有難う御座います
こちらこそ、お言葉有難うございます。
明へ攻め込むのにもそれなりの理由があります。
何が何でも「侵略」と決めつけるのではなく、その原因を探ることで、本当の歴史が見えてくるんですよね。
重要な問題です。
晴雨堂ミカエル 秀吉が単純な権勢欲や征服欲にかられてキリスト教を弾圧したり朝鮮出兵を行ったかのように時代劇は描かれがちです。世界情勢は殆ど描かれていません。
どういう訳か、嬉々としてサンタ・マリア号の復元船に乗り込む日本人がいるように、西洋の歴史観に毒されています。この点に限っては、朝鮮や中国の歴史教育は健全でしょう。日本は精神的にアメリカの植民地です。
家康が征夷大将軍のポストに執着したのも、単に「武家の棟梁」というだけでなく、対外的には夷狄である南蛮人の楯になる意図があったように思います。内政では南蛮人の存在を征夷大将軍就任の根拠になったのではないか、と。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 > 秀吉が単純な権勢欲や征服欲にかられてキリスト教を弾圧したり朝鮮出兵を行ったかのように時代劇は描かれがちです。世界情勢は殆ど描かれていません。
> どういう訳か、嬉々としてサンタ・マリア号の復元船に乗り込む日本人がいるように、西洋の歴史観に毒されています。この点に限っては、朝鮮や中国の歴史教育は健全でしょう。日本は精神的にアメリカの植民地です。
「日本」史の一番悪い面が出ていますね。
日本の歴史ではあっても海外にも常に目を配らなければいけないはずなのに、我が国主体の動きだけでお茶を濁そうとする。特に「地球市民」を標榜される方々であれば、地球レベルの動きはお得意のはずなのですが。
> 家康が征夷大将軍のポストに執着したのも、単に「武家の棟梁」というだけでなく、対外的には夷狄である南蛮人の楯になる意図があったように思います。内政では南蛮人の存在を征夷大将軍就任の根拠になったのではないか、と。
なるほど、確かにそのような一面がありますね。平和主義者らしい家康の考えだと思います。
戦国バブル
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
作家の堺屋大一氏は、秀吉の朝鮮出兵は
戦国バブルで、明を攻めることが理由だと語っていました。
どういうことかというと
どこの戦国大名も、立身出世を前提にして、組織が成長することを前提に家臣を雇っているので
過剰人員状態でした。
日本国内は、天下が治まって、領土を広げることができないからです。
だから、秀吉の海外進出は、秀吉個人の考えというよりも、秀吉政権の体質のようなものですね。
(それは、秀吉自身、まだ、部下を持てる身分ではない時から、部下を持ったことからも宿命のようなもの。)
その余剰人員を大名の改易・断絶というカタチで
徹底的に行ったのが、徳川家康・秀忠・家光です。
たしかに、リストラをする人間は、嫌われますね。ただ、それをしないと、秀吉のように拡大戦略で、そのうち、組織が崩壊します。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと思います。
秀吉の失敗を教訓に、またしても家康が「歴史に学んで」政策を行った結果ですね。
だからこそ家康は嫌われるんですが、同時に我が国での平和が達成される大きな原因にもなっています。