国内の統一が進むにつれて海外との南蛮貿易(なんばんぼうえき)も盛(さか)んとなり、豪商や西日本の大名らはこぞって海外へと進出していきました。
秀吉も貿易での莫大(ばくだい)な利益を目指して貿易に積極的に乗り出し、1588年に海賊取締令(かいぞくとりしまりれい)を出して倭寇(わこう)を取り締(し)まることで海上における支配を強化し、京都・堺・長崎・博多などの商人を援助(えんじょ)して貿易の保護と促進(そくしん)をはかりました。
当時の我が国は銀の産出が豊富であり、秀吉はこれらの天然資源を活かして東アジアの諸国と積極的に貿易を行いました。また、この頃には中国を支配していた明(みん)の国力が衰(おとろ)えており、世界情勢の変化を見抜いた秀吉は、我が国を中心とする東アジアの新しい秩序(ちつじょ)をつくることを視野に入れ、高山国(こうざんこく、現在の台湾)やゴアのポルトガル政庁(せいちょう)、マニラのイスパニア(=スペイン)政庁などに服属(ふくぞく)と朝貢(ちょうこう)を求めました。
しかし、明の衰退(すいたい)に対して新秩序を構築(こうちく)していたのは秀吉だけではありませんでした。全国統一によって数十万の兵力や鉄砲(てっぽう)による強大な火薬力を誇っていた我が国でしたが、その力を国内防衛にために使用するのか、あるいは攻められる前に先制攻撃(せんせいこうげき)を行うのか。遠く西洋の巨大な王国との抜き差しならない戦いが、秀吉の目の前に迫りつつありました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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天然中尉 黒田裕樹殿へ
ついに明日でございますな。楽しみで楽しみでしかたがござりません。
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> ついに明日でございますな。楽しみで楽しみでしかたがござりません。
私も楽しみです。
明日はよろしくお願いします。