要するに、安心して検地を行えるようにするために農民から武器を取り上げたわけですが、そうであっても支配者の武力が弱ければ、足元を見た農民たちは抵抗を続けたことでしょう。秀吉のように、天下を統一してそれこそ数十万の兵力を持つようになったことで、初めて農民も抵抗をあきらめて検地や刀狩に黙(だま)って従(したが)ったのです。
また、秀吉は1591年に人掃令(ひとばらいれい、別名を身分統制令=みぶんとうせいれい)を出して、武士が町人や農民になったり、あるいは農民が商業を行ったりすることなどを禁止しました。これによって兵農分離(へいのうぶんり)が進むとともに、江戸時代における士農工商(しのうこうしょう)の身分制度の基礎が確立しました。
もっとも、中世の惣村(そうそん)によって発達した自治的な村の運営は太閤検地後も続けられ、年貢を村の責任で一括(いっかつ)して納める村請(むらうけ)の制度も江戸時代に受け継がれました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
この当時の「刀狩り」制度は、現代の
銃砲刀剣類等所持取締法という制度で残されていると考えて良いのでしょうか?
人掃いとはこういう字をあてるのですね。
私はよく時代劇で内密な話をする時に
「どうかお人払いを」と依頼する場面が
ありますが、そちらの「人払い」かと
思いました(^_^;)
すみません。。とんちんかな話で(ノ∀`)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > この当時の「刀狩り」制度は、現代の
> 銃砲刀剣類等所持取締法という制度で残されていると考えて良いのでしょうか?
目的としては「治安の維持」は同じであっても、当時の「農民から武器を取り上げる真の理由」である「一揆の防止」というところが異なりますでしょうか。
まぁ結果としては同じことにはなりますね。
> 人掃いとはこういう字をあてるのですね。
> 私はよく時代劇で内密な話をする時に
> 「どうかお人払いを」と依頼する場面が
> ありますが、そちらの「人払い」かと
> 思いました(^_^;)
> すみません。。とんちんかな話で(ノ∀`)
いえいえ(^^♪
時代劇の「お人払い」の字はこれで正解ですね。
「人払」も「人掃」も意味は同じですが、歴史用語としては「人掃令」と書かないといけないんです。
ややこしいですよね(´・ω・`)
オバrev 刀狩りをして農民から武器を取り上げたり、人掃い令をだして兵農分離をしたりということから、秀吉の出目については、農民のことをよく分かっていたからこそやったということで、百姓ではないかと推測しますが、いかがでしょうか?
sakura1956 お久しぶりです。
テストがあったもので。
士農工商は兵農分離が進んで確立したんですか・・。
知りませんでした。。。
参考になりました(^^;)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 刀狩りをして農民から武器を取り上げたり、人掃い令をだして兵農分離をしたりということから、秀吉の出目については、農民のことをよく分かっていたからこそやったということで、百姓ではないかと推測しますが、いかがでしょうか?
仰る説は昔から有力視されていますね。
当事者だからこそ、立場がよく分かるものです。ただ、最近では「地侍だった」という説もありますし、よく分からないのが実情のようですが、以前に書かせていただきましたように、通常の武士ではなかったことは間違いないとにらんでいます。
sakura1956さんへ
黒田裕樹 > お久しぶりです。
> テストがあったもので。
テストお疲れ様でしたm(_ _)m
無事に終わりましたか?
> 士農工商は兵農分離が進んで確立したんですか・・。
> 知りませんでした。。。
> 参考になりました(^^;)
歴史の結果には必ず原因があります。
兵農分離が進んだからこそ、身分の違いがはっきりと分かるようになったんですよね。
こういう観点から理解していけば、忘れにくいんですよ(^_^)v
アクセス10万、おめでとう。
晴雨堂ミカエル 身分制度については、詳しく知りたいものですね。
一口に士農工商といっても、大百姓は苗字帯刀を許されただけでなく、姿も士分風の者がいたそうですし。逆に郷士の中にはどうみても農民にしか見えない者もいたそうですから。現代人が考えているほど明確厳格な階級制度ではなかったようです。
江戸時代の日本は3百の小国の連合国家みたいなものですから、当然地域差もあったでしょう。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 アクセス数へのお言葉有難うございます。本日(17日)、記念の更新をいたします。
> 身分制度については、詳しく知りたいものですね。
> 一口に士農工商といっても、大百姓は苗字帯刀を許されただけでなく、姿も士分風の者がいたそうですし。逆に郷士の中にはどうみても農民にしか見えない者もいたそうですから。現代人が考えているほど明確厳格な階級制度ではなかったようです。
> 江戸時代の日本は3百の小国の連合国家みたいなものですから、当然地域差もあったでしょう。
そうですね。身分制度といっても地方に関してはその規制は緩かったようです。八王子千人同心のような人々もいましたからね。このあたりについて、一度ゆっくり研究したいものです。