秀吉は、先述した墨俣築城において現地の土豪に協力を仰(あお)いだことや、三木城(みきじょう、現在の兵庫県)や鳥取城(とっとりじょう)の攻略において、現地の商人から兵糧(ひょうろう)をすべて買い取って兵糧攻めにしたり、高松城(たかまつじょう、現在の岡山県)の攻略では現地が低湿地帯(ていしっちたい)であることを見抜いて城の周りを水没させる水攻めにしたりするなど、通常の武士では考えもつかない策を次々と実行していきました。
これらの献策(けんさく)が能力主義を第一とする信長から高く評価され、1582年の毛利家(もうりけ)の攻略(=先述の高松城攻め)の頃には羽柴秀吉(はしばひでよし)と名乗り、姫路城(ひめじじょう)の主(あるじ)として立派な大名となっていました。
しかし、その毛利攻めの総仕上げとして信長を現地まで招(まね)いたことが仇(あだ)となり、旧暦6月1日の深夜に信長が明智光秀(あけちみつひで)によって本能寺で殺されるという凶事(きょうじ)が発生してしまいました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
百姓・・・
そうですか。もしも百姓の出であったとしたら、
自然の摂理や、現象、土地の状況などに精通していても不思議では無かったのでしょうね。
百姓とは、森羅万象、ありとあらゆる知識を把握している人である意味もあるそうですね^^
まあ、実際的にはそこまでの博識の方は居ないとは思いますがそれでも、自然が相手なので、知識は豊富な程良いでしょうね。
プライドの高い武士の出では無かったからこそ、苦労にも耐える事も出来たし、地形や土地の様子も把握出来たのでしょうね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、百姓には百姓独自の観点というのがありますから、根っからの武士とは全く違う発想が見受けられますね。
プライドを感じさせないあたりもいかにも秀吉らしいです(^^♪
オバrev 今日、池上彰さんの番組で、親日国家としてトルコを取り上げ、エルトゥールル号の話をしていました。
もちろん黒田先生の歴史講座受講生としては、知っていて当然の話でしたけどね(エ?
兵糧攻めや水攻めは、育ちが違い、物の見方も考え方も違う秀吉だからこそでた発想だったんですね。
先日も某グループの新年会でちょっと畑の違う人間と話をしたんですが、我々仲間の悩みってのが、彼から見れば、それはチャンスじゃないかと指摘されました。まさに目から鱗(@_@)
しかし、その秀吉の才能をうまく生かし切った信長もまた大したもんですが、本能寺で殺された時に、秀吉に招かれていたとは知りませんでした。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 今日、池上彰さんの番組で、親日国家としてトルコを取り上げ、エルトゥールル号の話をしていました。
> もちろん黒田先生の歴史講座受講生としては、知っていて当然の話でしたけどね(エ?
それは光栄です(^o^)/
私も今まで努力してきた甲斐があったというものですね(^_^)v
> 兵糧攻めや水攻めは、育ちが違い、物の見方も考え方も違う秀吉だからこそでた発想だったんですね。
> 先日も某グループの新年会でちょっと畑の違う人間と話をしたんですが、我々仲間の悩みってのが、彼から見れば、それはチャンスじゃないかと指摘されました。まさに目から鱗(@_@)
異業種同士の交流は貴重ですからね。
同じ仲間だとどうしても視野が限られますから、他人に見えるものが見えてこないということはよくあります。
> しかし、その秀吉の才能をうまく生かし切った信長もまた大したもんですが、本能寺で殺された時に、秀吉に招かれていたとは知りませんでした。
中国攻めにおいて、秀吉は毛利家が降伏する一歩手前まで追いつめていました。しかし、ここで自分ひとりの手柄としてしまうと、他の家臣の中で自分が突出してしまうことで信長に警戒されることを恐れたんです。そこで、最後の仕上げを信長に譲ることで自分を低く見せようとしたんですね。秀吉の誘いを喜んで受けた信長は先導役として光秀軍を派遣したのですが、それが仇となって光秀に討たれてしまったのです。
まさに一寸先は闇ですね。
HANA子 こんばんは~! またしてもご無沙汰してました
実は! 系の陰謀説も歴史のifとならんでロマン(?)の一つですが、秀吉による信長謀殺説も語られることの少なくない一説の一つですね
いち早く…では説明の付かない程早かった信長死亡の把握に大返しの尋常でないスピード
誰にも邪魔させずに光秀を撃破した手腕も「もしかしたら・・・」と思わせるような、その、アレですし
架空歴史モノ小説ではそれなりに書き古されたネタですが、やっぱりそれでもこれだけでどんぶりご飯が美味しくいただける魅力がありますね~
歴史学の本道からは外れちゃうかもしれませんが、そんな愉しみ方、けっこう大好きです
それもやはり、それだけ様々な人々から色々な意味で愛されている三英傑だからこそでしょうか
HANA子さんへ
黒田裕樹 本能寺の変にはいろんな説がありますよね。
私の見解は一昨年8月の第4回歴史講座で紹介したように「光秀の突発的な単独犯行」ですが、仰るような楽しみ方も歴史研究の醍醐味です。