しかしながら、拡大解釈をいつまでも続けていては、かつての明治憲法における統帥権干犯のような、問題があると思われる解釈がまかり通ることによって、悲劇(ひげき)が繰(く)り返されるという可能性も十分に考えられます。
また、永住外国人に地方参政権を与える法案など、我が国の主権にかかわる法律の可否は、国民全体で広く議論する意味においても、憲法改正によって決着をつけるべきでしょうし、何よりも主権国家であるはずの我が国が、GHQによって無理やり制定させられたという苦(にが)い歴史の産物である日本国憲法を、そのままのかたちでいつまでも受けいれる必要があるといえるのでしょうか。
過去の歴史に決着をつけ、我が国が新しく生まれ変わるためにも、自主的な憲法改正が望まれるところであると私は考えます。
(※第22回歴史講座の当日の内容はこれで終了ですが、次回に補足の記事を載せます。)




いつも有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 憲法もさることながら、条約などの国際法規も拡大解釈はよく行われます。その代表的な例が日韓条約でしょう。
むかし、知人の在日コリアン氏らと飯を食べたとき、日韓条約や従軍慰安婦の話題になりました。
もちろん、私は従軍慰安婦の問題は日韓条約で決着済みなので蒸し返すのは良くないと主張、同席していた人々全員から失笑と顰蹙をかい、反論非難の集中砲火を受けました。
意外に在日コリアン氏の批難は柔らかかったのですが、「間違っている」「国益優先の考えは理解しているが」と言われました。同席の左翼系日本人たちも彼に同調されました。(左翼系日本人がかえって在日コリアン以上に過激発言になる事が多々ある。在日コリアンから良く思われたい気持ちがあると私は疑っています)
違和感を持ったのは、「間違っている」と言い切られた事。どう考えても「間違っている」と否定されなければならないほど論理的にも道義的にも逸脱も破綻もしているとは思えない。
たしかに「国益」の問題も考慮してはいるが、私が一番に問題にしたのは、日韓条約という国と国とが交わした契約・法規を拡大解釈する屁理屈が罷り通ってしまったら、現行憲法の9条でも十分再軍備核武装が可能になってしまうぞ、ということでした。周囲は軽蔑の表情で「はあ?」という反応でした。
みんな、あまりにも自分の理屈しか考えない。近視眼的考察にはうんざりです。それでよく多様性社会云々を主張できるものです。
多様性を許容しているのは、むしろ保守中道ではないか、左翼系が忌み嫌う皇室が許容しているのではないか。
皇太子殿下の愛読書はロマン・ロランと聞いていますが、保守で学生運動を弾圧した亀井静香氏がチェ・ゲバラを尊敬していると同じくらい驚きです。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 拡大解釈に慣れきっていると、仰るような「自分独自の拡大解釈」が当たり前になり、結果として周囲が見えないという悪影響をもたらしているようですね。
我が国のはっきりとした主張を明らかにするためにも、拡大解釈に頼らない真摯な議論を望みたいものです。
ぴーち こんばんは!
今日のお話の内容を伺って
少々違う方向へ話が転換してしまいますが、日本の国歌、すなわち「君が代」の事を思い浮かべてしまいました。
君が代も、長い間日本の国歌として親しまれて来た反面、君=天皇を指す言葉として、軍国主義を色濃く象徴している内容だ・などと制定にあたり賛否両論の意見が飛び交って来ましたが、正式に国歌として制定されたのは、ほんの数十年前の話です。
一度はっきり制定されたのなら、(中には真っ向から反旗を翻す方もおりますが、)それに従い遂行されていくものです。
その意味でも、黒田さんの仰るとおり、拡大解釈せずに、しっかり憲法として制定されるべきだと思いました。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、日の丸や君が代も法制化によって正式に国旗や国歌として認知されるようになって、学習指導要領における教育面でもはっきりと規定されるようになりました。この効果は非常に大きなものがあるといえるでしょう。
同じように、今日では拡大解釈によってでしか認められていない、あるいは拡大解釈によって真意が捻じ曲げられている問題においても、憲法改正によってはっきりと黒白をつけたいものですね。
黒田裕樹さん
風早 りら 過去の歴史に決着をつけ、我が国が新しく生まれ変わるためにも、自主的な憲法改正が望まれるところであると私は考えます
この問題は 友達とも 話をしています
皆 先生のご意見に 賛成です
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> 過去の歴史に決着をつけ、我が国が新しく生まれ変わるためにも、自主的な憲法改正が望まれるところであると私は考えます
> この問題は 友達とも 話をしています
> 皆 先生のご意見に 賛成です
有難うございます。憲法改正について少しでも多くの皆様が前向きになってお考え下さることによって、重要な事柄を先送りすることなく、将来の我が国のために真剣になって議論できる国家になれると確信しております。