しかし、この時代においても律令そのものは廃止されていなかったのです。正式に廃止されたのは、何と制定以来1100年以上が経過した明治維新(めいじいしん)になってからでした。
つまり、国の基本法である律令制度とは別に、時代の流れに沿(そ)って令外官や武家の基本法などを次々に成立させ、両者を並立(へいりつ)させるかたちで律令を形式的にではあっても存続させたのです。いわば律令を拡大解釈(かくだいかいしゃく)することで、律令そのものを変更したり、あるいは廃止させたりせずに長続きさせたのでした。
そして、これと同じことが明治憲法や日本国憲法においても行われているのです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
サクラ 律令制というのは明治まで廃止されていなかったのですか!
はやり将軍を天子が任命する形だったとはいえ、実質の支配者は幕府だったのですね。
律令が(形骸化しても)長いあいだ廃止されなかったのは、ひとえに朝廷が定めたものだったからですか?
ぴーち こんばんは!
一国の基本法を根本から廃止し、
また新たに作り直すとなると、それ相当の
年月も要するでしょうから、
その基本法にその都度、その都度、手直しを加える事で、その時代に沿う制度として通用していく事が出来るのなら、
それに越したことはありませんよね。
そういう所からも、日本は伝統を重んじ
それ故に改革を嫌う国なのかなとも思います。
応援凸
サクラさんへ
黒田裕樹 > 律令制というのは明治まで廃止されていなかったのですか!
> やはり将軍を天子が任命する形だったとはいえ、実質の支配者は幕府だったのですね。
そうですね。特に江戸幕府は禁中並公家諸法度で天皇や朝廷を厳しく規制しました。
ご立腹された後水尾天皇が抗議の譲位をされたほどですからね。
> 律令が(形骸化しても)長いあいだ廃止されなかったのは、ひとえに朝廷が定めたものだったからですか?
それはあると思います。伝統を守る、といえば聞こえがいいですが、結論を先送りしただけ、という考えも…。
次回(3日)以降でまた考察してみます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そういう所からも、日本は伝統を重んじ
> それ故に改革を嫌う国なのかなとも思います。
そのとおりです。
ただ、その伝統が世界に通用するか、という問題もあるんですよね。
次回(3日)でその流れを探ってみたいと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 制定以来1100年以上が経過した
律令廃止
何だか 今の国会を見ているかのようです
日本人の特性でしょうか?
元首も形骸化しますね。
晴雨堂ミカエル 従一位とか正二位とかの位階はまだ残っていますね。たしか中曽根元総理は従六位だったような。鳩山由紀夫氏の祖父一郎氏は正二位。
下手したら、細川護煕氏は裏で源護煕なんて呼ばれているかもしれませんね。織田信成君は園遊会で平信成と呼ばれていたりして。(笑)
日本の国家元首も形骸化しますね。天皇は早くから象徴になって摂政関白が実験を握り、その摂政関白も国家元首からバチカン市国のように変質した京都の宮廷の代表になり、代わりに坂東植民地に駐屯している遠征軍総司令官でしかなかった征夷大将軍が元首になり、その征夷大将軍もやがて実権を失って大老や老中首座が国家元首を務める。
日本の総理大臣も一時期は自民党の実力者の子分に成り下がっていましたから、そんな体質なんでしょう、日本国民は。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 制定以来1100年以上が経過した
> 律令廃止
> 何だか 今の国会を見ているかのようです
> 日本人の特性でしょうか?
歴史は繰り返すといいますからね。
日本人の特性といえるかもしれませんが、国際社会でいつまでも我が国の独自性が保てるかどうか、という問題もあるような気がします。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 従一位なんて、いったい何年続いているんでしょうね。
仰るような体質が、この国にはしみついているのかもしれません。ただ、それが外国に理解されるかというと別問題のような気がしますね。