しかし、憲法改正のためには第96条によって「衆議院および参議院(さんぎいん)の各総議員の3分の2以上の賛成」がまず必要となっており、そう簡単には改正できませんでした。加えて、昭和35(1960)年に日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)の改定をめぐって国内で大規模な暴動(ぼうどう)が起きたことが、より大きな騒動(そうどう)を引き起こす可能性がある憲法改正への論議をためらわせる傾向になってしまいました。
かくして我が国では主として経済成長がその後の課題となり、憲法改正に対する論議がほとんど起きないまま、施行以来64年が経過しようとする現在においても、憲法の条文は全く改正されていません。もっとも、これは明治憲法においても同様であり、日本国憲法が公布されるまでの約57年間ものあいだ、一切改正されませんでした。
なぜ我が国では国の基本法たる憲法の改正が行われないのでしょうか。その背景には、我が国古来の「ある法律」における途方(とほう)もなく長い寿命(じゅみょう)があるのです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
「事なかれ主義」と言うのは、
日本国民の特有の体質とも言うべきでしょうか。
特に戦後の日本人はこの考え方が顕著だと
思うのは、私だけでしょうか。
もしかして、これは戦争というこの上ない悲劇を
味わった者が、平和な世の中を誓った矢先、少しのいざこざでも避けたいという思いから始まったのでしょうか。
「ある法律」とは聖徳太子の時代にまで
遡ったものなのでしょうかね?
それでは応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 「事なかれ主義」と言うのは、
> 日本国民の特有の体質とも言うべきでしょうか。
> 特に戦後の日本人はこの考え方が顕著だと
> 思うのは、私だけでしょうか。
> もしかして、これは戦争というこの上ない悲劇を
> 味わった者が、平和な世の中を誓った矢先、少しのいざこざでも避けたいという思いから始まったのでしょうか。
安保改定の際の暴動で懲りてしまったのでしょうね。
それ以降は仰るとおり「何もなかったことにする」という事なかれ主義がまかり通って、その場のいざこざは避けられたものの、大きなツケが私たちにのしかかっているような気がします。
これは、あたかも江戸末期の開国による大混乱の繰り返しのような思いがしますね。
> 「ある法律」とは聖徳太子の時代にまで
> 遡ったものなのでしょうかね?
憲法十七条ですね。
もう少し後の時代です。次回(1日)には紹介しますよ。
また、憲法改正における重要な審議である憲法改正小委員会は非公開とされ、すべてがGHQの思惑(おもわく)どおりに進められたうえで、若干(じゃっかん)の変更を加えたのみで衆議院と貴族院で相次(あいつ)いで可決され、昭和天皇の裁可(さいか)を経(へ)て昭和21年11月3日に日本国憲法が公布されたのでした。
しかも、新しく制定された日本国憲法がマッカーサー草案を下敷(したじ)きとしていることはGHQによって機密事項(きみつじこう)とされ、我が国が独立を回復する昭和27(1952)年まで一切公表されませんでした。国民が全くあずかり知らないところで、気が付けば新しい憲法が誕生していたのです。そこには、本来許されるべき日本人による自由な憲法批判が全く認められないという閉鎖性(へいさせい)が秘(ひ)められていたのでした。
数年もの準備期間を経たのみならず、枢密院(すうみついん)での審議にも一年近くを費(つい)やして完成した明治憲法に対して、憲法の素人が一週間で書き上げた、しかも外国製の憲法を、国会での審議とは名ばかりでGHQによって無理やり制定させられた日本国憲法。憲法に対する我が国での自由な議論は大いになされるべきですが、少なくとも両憲法の成立過程を十分に理解したうえで進めるべきではないでしょうか。
GHQによって日本のプライドを大いに傷つけられたと感じた白洲次郎は、以下の言葉を残しています。
「『今に見ていろ』という気持ちを抑(おさ)え切れず、密(ひそ)かに涙す」。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
今日のお話は、驚くべき内容の事ばかりですね。
(昭和27年まで公表されなかったことや、GHQの了承を得なければ、修正出来なかったことなど)
今までこの憲法が一度も改正されなかった事に関しては、アメリカの呪縛が継続的に現在までも
続いているという証拠なのでしょうか。
確かに今の日本はアメリカの存在抜きにしては、自国の安泰は約束されない状態が続いていますものね。白洲次郎の無念の気持ち、分からなくもありません。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、日本国民が自国の憲法についての秘密を一切知らされなかったという事実は衝撃的でもあります。
憲法改正に関しては、次回(31日)以降について改めて考察することになりますが、いずれにせよ白洲次郎の無念の思いを忘れてはいけないと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 白洲次郎 いよいよ 活躍しそうですね
彼は とても 人気があります
今後の彼の活躍を 楽しみにしています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 白洲次郎 いよいよ 活躍しそうですね
> 彼は とても 人気があります
> 今後の彼の活躍を 楽しみにしています
残念ながら白洲次郎の話はこの講座ではここまでなんです。
仰るとおり、彼は人気がありますし、人物にも非常に興味があります。
戦後史を研究する際には彼の名を耳にする機会もあるでしょう。
そして2月13日にマッカーサー草案を提示した際、ホイットニー民政局長は松本大臣に対して「この改正案(=マッカーサー草案)を受けいれなければ天皇の地位を保証することができない」と通告しました。これはすなわち、昭和天皇(しょうわてんのう)の御身柄(おみがら)と引き換(か)えにマッカーサー草案の受け入れを迫(せま)るという事実上の脅迫(きょうはく)でした。
さらに、ホイットニーらが会合の場所である外務大臣官邸(がいむだいじんかんてい)から一旦(いったん)庭に出た際に、一機のB29爆撃機(ばくげきき)が大きな轟音(ごうおん)を響(ひび)かせて飛んでいきました。これも「言うことを聞かなければ日本に爆撃を加えるぞ」という、政府に対する心理的な圧迫(あっぱく)でした。
加えて、ホイットニーはGHQと政府との連絡役を務(つと)めていた白洲次郎(しらすじろう)に対して「我々は戸外(こがい)に出て、原子力エネルギーの暖(だん)を取っているのだ」と言い放(はな)ちました。この発言も、広島や長崎に次いで三番目の原爆投下(げんばくとうか)を行う可能性があることを示したものであると考えられています。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
GHQは天皇制そのものを廃止する
という条件ではなく、天皇の命を盾に草案の決定を迫ったわけですね。
随分と卑劣な手段をアメリカは取りましたね。
しかしながら、この草案を辛くも飲んだからこそ、この半世紀以上もの間、日本が平和を保っていられたのかと思うと、当時の日本の判断は正しかったのかなとも思いますが、いかがなものでしょうか。特に天皇のご覚悟には、感謝しなければいけないものだと改めて感じました。
応援凸
黒田裕樹さん
風早 りら ホイットニーはGHQと政府との連絡役を務(つと)めていた白洲次郎(しらすじろう)に対して「我々は戸外(こがい)に出て、原子力エネルギーの暖(だん)を取っているのだ」と言い放(はな)ちました。この発言も、広島や長崎に次いで三番目の原爆投下(げんばくとうか)を行う可能性があることを示したものであると考えられています。
この事実が どうして 今まで
私は知らずにきたのでしょう
私のように 知らない人が多いと思います
これからも 先生が このように
ブログで 取り上げて下さる事を願います
オバrev うぅ~ん、このような過程で日本国憲法草案が作られていたとは思いもしませんでした・・・その割にはよく出来ているとは思いますが^^;
TVなどで憲法改正について論じていますが、このような歴史的背景を抜きにして、我々一般国民を説得することは出来ないと思います。
なぜ改正が必要か、歴史も含めて、現在の国際情勢、将来の日本をどう考えるか、ということで提示してもらいたいです。
ってなことを言っても、今の志のないマスコミには期待できませんから、是非黒田先生には期待したいですよ・・・政界進出?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに、我が国の政府の判断は正しかったと思います。
ただ、陛下を人質するという、我が国にとって一番卑劣な手段をどこが取ったかという事実を、許す許さないは別にして、私たちは忘れてはいけないのではないでしょうか。
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> ホイットニーはGHQと政府との連絡役を務(つと)めていた白洲次郎(しらすじろう)に対して「我々は戸外(こがい)に出て、原子力エネルギーの暖(だん)を取っているのだ」と言い放(はな)ちました。この発言も、広島や長崎に次いで三番目の原爆投下(げんばくとうか)を行う可能性があることを示したものであると考えられています。
> この事実が どうして 今まで
> 私は知らずにきたのでしょう
> 私のように 知らない人が多いと思います
> これからも 先生が このように
> ブログで 取り上げて下さる事を願います
有難うございます。
日本国憲法に関する「事実」を、私たちは今まで知らされなさすぎてきているのです。
憲法の意義について正々堂々と議論するためにも、隠された事実を明らかにすべきだと思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > うぅ~ん、このような過程で日本国憲法草案が作られていたとは思いもしませんでした・・・その割にはよく出来ているとは思いますが^^;
急ごしらえとはいえ、64年も使われているという事実も重いですからね。
不完全なものならここまで長持ちはできないでしょう。
> TVなどで憲法改正について論じていますが、このような歴史的背景を抜きにして、我々一般国民を説得することは出来ないと思います。
> なぜ改正が必要か、歴史も含めて、現在の国際情勢、将来の日本をどう考えるか、ということで提示してもらいたいです。
そのとおりです。
憲法制定に至る歴史的事実を知らずして、将来の憲法改正、ひいては我が国の将来についての考察などできるはずがありませんからね。それこそ時間の無駄でしょう。
> ってなことを言っても、今の志のないマスコミには期待できませんから、是非黒田先生には期待したいですよ・・・政界進出?
以前にも仰ってましたね(^^ゞ
自分にそんな実力があるとは到底思えませんが、いずれ救国の英雄が必ず現れてほしいと期待しておりますよ。
ところが、民政局員の25人のメンバーのうち、弁護士の資格を持っている人物こそ存在したものの、憲法学を専攻(せんこう)した者は一人もいませんでした。このため、民政局は日本の民間憲法草案やアメリカ合衆国憲法ほか世界各国のありとあらゆる憲法を参考として、わずか一週間で急ごしらえの草案をまとめ上げ、マッカーサーの承認を得たうえで日本政府に通告したのです。
民政局のメンバーには女性も含まれており、彼女によって家族生活における個人の尊厳(そんげん)と両性の本質的平等が規定された憲法第24条が起草されたことが知られていますが、何と言っても憲法に対する素人が、しかも外国人の手によって作成された草案ですから、我が国にとっては困惑(こんわく)以外の何物でもありませんでした。
しかし、我が国には松本試案を断念して、マッカーサー草案を受けいれる以外に選択肢(せんたくし)は存在しませんでした。なぜなら、GHQが占領という立場を悪用した脅(おど)しを我が国にかけてきたからです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
本当に。。
仰るとおり、憲法に対しての素人で、しかも外国人が作成した草案となれば、多分に困惑(迷惑)してしまいますね~(^^ゞ
私のこれまでの浅はかな知識の中では
憲法はもう少し日本政府が積極的に関与して
定められた法案なのかと簡単に考えていたのですが、GHQの陰謀には太刀打ちが出来なかったのですね。GHQのこうした一連の言動の真の目的はただ日本を占領したかった・・という事のみだったのでしょうか?
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 本当に。。
> 仰るとおり、憲法に対しての素人で、しかも外国人が作成した草案となれば、多分に困惑(迷惑)してしまいますね~(^^ゞ
そうなんですよ。なぜ他国が作った草案を受け入れなければならないのか、我が国でなくても困惑しますよね。
> 私のこれまでの浅はかな知識の中では
> 憲法はもう少し日本政府が積極的に関与して
> 定められた法案なのかと簡単に考えていたのですが、GHQの陰謀には太刀打ちが出来なかったのですね。GHQのこうした一連の言動の真の目的はただ日本を占領したかった・・という事のみだったのでしょうか?
占領までは成功していましたが、次の目標として「日本をアメリカの思いどおりの国にしてみせる」という傲慢(ごうまん)な考えが背景にあったと思われます。だからこその次回(29日)のような脅迫なんですよ。
ここまでくると、占領というよりは「洗脳」ですね…。
黒田裕樹さん
風早 りら GHQが占領という立場を悪用した脅(おど)しを我が国にかけてきたからです。
今まで 日本の憲法はアメリカが
草案しても 平和的に 施行されたと
思っていました
残念ですね
明日 詳しいお話 お聞きしたいです
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> GHQが占領という立場を悪用した脅(おど)しを我が国にかけてきたからです。
> 今まで 日本の憲法はアメリカが
> 草案しても 平和的に 施行されたと
> 思っていました
> 残念ですね
> 明日 詳しいお話 お聞きしたいです
りらさんのように平和的に施行されたとお考えの方が多いのは、私たちが歴史的事実を「抹消」されているからです。
その理由と憲法施行への真実について、次回(29日)から詳しく紹介することになります。
松本大臣がなぜ一院制なのかをGHQに問いただすと、ホイットニー民政局長は「日本にはアメリカのように州(しゅう)という制度がないから上院(じょういん)は必要ないし、一院制の方がシンプルではないか」と答えました。要するに、憲法草案を作成した立場の人間が、二院制の意義を全く知らないのです。
さらに松本大臣を驚(おどろ)かせたのが「土地その他の天然資源は国有とする」という事項でした。これは私有財産の否定を意味しており、松本大臣が後に幣原首相に草案を報告した際に「まるで共産主義者の作文だ」という会話が残されています。
なぜマッカーサー草案には二院制に対する認識が欠けていたり、あるいは私有財産を否定するような内容が含まれていたりしたのでしょうか。それもそのはず、実はマッカーサー草案は「憲法の素人(しろうと)がたったの一週間で作った急ごしらえ」のものだったからなのです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
晴雨堂ミカエル アメリカ人の国民性をよく現した言動ですね。邦画は細部を観れば緻密で繊細で技巧的ですが全体を見るとリアリティーが無い作品が多いのに対し、ハリウッド映画の細部は大雑把なのに全体で見るとそこそこリアルというのが多い。
日米開戦が始まるや日本担当の情報将校を大幅増員し、日本人を民族学的に徹底的に研究して戦略的にも日本軍を追い詰め勝利しました。勝利のためには冷徹に情報を分析し戦術戦略を立てる顔もあれば、ある程度の目的達成が見えたら大雑把・いい加減に処理する顔もあります。
日本を完全屈服させ、ある程度の安定した占領政策の目処が付いたら、その他はどーでも良いのがアメリカです。日本に限った事ではなく、現代の中東でも同じことの繰り返しです。
戦争中は熱心に日本民族のことを研究していたのに、占領してしまえば醤油や味噌などの日本の食文化もドーデモ良い、むしろ無くしてアメリカに同化したらええんや、という態度です。漢字やかなも廃止させようとしました。
633の学校教育制度にしても、何らかの計算や意図があった訳ではなく、単純にマッカーサーの故郷の教育制度が633制だった、という意味しかありません。
日本文化が残ったのは、皮肉にもGHQの下級中級職員が日本文化の良さに気が付いて働きかけた功績が強い。
保守右翼からはあまり好意的に見られてはいませんが、日本国憲法に女権を多く盛り込んだ当時二十歳そこそこのベアテ氏にしても、上層部からはよく思われていませんでした。アメリカもまた男性社会ですから、ベアテの行動は好ましく見えなかったのです。
ところで松本烝治の名前は、ジョージ・ワシントンのジョージから とったという話を聞いたことがありますが、まことでしょうか?
ぴーち こんばんは!
一院制の方がシンプルで・・・
いかにもアメリカンな考えですね(^^ゞ
広大な土地を大きなブルドーザーで
ガガガガ~~~~っと大音量をたてて
地ならしするような感覚でしょうかw
日本のように、鍬や鋤を使って
丁寧に一鍬、一鍬、手入れをするような
繊細さがみられませんね。
しかし9条の話に戻りますが、
そんな付け焼刃的なマッカーサーの草案と
日本政府の間で偶然にもポッと生まれた奇跡の法案
だったという事ですが、真相はどうだったのでしょうか。。
応援凸
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 確かにアメリカらしいといえばアメリカらしいですね。
良くも悪くもGHQの影響を受けているのが皮肉でもあります。
松本烝治氏の名の由来については残念ながら聞いたことがないですね。
私の母校(関西大学)の学長の経験者ではありますが。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かにアメリカと我が国との違いがハッキリと現れていますね。
それだけマッカーサー草案は我が国にとって受け入れにくいものであるという裏返しになりますが。
憲法9条については、先の大戦でアメリカが我が国に苦戦したという経験から、二度と我が国が武装化しないようにという目的で発案されたという説が有力ですね。
いずれ今回の講座でも間接的に紹介することになります。
黒田裕樹さん
風早 りら 国会を一院制 二院制
この問題については
私は どちらとも 答えられません
もう少し 先生から この二つの
違いを 詳しくお話しを伺いたいです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 国会を一院制 二院制
> この問題については
> 私は どちらとも 答えられません
> もう少し 先生から この二つの
> 違いを 詳しくお話しを伺いたいです
二院制のメリットは、本文にもあるように「多様な民意の反映」と「専制政治の抑止」です。
一院制にも「議会の対立による立法作業の遅れ」を防ぐというメリットがありますが、議会政治と言えども万能とは言えず、政治の暴走を防ぐという二院制のメリットの方が大きいと思われます。
イギリスで
選挙ディレッタント イギリスでは二院制によって議会は混乱し、非常に足の遅い政治となっていましたから、GHQはその辺を指摘したのでは。
連邦制でもないのになんで二院制とるのか、という疑問は妥当ではないかと。
一院制と二院制のメリデメは難しい問題かも知れません。
英貴族院はあんま機能してなくて一院制みたいなもんだし。
選挙ディレッタントさんへ
黒田裕樹 貴重なご意見ありがとうございます。
なるほど、GHQにはGHQなりの見識があったということですね。
我が国の場合はすでに明治憲法で二院制が常識になっていたので、それだけGHQの言い分が理解できなかったということになるかもしれません。
翌昭和21年に改正憲法の草案が完成し、2月8日に政府がGHQに提出しました。この草案は、憲法問題調査委員会の中心人物であった国務大臣(こくむだいじん)の松本烝治(まつもとじょうじ)の名前から「松本試案」と呼ばれています。
松本試案の内容は、前年の昭和20年の帝国議会(ていこくぎかい、現在の国会)で松本大臣が発表した、いわゆる「松本四原則」に基(もと)づいていました。その内容は以下のとおりです。
1.天皇の制度の基本原則を変更しない
2.議会の権限の拡大
3.国務大臣の議会に対する責任の明確化
4.自由及び権利の保護の拡大と侵害に対する国家の保障の強化
政府としては明治憲法の基本方針を大きく変更する必要はなく、部分的な改正だけでGHQが求める民主化に十分対応ができると判断していたのです。しかし、GHQは松本試案の内容は保守的であると見なして2月13日に拒否を通告し、さらにGHQが独自に作成した 「マッカーサー草案」を政府に提示しました。
その内容に対して、松本大臣をはじめとする当時の政府首脳が唖然(あぜん、思いがけない出来事にあきれて声も出ないさまのこと)とするのみならず、その際のGHQの高飛車(たかびしゃ)な対応に慄然(りつぜん、恐ろしさにぞっとするさまのこと)としました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
GHQの高飛車な対応が気になるところですが、
マッカーサー元帥自体は、乃木将軍を
尊敬していたというお話を聞いたことがあり、
日本に対する感情はさほど悪くは無かったのではないかと思っておりましたが。。
なんだか雲行きが怪しいお話になって来ましたね^^;
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > GHQの高飛車な対応が気になるところですが、
> マッカーサー元帥自体は、乃木将軍を
> 尊敬していたというお話を聞いたことがあり、
> 日本に対する感情はさほど悪くは無かったのではないかと思っておりましたが。。
> なんだか雲行きが怪しいお話になって来ましたね^^;
マッカーサー自身は確かに親日だったかもしれません。
彼の決断がなければ昭和天皇の運命も変わっていたでしょうし。
しかしながら、彼はアメリカの人間です。
アメリカの国益を第一に考えて動く人物ですから、当然我が国にとって非常な手段をとることもあるでしょう。
そして、その最たるものが次回(27日)からの「新憲法の制定」です。
黒田裕樹さん
風早 りら 今日のお話は 難しいお話で
全てを理解することが出来ませんでした
明日の講座で しっかり勉強したいと
思います
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 今日のお話は 難しいお話で
> 全てを理解することが出来ませんでした
> 明日の講座で しっかり勉強したいと
> 思います
そうでしたか。
我が国では憲法改正の必要はないと思っていたところに、GHQから改正を強要され、仕方なく作成してみたところ、やっぱりあまり変わらなかった(=それだけ明治憲法が民主的だった)。しかし、どうしても新憲法を制定させたかったGHQは、我が国を黙らせるためにあらゆる手段を用いようとした…というところでしょうか。
いずれにせよ、次回(27日)から衝撃の事実が明らかになります。
さらに、ポツダム宣言の条件の中には「新憲法の制定」は含(ふく)まれていませんでした。軍事に関する条文などへの部分的な改正は必要であったとしても、現行の日本国憲法のように全面的な改正を、ましてや明治憲法の完全否定までは考えていなかったと、ポツダム宣言の起草者(きそうしゃ)であった駐日大使(ちゅうにちたいし)の経験者のグルーらが後に述懐(じゅっかい、過去の出来事や思い出などを述べること)しています。
そして、終戦の直後に成立した東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう)内閣や、そのあとを受け継(つ)いだ幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣は、軍国主義の政治体制を改め、選挙法などの個別法(こべつほう)さえ改正すれば連合国側が求める我が国の民主化は達成できると判断し、基本法(きほんほう)である明治憲法の改正は必要ない、とまで考えていました。
しかし、我が国を占領(せんりょう)したGHQ(=連合国軍最高司令官総司令部、れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ)は、その政策の大きな柱として、ポツダム宣言に違反(いはん)し、さらに国際法であるハーグ陸戦条約(ハーグりくせんじょうやく)にも違反する「新憲法の制定」を当初から決定していました。しかも、宣言違反をごまかすために、あたかも「日本が自主的に憲法を改正、または起草を行う」ように仕向けることが、当時の基本方針として明示されていたのです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
最後の7行を読ませていただき、唖然としてしまいました。
最初から新憲法の制定が決定していて、しかも、それを自主的に日本が提案していたなどと、濡れ衣を着せていたとは!
いくら敗戦した国だからとは言え、酷い話ですね。侵略されたり、国を二分されたりという
もっとも酷い仕打ちは免れたものの、
やはり負けた国としての屈辱を日本も少なからずしっかりと受けていたんですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 最後の7行を読ませていただき、唖然としてしまいました。
> 最初から新憲法の制定が決定していて、しかも、それを自主的に日本が提案していたなどと、濡れ衣を着せていたとは!
> いくら敗戦した国だからとは言え、酷い話ですね。侵略されたり、国を二分されたりという
> もっとも酷い仕打ちは免れたものの、
> やはり負けた国としての屈辱を日本も少なからずしっかりと受けていたんですね。
これこそが日本国憲法の隠された歴史です。
領土分割という目に見える屈辱も辛いものですが、今回のように目に見えずに、しかも自らの意思で行ったと思わせるような狡猾(こうかつ)な屈辱も、たまったものではないですね。
次回(26日)から、我が国がGHQによって味わった屈辱を検証することになります。
黒田裕樹さん
風早 りら ポツダム宣言の条件の中には当初は
「新憲法の制定」は含まれていなかったのですね
巧妙に仕組まれた わなというわけですか
納得がいきませんよね
風早りらさんへ
黒田裕樹 > ポツダム宣言の条件の中には当初は
> 「新憲法の制定」は含まれていなかったのですね
> 巧妙に仕組まれた わなというわけですか
> 納得がいきませんよね
そのとおりです。
占領しているという事実を悪用した巧妙な罠です。
我が国がいかにして新憲法の制定を余儀なくされたのか。その流れを探っていきたいと思います。
日本国憲法は、それまでの大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう、別名を明治憲法=めいじけんぽう)を改正するかたちで成立しましたが、その内容は明治憲法と比べて非常に民主的であり、特に第9条による平和主義は、日本の指標(しひょう、物事を判断したり評価したりするための目じるしとなるもの)たるにふさわしいものである、と一般的には知られています。
しかしながら、明治憲法には統帥権干犯問題(とうすいけんかんぱんもんだい)などの欠点があったものの、その中身は日本国憲法に比べて大きな違いはなかったことは、以前の私の講座(第9回)で紹介したとおりです。それなのに、明治憲法と日本国憲法との間には何の連続性も見られず、実質的に全く別の憲法として制定されているのです。
なぜ日本国憲法はこのようなかたちで成立しなければならなかったのでしょうか。そして、施行後64年が経過しようとするのに、我が国においてに憲法を改正しようとする動きが一向(いっこう)にないのはどうしてでしょうか。
今回の講座では、日本国憲法の制定に至(いた)るまでの知られざる歴史や、憲法改正に対する様々な問題について明らかにすることで、現代に生きる私たちが目指すべき我が国の今後について考えてみたいと思います。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
仰るとおり、日本国憲法は制定されて以来、一度も改正されずに現在に至っていますが、既にその当時の日本とはずいぶんとかけ離れた世の中になってしまった現代にそぐわない内容のものも随分あるはずですよね。私も不思議に思う問題のひとつだと認識しております。そこの所の事実も今後、期待したいと思います。
9条に関しては、賛否両論があるようで、国会でも改正については過去に何度か浮上していたと思いますが、改正した場合、どのようなメリット、デメリットがあるのか・・国民もある程度の所を検討して、考える時期がまた来ているのだと思います。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 仰るとおり、日本国憲法は制定されて以来、一度も改正されずに現在に至っていますが、既にその当時の日本とはずいぶんとかけ離れた世の中になってしまった現代にそぐわない内容のものも随分あるはずですよね。私も不思議に思う問題のひとつだと認識しております。そこの所の事実も今後、期待したいと思います。
憲法改正がなされない理由には色々ありますが、その理由を解き明かす一つの方策として、まずは日本国憲法制定にまつわる不思議について解き明かしてみたいと思います。
> 9条に関しては、賛否両論があるようで、国会でも改正については過去に何度か浮上していたと思いますが、改正した場合、どのようなメリット、デメリットがあるのか・・国民もある程度の所を検討して、考える時期がまた来ているのだと思います。
憲法改正といえば第9条といわれていますね。ただ、改正の必要はそればかりでなく、現代の難しい問題を一気に解決する道でもあるのです。そのあたりも明らかにしておければと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 今回の講座では、日本国憲法の制定に至(いた)るまでの知られざる歴史や、憲法改正に対する様々な問題について明らかにすることで、現代に生きる私たちが目指すべき我が国の今後について考えてみたいと思います。
こ問題は とても 興味があります
以前より 我が国の憲法を 他国が何故
作ったのか 疑問でした
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> 今回の講座では、日本国憲法の制定に至(いた)るまでの知られざる歴史や、憲法改正に対する様々な問題について明らかにすることで、現代に生きる私たちが目指すべき我が国の今後について考えてみたいと思います。
> この問題は とても 興味があります
> 以前より 我が国の憲法を 他国が何故
> 作ったのか 疑問でした
確かに不思議ですよね。
国の基本法がなぜ他国によってつくられたのか。
そこには現代にまで尾を引きずっている巧妙な罠が仕掛けられているのです。
なおまゆ とても勉強になります。
メイドインアメリカ製のぎこちない訳語日本語の憲法は改正して『美しい日本語』を使った、現実に即した憲法に改正してもらいたいですね。
憲法第9条は一刻も早く改正しないと、中国、北朝鮮の横暴に対応できなくなりそうで不安です。
今後の展開がとても楽しみです。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 > とても勉強になります。
> メイドインアメリカ製のぎこちない訳語日本語の憲法は改正して『美しい日本語』を使った、現実に即した憲法に改正してもらいたいですね。
> 憲法第9条は一刻も早く改正しないと、中国、北朝鮮の横暴に対応できなくなりそうで不安です。
> 今後の展開がとても楽しみです。
お言葉有難うございます。
憲法制定に関する秘話と、将来の改正に向けての考察について検討してみたいと思います。
今回の「『今に見ていろ』 ~日本国憲法誕生秘話」は、いつもよりも短い時間での講座となりましたが、その分収録の合間に、参加者の皆様との会話が大いに盛り上がりました。公開できないのが残念なくらいです(笑)。
日本国憲法の知られざる歴史と、憲法改正の必要性。二つの大きな命題に対し、13回に分けた内容で、YouTubeによる映像とともに1月24日から更新を開始しますので、よろしくお願いいたします。
今後の講座の開催予定は下記のとおりです。次回(第23回)はいよいよ、東京(2月19日)と大阪(2月26日)の2会場で「昭和天皇・後篇」を行います!
本当の歴史のみが与えることが許される、素晴らしい感動を皆様へ―
第23回 「ご巡幸の大御心(おおみこころ) ~昭和天皇・後篇」
日時:(東京)平成23年2月19日(土) 午後3時30分より
(大阪)平成23年2月26日(土) 午後3時30分より
場所:(東京)スター貸会議室 浅草
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
(大阪)梅田東学習ルーム
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
会費:いずれも無料(カンパを受け付けます)
第24回 「日帝三十六年の真実 ~日韓併合後の歴史」
日時:平成23年3月26日(土) 午後3時30分より
場所: 梅田東学習ルーム
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
会費:無料




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
今回の講座はご参加なされた皆様と和気合い合いとした雰囲気の中で無事に終えられたんですね^^
お疲れ様でした!
その部分、拝見させて頂きたかったです(笑)
また明日からのお話を楽しみにお邪魔させてください^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今回の講座はご参加なされた皆様と和気合い合いとした雰囲気の中で無事に終えられたんですね^^
> お疲れ様でした!
> その部分、拝見させて頂きたかったです(笑)
> また明日からのお話を楽しみにお邪魔させてください^^
有難うございます。
収録の合間の雰囲気は最高でしたよ。前回のように涙ではなく和やかな雰囲気でしたから、講座も楽しくできました(^^♪
明日(24日)からの講座にご期待下さい!
大東亜戦争終結ノ詔書
朕(ちん)、深ク世界ノ大勢(たいせい)ト帝国ノ現状トニ鑑(かんが)ミ、非常ノ措置(そち)ヲ以テ時局ヲ収拾セム(ん)ト欲(ほっ)シ、茲(ここ)ニ忠良(ちゅうりょう)ナル爾(なんじ)臣民ニ告グ。
朕ハ帝国政府ヲシテ、米英支蘇(べいえいしそ)四国(しこく)ニ対シ、其ノ共同宣言ヲ受諾(じゅだく)スル旨通告セシメタリ。
抑々(そもそも)帝国臣民ノ康寧(こうねい)ヲ図(はか)リ、万邦(ばんぽう)共栄ノ楽(たのしみ)ヲ偕(とも)ニスルハ、皇祖皇宗(こうそこうそう)ノ遺範(いはん)ニシテ、朕ノ拳々(けんけん)措(お)カザル所(ところ)、曩(さき)ニ米英二国ニ宣戦スル所以(ゆえん)モ亦(また)、実ニ帝国ノ自存(じそん)ト東亜ノ安定トヲ庶幾(しょき)スルニ出(い)デ、他国ノ主権ヲ排(はい)シ領土ヲ侵(おか)スガ如(ごと)キハ、固(もと)ヨリ朕ガ志(こころざし)ニアラズ。然(しか)ルニ交戦已(すで)ニ四歳(しさい)ヲ閲(けみ)シ、朕ガ陸海将兵ノ勇戦、朕ガ百僚有司(ひゃくりょうゆうし)ノ励精(れいせい)、朕ガ一億衆庶(しゅうしょ)ノ奉公(ほうこう)、各々(おのおの)最善ヲ尽(つく)セルニ拘(かかわ)ラズ、戦局必(かなら)ズシモ好転セズ、世界ノ大勢亦(また)我ニ利(り)アラズ。加之(しかのみならず)、敵ハ新(あらた)ニ残虐(ざんぎゃく)ナル爆弾ヲ使用シテ、頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷(さっしょう)シ、惨害(さんがい)ノ及(およ)ブ所(ところ)真(しん)ニ測(はか)ルベカラザルニ至(いた)ル。而(しか)モ尚(なお)交戦ヲ継続セム(ん)カ、終(つい)ニ我ガ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラズ、延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却(はきゃく)スベシ。斯(か)クノ如(ごと)クム(ん)バ、朕何ヲ以(もっ)テカ億兆(おくちょう)ノ赤子(せきし)ヲ保(ほ)シ、皇祖皇宗(こうそこうそう)ノ神霊(しんれい)ニ謝(しゃ)セム(ん)ヤ。是(こ)レ朕ガ帝国政府ヲシテ、共同宣言ニ応(おう)セシムルニ至レル所以(ゆえん)ナリ。
朕ハ帝国ト共(とも)ニ終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦(しょめいほう)ニ対シ、遺憾(いかん)ノ意ヲ表(ひょう)セザルヲ得(え)ズ。帝国臣民ニシテ、戦陣ニ死シ、職域(しょくいき)ニ殉(じゅん)ジ、非命(ひめい)ニ斃(たお)レタル者及(および)其(そ)ノ遺族ニ想(おもい)ヲ致(いた)セバ、五内(ごない)為(ため)ニ裂(さ)ク。且(かつ)戦傷(せんしょう)ヲ負ヒ(い)、災禍(さいか)ヲ蒙(こうむ)リ、家業ヲ失(うしな)ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ、朕ノ深ク軫念(しんねん)スル所(ところ)ナリ。惟(おも)フ(う)ニ今後帝国ノ受クベキ苦難ハ固(もと)ヨリ尋常(じんじょう)ニアラズ。爾(なんじ)臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ朕善(よ)ク之(これ)ヲ知ル。然(しか)レドモ朕ハ時運(じうん)ノ趨(おもむ)ク所(ところ)、堪へ(たえ)難(がた)キヲ堪へ(え)忍(しの)ビ難キヲ忍ビ、以(もっ)テ万世(ばんせい)ノ為(ため)ニ太平(たいへい)ヲ開カム(ん)ト欲(ほっ)ス。
朕ハ茲(ここ)ニ国体(こくたい)ヲ護持(ごじ)シ得(え)テ、忠良(ちゅうりょう)ナル爾(なんじ)臣民ノ赤誠(せきせい)ニ信倚(しんい)シ、常(つね)ニ爾(なんじ)臣民ト共(とも)ニ在(あ)リ。若(も)シ夫(そ)レ情(じょう)ノ激(げき)スル所(ところ)、濫(みだり)ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ、或(あるい)ハ同胞(どうほう)排擠(はいさい)互(たがい)ニ時局ヲ乱(みだ)リ、為(ため)ニ大道(だいどう)ヲ誤リ、信義ヲ世界ニ失フ(うしなう)ガ如(ごと)キハ、朕最(もっと)モ之(これ)ヲ戒(いまし)ム。宜(よろ)シク挙国(きょこく)一家子孫相伝へ(あいつたえ)、確(かた)ク神州(しんしゅう)ノ不滅ヲ信ジ、任(にん)重クシテ道遠キヲ念ヒ(おもい)、総力ヲ将来ノ建設ニ傾(かたむ)ケ、道義ヲ篤(あつ)クシ志操(しそう)ヲ鞏(かた)クシ、誓(ちかっ)テ国体ノ精華(せいか)ヲ発揚(はつよう)シ、世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レザラム(ん)コトヲ期スベシ。爾(なんじ)臣民其(そ)レ克(よ)ク朕ガ意ヲ体(たい)セヨ。




いつも有難うございます。
私は、世界の情勢と我が国の置かれた現状とを深く考えたうえで、非常の措置をもってこの時局を収拾しようと思い、ここに忠実にして善良なる我が国民に告げる。
私は政府に、アメリカ・イギリス・中華民国・ソビエト連邦の四ヵ国に対してポツダム宣言を受諾することを通告させた。
そもそも我が国民の安寧を願い、また世界の国々と共栄共存で暮らしていくことは、皇室の祖先の方々が代々伝えてきた遺訓であり、私も常々心掛けてきたことであるし、また先にアメリカ・イギリスの二ヵ国に宣戦した理由(=大東亜戦争の開戦理由)も、実に我が国の自衛自存と、東アジアの平和と安定を願ってのことであり、海外に出て他国の主権を奪ったり、あるいは他国の領土を侵略したりするような行為は、もとより私の意思ではない。交戦状態はすでに四年になろうとしているが、陸海軍の将兵は勇敢に戦い、政治家や役人も精励して働き、また我が国民も我が身をかえりみることなく、それぞれが最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、また世界の情勢も我が国にとって有利とはいえない。そればかりか、敵は新たに残虐な爆弾(=原爆)を使用し、罪もない人々を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は測り知れないものがある。このうえさらに交戦を続ければ、我が日本民族の滅亡を招くのみならず、ひいては人類の文明をも破壊しかねない。そのような事態になってしまったならば、私はどのようにして多くの国民を守り、また皇室の祖先の方々に顔を向けることができようか。以上が、私が政府にポツダム宣言を受諾させるように至った理由である。
私は、我が国とともに常に東アジアの開放に協力してくれた諸国に対して、遺憾の意を表明せざるを得ない。我が国民のなかで、戦場に倒れた者や職務に励んで殉職した者、思いがけない災難に倒れた者、ならびにその遺族のことに思いを致せば、私は身体が引き裂かれんばかりに胸が痛む。かつ戦傷を負い、戦争による災禍をこうむり、家や職場を失った国民の今後の生活について、私は深く心配している。思うに、今後我が国が受けるであろう苦難は尋常なものではないであろう。我が国民の偽りない思いも私はよく分かっている。しかし、ここは時勢のおもむくところに従って、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、後世のために平和な時代を築いていきたいと思う。
私は、ここに我が国の体制を守ることができるとともに、忠実にして善良なる我が国民のまごころを信頼しており、私も常に我が国民とともに存在する。もし激情に駆られてむやみに事を荒立てたり、あるいは国民同士でいがみ合って情勢を悪化させたりすることで本来進むべき道を誤り、世界の国々から信頼を失うような事態になれば、それは私が最も戒めるところである(=悔しい気持ちはよく分かるが、戦争終結を世界に発表した以上は従ってほしい、という意味)。国を挙げて、また家族が一つとなって子孫に我が国のことを語り伝え、神代より続く我が国が不滅であることを信じ、任務は重く道は険しかろうとも、国民の総力を今後の我が国の建設に傾け、道義を重んじ、誇りをしっかりと持ち続けることで我が国の真髄を発揮し、世界の進む道に遅れないようにしなければならない。我が国民は以上の私の意思に基づいて行動してほしい。
追記を閉じる▲
トラックバック(0) |
なおまゆ 陛下の想い、特に最後あたりのお言葉を読むと今の私達は何をしているんだろうと反省します。
私達は『臣民』ではなくなりました。民主主義の導入によって『国民』になりましたが、大切な何かを失ってしまった気がします。
全文を読むのは久しぶりでしたが名文ですね。
声に出して読むと格調高いよい文章です。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 > 陛下の想い、特に最後あたりのお言葉を読むと今の私達は何をしているんだろうと反省します。
> 私達は『臣民』ではなくなりました。民主主義の導入によって『国民』になりましたが、大切な何かを失ってしまった気がします。
> 全文を読むのは久しぶりでしたが名文ですね。
> 声に出して読むと格調高いよい文章です。
私も講座で声に出して読んだ際には、気持ちが高揚しました。
格調高く、お慈悲もあり、陛下の御心が直に伝わってくるようです。
仰るとおり、惰眠をむさぼってしまっている私たちは何をやっているんでしょうか…。
ペケ 現代用語、有難うございます。全文を読めたことに感動です。貴重な陛下のお言葉に様々な思いが込められているように感じます。あの戦争は第二次世界大戦ではなく大東亜戦争だった。日本が負けた悔しさや多くの犠牲者への思いなど陛下のお言葉には、国民の感情と通じるところがあったんだろうと思います。
ペケさんへ
黒田裕樹 > 現代用語、有難うございます。全文を読めたことに感動です。貴重な陛下のお言葉に様々な思いが込められているように感じます。あの戦争は第二次世界大戦ではなく大東亜戦争だった。日本が負けた悔しさや多くの犠牲者への思いなど陛下のお言葉には、国民の感情と通じるところがあったんだろうと思います。
お言葉有難うございます。
昭和天皇の国と国民への深いご愛情が、現代の私たちにつながっています。陛下のご意思を忘れてはいけませんね。
黒田裕樹さん
風早 りら 大東亜戦争終結の詔書
現代語訳を読んだのは 初めてです
教科書に載せるべきことではないでしょうか
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 大東亜戦争終結の詔書
> 現代語訳を読んだのは 初めてです
> 教科書に載せるべきことではないでしょうか
終戦(もしくは敗戦)という事実を詳しく知ろうと思えば、そのしめくくりの歴史的事実を知る必要がありますね。
その意味では、教科書に記載されてもおかしくないはずですが…。
終戦記念日
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
今日は、終戦記念日ですね。
私が小学生の時は、テレビ番組で、
天皇玉音放送の映画が放映されていましたが
最近、心なしか減った気がします。
私の叔父さんは、軍人だったので、その家で
天皇の玉音放送にいたるドラマを観ました。
戦前生まれが減り、戦後、生まれの団塊世代が高齢者になると世の中の終戦記念日にたいする意識も段々と風化していくのですね。
あの日何があったのかを、伝えいくことが、日本人がこれから、頑張るモチベーションになると思うのですが。
青田さんへ
黒田裕樹 昔は終戦記念日といえば「侵略戦争の反省する日」という印象を植え付けられることが多かったような思いがあります。ドラマにしても反戦ものが多かったですし。
ところが、大東亜戦争における真実が少しずつ明らかになり、国民の意識も変わってきています。そうなると、今までのように「反戦一辺倒」の雰囲気が作りにくくなり、それまでの言動とかみ合わなくなってしまいますから、最近は意識して風化させようとしているのではないか、と穿った見方をしてしまう自分がいます。
天皇陛下の思い
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
最近、団塊世代が65歳になり、天皇制についての大切さを全く、認識しない人が非常に多くなった気がします。
私が、天皇陛下の話をすると
『青田さんと話すまで、天皇について、全く、考えたことがなかった。』
と言われるのに驚きます。
やはり、天皇制について、理解してもらうためには、日本の神道についても触れる必要があると思います。
というのは、日本の文化・歴史は、神道との結びつきがあり、
それがあったから、天皇と国民との信頼関係が強かったと思うからです。
かつて、何でも論理=正義という考えで、
2つの革命が起こりました。そして、その顛末も
人類は、知っているわけです。
① フランス革命で、『自由』『平等』『博愛』をスローガンにしましたが、その結果、200万人が殺される恐怖政治になった。
② ロシア革命で、『平等』を基に人類史上初の社会主義国家が誕生し、独裁者のスターリンが登場し、大粛清で、多くの人命が失われた。
やはり、国というのは、論理による法律だけで成り立たないということですね。
権威という軸がしっかり存在し、その権威が神話になるくらい神聖であるほど、国民は、精神的に充足し、安心して、暮らせると思います。
日本人は
天皇制が存在していることの重要性をもっと、国民が理解するべきですね。
(天皇陛下による今回の地震にたいする玉音放送、被災地へ訪問は、被災者への心の支えになったことと思います。)
青田さんへ その2
黒田裕樹 仰るとおりだと思います。
青田さんによる流れを拝読していると、我が国に革命を起こし、罪もない大勢の人間を犠牲にしようと考える人々がいるかもしれない、という極端な判断をしてしまいそうな思いもありますね。
皇室の方々が長年ご存在下さることで我が国が構築し続けた権威をしっかりと守り、後世に伝えていきたいものです。