今回の「織田信長 ~歴史の転換者」につきましては、様々な小説ですでに紹介され尽くした感のある信長に関して、私の講座の普段の姿勢どおりに「大きな流れ」をとらえながら、信長の生涯を通じて一つの見解を示すことができたのではないかと思っております。
ただ、久しぶりの歴史講座ということで気合が入ったこともあり、当日は休憩をはさんで2時間半の熱演(?)となってしまいました。最後までお付き合い下さった皆様、本当に有難うございました。
講座の詳しい内容ですが、今回は18回に分けて、10月26日からYouTubeによる映像とともに更新を開始いたしますので、よろしくお願いいたします。
なお、今後の講座の開催予定は下記のとおりです。
第20回 「幕末百景 ~それぞれの立場の幕末史」
日時:平成22年11月27日(土) 午後6時より
(※通常より開始時間が遅くなっております。ご注意下さい)
場所:梅田東学習ルーム
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
会費:無料




いつも有難うございます。
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bittercup 黒田裕樹さま
楽しい一時を過ごさせて頂き、ありがとうございます。
とても刺激になりました。
お名前を誤記し、大変申し訳ありません。
早速訂正しました。
今後ともよろしくお願いします。
bittercupさんへ
黒田裕樹 こちらこそ、わざわざお越し下さって有難うございました。
当方の名前の件はどうぞお気になさらないで下さい。
今後ともよろしくお願いいたします。
ぴーち こんばんは!
お疲れ様でした!
今回は更にパワーアップされた講座が展開されたんですね^^
動画の配信を楽しみに拝見させてください。
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > お疲れ様でした!
> 今回は更にパワーアップされた講座が展開されたんですね^^
> 動画の配信を楽しみに拝見させてください。
有難うございます。
2ヵ月の充電は無駄ではなかったですね(^^ゞ
26日からの更新にご期待下さい!
第19回「黒田裕樹の歴史講座」お疲れ様でした
ロベルト・ジーコ・ロッシ こんばんは。
第19回「黒田裕樹の歴史講座」お疲れ様でした。
26日からの動画の更新を楽しみにしています。
今後とも宜しくお願いします。
ロベルト・ジーコ・ロッシさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
ロベルト・ジーコ・ロッシさんのご期待に添える講座であることを祈念しております。
ぜひご覧下さい!
管理人のみ閲覧できます
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オバrev 黒田先生とは比較になりませんが、私事ですが先日の日曜日に某会で発表してまいりました。
発表の制限時間を見事にオーバーして、座長から警告のブザーをおされてしまいました(^^;)・・・が、全く無視して最後まで話をしてまいりました。
乗ってきたら、途中でやめる訳にはいきませんよd(^-^)ネ!。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 黒田先生とは比較になりませんが、私事ですが先日の日曜日に某会で発表してまいりました。
> 発表の制限時間を見事にオーバーして、座長から警告のブザーをおされてしまいました(^^;)・・・が、全く無視して最後まで話をしてまいりました。
> 乗ってきたら、途中でやめる訳にはいきませんよd(^-^)ネ!。
お疲れ様でした。
仰る気持ち、私もよく分かりますよ。
それにしても、休み休みとはいえ2時間半は長かったです(^^ゞ
黒田節最高!
タケゾー 以前コメントさせて頂きました岐阜県のトラックドライバーです。19回の講座をYouTubeにて拝見させて頂きました。信長は自分のことを神としようとしていたことや、宗教弾圧はしていないということなど非常に深く掘り下げるあたりは新鮮で黒田先生らしいと思いました。また乗ってきたときの黒田節は最高でしたね。(笑)次の講座は幕末ですか。また新鮮な話・黒田節を期待してます。あまりにみんなが期待してプレッシャーになるかも知れませんが・・・それでもやはり黒田先生には他の人にはないなにかを期待してしまいますね。(笑)
イエズス会による布教活動は、イスパニアやポルトガルによる植民地政策と一体化して行われました。布教の拡大によって地元住民にカトリックを信仰させ、その後に「神の名の下(もと)に」侵略を仕掛けることで容易に目的を達成できるという、いわばお互いの利害が一致した結果でした。
我が国との南蛮貿易も、実は布教活動と一体化させていたのであって、現実に1549年にイエズス会のフランシスコ=ザビエルが鹿児島に到着すると、領主である島津貴久(しまづたかひさ)の許可を得て布教活動を開始しました。
ザビエルは鹿児島から京都にのぼった後、山口の大内義隆(おおうちよしたか)や豊後府内の大友宗麟(おおともそうりん、別名を義鎮=よししげ)らの大名の保護を受けてキリスト教(カトリック)の布教活動を続けました。
なお、当時のキリスト教はキリシタン(=切支丹)、あるいは天主教(てんしゅきょう)と呼ばれています。




いつも有難うございます。
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紗那 なるほど、一見関係の無いように思っていたことがここでも絡み合ってるんですね!
植民地政策の一環というわけですか。
日本ではどうだったんでしょうか……
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、一見関係の無いように思っていたことがここでも絡み合ってるんですね!
> 植民地政策の一環というわけですか。
そのとおりです。政治や文化、あるいは宗教を別々に学習していると、こうした理解がなかなかできません。
「歴史の流れ」がいかに大切かということですね。
> 日本ではどうだったんでしょうか……
この頃はまだ大丈夫でした。しかし時代が進むと…。
黒田裕樹さん
風早 りら 宗教と植民地政策
宗教と政治
考えさせられます
宗教を そうした事に利用して欲しくないです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 宗教と植民地政策
> 宗教と政治
> 考えさせられます
> 宗教を そうした事に利用して欲しくないです
私たち日本人にとって、政教分離は当然のことですよね。
でも、諸外国は必ずしもそうではないのが現実です。
そして、かつての我が国でも…これはまた近々取り上げますね。
mari36 スペインと日本の出会いですね。もしかしたら、日本も南アメリカの国々のようになってしまったかもしれなかったのに..危ないところだったのでは、と思います。
mari36さんへ
黒田裕樹 > スペインと日本の出会いですね。もしかしたら、日本も南アメリカの国々のようになってしまったかもしれなかったのに..危ないところだったのでは、と思います。
各地におけるスペインの所業を鑑(かんが)みれば、仰るような危険性も十分にあったと思われるのは当然ですよね。
しかし、現実としてそうならなかったのは、やはり何らかの理由があるということでしょう。
では、その理由とは…いずれ講座で紹介しますね(^^♪