甲斐(かい、現在の山梨県)では守護大名だった武田氏(たけだし)がそのまま戦国大名となり、武田信玄(たけだしんげん、出家前の名は晴信=はるのぶ)が信濃(しなの、現在の長野県など)に進出すると、謙信と信玄は北信濃の川中島(かわなかじま)で何度も激突(げきとつ)しました。これを川中島の戦いといいます。
東海では守護大名の流れをくむ今川義元(いまがわよしもと)が駿河(するが、現在の静岡県東部)を本拠(ほんきょ)として勢力を拡大し、他には三河(みかわ、現在の愛知県東部)の松平氏(まつだいらし)や尾張(おわり、現在の愛知県西部)の織田氏(おだし)、美濃(みの、現在の岐阜県南部)の斎藤氏(さいとうし)らが存在しました。
中国では守護大名の大内氏(おおうちし)が強大な力を持っていましたが、16世紀半ばに大内義隆(おおうちよしたか)が家臣の陶晴賢(すえはるかた)によって倒されると、その晴賢を安芸(あき、現在の広島県西部)の国人(こくじん、地方の豪族のこと)出身の毛利元就(もうりもとなり)が滅ぼし、山陰地方(さんいんちほう)の尼子氏(あまごし)と激しく争いました。
この他、四国では長宗我部氏(ちょうそかべし)が、九州では大友(おおとも)・龍造寺(りゅうぞうじ)・島津(しまづ)の各氏が、また東北では伊達氏(だてし)らが有力な戦国大名として君臨(くんりん)していました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
こうして伺っていると、戦国時代に活躍していた武将の名前は今でも有名な方ばかりで、本当に日本全国、北から南まで戦いが繰り広げられていたのですね~改めて、驚きました!!
それでは応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こうして伺っていると、戦国時代に活躍していた武将の名前は今でも有名な方ばかりで、本当に日本全国、北から南まで戦いが繰り広げられていたのですね~改めて、驚きました!!
確かにそうそうたる顔ぶれですね(^^ゞ
戦国時代という名に嘘はないということがよく分かります。
紗那 戦国時代……!
いつの間にか講座の方も話が進んでたのですね!
しかし、あまりに興味ありすぎて今回の内容は知ってることばかりでした←
あ、でもそれはそれでいいことですよね♪
紗那さんへ
黒田裕樹 > 戦国時代……!
> いつの間にか講座の方も話が進んでたのですね!
そうなんです(笑)。
やっと戦国時代に入りましたが、まだ先は長い…。
> しかし、あまりに興味ありすぎて今回の内容は知ってることばかりでした←
> あ、でもそれはそれでいいことですよね♪
もちろんそうですよ(^^♪
まずは有名な戦国大名の紹介ですが、ここからは専門的な内容になるかも!?
上杉謙信は
オバrev あれ~、上杉謙信は関東管領だったんですか(O_O)
その後、信濃に移ったんでしょうか。
それにしても、この戦国時代に生き残るのは大変だったんでしょうね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > あれ~、上杉謙信は関東管領だったんですか(O_O)
> その後、信濃に移ったんでしょうか。
長尾景虎は1561年に関東管領の上杉憲政(うえすぎのりまさ)からその地位を譲られ、名を上杉政虎(うえすぎまさとら)と改めています。そして、同じ年に信玄との死闘で有名な4回目の川中島の戦いが起きているんですよね。
ちなみに、謙信と名乗ったのは1570年です。
> それにしても、この戦国時代に生き残るのは大変だったんでしょうね。
群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の世ですからね。勢力争いは半端(はんぱ)ではなかったでしょう。
:黒田裕樹さん
風早 りら 上杉謙信
武田信玄
今川義元
毛利元就
馴染みの深い 名前 登場
益々 楽しみに なってきました
戦国時代のお話 やはり 心トキメキますね
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 上杉謙信
> 武田信玄
> 今川義元
> 毛利元就
> 馴染みの深い 名前 登場
> 益々 楽しみに なってきました
> 戦国時代のお話 やはり 心トキメキますね
このあたりは有名どころですからね。
次回(15日)からは戦国大名の統制力について探ってみたいと思います。
連コメですが
オバrev あ~、なるほど。越後に居ながら関東管領の職を兼務したってことですか?
オバrevさんへ その2
黒田裕樹 いえいえ、連コメも歓迎しますよ(笑)。
> あ~、なるほど。越後に居ながら関東管領の職を兼務したってことですか?
そのとおりです。もともとこの頃までには関東管領は有名無実化していましたからね。
謙信が関東管領を引き受けたことで、北条氏とは宿敵となってしまったことが、後の謙信の行動の大きな制約になった可能性が高いですね。