これに対して、より自由な活動を求めて地方への布教(ふきょう)を目指した禅宗諸派(ぜんしゅうしょは)が、地方の武士や庶民の支持を受けて各地に広がっていきました。
禅宗諸派は叢林(そうりん)と呼ばれた五山に対して林下(りんか)と称(しょう)され、京都の臨済宗の寺院である大徳寺(だいとくじ)や妙心寺(みょうしんじ)が、地方では曹洞宗(そうとうしゅう)の永平寺(えいへいじ)や総持寺(そうじじ)が有名です。
ところで、皆さんは「とんち」で有名な一休(いっきゅう)さんをご存知ですか?
一休さんの本名は一休宗純(いっきゅうそうじゅん)ですが、実は大徳寺の住職(じゅうしょく)にまで出世した高僧(こうそう)なんですよ。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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サクラ この時代は戦乱などの影響で、帝都の文化が地方に広まっていった時代なんですね。
受け入れる側も、しっかりとした政権ができていなければ、文化が根付かなかったと思います。
あれ? 一休さんはそんなところまで出世していたんですか。
何れにしろ、全てを捨てましたよね。
サクラさんへ
黒田裕樹 > この時代は戦乱などの影響で、帝都の文化が地方に広まっていった時代なんですね。
> 受け入れる側も、しっかりとした政権ができていなければ、文化が根付かなかったと思います。
仰るとおりですね。
戦乱の中であっても、領地をしっかりと守れる戦国大名のもとではそれなりに平和が保たれましたからね。
> あれ? 一休さんはそんなところまで出世していたんですか。
> 何れにしろ、全てを捨てましたよね。
大徳寺の住職にはなったものの、晩年の住処(すみか)となった酬恩庵(しゅうおんあん)からは動きませんでしたからね。一休さんの伝説には色々あって興味深いです。
ぴーち こんばんは!
叢林なんて今では余り使わない言葉だと思うのですが、そうでもないでしょうか?
一休さんは、いろんな説があるんですね。
それでも、5歳の天才。二十歳の鈍才ではないところがすごい方だったんでしょうね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 叢林なんて今では余り使わない言葉だと思うのですが、そうでもないでしょうか?
確かに今では滅多に使いませんね。
林下の方は今でも耳にすることがありますが…。
> 一休さんは、いろんな説があるんですね。
> それでも、5歳の天才。二十歳の鈍才ではないところがすごい方だったんでしょうね。
天才はいつまでも天才であり続けたと言えますね。
たまに「奇才」と呼べる部分もあったようですが(^^ゞ
黒田裕樹さん
風早 りら 大徳寺の住職が休宗純
一休さんですか
絵本や漫画の一休さんしか知りませんでした
黒田先生のお陰で 歴史だけでなく
一般常識も 覚えることが出来ます
有り難く 思っています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 大徳寺の住職が一休宗純
> 一休さんですか
> 絵本や漫画の一休さんしか知りませんでした
> 黒田先生のお陰で 歴史だけでなく
> 一般常識も 覚えることが出来ます
> 有り難く 思っています
とんちの一休さんは誰しもがご存知ですが、実像となるとなかなか知られていませんからね。
今日もりらさんのお役に立てて光栄です。
そうめん お久しぶりです。
テストがあったもので。。。
一休さんは高僧だったんですか・・
参考になりました(^^;)
そうめんさんへ
黒田裕樹 > お久しぶりです。
> テストがあったもので。。。
テストの季節ですからね。お疲れ様でしたm(_ _)m
> 一休さんは高僧だったんですか・・
> 参考になりました(^^;)
歴史に名を残す僧は、やはりそれなりに高い地位を残していることが多いですよ(例外もありますが)。
今回のような知識を増やして、歴史への理解につながればと思います。