絵画では、北山文化で発達した水墨画が、この頃に現れた雪舟(せっしゅう)が日本的な水墨画様式を創造して全盛期を迎えました。また大和絵(やまとえ)では応仁の乱後に土佐光信(とさみつのぶ)が出て土佐派を再興し、また狩野正信(かのうまさのぶ)・元信(もとのぶ)父子が水墨画と大和絵とを巧(たく)みに融合(ゆうごう)して新しく狩野派を興(おこ)しました。
雪舟の代表的な作品には秋冬山水図(しゅうとうさんすいず)がありますが、子供の頃に叱(しか)られて流した涙でネズミの絵を描いたという伝説の方が知られているかもしれませんね(笑)。また、京都の大徳寺大仙院花鳥図(だいとくじだいせんいんかちょうず)は、狩野元信の作と伝えられています。
彫刻では仏像彫刻が衰(おとろ)える一方で、能の隆盛につれて能面(のうめん)の製作が発展し、工芸では金工(きんこう、金属に細工をする工芸のこと)の後藤祐乗(ごとうゆうじょう)が名作を残したほか、漆工(しっこう、うるし細工のこと)の技術が進んだことで精巧(せいこう)な蒔絵(まきえ)もつくられるようになりました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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風早 りら 雪舟の水墨画
能面の制作の発展
蒔絵
この時代は 日本の文化 華やかでしたね
現代より むしろ 素敵だったような気がします
その 文化 大事にする 義務がありますよね
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 雪舟の水墨画
> 能面の制作の発展
> 蒔絵
> この時代は 日本の文化 華やかでしたね
> 現代より むしろ 素敵だったような気がします
> その 文化 大事にする 義務がありますよね
仰るとおり、長い年月をかけて花咲かせた伝統文化ですから、これからも続けたいものですね。
私たちは次世代にバトンをつなぐ重大な義務を背負っています。
ぴーち こんばんは!
雪舟のねずみの話は存じておりました~!
知り合いに(日光彫という彫り物の表面に塗装)漆塗の職人さんがいらっしゃるんですが、
ダンプの運転手をされていたんですが事故で両足を失ってしまい、その後、漆職人の技術を習得する為に、まずは被れを克服する為に漆を食したそうですが、体の中の痒みに相当苦労した話を伺った事がありました。。
しかし、漆塗は渋いながらも高級感溢れる艶感が
美しいですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 雪舟のねずみの話は存じておりました~!
有名な伝説ですからね。聖徳太子とか、偉人には何らかの伝説があるものです。
> 知り合いに(日光彫という彫り物の表面に塗装)漆塗の職人さんがいらっしゃるんですが、
> ダンプの運転手をされていたんですが事故で両足を失ってしまい、その後、漆職人の技術を習得する為に、まずは被れを克服する為に漆を食したそうですが、体の中の痒みに相当苦労した話を伺った事がありました。。
> しかし、漆塗は渋いながらも高級感溢れる艶感が
> 美しいですね。
そのようなエピソードがあるのですか…。
職人の方々の、まさに身体を張った修業が素晴らしい芸術を支えているのですね。
お話有難うございます。