現在は慈照寺(じしょうじ)として知られる銀閣は、書院造(しょいんづくり)と禅宗様の仏殿(ぶつでん)から成り立つこの時期の文化を象徴する建築であることから、この時代の文化は東山文化(ひがしやまぶんか)と呼ばれています。
銀閣の下層や東求堂同仁斎(とうぐどうどうじんさい)に見られる書院造はそれまでの寝殿造を母体として、畳(たたみ)をしいた部屋の境(さかい)を襖障子(ふすましょうじ)で仕切り、床間(とこのま)や違棚(ちがいだな)、あるいは付書院(つけしょいん)などを設(もう)けて、明障子(あかりしょうじ)を用いるなどの特徴があり、近代の和風住宅の原型となりました。
また、この頃には造園の方式も発達して、竜安寺(りょうあんじ)や大徳寺大仙院(だいとくじだいせんいん)などの庭園における、岩石や砂利(じゃり)を組み合わせて象徴的な自然をつくり出した枯山水(かれさんすい)が有名です。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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サクラ 銀閣ですか!
慈照寺は今年の夏、初めての一人旅で行きました。
プラモデルのような金閣とは対照的で、その風情にとても感動したものです。
まさに四百年以上前の空気が詰められている感じでした。
しかし、さすがに中を見学するってことは出来なかったですね。
あと、明治憲法の記事を拝見させていただきました。
「議会が決めた事を陛下が認めるという制度だったが、認めないなんてことはなかったんだろうな」
というのが今までの認識だったんですが――実際はもっと形式的だったんですね。
「統治」という言葉の意味を知れば、実際には今と陛下の立ち位置は変わらないですね。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 銀閣ですか!
> 慈照寺は今年の夏、初めての一人旅で行きました。
> プラモデルのような金閣とは対照的で、その風情にとても感動したものです。
> まさに四百年以上前の空気が詰められている感じでした。
> しかし、さすがに中を見学するってことは出来なかったですね。
銀閣は創建時の姿そのままですし、金閣と違って銀(?)の箔も押していませんから、当時の風情がそのまましのばれるような雰囲気がありますよね。
国宝ですから、さすがに簡単には中に入れないというわけですね。
> あと、明治憲法の記事を拝見させていただきました。
> 「議会が決めた事を陛下が認めるという制度だったが、認めないなんてことはなかったんだろうな」
> というのが今までの認識だったんですが――実際はもっと形式的だったんですね。
> 「統治」という言葉の意味を知れば、実際には今と陛下の立ち位置は変わらないですね。
仰るとおりです。
「戦前の日本は何でも一方的で、国民が虐げられていた」という正しいとは言えない価値観がそのまま教えられている現状では、明治憲法の真の姿はなかなか理解できそうもなく、残念に思います。
ぴーち こんばんは!
私も一度だけ・・
はるか昔の話ですがw
「銀閣寺」を目の当たりにした事があります。
でも既にどんな外観だったのか、記憶が随分と薄れてしまっていますね^^;(金閣寺から比べると、随分地味な印象だけが残っています)
ただ、何処かのお寺の庭の
「枯山水」の様子だけは、今でもはっきりと覚えています。
イギリスなどの庭園も素敵ですが、
日本の庭づくりのセンスは世界に誇れる美しさですね!
応援凸
:黒田裕樹さん
風早 りら 東山文化の素晴らしさ 伝わる 今回のアップ
床間や違棚も東山文化からだったのですね
造園の枯山水も同じなのですね
素敵な日本の文化 発信だったんですね
素敵な事ですよね
それを 教えて下さる 先生のセンス感じます
オバrev 京都へは何度か行っていますが、慈照寺銀閣は渋いと言うか味がありますね。まさにわび・さびの世界ですね。
それに竜安寺石庭の枯山水なんて西洋人には理解できないでしょう。日本人ならではの感性だと思います。
ところで尖閣諸島をめぐる日中の応酬ですが、日清戦争もこういうのがエスカレートして戦争に突き進んだんですかね。
しかし当時の日清の軍事力を考えると、今よりもっと差があったんじゃないでしょうか。よくぞ踏み切ったというか、情報収集をしていて勝算を見つけたんでしょうね。
そういう情報収集が今の民主党にはできてないように思います。首相は官房長官に帰国までにカタを付けろと言い、官房長官は法務大臣を脅し、法務大臣は検察に圧力をかけ、検察トップの検事総長が那覇地検に命令したんでしょう。現場の検察官は地団駄踏んで悔しがったらしいです。
どこかで誰かストップをかけることはできなかったんだろうか orz
タカシ☆TZR いつも楽しく拝見してます.
龍安寺方丈庭園の作庭時期については諸説ありますね.室町時代は寺院の方丈の南側は儀式のため庭園をつくらないことになっていたので,金地院崇伝以後の方丈南側につくるようになってからというのがもっともらしいと自分は思っています.石の表情など江戸初期の庭園にしてはあまりに異質ではありますが.伏石や平石ばかりで石がしっかり据えられていないようなので,エラい人がきたときには片付けていた…という話も聞いたことがあり,これも面白いのですが,どっちにしろ現在のように落ち着いたのは近世になってからではないでしょうか.
慈照寺東求堂は大好きな建築の一つです.垂木って普通は柾目が下になるようにするのですが(そのほうが構造的に強い),東求堂は下面杢で杢目が見えるようになっているんです.杢目を愛でるようになったのがこの時代なのかどうかはよくわかりませんが,東山文化の時代であればもっともらしい気がします.
大仙院の龍門瀑もいいですね.
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 私も一度だけ・・
> はるか昔の話ですがw
> 「銀閣寺」を目の当たりにした事があります。
> でも既にどんな外観だったのか、記憶が随分と薄れてしまっていますね^^;(金閣寺から比べると、随分地味な印象だけが残っています)
そうなんですね。
銀閣は、銀箔を押していない分、確かに地味な印象がありますので、記憶に残りにくいかもしれませんね。
ただ、その分当時の「わびさび」がダイレクトに伝わってくるような感じが素晴らしくもあります。
> ただ、何処かのお寺の庭の
> 「枯山水」の様子だけは、今でもはっきりと覚えています。
> イギリスなどの庭園も素敵ですが、
> 日本の庭づくりのセンスは世界に誇れる美しさですね!
私もそう思います。
枯山水の芸術は、他国には真似できないと思いますよ(^^♪
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 東山文化の素晴らしさ 伝わる 今回のアップ
> 床間や違棚も東山文化からだったのですね
> 造園の枯山水も同じなのですね
> 素敵な日本の文化 発信だったんですね
> 素敵な事ですよね
> それを 教えて下さる 先生のセンス感じます
有難うございます。
現代に通じる素敵な文化は、仰るように東山文化から発信されていることが多いです。
文化史を伝えるのは一苦労ですが、りらさんのお言葉が励みになります。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 京都へは何度か行っていますが、慈照寺銀閣は渋いと言うか味がありますね。まさにわび・さびの世界ですね。
> それに竜安寺石庭の枯山水なんて西洋人には理解できないでしょう。日本人ならではの感性だと思います。
日本人の「わびさび」や枯山水に見られる完成は独特ですからね。
「もののあわれ」を愛でる日本人の一面は、仰るように他国には理解できないと思われます。
> ところで尖閣諸島をめぐる日中の応酬ですが、日清戦争もこういうのがエスカレートして戦争に突き進んだんですかね。
> しかし当時の日清の軍事力を考えると、今よりもっと差があったんじゃないでしょうか。よくぞ踏み切ったというか、情報収集をしていて勝算を見つけたんでしょうね。
> そういう情報収集が今の民主党にはできてないように思います。首相は官房長官に帰国までにカタを付けろと言い、官房長官は法務大臣を脅し、法務大臣は検察に圧力をかけ、検察トップの検事総長が那覇地検に命令したんでしょう。現場の検察官は地団駄踏んで悔しがったらしいです。
> どこかで誰かストップをかけることはできなかったんだろうか orz
ストップをかけられるような政治的判断ができるような人材は、現政権には皆無だったという証明になっていますね。
地団太踏んで悔しがっているのは、多くのサイレントマジョリティーも同じだと思いますよ。
かつての長崎事件のように、中国は日本の虎の尾を踏んだ。そう思わせるような展開に持ち込みたいですね。
ピンチはチャンスでもありますから。
タカシ☆TZRさんへ
黒田裕樹 ご丁寧なお言葉有難うございます。
庭園や寺院には歴史がありますから、仰るとおり後世に何らかの手が加えられている可能性は十分にあると思います。
ただ、建築当時の風情はそのままに守られているような気もしますね。いずれにせよ、我が国の歴史を象徴するかけがえのない文化だと感じております。