だとすれば、家康は平和の実現のために力を尽くしたことになり、そんな彼に対して最もふさわしい言葉は「家康は平和主義者だった」ではないでしょうか。
しかしながら、豊臣家に対する陰湿な滅ぼし方や、大名に対する巧妙(こうみょう)な統治、天皇に政治をさせないために手の込んだ対策を講(こう)じる一方で皇室の権威やシステムをちゃっかりと利用するという浅ましさ、さらには政教分離の実現のための手法など、家康の政策には「ずる賢(がしこ)い」「汚(きたな)い」という言葉がよく似合うことで、我が国に平和をもたらしたというイメージとはかけ離れた印象があります。
実は、この矛盾(むじゅん)こそが、私たち日本人が知らず知らずのうちに抱いている平和に対する誤解なのです。




いつも有難うございます。
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風早 りら 今回の先生の講座で
家康の様々な面が浮かび
あがりました
やはりかなりどちらにしても
頭はよさそうです
.
ぴーち こんばんは!
こうして家康の半生を振り返ってみると、幼少期に受けた心の傷や、耐え忍んだ抑圧された日々と言うのが、いかに彼の性格の歪みの部分を形成してしまったのかと考えると、哀れにも感じます。
しかし、そういう時期があってこそ家康という人物がここまでにのし上がることが出来、結果として「江戸時代」は平和な260年間と言う時を刻むことが出来た訳ですよね。
もしも、家康の幼少期が「蝶よ花よ」で育てられたとしたら、また、歴史は変わっていたのかも知れませんね^^;
応援凸
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およよのよ 徳川家康は江戸の地で幕府二世紀半の平和の基盤を築いた立派な人です。
「狸じじい」のイメージはあまりにひどいのでは。
まあずる賢い事は否定しない、むしろ肯定したいですが。
世界史でも中々無いくらいの平和らしいですからねー。
お久しぶりですがこちらのブログのおかげで一学期中間、期末、良い点を取ることが出来ました。
しかし順位表だとそれほど高くない。やっぱり日本史好き多いですね、負けてられぬ。
世界史は一位を取ることが出来ました。黒田先生は元教師との事ですが世界史は講座出来るんですか?
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 今回の先生の講座で
> 家康の様々な面が浮かび
> あがりました
> やはりかなりどちらにしても
> 頭はよさそうです
そうですね。頭がよくなければ、あるいは他人に考えさせるとしてもそれを認める度量と頭脳がなければここまでは至らなかったでしょう。
様々な面については、次回以降にも紹介できると思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こうして家康の半生を振り返ってみると、幼少期に受けた心の傷や、耐え忍んだ抑圧された日々と言うのが、いかに彼の性格の歪みの部分を形成してしまったのかと考えると、哀れにも感じます。
> しかし、そういう時期があってこそ家康という人物がここまでにのし上がることが出来、結果として「江戸時代」は平和な260年間と言う時を刻むことが出来た訳ですよね。
> もしも、家康の幼少期が「蝶よ花よ」で育てられたとしたら、また、歴史は変わっていたのかも知れませんね^^;
確かに普通でない生活は、尋常ではない性分を生み出すといえますね。
ただ、それをバネに260年の平和な時代を築き上げたという現実はやはり高く評価すべきでしょう。
ただ、仰るとおり「三河の殿様」で一生を終わっていれば、世の中はどう動いたか分からないですね(^^ゞ
およよのよさんへ
黒田裕樹 > 徳川家康は江戸の地で幕府二世紀半の平和の基盤を築いた立派な人です。
> 「狸じじい」のイメージはあまりにひどいのでは。
> まあずる賢い事は否定しない、むしろ肯定したいですが。
> 世界史でも中々無いくらいの平和らしいですからねー。
これはこれはお久しぶりです(^o^)/
確かに、江戸時代は世界史レベルでも自慢(?)できる平和な時代ですからね。
それを「狸爺」ではあまりにも可哀そうです。
> お久しぶりですがこちらのブログのおかげで一学期中間、期末、良い点を取ることが出来ました。
> しかし順位表だとそれほど高くない。やっぱり日本史好き多いですね、負けてられぬ。
> 世界史は一位を取ることが出来ました。黒田先生は元教師との事ですが世界史は講座出来るんですか?
私のブログがお役に立ったようで、こちらとしてもうれしい限りです(^_^)v
世界史ですか…。できないことはないですが、もともとは公民が専門ですから(本当)。
「黒田裕樹の世界史講座」。いつの日かやってはみたいですけれどもね。
徳川家康の人生経験
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
よく、考えてみたら、徳川家康の『ダーティー』な能力は、自分自身の幼少時代の経験だけではなく、長生きしたことによって、いろいろ観てきたことも財産になったこともあるような気がします。
① 今川氏、武田氏、北条氏という巨族も判断を誤ると一瞬で、滅んでしまうことを知る。
(北条氏は、250万石の大大名、武田氏も最強と言われた。)
② 『天下統一の一歩手前まで行っていた織田信長も家臣の明智光秀に本能寺の変で殺される。』ことを同盟者という立場から、実感する。
→ どんなに優勢であっても、少しでも危険要因を残していると一瞬で、コチラが滅ぼされる。
③ 『徳川家康は、五大老の筆頭なのに石田三成のような優秀な官僚が出現すると反徳川軍が8万人も出来ること』を関ヶ原の戦いで知る。
やはり、徳川家康自身の人生で、①②③を経験していると
豊臣家を滅ぼしていないと怖くて、不安で、仕方ないのも納得できます。
正直、石田三成、淀殿、真田幸村
がいくら有能でも、戦国時代とは、どういう社会かを実際に観て、経験していた徳川家康には
勝てない気がします。
それと
今の日本=豊臣家
徳川家康= 外国
にたとえると、
外国の要求に従って、ジリジリと国益を損なっているのが今の日本だと感じるのは、気のせいでしょうか。
青田さんへ
黒田裕樹 仰る一面はありますね。
長すぎる安定は、身を滅ぼす元なのかもしれません。