江戸時代の大名は、徳川家の縁戚(えんせき)に当たる親藩(しんぱん)、関ヶ原以前から徳川家の家臣であった譜代(ふだい)、関ヶ原以後に徳川家に従った外様(とざま)に大きく分かれますが、これらのうち江戸幕府の政治の中心となって活躍した多くの大名は譜代であり、また彼らの領地は多くても10万石前後に留まっていました。
つまり、政治に参加して権力を与えられた者には財力を与えず、逆に政治に参加できずに権力を与えられなかった者に対しては、その代わりとして財力として広大な領地を与えたのです。室町幕府の失敗の教訓を生かした 「大名の権力と財力との分散」によって、家康は大名の統治に成功したのでした。
ところで、家康は自身の持つカリスマ性によって、いわゆるトップダウン型の独裁政治が可能でしたが、自分の死後の江戸幕府には、それだけの資質を持つ将軍が常に誕生するとは限りません。だとすれば政治のシステムをどのように調整すればよいのでしょうか?




いつも有難うございます。
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風早 りら 「政治に参加して権力を与えられた者には財力を与えず、逆に政治に参加できずに権力を与えられなかった者に対しては、その代わりとして財力として広大な領地を与えたのです」
この考え 家康以前にはなかった事ですよね
凄い頭脳ですね
今さらながら感心しました
ありがとうございます
.
紗那 なるほど!長年の謎が解けました!
なぜ、譜代大名の領地が少ないのか、小学生の頃から疑問だったんです!
なるほど、そういう理由だったのですか……!
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「政治に参加して権力を与えられた者には財力を与えず、逆に政治に参加できずに権力を与えられなかった者に対しては、その代わりとして財力として広大な領地を与えたのです」
> この考え 家康以前にはなかった事ですよね
> 凄い頭脳ですね
> 今さらながら感心しました
> ありがとうございます
言われてみれば当たり前のことでも、考案する才能は並大抵ではありません。
「歴史に学ぶ」ことは素晴らしいですね。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど!長年の謎が解けました!
> なぜ、譜代大名の領地が少ないのか、小学生の頃から疑問だったんです!
> なるほど、そういう理由だったのですか……!
そういうことです(^^♪
財力と権力を実にうまく使い分けていますよね。
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ぴーち こんばんは!
先人の失敗を教訓にしながら、
家康没後の徳川家安泰の為の模索まで考えを巡らす幅の広さは、さすがですよね。
目先の事ばかりに囚われない生き方を少しばかり教えていただいた気がします^^;
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 先人の失敗を教訓にしながら、
> 家康没後の徳川家安泰の為の模索まで考えを巡らす幅の広さは、さすがですよね。
> 目先の事ばかりに囚われない生き方を少しばかり教えていただいた気がします^^;
全くその通りだと思います。
家康の生き方から学ぶことは多いですね。