貿易における我が国からの輸出品は刀剣(とうけん)や>鎧(よろい)などの武具、銅や硫黄(いおう)などの鉱産物(こうさんぶつ)、扇や屏風(びょうぶ)などの工芸品が中心であり、輸入品は銅銭(どうせん)が圧倒的に多く、その他には生糸(きいと)や高級織物などが輸入されました。なお、銅銭は明銭(みんせん)として我が国に普及し、先述(せんじゅつ)のとおり我が国の貨幣の流通に大きな影響をもたらしました。
さて、幕府が衰え始めた15世紀の後半に入ると、貿易の実権は堺の商人と結んだ細川氏(ほそかわし)と、博多の商人と結んだ大内氏(おおうちし)の両者の手に移りました。貿易による利権をめぐって争った両者は、1523年に明の貿易港である寧波(ニンポー)で武力衝突(しょうとつ)しました。この争いを寧波の乱(ニンポーのらん)といいます。
両者の争いは大内氏の勝利に終わり、以後は大内氏が貿易を独占しましたが、1551年に大内氏が滅亡すると貿易は廃絶(はいぜつ)となり、先述の後期倭寇の活動が目立つようになりました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
(※通常の更新は今回でしばらく中断して、明日[8月11日]からは第17回歴史講座の内容の更新を開始します)




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
或世梨音 コメント、感謝です。
今後も宜しくお願いします。
日本史の授業は来年からなので、いまいちここの分野のことはわかっていません。
戦をするほど貿易が盛んなのは喜ぶべきなのかはたまた…
或世梨音さんへ
黒田裕樹 > コメント、感謝です。
> 今後も宜しくお願いします。
いえいえ、ご丁寧なお言葉有難うございます。
こちらこそよろしくお願いします。
> 日本史の授業は来年からなので、いまいちここの分野のことはわかっていません。
日本史は高校2年からというのが多いようですね。
今のうちに理解してしまいましょうか(^^♪
> 戦をするほど貿易が盛んなのは喜ぶべきなのかはたまた…
貿易のうまみは独占したいものですからね。
ましてや戦国時代ですから…。
.
紗那 ・・・・・・!
貿易の利益を争ったという話は、授業でも聞いたことが有りましたし、具体的にどことどこが争ったのかも自分で調べた事があるのですが、なんとその衝突の舞台は海外だったんですか^^;
てっきり国内でやっていたのだと・・・・・・
貿易を新たにしようという大名はいなかったんでしょうか?
紗那さんへ
黒田裕樹 > ・・・・・・!
> 貿易の利益を争ったという話は、授業でも聞いたことが有りましたし、具体的にどことどこが争ったのかも自分で調べた事があるのですが、なんとその衝突の舞台は海外だったんですか^^;
> てっきり国内でやっていたのだと・・・・・・
寧波(ニンポー)は明の町ですからね。
海外で日本人が利権をかけて戦う…確かに印象が薄いです(^^ゞ
> 貿易を新たにしようという大名はいなかったんでしょうか?
1551年は戦国大名が群雄割拠の時代ですからね。日明貿易よりも南蛮貿易の方が魅力的でしたし。
黒田先生.
風早 りら コメント 嬉しかったです
今日は 体調が 悪く
講座が 頭に 入りません
また 明日 伺います
風早りらさんへ
黒田裕樹 > コメント 嬉しかったです
> 今日は 体調が 悪く
> 講座が 頭に 入りません
> また 明日 伺います
体調がすぐれない中をお言葉いただき有難うございます。
ご回復を待っておりますよ。
mochimochi 日本が刀を輸出していたのですね。
17世紀には朝鮮にも輸出していたと思うのですが。
朝鮮はそれを中国の重要な人物に贈っていたとどこかで読んだことがあります。
ちなみに、それらを記録している書物は残っているのですか?
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 日本が刀を輸出していたのですね。
> 17世紀には朝鮮にも輸出していたと思うのですが。
> 朝鮮はそれを中国の重要な人物に贈っていたとどこかで読んだことがあります。
> ちなみに、それらを記録している書物は残っているのですか?
江戸時代にも我が国と朝鮮との交流はありましたからね。対馬藩が幕府の管理のもとに貿易を行っていました。
仰った件ですが、私は残念ながら書物については存じ上げません。申し訳ないです。