秀吉の死後に江戸幕府(えどばくふ)を開いた家康も、宗教勢力の弱体化を目指しました。例えば、一向一揆を繰り返すなど屈指(くっし)の武闘派(ぶとうは)であった浄土真宗(じょうどしんしゅう)の本拠地(ほんきょち)である本願寺を東西に分け、お互いが争うことで幕府に対して逆らわないようにするという分割統治に成功しました。
また、家康の死後には檀家制度(だんかせいど)を採用して、国家権力が寺院に権益を与えることで逆に統制し、宗教が政治に関わる必要を一切なくしてしまいました。本願寺の分断や檀家制度は現代においても続いており、家康や江戸幕府による行政手腕がいかに高かったのかを間接的に証明していますね。
結果として暮らしへの大きな障害となっていた宗教勢力の武装解除を望んでいた国民の期待に応えたからこそ、信長から秀吉、そして家康に至る政治は国民の支持を受け、江戸幕府が長く存続したという一面が見受けられるのです。しかし、そんな江戸幕府の政治能力にも限界が見られるようになっていきました。




いつも有難うございます。
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ぴーち 信長の様に怒りの感情のまま、猪突猛進型では
上に立つ者は成功しないのでしょうね。やはり「一を知って十を知る」「先見の明」と言うものを持ち合わせて居て常に冷静沈着な者には、到底敵わないものですね^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 信長の様に怒りの感情のまま、猪突猛進型では
> 上に立つ者は成功しないのでしょうね。やはり「一を知って十を知る」「先見の明」と言うものを持ち合わせて居て常に冷静沈着な者には、到底敵わないものですね^^
仰ることも一理ありますね。
猪突猛進型では長続きできないのですが、あえて強引に推し進めることで、後の人間が楽になることもあります。例えば信長による比叡山焼き討ちの洗礼がありますから、秀吉の脅迫に高野山が従ったというのもありますし。
後半は全くその通りです。政治家には長期的な視野に立って、我が国のための政策を粛々と実行してほしいものです。
.
智里 知らなかったΣ(゚□゚(゚□゚*)!!
本願寺を東と西に分けたのって家康公だったんですね!
しかもお互いを争わせるとは考えましたね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
そして、檀家制度を採用したのってすごいですよね。
宗教が政治に関わる必要を一切なくすことによって、同じ過ちを繰り返すことが無くなりましたよね。
宗教勢力って本当に恐ろしいっす!!
智里さんへ
黒田裕樹 > 知らなかったΣ(゚□゚(゚□゚*)!!
> 本願寺を東と西に分けたのって家康公だったんですね!
> しかもお互いを争わせるとは考えましたね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
「敵の勢力を削(そ)ぐには分割統治に限る」といいます。
勢力が二つに割れれば、自然と内部で争うようになり、為政者としてはやりやすくなる。厳しい現実ですが、これも一つの政治の手法ですからね。
> そして、檀家制度を採用したのってすごいですよね。
> 宗教が政治に関わる必要を一切なくすことによって、同じ過ちを繰り返すことが無くなりましたよね。
> 宗教勢力って本当に恐ろしいっす!!
家康も宗教勢力にはさんざん悩まされましたから、その政策を引き継いだ江戸幕府が考えに考え抜いた末での結果だったのでしょう。現代にもつながっているあたりが凄いと思います。
そんな中、強大な武力を背景とした宗教勢力が特にその実力を示すようになりました。宗教勢力は自己の支配地に多額の税金をかけることで資金を集めて武力を拡大したり、また宗教勢力同士の争いで周辺が焼け野原になったりするなど、いつしか宗教勢力は人々の暮らしや商業の発達に大きな障害となっていきました。
当時の人々の多くは、大きな障害と化した宗教勢力を追放して、元の過ごしやすい世の中に戻してほしいと熱望していましたが、そんな中で現れたのが織田信長だったのです。
信長は自己の武力を担保(たんぽ)に宗教勢力に武装解除(ぶそうかいじょ)を迫(せま)りましたが、利権を手放したくない宗教勢力はこれに反対し、逆に信長を滅ぼそうとしました。生命の危機を感じた信長は激怒して比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を焼討(やきう)ちし、一向一揆(いっこういっき)の勢力を女子供に至(いた)るまで皆殺しにしました。




いつも有難うございます。
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そうめん 室町、戦国時代ですか~
ここはまだ習っていませんが予習という意味で参考になりました(^^;)
織田信長ですか~。
確か、後に本能寺の変で明智光秀に襲われて自害したんですよね。
.
紗那 宗教勢力は、今も昔も強かったんですね。
(今は宗教団体ですが汗)
そういう利権とかにこだわるところも一緒な気がします。
とはいえ、そんな宗教勢力に対してでも焼き討ちまでしてよかったんだろうか、とは僕は思っているのですが。
黒田先生
風早 りら いよいよ皆さんに人気がある信長登場ですね
私の友達はみんな信長が大好きです
これからの信長関係の話は友達に伝えたいと思っています
宜しくお願いします
.
ぴーち こんばんは!
女子供に至るまで皆殺しですか。。
人道的に考えると非常に冷酷で血も涙も無い人間だと思うのが当然だと思いますが、それが戦と言うものなんだと思います。例え、女子供でも生かしておいては、子供などは、いづれ成長した暁には復讐の為に自分を襲うかも知れないと自分の身を案じたのでは。。?
それでは、応援凸
そうめんさんへ
黒田裕樹 > 室町、戦国時代ですか~
> ここはまだ習っていませんが予習という意味で参考になりました(^^;)
お役に立てて何よりです。
歴史はつながっていますから、先に勉強しておくことは良いことですよ(^^♪
> 織田信長ですか~。
> 確か、後に本能寺の変で明智光秀に襲われて自害したんですよね。
そのとおりです。
本能寺の変については、以前に私がその経緯を推測して講座を行っています。
よろしければ、第4回歴史講座をご覧ください。
また、信長についても9月の第19回歴史講座で紹介する予定です。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 宗教勢力は、今も昔も強かったんですね。
> (今は宗教団体ですが汗)
> そういう利権とかにこだわるところも一緒な気がします。
確かに構造的な面では大きな変化はないかもしれません。
だとすれば、仮に現在の団体に武力を持たせればどうなるか…。
あくまで想像の世界ですけどね(^^ゞ
> とはいえ、そんな宗教勢力に対してでも焼き討ちまでしてよかったんだろうか、とは僕は思っているのですが。
そのお気持ち、よく分かります。
しかし、現代と違って当時は食うか食われるかの戦国時代。
ましてや平和的な解決を打ち出した信長に対して、先に手を出したのは宗教勢力の方ですからね。
比叡山の焼き討ちは、当然の報復として信長が考えていたとしても不思議ではありません。
現代の価値観で過去の歴史を見てばかりではいけないということなんですよね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > いよいよ皆さんに人気がある信長登場ですね
> 私の友達はみんな信長が大好きです
> これからの信長関係の話は友達に伝えたいと思っています
> 宜しくお願いします
有難うございます。
ただ、残念なことに今回の講座では信長の話は今日(29日)限りなんですよね。
9月の講座で信長に関して詳しく紹介する予定ですし、また第10回の歴史講座で間接的に信長を紹介しておりますので、よろしければご参考になさって下さい。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 女子供に至るまで皆殺しですか。。
> 人道的に考えると非常に冷酷で血も涙も無い人間だと思うのが当然だと思いますが、それが戦と言うものなんだと思います。例え、女子供でも生かしておいては、子供などは、いづれ成長した暁には復讐の為に自分を襲うかも知れないと自分の身を案じたのでは。。?
ぴーちさんのお考えは、信長の頭の中に当然あったと思います。
そして、それと同じくらい重要だったのは、当時の一向一揆が老人や女性、あるいは子供までが同じように武器を持って戦っていたということです。いわゆるゲリラ兵ですね。
信長といえども、武器を持たない非戦闘員まで血祭りにあげることはしなかったのですが、武器を持っていれば話は別です。
刃向う者は何人たりとも皆殺しにする―。峻烈(しゅんれつ)な戦国時代の論理では致し方なかったというべきなのでしょう。
.
おがのぶ こんにちは~
信長が出てきましたね これは 自分の考えですが
信長を 非道とか宗教弾圧のイメージでとらえる人が多いような
気がします
昔は 宗教を暴力の手段に使ったので 仕方無くの
焼き討ちだと思っております
本当に宗教弾圧をする人間が 本能寺に泊まるわけないと
思います
おがのぶさんへ
黒田裕樹 > 信長が出てきましたね これは 自分の考えですが
> 信長を 非道とか宗教弾圧のイメージでとらえる人が多いような
> 気がします
> 昔は 宗教を暴力の手段に使ったので 仕方無くの
> 焼き討ちだと思っております
> 本当に宗教弾圧をする人間が 本能寺に泊まるわけないと
> 思います
まさしく仰るとおりです。
自分に逆らい、刃向ってくる宗教勢力には容赦なく牙をむいた信長でしたが、後の秀吉や家康のように、宗教を「弾圧」する行為は一切行っておりません。
天台宗や浄土真宗が今日まで多くの人々に信仰され続けているのが何よりの証拠ですし、信長自身がやましいことをしていないと思っていたからこそ、京において本能寺を定宿としていたのです。
少し考えれば容易に理解できると思うのですが、記憶させるだけの歴史教育の現状における大きな落とし穴でもありますね。
そんな中で、後醍醐天皇が自己の子孫の繁栄(はんえい)と、政治の実権を朝廷に取り戻すために立ち上がりました。後醍醐天皇は倒幕に二度も失敗し、一時は隠岐(おき)に流されながらも最終的に鎌倉幕府を滅ぼすことができたのは、天皇と武士の思惑が「鎌倉幕府には政治を任せられない」ことで一致したからでした。
しかし、幕府が倒れた後に後醍醐天皇が建武の新政(けんむのしんせい)を行い、武士の願いを無視した天皇親政を行われたことが、両者の間に亀裂(きれつ)を生みました。武士たちは勢力が衰(おとろ)えて政治を任せられなくなった幕府の代わりに、他の武士による新しい組織のもとで、これまでどおりの「武士による、武士のための政治」を続けることを望んでいたからです。
そして、そんな空気を読んだ足利尊氏の「裏切り」によって、建武の新政はわずか数年で終焉(しゅうえん)を迎え、新たに武士による室町幕府(むろまちばくふ)が成立したのでした。




いつも有難うございます。
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風早 りら 歴史は繰り返す
その言葉 想い出しました
果てしない 権力闘争
同じような 過ち
何度 繰り返したら
人は理解出来るのでしょう
オフ会良いですね
関西に住んでいたら行きたいです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 歴史は繰り返す
> その言葉 想い出しました
> 果てしない 権力闘争
> 同じような 過ち
> 何度 繰り返したら
> 人は理解出来るのでしょう
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがありますが、自身の繁栄が永遠のものと勘違いした人間は、必ずと言っていいほど歴史に学ばずに自滅していますね。
歴史の勉強は単なる点取りのみではなく、人生全体にとって重要なことのはずなのですが…。
> オフ会良いですね
> 関西に住んでいたら行きたいです
関西でもオフ会は行っておりますが、次回(第17回)の講座は東京ですので、オフ会ももちろん東京ですよ。
よろしければご参加下さいね。
.
ぴーち こんばんは!
北條氏から、室町幕府の成立までの
あらすじが理解出来ました
!
こんなにすんなり理解出来たなんて、
黒田さんのお陰です、ありがとうございます♪
武士による武士のための政治を目指して、叩かれても、潰されても
辿り着こうとする意欲は、
まるで再生を図ろうと懸命に
シナプスを伸ばそうとする人間の脳神経の様な逞しさを感じました^^
あ、いつもながら、例えが悪いですかね(笑)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 北條氏から、室町幕府の成立までの
> あらすじが理解出来ました
> !
> こんなにすんなり理解出来たなんて、
> 黒田さんのお陰です、ありがとうございます♪
光栄です(^^♪
通史ではなかなか理解が難しいですからね。
やはりこういった特別講座は必要だと実感します。
> 武士による武士のための政治を目指して、叩かれても、潰されても
> 辿り着こうとする意欲は、
> まるで再生を図ろうと懸命に
> シナプスを伸ばそうとする人間の脳神経の様な逞しさを感じました^^
> あ、いつもながら、例えが悪いですかね(笑)
いえいえ、しぶとさという意味ではよく分かりますよ(笑)。
武士の時代はまだまだ続きますからね。
武士たちの多くは自身が朝敵となってしまったことに動揺(どうよう)しましたが、一方で以前の惨(みじ)めな暮らしに戻りたくないという思いも根強く、結局上皇の計画は阻止(そし)されました。1221年のこの戦いを承久の乱(じょうきゅうのらん)といいますが、尼将軍の北条政子による一世一代(いっせいいちだい)の演説も有名ですね。
こうして1159年の平治の乱から1221年の承久の乱までのわずか60年余りの間に政治の実権が激しく移動したり、あるいは移動しそうになったりしましたが、これらの背景には当時の国民の代表たる武士の「意思を理解し、願いを実現しているか」の是非があります。
朝廷では武士の願いは叶えられそうになかったことで、全国の武士は平氏政権誕生を後押ししましたが、平氏が貴族化したことで「武士のための政治」を行わなかったことが裏切りとみなされ、多くの武士が源氏に味方したことで平氏は滅亡しました。
源氏は鎌倉幕府を開きましたが、頼朝が自分の娘を天皇の妃にしようとするという、平氏政権の「二の舞」を演じようとしたことで、多くの武士が源氏を見限り、後には朝敵となったにもかかわらず、北条氏を中心とする政権に移行していったのです。
こうした「武士の思いを実現できているか」に関しては、承久の乱の約100年後に再び問われるようになりました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
今回の
「武士の思いを実現できているか」と言うフレーズをそのまま
現代風に
「国民の思いを実現できるいるか」
と言う言葉に置き換えて、現政府に訴えていきたいです^^;
国民の願いを実現してくれるもの・と期待して、支持した政党には裏切られてばかり・・。
昔もこんなもどかしい思いを強いられた時代があったのですね。。
応援凸
黒田裕樹さん.
風早 りら 鎌倉幕府が続いていたとしたら
時代はどう変わったいたのかと
考えを巡らしてみました
鎖国政策は無かっただろうかとか
想像が膨らみます
明日も楽しみにしていますね
.
紗那 なるほど、この当時は武士が時代の主役だった。
だから、武士の意見を政治に反映させられないと容赦なく切り捨てられたということですね?
武士は、直接的な行動ができるから、なおさら怖いですけどね^^;
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今回の
> 「武士の思いを実現できているか」と言うフレーズをそのまま
> 現代風に
> 「国民の思いを実現できるいるか」
> と言う言葉に置き換えて、現政府に訴えていきたいです^^;
> 国民の願いを実現してくれるもの・と期待して、支持した政党には裏切られてばかり・・。
> 昔もこんなもどかしい思いを強いられた時代があったのですね。。
私もそう思います。
いつの世も国民が裏切られてばかりではさびしすぎますからね(´・ω・`)
現代の話は講座の後半でまた紹介します。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 鎌倉幕府が続いていたとしたら
> 時代はどう変わったいたのかと
> 考えを巡らしてみました
> 鎖国政策は無かっただろうかとか
> 想像が膨らみます
> 明日も楽しみにしていますね
確かに武力で世の中を支配して、元寇も勇躍追い返した鎌倉幕府であれば、鎖国をする必要もなかったかもしれませんね。
歴史のifに思いをめぐらすのも楽しいものです。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、この当時は武士が時代の主役だった。
> だから、武士の意見を政治に反映させられないと容赦なく切り捨てられたということですね?
> 武士は、直接的な行動ができるから、なおさら怖いですけどね^^;
仰るとおりです。
武力で世の中を支配する武士の世界ですから、確かに怖いですね。
気が抜けない毎日ではありますが、その分生き甲斐もあったかもしれません。
.
みほ こんばんは^^
黒田さんの記事を
読ませていただき思ったんですが
、
こんなにも詳しく昔の歴史が
わかるということは本当に凄いことですよね
昔にあったことだと思うと
とても不思議です。
リンクありがとうございます^^
私もリンクさせてもらっても
よろしいでしょうか?
みほさんへ
黒田裕樹 > 黒田さんの記事を
> 読ませていただき思ったんですが
> 、
> こんなにも詳しく昔の歴史が
> わかるということは本当に凄いことですよね
> 昔にあったことだと思うと
> とても不思議です。
有難うございますm(_ _)m
歴史というのは不思議なもので、何百年も前の出来事であっても、昨日のことのように情景が浮かぶことがよくあります。
やはり同じ人間の営みだからでしょうね。
単なる暗記ではなく、様々な角度から皆様に歴史を理解していただけるように今後も頑張りますよ(^_^)v
> リンクありがとうございます^^
> 私もリンクさせてもらっても
> よろしいでしょうか?
もちろんOKですよ(^o^)/
これからもよろしくお願いします。
.
彩 こんにちは。^^
ここら辺の時代は短い間に
多くのことが起こったので
日本の歴史を久しく習っていない私は
どのような動きがあったか忘れていましたが
黒田さんのご説明で色々思い出しました。
この後の南北朝時代も好きだったわ。^^
.
そうめん 始めまして、そうめんと申します。
宜しくお願い致します。
実はここは終業式前まで勉強している所でした。
・・参考になります(^^;)
やがて北条氏は、将軍の頼家も追放したうえで暗殺し、弟の実朝(さねとも)を第3代将軍としましたが、頼朝が最終的に武士の信頼を失ったことで源氏を守ろうとする者は少なく、頼朝の妻の北条政子(ほうじょうまさこ)が「尼将軍」(あましょうぐん)として君臨(くんりん)するなどによって、北条氏による政権の「乗っ取り」が武力を背景に認められていったのです。
さて、政治の実権を奪われた将軍実朝は和歌をたしなむ人生を送りましたが、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が和歌つながりで実朝に巧(たく)みに接近し、幕府を事実上の朝廷の支配下にしようと計画されました。
このままでは幕府が朝廷に乗っ取られてしまう―。危機を感じた武士たちでしたが、そんな折(おり)の1219年、実朝が頼家の遺児(いじ)の公暁(くぎょう)に暗殺されたことで、頼朝以来の源氏の血がついに絶えてしまったと同時に、後鳥羽上皇の幕府乗っ取りの計画が破られてしまいました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
北条政子の尼将軍。
ここら辺は断片的に記憶が
あります(笑)
それにしても、黒田さんの記事は
サラッと書かれていますが、
暗殺、暗殺と、気も休まらない身の危険を常に感じながら、この頃の源氏の血を受け継ぐものは、過ごしていたんですね。
殺るか、殺られるか・・殺伐としていますね(><)
それでは、応援凸
黒田先生.
風早 りら 北条政子
いよいよ登場ですね
この辺りはよく ドラマに
なっていますが ドラマでは
真実は分かりません
詳しい真実 期待しています
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 北条政子の尼将軍。
> ここら辺は断片的に記憶が
> あります(笑)
> それにしても、黒田さんの記事は
> サラッと書かれていますが、
> 暗殺、暗殺と、気も休まらない身の危険を常に感じながら、この頃の源氏の血を受け継ぐものは、過ごしていたんですね。
> 殺るか、殺られるか・・殺伐としていますね(><)
尼将軍は通史の方でも紹介しましたからね(^^♪
確かにこの時期は暗殺の連続ですから、権力者も気の安らぐ時間がなかったのではないかと考えられますね。
平和の有難みをしみじみと感じるとともに、守って下さる人々に感謝したいですね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 北条政子
> いよいよ登場ですね
> この辺りはよく ドラマに
> なっていますが ドラマでは
> 真実は分かりません
> 詳しい真実 期待しています
ドラマはどうしても脚色されてしまいますからね。
面白みがないかもしれませんが、私の講座では出来るだけ事実を中心に仕上げていきたいと思います。
.
智里 ほうほう___φ(゚ー゚*)フムフム___φ(。_。*)カキカキ
これで北条政子が出てくるのか~。
教科書では、いつのこ間にか実権を持ったおばさんとしか書いてなかった記憶が・・・。
その裏では後鳥羽上皇の黒い計画があったのも知らなかったッス!!
智里さんへ
黒田裕樹 > ほうほう___φ(゚ー゚*)フムフム___φ(。_。*)カキカキ
> これで北条政子が出てくるのか~。
> 教科書では、いつの間にか実権を持ったおばさんとしか書いてなかった記憶が・・・。
> その裏では後鳥羽上皇の黒い計画があったのも知らなかったッス!!
尼将軍が政治の実権を握ったのも、一族の北条氏の庇護(ひご)があってこそですからね。逆に言えば、北条氏が政子を利用したともいえるわけです。
後鳥羽上皇の「黒い計画」は失敗したことで確かに一般には認知されていませんが、前後の背景から上皇の関与が見受けられる可能性はかなり高いです。このあたりは朝廷と武士との権力の綱引き合戦ですね。
守護や地頭の任命権は幕府にあったため、幕府の保護を受けた地頭が勢力を拡大していくことによって、武士の悲願であった「自ら所有する土地の権利を正式に認めてもらう」道を開くことになりました。
頼朝による「武士のための政治」が実現したことで、鎌倉幕府の未来は順風満帆(じゅんぷうまんぱん)のはずだったのですが、ここで頼朝が大きな失敗をしてしまいます。1195年に、頼朝は自分の娘を天皇の妃(きさき)にしようと計画したのですが、これは絶対にやってはいけない「禁じ手」でした。
「自分の娘を天皇の妃とし、生まれた皇子が天皇に即位して自分は外戚となる」という手法は、平氏政権のやり方と全く同じだからです。つまり、源氏が貴族化する道を開くことになり、武士の権利が再び朝廷に奪われるかもしれないという危機感を与えてしまったのでした。
結果的に頼朝の思惑(おもわく)は失敗に終わりましたが、武士たちからすれば、頼朝の行為は重大な裏切りであり、許せないことだったのです。




いつも有難うございます。
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紗那 なるほど、武士からの厚い信頼を築いたために、逆に裏切られたと感じられて心が離れるのも一瞬。。。
難しいところですが、安全策をとろうとした頼朝の気持ちも分かる気がします。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、武士からの厚い信頼を築いたために、逆に裏切られたと感じられて心が離れるのも一瞬。。。
> 難しいところですが、安全策をとろうとした頼朝の気持ちも分かる気がします。
人の心は移ろいやすいものですからね。ましてや一度痛い目にあっているだけに、許すことができなかったのでしょうね。
頼朝にしてみれば、源氏の血を永遠のものとするための策だったのでしょうが、歴史に学んでいないあたりが、やはり根が「坊ちゃん育ち」だったのかもしれません。
.
ぴーち こんばんは!
人間の欲望と言うのは、際限が無いものですね。。
一つの願いが叶うと、それに満足出来ずに、また一つ欲求が生まれてしまうもの。
次第にその思うがエスカレートしていき、結局はチキンレースの様に、
勢い余って自ら谷底へまっしぐら。
野望と言う麻薬に洗脳されて
しまうとやはり正常で冷静な判断が鈍ってしまうのでしょうかね。。
応援凸
.
風早 りら 頼朝は自分の娘を天皇の妃
またまた ですよね
これ以前もまたこの後も
この同じ事を繰り返して
いますよね
江戸時代になってもです
全く こりませんよね
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 人間の欲望と言うのは、際限が無いものですね。。
> 一つの願いが叶うと、それに満足出来ずに、また一つ欲求が生まれてしまうもの。
> 次第にその思うがエスカレートしていき、結局はチキンレースの様に、
> 勢い余って自ら谷底へまっしぐら。
> 野望と言う麻薬に洗脳されて
> しまうとやはり正常で冷静な判断が鈍ってしまうのでしょうかね。。
頼朝の場合は、「武家の棟梁」という絶大な地位にありながら、朝廷から政治の実権を完全に奪った初めての政権だっただけに、多分に後ろめたいところがあったのではないかと思われます。
だからこそ、皇室の外戚という後ろ盾が欲しかったのでしょうが、これこそまさに「いつか来た道」。仰るとおり正常な判断を失ったのでしょうね。
一度裏切った人間やその一族の末路は…。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 頼朝は自分の娘を天皇の妃
> またまた ですよね
> これ以前もまたこの後も
> この同じ事を繰り返して
> いますよね
> 江戸時代になってもです
> 全く こりませんよね
いつの世も人間のやることに変わりはないということでしょうか。
「歴史に学ばない」人間の末路は哀れですよね。
.
智里 今更ながら16回の講座の続きを見ております。
なるほどね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
目先の利益を得るために、せっかくの信頼を無くすなんて・・・・。
それなりの権力を持ったのに、さらにその上の権力を欲するとはね。
欲たけるとダメなんですね。
智里さんへ
黒田裕樹 > 今更ながら16回の講座の続きを見ております。
有難うございますm(_ _)m
私自身も復習として勉強になります(^_^)v
> なるほどね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 目先の利益を得るために、せっかくの信頼を無くすなんて・・・・。
> それなりの権力を持ったのに、さらにその上の権力を欲するとはね。
> 欲たけるとダメなんですね。
まさにそのとおりです。
「武士のための政治」が「源氏のための政治」に変質した段階で、武士の心があっという間に離れてしまったのですから、政治というものは本当に恐ろしいですね。
武家政権の不思議さ
青田です。 黒田先生
おはようございます。
青田です。
武家政権というのを当たり前のように考えていましたが、
海外を観ると
王様(または、皇帝)→貴族→騎士階級→市民
という階級社会が歴史的には、普通です。
(ヨーロッパ社会)
そう考えると、
鎌倉幕府以後から、始まる武士による政権の樹立というのは、世界的に観ても画期的だったですね。
そう考えると、源頼朝が、武家政権を創ったものの、朝廷に娘を嫁がせるのは、心の中で
『何という大胆なことをしてしまった。』という気持ちもあったんでしょうね。
それにしても、源頼朝は、本当の意味の社会の改革者ですね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、世界史的に見ても例のないことですね。
ちょうど現在(平成23年10月)、第26回歴史講座の更新を行っておりますが、藤原氏に関連して武家政権にも言及しております。
頼朝については私も同感ですね。
頼朝は清和源氏(せいわげんじ)の血を引いた、武士の中でも地位の高い若武者でしたが、1159年の平治の乱に敗れて平氏に捕まり、このままでは処刑(しょけい)されるところを危(あや)うく助けられましたが、伊豆(いず)へと追放されてしまいました。
流人(るにん)という身分での伊豆での暮(く)らしは決して楽ではありませんでしたが、頼朝はこの当時に様々な体験をすることによって、武士たちの日常の生活やその願いなどがよく分かるようになっていました。頼朝は、若い頃に言わば武士としての「実地訓練」を積んだのです。
頼朝はやがて平氏打倒に立ち上がると、当初は苦戦したものの、次第に武士たちの同意を得て大勢力となっていきました。平氏に一度裏切られた武士たちでしたが、自分たちと同じ経験をした頼朝であれば、今度こそ期待に応(こた)えてくれるに違いないと判断したのです。
逆に言えば、当時の国民の代表たる武士の期待を裏切ったために、平氏政権は長続きできなかったのでした。




いつも有難うございます。
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智里 ついに頼朝が登場しましたね!
武士にしてみれば、同じ考えを持った人のところにつくよね。
自分もそうすると思います。
そうしないと、いつまでも正当な権利を持つことが出来ないから。
波乱万丈な人生だったからこそ、たくさんの武士が打倒平氏に賛同したんでしょうね。
智里さんへ
黒田裕樹 > ついに頼朝が登場しましたね!
> 武士にしてみれば、同じ考えを持った人のところにつくよね。
> 自分もそうすると思います。
> そうしないと、いつまでも正当な権利を持つことが出来ないから。
> 波乱万丈な人生だったからこそ、たくさんの武士が打倒平氏に賛同したんでしょうね。
私もそうすると思います。
頼朝からすれな嫌々始めざるを得なかった流人暮らしですが、人間やはり若いうちに苦労をしなければいけないんでしょうね。
黒田裕樹さん.
風早 りら いよいよ 頼朝 登場
映画 ドラマ で 有名な
お話が 出てきますね
ワクワクしてきました
また 明日が益々
楽しみになります
期待していますね
風早りらさんへ
黒田裕樹 > いよいよ 頼朝 登場
> 映画 ドラマ で 有名な
> お話が 出てきますね
> ワクワクしてきました
> また 明日が益々
> 楽しみになります
> 期待していますね
頼朝が登場して、政権交代がいよいよ現実化してきましたからね。
劇的な移り変わりとその効果をしっかりご覧いただければと思います。
.
ぴーち こんばんは!
どんなに机上で知識を詰め込んだとしても、実際の体験学習には敵わないものですね。
苦労した分、肌で武士の暮らしぶりを実体験した経験が後の出世に繋がる糧になる・・。
そういう話を是非、今の若い世代に語ってあげたいものですね^^
それでは、応援凸
.
天然中尉 黒田裕樹殿へ
こんばんは☆中尉にござりまする。
某、昨日の愛甲三郎祭りの甲冑を着たり、愛甲殿の下調べしているうちに鎌倉時代に興味が湧いまいりましたぞ!!
お祭りの効果とは計り知れませぬな(爆)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > どんなに机上で知識を詰め込んだとしても、実際の体験学習には敵わないものですね。
> 苦労した分、肌で武士の暮らしぶりを実体験した経験が後の出世に繋がる糧になる・・。
> そういう話を是非、今の若い世代に語ってあげたいものですね^^
「百聞は一見にしかず」とも言いますからね。
若いうちの苦労は、やはり買ってでもしなければならないのでしょうね。平氏が苦労知らずという印象は、清盛より下の世代がそう思えるだけに、重たい現実だと思います。
天然中尉殿へ
黒田裕樹 > こんばんは☆中尉にござりまする。
> 某、昨日の愛甲三郎祭りの甲冑を着たり、愛甲殿の下調べしているうちに鎌倉時代に興味が湧いまいりましたぞ!!
> お祭りの効果とは計り知れませぬな(爆)
それはそれは、貴重な体験をされましたね。
やはり形から入るというのは興味を持つには最適の方法だということが、中尉殿の実体験から推察つかまつってござる(笑)。
この結果、武士たちの待遇は平氏が政権を取った後もほとんど変化がなかったのです。同じ武士だからと大きな期待をかけていただけに、武士たちの多くは「平氏は俺たちを裏切ったんだ」「どうして俺たちの思いが分からないのか!」と不満を爆発させました。その一方で、貴族たちもそれまで見下(みくだ)していた武士が自分たちの真似をしたことに強く反発しました。
せっかく誕生した平氏政権は、武士からも貴族からも拒否されてしまったのです。初めてであるがゆえに確固(かっこ)たるビジョンを持てない「開拓者」としての悲劇でもありました。
それでも強固(きょうこ)な武力や経済力を持った平氏政権は、この後も当分の間続くと思われていたのですが、現実には清盛の死後わずか数年で滅亡(めつぼう)してしまっています。
なぜ平氏政権はあっけなく崩壊したでしょうのか?




いつも有難うございます。
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紗那 なるほど、武士が反発した理由は知っていましたが、確かに貴族も反発するわけだ……!
蔑んでた人に、真似をされるとなんとなく嫌な気分になりますね。。。。
え、想像もつかない……
次記事に期待します!
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、武士が反発した理由は知っていましたが、確かに貴族も反発するわけだ……!
> 蔑んでた人に、真似をされるとなんとなく嫌な気分になりますね。。。。
真似をされるだけでも不愉快なのに、それが蔑んでいた相手ともなればなおさらですよね。
現代では許されませんが、「高貴な血を汚された」と思われたのも、当時ではやむを得なかったでしょうし。
> え、想像もつかない……
> 次記事に期待します!
次の「英雄」の環境にかかわるんですよね。
本人の意思とは裏腹に…。
.
ぴーち こんばんは!
どんな人の生き方にも、学ぶべき事があるものですね。
明確な信念や、ビジョンが無い「根無し草」の様な政治では、ついていくものも不安になるばかりか、あちらにもこちらにも迎合している事で、信用も丸潰れですね。
一方では絶大なる信頼はあっても、それに対する反発勢力には、とことん対抗出来るような気骨さが欲しかったですね。
応援凸
黒田先生
風早 りら 平家が滅びたのは
せっかく 武士が政権を
取ったのに
貴族政治と同じになったからですか
明日を楽しみにしています
今日は パソコンのトラブルで
講座参加が遅くなり
御免なさいね
.
オバrev やはり、確固たる理念がないと共感を呼ばないんですね。
何か現在にも通じているような・・・(^^ゞ
過去の起こるべくして起こった現実は、無視できない貴重な教訓だということがよく分かります。
.
みほ 清盛!テストに出ました(・ω・)
平清盛さんってすごい人だったんですね^^
頼朝と義経を殺さなかった為に
その2人が仇打ちということで
平氏らを、滅ぼしたという事は
聞いたのですが、
どうしてすぐに滅ぼせたのかは
よく知りません;;
.おはようございます^^
waravino 改めて。暑中お見舞い申し上げます。
朝。セミがぎゃんぎゃん鳴いております。
夏の演出に欠かせぬ役者は。今年も健在です。
極暑の折り。ご自愛ください^^)/
.
智里 可愛そうな話ですよね。
せっかく自分を支持していた武士を無視して、憧れていた貴族には反発される。
それでも武力と経済力で政権を握っている。
その力だけについている人に囲まれて過ごす・・・
なんか寂しいよね。
もっと武士のことを考えていれば、こんな事にはならなかったかもしれないに。
.こんにちは
HINAMAMA この記事を読んで、
平清盛と市民活動家だった菅直人さんがかぶってしまい、思わずコメントしてしまいました(^_^;)
今後、菅さんは、どこを向いて働いてくれるのでしょうか???
歴史を今に役立てたい今日この頃。
毎日続きが楽しみです♪
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > どんな人の生き方にも、学ぶべき事があるものですね。
> 明確な信念や、ビジョンが無い「根無し草」の様な政治では、ついていくものも不安になるばかりか、あちらにもこちらにも迎合している事で、信用も丸潰れですね。
> 一方では絶大なる信頼はあっても、それに対する反発勢力には、とことん対抗出来るような気骨さが欲しかったですね。
仰るとおり、人に上に立つ、ましてやこの国を動かす立場にある人間は、我々に対して「確固たるビジョン」をはっきりと示したうえで行動すべきでしょう。
これは現代においては必須であり、また古代においても「なぜ政権をとれたのか」ということを考えれば、やはり平氏は方向を見誤ったとしか言えません。
そして、根無し草であるがゆえに、反発勢力にはなすすべもなく滅び去ってしまったのでしょうね。
当時の武士の多くも、清盛の出世ぶりを注目していました。自分たちと同じ武士である清盛であれば、武士の悲願である「自ら開墾した土地を自らの手で所有する」ことをはじめとした「武士のための政治」を実現してくれるに違(ちが)いない、と期待していたのです。
武士たちの後押しを受けて、清盛は武士として初めて太政大臣(だじょうだいじん)に昇進したことなどによって、ついに政治の実権を握ることに成功しました。我が国初の武士による政権の誕生です。
しかし、皇室や公家と接することの多かった清盛には「武士のための政治」がどのようなものであるかが理解できませんでした。このため、平氏の政権は急速に支持を失っていくのです。




いつも有難うございます。
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晴雨堂ミカエル よく平氏と源氏が武家の棟梁と見なされていて、武家の中では官位は高いが朝廷では昇殿を許される身分ではない、そんなイメージです。
時代劇でも両家の当主ですら侍烏帽子に直垂姿。政権をとってから立烏帽子に狩衣姿。
しかし、両家とも元は皇子が臣籍下ったわけで、当初は光源氏や源博雅らのように元皇子に恥ずかしくない三位辺りの位だったと思います。武家というより貴族。
それが武家化したのはいつ頃、誰の代あたりでしょうか?
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 清和源氏に関しては、清和天皇のひ孫にあたる源満仲あたりから武将として土着していると考えられますね。「ただのまんじゅうぶしのはじめ」というかるた言葉が残っておりますし。
桓武平氏については、最初に臣籍降下したとされる平高望がすでに土着した貴族となっているようですので、こちらの方が早いのかもしれませんね。
.
ぴーち こんばんは!
いよいよ「栄枯盛衰」の物語の始まりですね!
琵琶法師の音色が聞こえて来そうです(笑)
清盛のずば抜けた実力に依存し過ぎた平氏の末路は・・とでも言うのでしょうか・・。
ベンベン~♪(あ、違いますかね^^;)
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > いよいよ「栄枯盛衰」の物語の始まりですね!
> 琵琶法師の音色が聞こえて来そうです(笑)
> 清盛のずば抜けた実力に依存し過ぎた平氏の末路は・・とでも言うのでしょうか・・。
> ベンベン~♪(あ、違いますかね^^;)
実力者の清盛が存在する限りはまだ安泰だったかもしれませんが、その後は…(´・ω・`)
栄枯盛衰の真の理由については、今回の講座で明らかになるかもしれませんね。
黒田裕樹 先生.
風早 りら 我が国初の武士による政権の誕生
それが清盛だった
そんな 当たり前の事が
考えに及ばなかった 自分が
情けなかったです
黒田裕樹 先生には日々感謝の
毎日です
これからも 風早りらを
ご指導宜しくお願いします
りらさんへ
黒田裕樹 > 我が国初の武士による政権の誕生
> それが清盛だった
> そんな 当たり前の事が
> 考えに及ばなかった 自分が
> 情けなかったです
> 黒田裕樹 先生には日々感謝の
> 毎日です
> これからも 風早りらを
> ご指導宜しくお願いします
お言葉有難うございます。
武家政権といえば、この直後に誕生した頼朝政権における鎌倉幕府をイメージしがちですが、清盛による政権も、中身はどうあれ立派な武家政権なんですよね。教科書どおりの勉強ではなかなか気づかない落とし穴であると同時に、開拓者の悲劇でもあります。
.
彩 こんにちは。
いつもコメントありがとうございます。^^
武士政権って清盛からだったのですね。
幕府ができた鎌倉時代からだと思っていました。
けれども、清盛自身が武士政権を理解していない
というのは、支持されていた人だけあって
何とも皮肉なことですね。(苦笑)
彩さんへ
黒田裕樹 > いつもコメントありがとうございます。^^
いえいえ、こちらこそありがとうございます。
> 武士政権って清盛からだったのですね。
> 幕府ができた鎌倉時代からだと思っていました。
> けれども、清盛自身が武士政権を理解していない
> というのは、支持されていた人だけあって
> 何とも皮肉なことですね。(苦笑)
その後の歴史の流れからすると、貴族化した平氏は「武家政権とは何か」ということが分かっていないんですよね。だからこそ、武士たちは「裏切られた」と思ってしまった。まさに皮肉ですね。
.
智里 なかなか上手くいきませんね。
仲間だと思っていた平清盛は、どちらかと言ったら貴族派。
自分たちに正当な権利をくれると思っていたのにね。
このことによって、武士からの支持が無くなっても仕方ないことですよね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
智里さんへ
黒田裕樹 > なかなか上手くいきませんね。
> 仲間だと思っていた平清盛は、どちらかと言ったら貴族派。
> 自分たちに正当な権利をくれると思っていたのにね。
> このことによって、武士からの支持が無くなっても仕方ないことですよね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
仰るとおりですよね。
期待していた人に裏切られるほど憎しみが残ることはないですから。
参院選もそのような感情で投票した人が多かったかもしれません。
実際に田畑を耕(たがや)しているのは他ならぬ武士たちなのですが、朝廷は彼らの所有を認めようとしませんでした。困った武士たちは、仕方なく摂関家(せっかんけ)などの有力者に土地の名義を移し、自らは「管理人」の立場となりましたが、これほど不安定な制度はありません。
「自ら開墾(かいこん)した土地は、自らの手で堂々と所有したい」。武士たちはいつしかこうした切実な願いを持つようになりましたが、武士の心の内が理解できない公家たちによって政治が行われている以上は、その願いは叶(かな)えられそうもありません。
実際に時代を動かしてきた武士たちの思いによって、朝廷から武士への「政権交代」の雰囲気(ふんいき)が次第に高まっていきました。この中から、やがて「武士として初めて政治の実権を握(にぎ)った」ある勢力が誕生するのです。




いつも有難うございます。
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紗那 あぁ、なるほど。
そういえば、そういう経緯で軍隊が廃止されていたんだ……!
荘園制度には、そのような決まりがあったのですか!初耳でした。
なるほど、だから武士は不安定な立場にならざるを得なかったのですね。。。。
ひどい話です。
というより、武士が反乱したら、どう考えても負けてしまうという事実に朝廷は気づかなかったんですかね?
.
風早 りら 自ら開墾(かいこん)した土地は、自らの手で堂々と所有したい
当たり前の事ですよね
段々核心にふれてきましたよね
ワクワクします
明日が楽しみです
紗那さんへ
黒田裕樹 > あぁ、なるほど。
> そういえば、そういう経緯で軍隊が廃止されていたんだ……!
仰るとおりです。
平和なのは良いことですが、だからと言って攻めてこないと決めつけてしまうというのは…。
> 荘園制度には、そのような決まりがあったのですか!初耳でした。
> なるほど、だから武士は不安定な立場にならざるを得なかったのですね。。。。
> ひどい話です。
荘園は言わば免税の私有地。そんな「おいしい」制度を身分の低い武士たちに認めるはずがないんですよね。
> というより、武士が反乱したら、どう考えても負けてしまうという事実に朝廷は気づかなかったんですかね?
絶頂期にある政治家にはよくある話ですが、自分こそが絶対であることから「自分を攻めてくるものなど存在しない」と思いがちですからね。織田信長もそれで明智光秀に足元をすくわれましたから…。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 自ら開墾(かいこん)した土地は、自らの手で堂々と所有したい
> 当たり前の事ですよね
> 段々核心にふれてきましたよね
> ワクワクします
> 明日が楽しみです
有難うございます。
欲求が高まれば、実現するかもしれない可能性に賭けてみたくなるものですが、次の政権はそれを受け入れてくれるのでしょうか…。
.
ぴーち こんばんは!
あ~駄目ですねぇ。。
以前にも登場したお話のはずなのに、今日の記事を拝見させていただくと、一度も拝見した事の無い新鮮な話に思えてしまうんです(TT)
何と言う歴史音痴(苦笑)
それにしても、公家達が武士に所有権を認めない訳というのは、単なる話が判らなかっただけなのか、それとも武士に実権を握られては到底不味い大きな理由があったからなのでしょうか・・。
武士としては、当然の如く所有したいという欲求が起こりますものね。
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > あ~駄目ですねぇ。。
> 以前にも登場したお話のはずなのに、今日の記事を拝見させていただくと、一度も拝見した事の無い新鮮な話に思えてしまうんです(TT)
> 何と言う歴史音痴(苦笑)
一度だけで覚えられるほど、人間の脳はうまいこと出来ていませんよ(^^ゞ
何度も何度もめぐりあうことで、自然と記憶に刻まれるものです。
私もそうですから(^^♪
> それにしても、公家達が武士に所有権を認めない訳というのは、単なる話が判らなかっただけなのか、それとも武士に実権を握られては到底不味い大きな理由があったからなのでしょうか・・。
> 武士としては、当然の如く所有したいという欲求が起こりますものね。
一度握った利権は、そう簡単に手放せるものではありませんからね。
でもそのために無理を繰り返せば、やがては大やけどを負うことになる…。
このパターンは最低あと一回は出てきます。今回はそこまでの傷は負いませんが、もう一つは…。
風と雲と虹と。
晴雨堂ミカエル そういえば、70年代半ばの大河ドラマ「風と雲と虹と」は、平将門が主人公でした。加藤剛が髭面の野獣のような顔で戰場(いくさば)を駆ける姿はカッコ良かった。
時代背景は公地公民制の崩壊が進んだ平安時代前期。当時の風俗資料は極端に少ないので、独自のデザインが評判でした。髪型は平安風で衣装は奈良朝と平安朝の中間。女性の場合、普段は小袖で晴れの日にスカート型の裳をつける。吉永小百合が将門の妾役で出演したのも話題になりました。
放送されていた子供の頃は解りませんでしたが、いま観ると台詞の端々に全共闘の残り香があります。
将門が神の神託を受けて「新皇」へ祭り上げられる時に「神は神、俺は俺」と呟いたり。
将門が討たれて滅んだとき、都への進撃を断念した藤原純友(緒形拳)に手下が反発して「俺は生きている内に都が燃えるのをこの目で見たいんや!」と怒鳴る場面。
けっこうNHKらしからぬ内容で面白いです。総集編がソフト化されています。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 「風と雲と虹と」は最近になって全作品が見つかって話題になりましたね。CSでも放送されました。
なるほど、大河ドラマも時代によって様々な側面があるものなんですね。
.
智里 荘園制度ありましたね!!
すっかり忘れてましたよ(〃 ̄ω ̄〃ゞ
確かにこの制度は不安定で馬鹿にしてますよね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
自分たちで開墾した土地は、公家の持ち物。
お前の者はオレの物、オレの物はオレの物。
まるでドラえもんのジャイアン的発想ですね。
この後出てくる武士とは・・・
もしかしてあの方ですか!?
智里さんへ
黒田裕樹 > 荘園制度ありましたね!!
> すっかり忘れてましたよ(〃 ̄ω ̄〃ゞ
> 確かにこの制度は不安定で馬鹿にしてますよね(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 自分たちで開墾した土地は、公家の持ち物。
> お前の者はオレの物、オレの物はオレの物。
> まるでドラえもんのジャイアン的発想ですね。
例えが秀逸ですね(^^♪
実際には力がないですからスネ夫並みかもしれませんが(笑)。
だったらなおさら「お前が言うな!」ということになりますよねぇ(^^ゞ
> この後出てくる武士とは・・・
> もしかしてあの方ですか!?
「あの方」ですね(爆)。
平なのか源なのか…?