そして、不幸にもその心配が的中してしまったのです。9月16日の夜半(やはん)に、エルトゥールル号は折からの台風にあおられて、和歌山県の紀伊大島の樫野埼(かしのざき)に座礁(ざしょう、船が暗礁=あんしょうに乗り上げること)して爆発し、乗組員656人を乗せたまま沈没するという大惨事(だいさんじ)になってしまいました。
樫野埼には大きな灯台(とうだい)があり、その日も灯台守(とうだいもり)が勤務していました。16日の午後9時ごろ、真っ暗な海のほうから大きな爆発音が聞こえてきましたが、台風の際に波が崖(がけ)にぶつかって大きな音を発することがよくありましたので、まさかそんな大惨事が起きたと灯台守が夢にも思わなかったのは無理のないことでした。
その日の深夜、灯台に一人の訪問者がありました。灯台守が扉を開けると、全身傷だらけのうえに泥だらけで、かつ血まみれの外国人が息も絶え絶えに飛び込んできました。そのあまりの惨状(さんじょう)に、灯台守はこの人が海で遭難(そうなん)したことや、さっきの爆発音が船の沈没の音であったことを直感しました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
明天会更美好 ついに始まりましたね。
トルコシリーズとても楽しみにしています。
黒田さんが日本とトルコのこの歴史的な関係をどう分析されるのかとても興味があります。
毎日訪問して勉強させてもらっています。
.
ぴーち こんばんは!
黒田さんのお話は、まるでタイムスリップしたかの様に、目の前に
その情景が浮かんでくるんですよね^^
一人の心優しい燈台守の判断が、
その後の両国の関係に友好を齎すことに
なるような予感がしますね^^
それでは、応援させてくださいね!
また、お邪魔します☆
明天会更美好さんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
歴史的事実とその背景から、私なりの見解を出すことができればと思っておりますので、これからもよろしくお願いします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 黒田さんのお話は、まるでタイムスリップしたかの様に、目の前に
> その情景が浮かんでくるんですよね^^
有難うございますm(_ _)m
歴史は物語でもありますから、できる限り皆さんにも同じ世界で物事をお考えいただけるようにと常々思っております。
> 一人の心優しい燈台守の判断が、
> その後の両国の関係に友好を齎すことに
> なるような予感がしますね^^
実際そのとおりになりますね。
灯台守の思いがやがて周囲の人々にも伝わって、大きな流れを形づくることになります。
明日(1日)以降の更新もご期待下さいね(^_^)v
.
オバrev オスマントルコというのが頭の隅に残ってます。確か高校の世界史で習ったんでしょう・・・遠い昔(^^ゞ
結構大きな帝国だったと思いますが、日本へ来た目的はなんだったんでしょうか。
それに6月から9月までと、ちょっと長居してるように思いますが、当時ではこのくらいが普通なんですかね。
しかし、外交ってのは、こういう個人の信頼が元で、やがて国同士の信頼に繋がるんですね・・・うぅ~ん、となると今の外交は危ないんじゃないの(^^;)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > オスマントルコというのが頭の隅に残ってます。確か高校の世界史で習ったんでしょう・・・遠い昔(^^ゞ
私が学んだ頃もそうでしたが(笑)、最近では「オスマン帝国」というそうです。当時の帝国が自らを「オスマントルコ」とは呼ばなかったからだとか。
> 結構大きな帝国だったと思いますが、日本へ来た目的はなんだったんでしょうか。
エルトゥールル号の来日に先立って。我が国の皇族がオスマン帝国を訪問されており、それに応えるのが主な目的だったそうです。
> それに6月から9月までと、ちょっと長居してるように思いますが、当時ではこのくらいが普通なんですかね。
大歓迎を受けたということと、疫病が流行して乗組員がなかなか離日できなかったからとか。様々な事情が重なって、悲劇を生んでしまったんですね…(´・ω・`)
> しかし、外交ってのは、こういう個人の信頼が元で、やがて国同士の信頼に繋がるんですね・・・うぅ~ん、となると今の外交は危ないんじゃないの(^^;)
「個人の信頼なき外交」は、通常の人間関係を見ればいかに危ないかはまる分かりですからね。「トラスト・ミー」なんて簡単に口にはできないはずですが…。
トルコは私も好きです。
晴雨堂ミカエル 独身時代、大阪ミナミヘくりだしてトルコ料理店でベリーダンスを見ながら食事したものです。
イタリアやギリシアなどの地中海地方典型の料理ですが、中央アジアや中国の影響もかなりありますね。料理からトルコはもともと中国ウイグル地方の民族であることが覗われます。
さて、エルトゥールル号の話は私もよく知っています。
この事件後、1人の日本人が日土友好に奔走するのですが、講座で詳しく取り上げてくれたらと思います。
後にトルコ共和国初代大統領から日本語で「先生」と呼ばれ歓待される人です。
明治の日本人、河口慧海や南方熊楠、野口英世、白瀬中尉など、冒険心に富み強靭なバイタリティで海外に出て活躍され、相手国からも高い評価を受けている人物が多く輩出されています。
いま、世界情勢が厳しくなっているということもありますが、冒険心や一途な志を阻害する風潮が強まってきています。
トルコとの友好を考えると同時に、明治の人間の生命力を思い出すきっかけになってほしいと思います。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 詳しいお言葉有難うございます。
> 独身時代、大阪ミナミヘくりだしてトルコ料理店でベリーダンスを見ながら食事したものです。
> イタリアやギリシアなどの地中海地方典型の料理ですが、中央アジアや中国の影響もかなりありますね。料理からトルコはもともと中国ウイグル地方の民族であることが覗われます。
トルコ料理は有名ですよね。まだ機会はないですが、一度は食べてみたいものです。
> さて、エルトゥールル号の話は私もよく知っています。
> この事件後、1人の日本人が日土友好に奔走するのですが、講座で詳しく取り上げてくれたらと思います。
> 後にトルコ共和国初代大統領から日本語で「先生」と呼ばれ歓待される人です。
さすがに良くご存知ですね。晴雨堂ミカエルさんのご期待にお応えできると思いますよ(笑)。
> 明治の日本人、河口慧海や南方熊楠、野口英世、白瀬中尉など、冒険心に富み強靭なバイタリティで海外に出て活躍され、相手国からも高い評価を受けている人物が多く輩出されています。
> いま、世界情勢が厳しくなっているということもありますが、冒険心や一途な志を阻害する風潮が強まってきています。
> トルコとの友好を考えると同時に、明治の人間の生命力を思い出すきっかけになってほしいと思います。
仰るとおりですね。
明治の頃の古き良き時代を懐かしむと同時に、思い起こしたいものです。
.
智里 おぉー!!
オスマン帝国(≧∇≦)
授業で習った記憶が有ります。
物凄い海軍をもってたんですよね。
その海軍の軍艦が日本なんて小さな国に来ていたとは!?
驚きッス(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
そして、大きな海難事故を起こしていたのもビックリです。
智里さんへ
黒田裕樹 オスマン帝国は長い間君臨していましたが、残念なことに我が国を訪問した頃にはかなり勢力が衰えていたんですよね(´・ω・`)
先に我が国の皇族がトルコを訪問したので、返礼の意味も込めて来日したのですが、東洋の新興国である当時の我が国と誼(よしみ)を通じたいという思惑もあったのではないかと考えられます。
大きな事故が起きてしまったのは、やはり「台風銀座」の際に出国したのが大きな原因でしょう。我が国は止めたのですが…。
時にはお互いの命運をかけて激しく争うこともあれば、お互いの利害が一致することでかりそめの和平を結ぶこともある。また、国同士にも序列があって、上位の国の命令に逆らえずに苦しい思いをする国もあれば、軍事力や経済力を背景に、他の独立国家に平気で内政干渉(かんしょう)をする国もあり、またそれを相手のいうままに従ってしまう情けない国があります。
いわば権謀術数(けんぼうじゅっすう、相手をあざむくための数々のはかりごと)が渦巻(うずま)く、それこそ息がつまりそうな国際関係ではありますが、そんな中で、理屈(りくつ)抜きで親しく付き合える国家の存在は極(きわ)めて重要であり、大事にしたいものです。
ところで、皆さんは世界で屈指(くっし)の親日国家(しんにちこっか)が存在するのをご存知でしょうか。その国の名前はトルコ共和国といい、アジアとヨーロッパにまたがる国家です。トルコの国民の皆さんは、日本の国家と国民に、人一倍の親しみを今でも感じて下さっています。
では、なぜトルコはそこまで親日的なのでしょうか。その一番の理由は、今から120年前に起きた「ある悲劇」がきっかけでした―。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんにちは!
そうですね。
色々な柵、利害関係で繋がっている
国よりも、理屈抜きに信頼関係が結ばれている国の存在は大切ですね!
個人の人間に置き換えても、やはり心の底から信じあえる、何でも言い合える友達が居る事の心強さはありがたく、大切な存在ですものね^^
ある悲劇・・なんでしょうか。。
それでは、応援凸
管理人のみ閲覧できます
-
.
Masa 以前の記事を読んで、期待して待ったましたっ!!
トルコと日本がそんなに仲がいいとは知りませんでした。
学校で教えてもらった記憶もないです。
なので、いったいどうしてトルコが親日国なのか興味津々です。
寮にいて動画が週末しか見られないのは残念ですが、すっごく楽しみにしていますv
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですね。
> 色々な柵、利害関係で繋がっている
> 国よりも、理屈抜きに信頼関係が結ばれている国の存在は大切ですね!
> 個人の人間に置き換えても、やはり心の底から信じあえる、何でも言い合える友達が居る事の心強さはありがたく、大切な存在ですものね^^
仰るとおり、心の底から信じあえるような相手がどれだけ大切かということに、人間も国家も関係ありません。
今回の講座で、我が国とトルコとの絆の深さを皆様にもご理解いただければと思っております。
> ある悲劇・・なんでしょうか。。
次回(30日)から早速紹介することになります。ご期待下さい!
Masaさんへ
黒田裕樹 > 以前の記事を読んで、期待して待ってましたっ!!
有難うございます(^o^)丿
Masaさんのご期待に応えられることを祈っております。
> トルコと日本がそんなに仲がいいとは知りませんでした。
> 学校で教えてもらった記憶もないです。
> なので、いったいどうしてトルコが親日国なのか興味津々です。
そうなんですね。我が国とトルコとの絆の話が学校や教科書で紹介されないことは残念です。
これから2週間かけて、じっくりと紹介できればと思っております。
> 寮にいて動画が週末しか見られないのは残念ですが、すっごく楽しみにしていますv
動画も毎日配信していますので、ぜひご覧下さいね(^_^)v
.
紗那 ヨーロッパを舞台にした、外交系ゲームをプレイしたこともあり、権謀術数の渦巻く……というのは、重々理解していますw
トルコは、それほど個人的になじみがないのですがー。120年ってことは、今年、記念式典があったりするってことですかね?(120周年ってことで)
紗那さんへ
黒田裕樹 > ヨーロッパを舞台にした、外交系ゲームをプレイしたこともあり、権謀術数の渦巻く……というのは、重々理解していますw
そういう系統のシミュレーションゲームがありますよねぇ。私も若い頃は夢中になっていたっけ(笑)。
> トルコは、それほど個人的になじみがないのですがー。120年ってことは、今年、記念式典があったりするってことですかね?(120周年ってことで)
なかなか鋭いですね(^^ゞ
講座の最後あたりで何らかの紹介ができるかも…?
.
智里 1周年講座おめでとうございます♪
2周年講座の時は何処の国になるのか、いまから楽しみです(*≧艸≦)
トルコと日本が仲が良いとは知らなかったな~。
ましてや仲が良くなる事件があったとは、もっと知らなかったですよ(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
ある悲劇とは・・・いったい!?
智里さんへ
黒田裕樹 > 1周年講座おめでとうございます♪
> 2周年講座の時は何処の国になるのか、いまから楽しみです(*≧艸≦)
そうなんですよ。早くも1周年を迎えてしまいました。
2周年ですか(笑)。鬼が笑いそうですが、続けていきたいものですね。
> トルコと日本が仲が良いとは知らなかったな~。
> ましてや仲が良くなる事件があったとは、もっと知らなかったですよ(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> ある悲劇とは・・・いったい!?
次回(30日)から順次紹介していきますが、悲劇という不幸から、時として新たな絆をもたらすことがあるんですよね。
絵画では、平安時代末期に始まった絵巻物(えまきもの)が引き続き盛んにつくられ、人物の一代記を描いた一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)や、合戦における戦いぶりを描いた蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)・平治物語絵巻(へいじものがたりえまき)などの作品が生まれました。また、個人の肖像(しょうぞう)を写実的に描いた似絵(にせえ)もつくられ、藤原隆信(ふじわらのたかのぶ)・信実(のぶざね)父子による名作が生まれました。
書道では、宋や元の書風が伝えられたことで、伏見天皇(ふしみてんのう)の皇子であった尊円法親王(そんえんほうしんのう)によって、平安時代以来の世尊寺流(せそんじりゅう)を基本とした青蓮院流(しょうれんいんりゅう)が新たに創始されました。
工芸面では武家政権の影響を受けて武器や武具の製作技術が進歩したことで、刀剣では備前国(びぜんのくに、現在の岡山県南東部)の長船長光(おさふねながみつ)や京都の粟田口吉光(あわたぐちよしみつ)、鎌倉の岡崎正宗(おかざきまさむね)らが名作を残しました。また、宋の青磁(せいじ)や白磁(はくじ)が輸入されたことで、尾張国(おわりのくに、現在の愛知県西部)の瀬戸焼(せとやき)を初めとする陶器(とうき)の生産も盛んとなりました。
※これで鎌倉時代は終了です。明日(4月29日)からは第13回歴史講座の内容の更新を開始します。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
HANA子 そう!
この頃の仏教芸術や絵巻物、刀剣類が大好物なんです
刀剣といえばやはり一番人気は正宗でしょうか
わたしが特に目を奪われた覚えがあるのが東京国立博物館所蔵の太刀・小龍影光・・・備前長船の一品なんですが、別名「のぞき龍影光」と呼ばれる名刀なんです(長く名物と認められなかったって不遇な挿話があります)。
やっぱ好きな物に関しては話が長くなっちゃいますね^^;
長文失礼です
.
クメゼミ塾長 金剛力士像
黒田先生も拝観されましたよね?
何回観ても、写実的でド迫力
圧倒されますね~♪
あっ大きさもですが、実在しないはずなのに、あのリアルさ。
凄いし、素晴らしいです
HANA子さんへ
黒田裕樹 今回も詳しいお話を有難うございます。
鎌倉時代になると、現代にもつながる文化が多くなりますよね。特に刀剣類は武家政権とともに発展を続けましたから、その美しさはHANA子さんの仰るように目を奪われるものがあります。
クメゼミ塾長さんへ
黒田裕樹 奈良は同じ関西地方ですから、小学生時代の遠足も含めて、仰るように何度も拝観しておりますよ。幼い頃は良くマネをしたものです(笑)。
実像を近くで見たときの興奮は、何度足を運んでも同じものがありますね。
大仏様は天井を張らずに全体的な構造美を示すことによって、大陸的な雄大さと豪快な力強さを表現しており、代表的な遺構(いこう、昔の建造物における残存物のこと)としては東大寺南大門(とうだいじなんだいもん)が挙げられます。
鎌倉時代中期になると、細かい部材を組み合わせることによって、清楚(せいそ、清らかで飾り気のないこと)で整然とした美しさを表現した禅宗様(ぜんしゅうよう、別名を唐様=からよう)が伝えられました。円覚寺舎利殿(えんがくじしゃりでん)などがその例です。
また、平安時代以来の我が国の伝統建築様式である和様(わよう)に、大陸伝来の様式を巧(たく)みに取り入れた、河内国(かわちのくに、現在の大阪府河内長野市)の観心寺金堂(かんしんじこんどう)などを代表とする折衷様(せっちゅうよう)も生み出されました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
歴史に疎い私でも「東大寺」の名前は
存じておりました(苦笑
一度焼失していたんですね(@@
再建されたものが、現代まで至っているわけですか。。
それは存じませんでした。
長い歴史の中では、色々な事が起こりますね。。
今、ふと故平山郁夫氏の描いた崩壊された「バーミアン」遺跡の光景を思い出してしまいました。
遺跡の顔の部分をあんな形で崩してしまうなんて、人間とは愚かなものですね(><)
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 歴史に疎い私でも「東大寺」の名前は
> 存じておりました(苦笑
> 一度焼失していたんですね(@@
> 再建されたものが、現代まで至っているわけですか。。
> それは存じませんでした。
> 長い歴史の中では、色々な事が起こりますね。。
平安末期に平氏によって一度消失しているんですよね。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-341.html
この時期に再建されるんですが、戦国時代にまたしても消失してしまいます。
今の大仏殿は江戸時代に再建されたものです。
> 今、ふと故平山郁夫氏の描いた崩壊された「バーミアン」遺跡の光景を思い出してしまいました。
> 遺跡の顔の部分をあんな形で崩してしまうなんて、人間とは愚かなものですね(><)
あれは宗教の問題もからんでいますから難しいですね。
政教分離の有難みが良く分かります。
.黒田先生
りら 平安時代の建築は憧れます
和様と折衷様があったんですね
権現堂にコメント有難うございます
いつもお忙しい黒田先生に
あのような美しい世界でゆっくり
なさって頂きたいと思いました
りらさんへ
黒田裕樹 > 平安時代の建築は憧れます
> 和様と折衷様があったんですね
我が国独自の様式に、海外からのを上手くミックスさせるのも我が国の伝統ですからね。
> 権現堂にコメント有難うございます
> いつもお忙しい黒田先生に
> あのような美しい世界でゆっくり
> なさって頂きたいと思いました
有難うございます。お蔭様で癒やされました。
連休前でいつも以上にバタバタしておりますが、何とか頑張れそうです。
.
HANA子 鎌倉時代の質実剛健な文化にも憧れるもんです、HANA子です
日本の良さはこういった文化財や過去の書物が比較的キチンと残っていることだと思うんです
だからこそ、今こうして遠い昔の出来事に思いをはせることも出来るという・・・
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 鎌倉時代の質実剛健な文化にも憧れるもんです、HANA子です
私も憧れる一人です。明日(28日)に出てきますが、子供の頃に東大寺南大門で初めて見た金剛力士像には大興奮したものでした。
> 日本の良さはこういった文化財や過去の書物が比較的キチンと残っていることだと思うんです
> だからこそ、今こうして遠い昔の出来事に思いをはせることも出来るという・・・
そのとおりですね。文化や伝統を大事にする我が国の国民性ならではと思います。
管理人のみ閲覧できます
-
.こんにちは
星月冬灯 記事を拝読していて、思わず
東大寺に行きたくなりました^^
平安時代の建築は本当に見事
ですよね。煌びやかで神々しさを
感じます。これも日本の歴史で
あり、文化なんですよね。
大切にしていきたいものです^^
.
タカシ☆TZR いつもブログを見ていただきありがとうございます.
鎌倉中期に禅宗様が伝えられるとの表現に違和感を感じました.
承元の築の東大寺鐘楼にすでに詰組がみられるんですよね.
これは栄西がかかわったものとされていますが,
その前に栄西が建てた建仁寺がどういうものかが気になります.
この時点で禅宗様が用いられているように思っていました.
清楚で整然とした美しさを表現した禅宗様という言葉にもなんか違和感があります.
大陸に「清楚で整然とした美しさ」の建築ってあんまりないように思うので.
むしろ構造や装飾の面で禅宗様を導入して,
結果的に「清楚で整然とした美しさ」を表現したのではないかと思います.
南宋の頃の建築で「清楚で整然とした美しさを表現した」建築で例になるようなものって,
中国に何かありますか?
大陸の建築は詳しくないのでよくわからないです.
星月冬灯さんへ
黒田裕樹 > 記事を拝読していて、思わず
> 東大寺に行きたくなりました^^
それは光栄です。現在の東大寺は江戸時代の再建ですが、往時の伝統を今に伝えていますよ。
そういえば今年(平成22年)は奈良遷都1300年ですね。
> 平安時代の建築は本当に見事
> ですよね。煌びやかで神々しさを
> 感じます。これも日本の歴史で
> あり、文化なんですよね。
> 大切にしていきたいものです^^
仰るとおりです。今回のような文化史の勉強は、私たちが普段意識していない伝統建築の重要性を思い起こさせてくれますね。
なお、鎌倉時代の末期には宋の朱熹(しゅき)によって広まった儒学(じゅがく)の一つである宋学(そうがく)が伝わりました。朱子学(しゅしがく)とも呼ばれた宋学における、臣下として守るべき道義(どうぎ)や節度(せつど)などのあり方を示した大義名分論(たいぎめいぶんろん)は後世に大きな影響を与え、鎌倉幕府に対する討幕(とうばく)運動への思想的な支柱(しちゅう)となりました。
同じく末期の頃には、伊勢神宮の外宮(げくう)の神官であった度会家行(わたらいいえゆき)によって独自の神道(しんとう)理論である伊勢神道(いせしんとう、別名を度会神道=わたらいしんとう)が生まれました。
度会家行は、著書である類聚神祇本源(るいじゅうじんぎほんげん)の中で、従来の本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)に対して、逆に仏が神の化身(けしん)としてこの世に現れたとする神本仏迹説(しんぽんぶつじゃくせつ、別名を反本地垂迹説)を唱えています。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
紗那 文庫って言葉は、すでにこのころからあったんですね!ライトノベルの電撃文庫とかが大好きな僕にとっては、なんか親しみが←
朱子学しか知りませんでした!そんな言い方もあるんだ……
紗那さんへ
黒田裕樹 > 文庫って言葉は、すでにこのころからあったんですね!ライトノベルの電撃文庫とかが大好きな僕にとっては、なんか親しみが←
電撃文庫ですか(^^ゞ
この当時の本は貴重品ですから、実時は執権の一族だけあって経済力があったのかもしれませんね。
> 朱子学しか知りませんでした!そんな言い方もあるんだ……
教科書では宋学と記載しているところが多いですが、中身は同じですよ。
どちらでも答えられるようにできればいいですね。
.
ぴーち こんばんは!
黒田さん40000HiT、おめでとうございます☆
おめでとうございます!
遅ればせながら、お祝い申し上げます^^
爆進する黒田パワーに肖りたいと思います(笑)
すっかり精彩を欠き、既に霞を食べて生きる伸びる仙人のようなブログ生活を送っているぴーちでした(爆)
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 有難うございます。
気が付けば40000HITでした。皆様のお陰ですm(_ _)m
私も多忙で精彩を欠いておりますが、人一倍食欲があって困っております(爆)。
これからもよろしくお願いしますね(^_^)v
.
TSUNE 初めまして!
自分は高校2年で日本史を選択しているのでこのブログはとても勉強になります
これからも更新よろしくお願いします
TSUNEさんへ
黒田裕樹 > 初めまして!
> 自分は高校2年で日本史を選択しているのでこのブログはとても勉強になります
> これからも更新よろしくお願いします
はじめまして!
お役に立ててこちらも嬉しい限りです。教科書の太字の部分を中心に取り上げており、センター試験に耐えられるレベルも目指しておりますので、これからも頑張って下さいm(_ _)m
今回の「日本とトルコ ~固い絆(きずな)の物語」ですが、話自体が悲劇的かつ感動的な内容ということもあり、自分自身が途中で感極まらないよう、事前に何度も文章を読んで練習してきました。その甲斐(?)あって淡々と進めることができたようで、参加者の皆様より今回のお話が心に深く刻(きざ)まれたとのお言葉をいただきました。
講座の詳しい内容は、いつものとおり映像とともに14回に分けて、4月29日から更新を開始しますので、今しばらくお待ち下さい。
5月以降の講座の予定は下記のとおりです。
第14回 「相続法と家族の絆(きずな)について」
日時:平成22年5月22日(土) 午後3時30分より
場所:梅田東学習ルーム
会費:無料
第15回 「遠山の金さん ~天保(てんぽう)に咲いた桜の真実」
日時:平成22年6月26日(土) 午後6時より
※開始時間が変更になっております。ご注意下さい。
場所:梅田東学習ルーム
会費:無料




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
h.hamauzu こんにちは!
金さん!いいですね~
その真実を知りたいものです。
また関東でもお願いします。
…一番好きな金さんは高橋秀樹さんでした…
杉様もよろし。
まつか・・・いまいちw
h.hamauzuさんへ
黒田裕樹 > 金さん!いいですね~
> その真実を知りたいものです。
> また関東でもお願いします。
お久しぶりです(^^♪
金さんの実像は意外と知られていませんからね。一定の層からの支持を集めていたのは確かなようですよ。
> …一番好きな金さんは高橋英樹さんでした…
> 杉様もよろし。
> まつか・・・いまいちw
私は中村梅之助さんがやっぱり一番ですね。
もっとも再放送しか見たことがありませんが(笑)。
まつか…ですか? まつだ…はどうでしょう(爆)。
.
天然(てっちゃん)中尉 相続法…たわけ者の話とかでるんですかねぇ?なんか気になりますな
天然(てっちゃん)中尉さんへ
黒田裕樹 > 相続法…たわけ者の話とかでるんですかねぇ?なんか気になりますな
「たわけ者」の語源が…ですね(笑)。果たしてどうでしょうか?
5月22日をお楽しみに!(^ω^)
鎌倉幕府の成立の過程には源氏と平氏による戦いがありましたが、これら源平両氏の栄枯盛衰(えいこせいすい)を主題として、実際の武士の戦いぶりを描(えが)いた軍記物語(ぐんきものがたり)がつくられました。軍記物語は語り物の形態による新しい文学の形式をもち、なかでも平氏の興亡をつづった平家物語(へいけものがたり)は、琵琶法師(びわほうし)によって平曲(へいきょく)として語られたことによって、文字の読めない人々にまで広く親しまれました。
説話文学としては、院政期に成立した今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)とともに「日本三大説話集」と称される古今著聞集(ここんちょもんじゅう)や宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)が成立しています。
また、鎌倉時代末期には吉田兼好(よしだけんこう、別名を兼好法師=けんこうほうし)による独自の広い見聞(けんぶん)や観察眼(かんさつがん)によって、徒然草(つれづれぐさ)という随筆集の名作が生まれました。
鎌倉時代は武士の政権だったことから、貴族の間では過ぎ去ってしまった古きよき時代への回顧(かいこ)や歴史の尊重という姿勢がみられ、順徳天皇(じゅんとくてんのう)ご自身の手による禁秘抄(きんぴしょう)などの、朝廷の儀式や先例を研究する学問である有職故実(ゆうそくこじつ)が盛んとなりました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
スカイラインV35 平家物語と、後の太平記は2大軍記物と言われていますよね。どちらも負けた側の視点で描かれているんでしたっけ?
鎮魂の意味があるんでしょうか?
軍記物では全くないですが、先の源氏物語も鎮魂の意味があるんですよね。
何れにしても、日本人の性質、体質を体現した傑作なんでしょうね。私も時間があれば、また読んでみたい気がします。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 平家物語と、後の太平記は2大軍記物と言われていますよね。どちらも負けた側の視点で描かれているんでしたっけ?
> 鎮魂の意味があるんでしょうか?
おそらくはあると考えられます。盲目の僧である琵琶法師に語らせているくらいですからね。
> 軍記物では全くないですが、先の源氏物語も鎮魂の意味があるんですよね。
> 何れにしても、日本人の性質、体質を体現した傑作なんでしょうね。私も時間があれば、また読んでみたい気がします。
出だし以外にも有名な場面がいくらでもありますからね。私も断片的でしか読めていないのが残念ではあります。
.
紗那 宇治拾遺物語は、今古典でやってます♪ いろんなところで絡んできますね、歴史は。
朝廷は政治の実権を幕府に奪われたから、文化のほうに走ったてことですか。
.
智里 土曜の講座はどうでした?
日本とトルコの絆、日本には遅かりし大航海時代の到来の時の話だったのかな?
「日本三大説話集」!?
自分達が知ってる昔話が出来たのもこのくらいなのかな~。
知ってるのは平家物語だけでした(〃 ̄ω ̄〃ゞ
紗那さんへ
黒田裕樹 > 宇治拾遺物語は、今古典でやってます♪ いろんなところで絡んできますね、歴史は。
古典は歴史とのつながりが深いですよね。連動して理解できれば鬼に金棒です(^_^)v
> 朝廷は政治の実権を幕府に奪われたから、文化のほうに走ったてことですか。
そのとおりだと私も思いますね。過ぎ去りし日々を懐かしむという慕情もあったことでしょう。
智里さんへ
黒田裕樹 > 土曜の講座はどうでした?
> 日本とトルコの絆、日本には遅かりし大航海時代の到来の時の話だったのかな?
講座はお蔭様で盛況でした(^_^)v
また後刻に記事をアップします。
> 「日本三大説話集」!?
> 自分達が知ってる昔話が出来たのもこのくらいなのかな~。
> 知ってるのは平家物語だけでした(〃 ̄ω ̄〃ゞ
今昔物語も含めて、確かに昔話の宝庫ですね。
宇治拾遺物語はともかく、古今著聞集はなじみが薄いかもしれませんね(´・ω・`)
.
ぴーち こんばんは!
そうですか。
昔はいわゆる「文盲」と言われる
人たちが多く存在していて、そういう人たちにも判り易い様に、歌や曲で表していたのですね!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 昔はいわゆる「文盲」と言われる
> 人たちが多く存在していて、そういう人たちにも判り易い様に、歌や曲で表していたのですね!
そのとおりです。平曲のお陰で、昔は文盲であっても言葉の意味が理解できて、それが国民全体の教養力を高める下地になっていました。それが以後の国民の知的水準の高さへとつながっているという側面もあります。
.黒田先生
りら 平家物語
宇治拾遺物語
徒然草
馴染み深い物語がいよいよ登場ですね
昨日は帰りが遅くて講座が受けられず残念でした
一日一回は先生の講座で勉強したいです
りらさんへ
黒田裕樹 このあたりの時代になると、現代でも有名な作品が多くなりますから、学習するのが楽しみになってきますね。
お言葉有難うございます。
私も昨日はりらさんのブログを訪問できなくて残念でした。
忙しいときは仕方がないですが、できるだけお伺いしたいものですね。
さて、去る3月27日に第12回「黒田裕樹の歴史講座」を開催致しましたところ、年度末の何かとお忙しい時期にもかかわらず、8名の皆様にご参加いただくことができました。
新年度最初の講座となります次回(第13回)は「日本とトルコ ~固い絆(きずな)の物語」と題して、大阪・梅田で4月24日の午後3時30分より開始いたします。
時には激しく争い、時には反目(はんもく)しあい、時には己(おのれ)の利益のためにあえて手を結ぶなど、権謀術数(けんぼうじゅっすう)が渦巻(うずま)くことの多い国同士の関係ですが、それだけに親しい国とのつながりは一際(ひときわ)大事にしたいものです。
実は我が国に対して、屈指(くっし)の親日国家(しんにちこっか)が存在するのを皆さんはご存知でしょうか。その国の名前はトルコ共和国です。では、なぜ我が国とトルコとは親しい関係なのでしょうか。その始まりは、トルコにとって悲しい出来事でした。
困っている相手を見過ごしにできないことに、国境は関係ありません。我が国が、そしてトルコが自らの身を顧(かえり)みることなく、救いの手を差し伸べたことによって、国同士の厚い友情が生まれたのです。
次回の講座では、そんな我が国とトルコとの固い絆(きずな)について、歴史的事実をもとに振(ふ)り返ってみたいと思います!
第13回「黒田裕樹の歴史講座」
日時:平成22年4月24日(土) 午後3時30分より
内容:「日本とトルコ ~固い絆(きずな)の物語」
場所:梅田東学習ルーム
会費:無料
ブログをご覧の皆様も、よろしければ是非ご参加下さい。この記事のコメント欄をご活用いただければと思います。また、今回の講座の内容については、前回までと同様に、後日にはブログ上で映像とともに発表しますので、是非ご覧になって下さい。
なお、予約の都合上、当日の教室一覧(午後)の掲示板に「大阪読書研究会」と書かれているのが「黒田裕樹の歴史講座」の会場となります。ご注意下さい。
5月以降の講座の予定は下記のとおりです。
第14回 「相続法と家族の絆(きずな)について」
日時:平成22年5月22日(土) 午後3時30分より
場所:梅田東学習ルーム
会費:無料
第15回 「遠山の金さん ~天保(てんぽう)に咲いた桜の真実」
日時:平成22年6月26日(土) 午後6時より
※開始時間が変更になっております。ご注意下さい。
場所:梅田東学習ルーム
会費:無料




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
伝次郎 高校時代トルコ好きの先生に世界史を習っていたこともあり、そこでオスマン帝国やトルコに興味を持ち始めました。
何かタイムリーな気がしますが、歴史好きな人だけかな?
トルコの親日の部分はメディアでも取り上げられていたと思います。
.
ぴーち こんばんは!
困っている人に温かい手を差し伸べるという気持ちは、日本人ならではですね^^
トルコとの関係、興味があります♪
しかし、遠山の金さんの桜の真実も
興味深いテーマですね^^
また、お邪魔しますね!
応援凸
伝次郎さんへ
黒田裕樹 > 高校時代トルコ好きの先生に世界史を習っていたこともあり、そこでオスマン帝国やトルコに興味を持ち始めました。
それは素晴らしい先生にめぐり会えましたね(^^♪
> 何かタイムリーな気がしますが、歴史好きな人だけかな?
日米同盟の危機など、なにかと国外が騒がしいご時世ですから、数少ない(?)親日国のことも皆さんに知っていただきたいと思って、今回のテーマを考えました。歴史好きでない人にも心に残る講座になればいいと思っております。
> トルコの親日の部分はメディアでも取り上げられていたと思います。
21世紀を目前にしてインターネットで注目を集め始め、平成14年の日韓W杯で一気に有名になりましたね。歴史教科書にも一部で紹介されています。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 困っている人に温かい手を差し伸べるという気持ちは、日本人ならではですね^^
> トルコとの関係、興味があります♪
そうですね。明治の人々の献身的な行動が、その後長く続く友好の架け橋になりましたからね。先人の人知れぬ功績に、私たちが学ぶことは数多くありそうです。
> しかし、遠山の金さんの桜の真実も
> 興味深いテーマですね^^
有難うございます。時代劇のイメージが強すぎるのか、なかなか真実の姿がわからない人物ですが、できるだけ分かりやすく紹介してみたいですね。
心愛 もとマナです☆
まだ前のブログ消してないけど移転するつもりで作りました☆
これからはこっちでおねがいします☆
あとリンクの変更もおねがいします^^
でわでわ
心愛さんへ
黒田裕樹 分かりました(^^♪
リンク先も変更しますので、これからもよろしくお願いしますね(^o^)丿
.
てっちゃん中尉 毎回ながら、早く講座が見たい限りですね
てっちゃん中尉さんへ
黒田裕樹 > 毎回ながら、早く講座が見たい限りですね
有難うございます。今回も内容を充実させるべく構想中ですので、よろしくお願いします(^^♪
.ご無沙汰してましたσ(゚ー^*)
まり姫 黒田さんこんにちは☆
留守中はご心配いただた上に、温かいコメントありがとうございました。
おかげさまで昨晩無事に帰ってまいりましたσ(゚ー^*)
今日から復活しましたのでまたよろしくお願いしますね~(。^p〇q^。)プッ
まずは少しずつ慣らしていこうと思っています。
とりあえずご挨拶までσ(゚ー^*)
まり姫さんへ
黒田裕樹 復活おめでとうございます(^o^)丿
これからの更新に期待していますね。
学問や文芸の世界でも新しい動きが始まりました。鴨長明(かものちょうめい)が天変地異(てんぺんちい)や戦乱が続く世の中の無常さを方丈記(ほうじょうき)にまとめたほか、関白九条兼実(くじょうかねざね)の弟で天台座主(てんだいざす、延暦寺の最高位の僧職のこと)の慈円(じえん)は、承久の乱(じょうきゅうのらん)の直前までの道理による独自の歴史論を展開した愚管抄(ぐかんしょう)を著(あらわ)しました。
和歌の世界では、西行(さいぎょう)が出家後に諸国を渡り歩くなかで山家集(さんかしゅう)をまとめたり、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)の勅撰(ちょくせん、天皇や上皇の命令で歌集などを編さんすること)によって新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)が、藤原定家(ふじわらのていか)や藤原家隆(ふじわらのいえたか)らによって編集されたりしました。
新古今和歌集は、平安時代までの伝統を受け継ぎながらも、技巧的な表現や洗練された歌風が広く受け入れられ、武士の間にも広まりました。第3代将軍の源実朝(みなもとのさねとも)もその一人で、万葉調の歌を集めた金槐和歌集(きんかいわかしゅう)を遺(のこ)しました。なお「金」は鎌倉の「鎌」の偏(へん)を、「槐」は大臣の別称を表しています。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
-
.
紗那 新古今和歌集といえば、技巧に走りすぎて難解な歌も多いというのを国語で習いました。実際、難しかったです。万葉集は優しいなと←
.
ケンシロウ こんにちは。
久しぶりに自宅へ戻っているおいらです。
昨日の講座は如何だったでしょう?
今回も盛況だったことと思います。
桜が咲き始めてから気候が不安定になっています。
体調管理には十分お気をつけ下され。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 新古今和歌集といえば、技巧に走りすぎて難解な歌も多いというのを国語で習いました。実際、難しかったです。万葉集は優しいなと←
確かに新古今和歌集あたりになると技巧派が増えて難解になりますからね。
そんななかで、万葉朝の歌が多い源実朝の存在は大きいと思います。
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 いつも有難うございます。
講座は今回も盛況でした。
詳しくは後刻またUPしますね(^^♪
.
オバrev 歴史講座も13回ですよね。トルコと日本の関係って、今まで考えたことないテーマですので、大いに興味あります。楽しみです。
しかし、文化史って著者と作品の名前覚えるのが大変そうですね(^^;)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 歴史講座も13回ですよね。トルコと日本の関係って、今まで考えたことないテーマですので、大いに興味あります。楽しみです。
有難うございます。ちょうど一年前の今日(4月25日)が第1回目の講座の日でした。あっという間の一年でしたね。今回の講座は、今までとは一味違う内容になったのではないかと思っております。
> しかし、文化史って著者と作品の名前覚えるのが大変そうですね(^^;)
そうなんですよね(´・ω・`)
こればかりは暗記がどうしても必要になってきますから、文化史が苦手な人は結構多いんですよ。私も記事の内容に頭を悩ませています(^^ゞ
それまでの仏教は、厳しい修行を積むとともに、長大かつ難解な経典を読破(どくは)しなければならなかったのに対して、念仏や題目、禅といったいわば「簡略版」で問題ないとした鎌倉仏教の分かりやすさが、武士や庶民に門戸(もんこ)を開放し、幅広い支持を受けたといえるでしょう。
これらの新仏教の動きに対して、従来の仏教勢力も巻き返しを図りました。鎌倉時代の初めの頃、華厳宗(けごんしゅう)の明恵(みょうえ、別名を高弁=こうべん)は戒律を厳重に守りながら権勢におもねず、求道(ぐどう)の生活を続けることで、第3代執権の北条泰時(ほうじょうやすとき)などの多くの人々の尊敬を受けました。
明恵と同じ頃、法相宗(ほっそうしゅう)の貞慶(じょうけい、別名を解脱=げだつ)も山城国(やましろのくに、現在の京都府南部)の笠置寺(かさぎでら)にこもって厳しい修行を続けました。その後も、奈良の西大寺(さいだいじ)を復興した律宗(りっしゅう)の叡尊(えいぞん、別名を思円=しえん)やその弟子の忍性(にんしょう、別名を良観=りょうかん)らは、戒律を重んじるとともに、貧しい人々や病気を救済して治療したほか、土木工事などの社会福祉事業に力を尽くしました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
鎌倉時代に生まれたそれぞれの
宗派は、どの宗教にも人々を救うだけの力が当初は備わっていたと聞いた事がありますが、その後、色々な方面に分派してしまったり、人間の欲などの邪心が介入してしまった事で、その力が衰えてしまっている宗派もあるようですね。
なかなか開祖の純粋な教えを長い間引き継いでいくというのは、並大抵な事ではないように感じます。
応援凸
明日の講座も、影ながら応援してます^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 鎌倉時代に生まれたそれぞれの
> 宗派は、どの宗教にも人々を救うだけの力が当初は備わっていたと聞いた事がありますが、その後、色々な方面に分派してしまったり、人間の欲などの邪心が介入してしまった事で、その力が衰えてしまっている宗派もあるようですね。
確かに6つの宗派とその分派のすべてが栄えている、とはいかなかったかもしれませんね。長い歴史の中では、宗派の栄枯盛衰も激しかったようです。
> なかなか開祖の純粋な教えを長い間引き継いでいくというのは、並大抵な事ではないように感じます。
時間が経つにつれて変化に富んでいる場合が多いですからね。それが良いこともあるのですが…。
> 明日の講座も、影ながら応援してます^^
有難うございます。頑張ってきますね(^_^)v
黒田先生.
りら 日蓮宗は題目を臨済宗や曹洞宗は禅をとのお話がありました
今日の私は日蓮が死んだ池上の地
池上本門寺アップです
いつかも繋がりがありましたね
楽しく拝見しました
ありがとう
りらさんへ
黒田裕樹 偶然とはいえ、りらさんの記事とは何らかの繋がりが良くありますね。
お互いのブログのためにも有難いことだと思っております。
本門寺の桜は本当に美しいですね。
大切なこと
JJSG こんにちは。
仕事休みの土曜はゆっくりできますので、やっぱりいい~♪
鎌倉仏教のお話が続いておりますね。
お山の仏教から一般大衆の仏教へ。
すばらしいことなのですが、そもそもお釈迦様が説かれた仏教の真髄は、お山の仏教ではありません。
すべての人が救われるたった一本の道を教えられたのが真実の仏教であり、釈尊です。
その釈尊の教えを正しく伝えることこそが最も大切なことです。
「一向専念無量寿仏」(釈尊)
(阿弥陀仏に一向専念せよ)
これが仏教、釈尊45年間の教えの結論です。
これに反するものは、仏教ではありませんので、どれだけ大衆に受け入れられようが、繁盛しようが、意味がありません。
「一向専念無量寿仏」の正しい釈尊の本意を命懸けで明らかにされたのは、法然上人と親鸞聖人のみです。
法然上人も親鸞聖人も、「念仏さえ称えれば死ねば極楽往生できる」、などとはどこにも教えられていませんので、注意が必要です。
法然上人がおっしゃっています。
「我ら仏法者にとって、命かけて護らねばならぬのは、天下の掟でもなければ、世間体でもない。ましてや、名誉でも、財産でもない。それは、唯一つ、釈尊出世の本懐である、一向専念無量寿仏と、その布教だけなのだ」
「一向専念の義は、往生の肝腑、仏教の骨目なり」
(親鸞聖人)
蓮如上人がおっしゃっています。
「一宗の繁盛と申すは、ひとの多く集まり、威の大なることにてはなく候。一人なりともひとの信を獲るが一宗の繁盛に候」
「更に親鸞珍しき法をも弘めず、釈迦の教法を、我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」
(親鸞聖人)
釈尊の正しい教えを伝えてこそ、仏教の繁盛だと、強く思いました。
JJSGさんへ
黒田裕樹 鎌倉仏教の最後を飾るにふさわしいお考えを有難うございます。
お釈迦様の正しい教えの広まりが、現在の混迷の世の中の救いになって欲しいと思います。