幕府への義務を果たす「奉公」は出費がかさむため、やがては借上(かしあげ)や土倉(どそう)から借金をすることになります。借金を返すことができればいいのですが、返せなければ、御家人は借上や土倉に自らの所領を奪われてしまいました。さらに、元寇による負担が、こうした流れに拍車(はくしゃ)をかけてしまったのです。
通常の場合、御家人は負担した軍役(ぐんえき)の結果、滅亡した相手方の所領から褒美(ほうび)がもらえることで、それなりの収入を得ることができました。しかし、海を渡ってやって来た元軍が国内の所領を持っているわけがありません。従って、九州まで自己負担で遠征して、命がけで戦ったにもかかわらず、褒美でもらえる所領がないという、御家人たちにとっては極めて深刻な事態となってしまったのでした。
困窮(こんきゅう)する御家人の増加に対して、幕府も手をこまねいたわけではありませんでした。執権北条貞時は、1297年に永仁の徳政令(えいにんのとくせいれい)を発布(はっぷ)して、御家人に対して所領の売買や質入を禁じるとともに、既に売却したものについては無償(むしょう)で元の持ち主に返却させることや、御家人が関係する金銭の訴訟(そしょう)を幕府が受け付けない、といったことを定めました。平(ひら)たく言えば「借金の棒引(ぼうび)き」です。
借金がなくなったり、所領が元に戻ったりしたことで、御家人たちは一息(ひといき)つくことができましたが、皮肉なことに、徳政令によって御家人たちはますます追い込まれていくことになったのです。なぜでしょうか?
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紗那 当時の分割相続は、まだ女性も絡むことができていたのでしょうか? どのあたりから、男尊女卑になっていったのかがいまいちよくわかりません(汗
徳政令のはあれですよね。今でいう、貸し渋りをしたんでしたっけ。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 当時の分割相続は、まだ女性も絡むことができていたのでしょうか? どのあたりから、男尊女卑になっていったのかがいまいちよくわかりません(汗
当初は女子も均等に相続していましたよ。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-389.html
男尊女卑というか、相続方法が変わったのはこの頃です。次回(30日)には明らかにできるでしょう。
> 徳政令のはあれですよね。今でいう、貸し渋りをしたんでしたっけ。
よくご存知ですね(^^♪
なぜ「貸し渋り」になるのか。実に皮肉な流れがからんでいるんですよね(´・ω・`)
.
ぴーち こんばんは!
ここで10分くらい考えていたのですが、最後の問いの答えがどうしても判らずに、
ギブアップさせていただきます^^A
赤点、確実ですね(笑)
明日の記事でまた、勉強させてくださいね^^
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > ここで10分くらい考えていたのですが、最後の問いの答えがどうしても判らずに、
> ギブアップさせていただきます^^A
分かりました。明日を楽しみにお待ち下さいm(_ _)m
> 赤点、確実ですね(笑)
> 明日の記事でまた、勉強させてくださいね^^
いえいえ、ここから巻き返せば大丈夫ですよ(^^♪
.今晩は
りら 一言で御家人と言っても
はかなか難しい問題を含んで
いたんですね 借金の棒引をされた
相手に恨まれたことでしょう
それが心配です
明日楽しみにしています
りらさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
「借金の棒引き」の結果がどうなるのか。
確かに気がかりですね。
右翼と左翼とフェミニストの誤解。
晴雨堂ミカエル よく「日本の伝統」をめぐって保革とフェミニストが対立しますが、その「伝統」の殆んどは長い日本の歴史の中では最近のもの、さらにかなりの部分は明治に入ってから確立したもの。
これら誤解がこの講座で氷解することを願っています。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 確かに「伝統」というものほど、時代によって変節しているものはないかもしれません。
ただ、過去の我が国では、そうすることで「国民のため、ひいては国益のため」になると確信して新たな伝統をつくりだして、それが定着しているという面もあります。
保革やフェミニストを問わず、結果として国益にかなうものであれば私たちは賛同し、そうでなければ声をあげて反対する。これが一般的な国民に求められる姿勢でしょう。
そういった判断が下せやすくなっているかどうか分かりませんが、歴史ブログを運営している以上は、心がけていくべきだとは思います。
消費税増税反対 もうひとつあるので、今度はこちらに書き込みします。
元寇が防衛戦争だから勝っても領地が増えず、鎌倉武士の活躍に酬いることができなかった。
一面では正しいと思いますが、全ての戦で領地が増えるわけではない。守りきることも立派な勝利だと思うのです。
武士が領地を与えられているのは軍役を果たすためであって、全ての戦で必ずしも恩賞が貰えるわけではないと武士もわかっていたのではないでしょうか。負ける戦もありますし。
元寇から鎌倉幕府滅亡まで50年もありますし、元寇と徳政令が鎌倉幕府滅亡の要因とは思えないのですが。
これも「通説」に納得がいかないところなので、コメントさせてもらいます。このブログの趣旨が通説の紹介だとはわかっているのですが。
消費税増税反対さんへ
黒田裕樹 鎌倉幕府の衰亡の原因が、仰るとおり「元寇による恩賞がなかった」「徳政令による混乱で御家人がさらに窮乏した」だけではないのは確かです。
その根本は、当該文章の前半にもあるように「分割相続による所領の細分化」にあります。ただでさえ御家人が窮乏している際に、元寇による負担増が追い打ちをかけたといえるでしょう。
その一方で、この先にも載せておりますが、北条氏は得宗専制政治を行い、自分たちの守りを固めようとするが、御家人への対策が徹底されていない以上は現状は変わらず、かえって御家人たちの不満を高めることになる。
これらは「直接の原因」でなくても、幕府をじわじわと追い込むことになります。
そして、やがて後醍醐天皇が挙兵されると、それまでの不満が爆発した御家人たちが幕府を見限ったことで、滅亡への道を歩むのです。
このように、通説「だけ」で考えるのではなく、数々の事象をつなぎ合わせて「大きな歴史の流れ」を導き出し、鳥瞰的に考える手助けをする。
以上が拙ブログの使命であると常々思っております。
今回の「戦国時代の宗教戦争 ~政教分離をもたらした三英傑」は、第10回の「信長と信玄との『決定的な違い』について」で少し取り上げた内容もありましたが、政教分離の流れをしっかりとご理解いただけるように、比較的落ち着いた姿勢で講座を続けることができたと思っております。
講座の詳しい内容は、いつものとおり映像とともに15回に分けて、3月31日から更新を開始しますので、今しばらくお待ち下さい。
なお、次回(第13回)から新年度となりますが、これまでどおり月一回のペースで講座を続ける予定です。
4月以降の講座の予定は下記のとおりです。
第13回 「日本とトルコ ~固い絆(きずな)の物語」
日時:平成22年4月24日(土) 午後3時30分より
場所:梅田東学習ルーム
会費:無料
第14回 「相続法と家族の絆(きずな)について」
日時:平成22年5月22日(土) 午後3時30分より
場所:梅田東学習ルーム
会費:無料




いつも有難うございます。
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没落技術屋 歴史好きの技術屋です。
黒田先生のブログでは、学校で教わるような事実羅列型ではなく、歴史の流れが分かるような解説をされているところが素晴らしい。
私は技術屋のため、原因と結果を求めてしまいます。先生のブログは私のような理屈好きの人間も満足させてくれるので、非常に興味深く拝見させたいただきました。
没落技術屋さんへ
黒田裕樹 はじめまして。過分のお言葉有難うございます。
事実の羅列だけでは、真実の姿は見えてきません。教え手が流れをしっかりととらえ、それを生徒や皆さんに余すところなく伝えてこそ、本当の教師だと常々思っております。
今後ともよろしくお願いいたします。