元寇の後、北条時宗が精神力を使い果たしたかのように、1284年に34歳の若さでなくなると、時宗の子の北条貞時(ほうじょうさだとき)が13歳で第9代執権となりましたが、御内人の代表(内管領=うちかんれい、ともいいます)である平頼綱(たいらのよりつな)が、1285年に貞時の外祖父(がいそふ、母方の父のこと)である有力御家人の安達泰盛(あだちやすもり)を滅ぼしました。
この事件は、旧暦の11月(=霜月、しもつき)に起きたことから、霜月騒動(しもつきそうどう)と呼ばれています。騒動の後は平頼綱が政治の実権を握(にぎ)りましたが、成長した貞時によって1293年に頼綱が滅ぼされると、以後は得宗が絶対的な権力を手に入れるようになり、御内人や北条氏一門が幕政を独占するという得宗専制政治(とくそうせんせいせいじ)がますます強まっていきました。
こうして幕府内の権力争いが激しくなる一方で、一般御家人の生活状況は、元寇をきっかけとしてより一層悪化することになりました。なぜ元寇が御家人の生活の足を引っ張ることになってしまったのでしょうか?
その原因は、鎌倉幕府を支えていた「御恩(ごおん)と奉公(ほうこう)」のシステムの崩壊(ほうかい)にありました。




いつも有難うございます。
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りら 今日は久しぶりの日曜休日です
でも気分が優れず家にいます
11月は霜月と言うのですね
綺麗な言葉で魅かれます
歴史だけでなく 言語も豊富になります
文章を書くのが好きなので
楽しいです 紅茶花物語に
素敵なコメントありがとう
お時間おありの時私のホームページ
ご覧下されば幸いです
ブログからジャンプして小説クリックして下さい
今 杏の題名で小説書き始めた処です
りらさんへ
黒田裕樹 旧暦の月名はどれも風情がありますからね。
師走というように分かりやすいものもありますが(^^♪
ご紹介有難うございます。
HPも拝見させていただきますね(^o^)丿
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ぴーち こんばんは!
「御恩、奉公」ですか。
今の時代でも、以前ある知り合いの看護師が
お世話になった病院に「お礼奉公」しなくちゃいけないのよ
なんて、言ってましたが、
世話になったら、その人の家に奉公しなければいけないと言った、半ば強制的なそういう制度が今はどうなのかは存じませんが、同じ様な意味合いだったのでしょうか?
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 鎌倉幕府における「御恩と奉公」は、幕府が御家人の所領を保障するという「御恩」に対して、命がけで幕府のために働くという「奉公」の関係、という意味です。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-377.html
強制的という面よりも、「御恩」を感じているので自然と「奉公」するといった意味が当初はあったのですが、様々な理由で「御恩」が不完全になる一方で、御家人に対して幕府が命令することが増えてきたので、システムそのものが崩壊してきたというわけです。
では、その理由はなんでしょうか…については、明日(29日)の更新で明らかにしていきます。
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HANA子 鎌倉幕府の失墜は元寇における勝利の時にすでに始まっていた・・・・・・
そう言ってしまったら暴論でしょうか?
実の所日露戦争の勝利に沸いていた時、日本は後の太平洋戦争での敗北が運命付けられてしまっていたように考えたことがあるんです
それにしても、当初上手く働いていたシステムが時を重ねて動作不良を起こし始め、破滅の到来を見る
歴史の中ではよく起きてしまうことですがまさに諸行無常
いつか自分達の時代もそのように語られる時がくるのかと思うと・・・なんだか言葉に出来ないような怖さを覚えてしまいます
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 鎌倉幕府の失墜は元寇における勝利の時にすでに始まっていた・・・・・・
> そう言ってしまったら暴論でしょうか?
> 実の所日露戦争の勝利に沸いていた時、日本は後の太平洋戦争での敗北が運命付けられてしまっていたように考えたことがあるんです
暴論というよりは、むしろ慧眼(けいがん)だと思いますよ。
勝利に沸く一方で、思想面はともかく、今後のビジョンをしっかりと見極める具体的な姿勢が見られませんからね。
> それにしても、当初上手く働いていたシステムが時を重ねて動作不良を起こし始め、破滅の到来を見る
> 歴史の中ではよく起きてしまうことですがまさに諸行無常
> いつか自分達の時代もそのように語られる時がくるのかと思うと・・・なんだか言葉に出来ないような怖さを覚えてしまいます
確かに怖いですね。先人たちはあらん限りの智慧をしぼって危機を回避してきましたが、現代の私たちに同じような離れ業ができるでしょうか…。