秀吉は当時の朝鮮半島を支配していた李氏朝鮮(りしちょうせん)に対して「我が国が明へ軍隊を送るから協力してほしい」と使者を出しましたが、立場上は明を宗主国(そうしゅこく)と仰(あお)いでいた李氏朝鮮には出来ない相談でした。
進退きわまった秀吉は、明を征服する前提として、やむなく朝鮮半島から攻め込んでいったのです。これこそが、1592年に起きた一回目の朝鮮出兵である文禄の役の本当の理由でした。
当初は我が国が圧倒した戦いでしたが、李氏朝鮮の名将である李舜臣(りしゅんしん、イ・スンシン)の活躍があったり、縦に伸びきった我が国の軍勢の補給路が断たれたことで、多くの兵が飢(う)えや寒さに苦しんだりするなど、戦いは膠着(こうちゃく、ほとんど動きがなくなること)した状態になり、やがて休戦となりました。
その後、我が国と李氏朝鮮や明との間で和平交渉が行われましたが、失敗に終わったことで、1597年に秀吉は再び朝鮮半島を攻めました。これが慶長の役です。戦いは一進一退を繰り返しましたが、1598年に秀吉が亡くなったことで休戦となり、我が国は朝鮮半島から撤退(てったい)しました。
こうした二度にわたる朝鮮出兵は、秀吉の悲願であった当初の「唐入り」の目的を果たせなかったばかりか、朝鮮半島へ多大な影響を及ぼしただけでなく、我が国にも豊臣家を始めとして多数の損害をもたらした結果となってしまいました。さらに、この「失敗」が戦後の人々の間に「ある空気」をもたらすことになったのです。




いつも有難うございます。
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クメゼミ塾長 「唐入(からい)り」の真相ですか…びっくりしました
秀吉は九州佐賀(私の故郷)の名護屋城を拠点にしましたね
そういえば、今でも佐賀では、「さつまいも」のことを「唐(から)いも」といいますよ
また「かささぎ」のことを「かちがらす」と呼んでいます
秀吉が「かささぎ」を朝鮮から持ち帰り「かちがらす」=戦勝、とした
言い伝えがあります
今もロマンは続きますね(^~^)/
クメゼミ塾長さんへ
黒田裕樹 > 「唐入(からい)り」の真相ですか…びっくりしました
> 秀吉は九州佐賀(私の故郷)の名護屋城を拠点にしましたね
一般にはなぜか知られていない、朝鮮出兵、いや「唐入り」の真実です。
仰るとおり、名護屋城を前線基地にしていましたね。
> そういえば、今でも佐賀では、「さつまいも」のことを「唐(から)いも」といいますよ
> また「かささぎ」のことを「かちがらす」と呼んでいます
> 秀吉が「かささぎ」を朝鮮から持ち帰り「かちがらす」=戦勝、とした
> 言い伝えがあります
> 今もロマンは続きますね(^~^)/
サツマイモは文字どおり薩摩から伝播してきましたが、元はといえば外来種ですからね。同じように外来種といわれているカササギですから、秀吉の伝説もあながち眉唾物とはいえませんよね。
確かにロマンを感じます(^^♪
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ぴーち こんばんは!
なるほど、明を征服する為の
足がかりに使われてしまった朝鮮半島に住む人々にとっては、迷惑千万だった事でしょうね。
このお話を伺っただけでしたら、
朝鮮の人々の恨みは、致し方ないようで気の毒に思います。
その後は、どうなるのでしょうか。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、明を征服する為の
> 足がかりに使われてしまった朝鮮半島に住む人々にとっては、迷惑千万だった事でしょうね。
> このお話を伺っただけでしたら、
> 朝鮮の人々の恨みは、致し方ないようで気の毒に思います。
この点では私も同感です。我が国を取り巻く歴史的経緯を知ることは重要であり、外国から我が国がどう思われているかを正確に知らなければ、我が国の本当の針路は見えてこないでしょう。
> その後は、どうなるのでしょうか。
秀吉の朝鮮出兵が起きてしまったことは現実として受け止めるとして、その後はどうなったのかを知ることも重要ですからね。
今晩は
りら いつも楽しくお話し
聞かせて頂いています
私へのコメントも素晴らしく
有り難く思っています
りらさんへ
黒田裕樹 こちらこそ有難うございます。
りらさんのブログも画像をふんだんに用いた素敵なブログで、コメントするのが楽しみです(^^♪
結果だけを見れば
オバrev なるほど、その志は高かったけど、焦りすぎたんでしょうか。
結果だけを見れば、日本が朝鮮に侵略してきたとしか残りませんね。
しかし、当時の日本の兵力のレベルが高かったとは意外でした。
ある空気とは、豊臣離れ?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > なるほど、その志は高かったけど、焦りすぎたんでしょうか。
> 結果だけを見れば、日本が朝鮮に侵略してきたとしか残りませんね。
秀吉にとって最大の誤算は朝鮮半島の攻略から開始しなければならなかったことですが、それならそれでもう少し準備を整えてからの方が良かったのではとも思えます。
また、確かに「結果だけを見れば」朝鮮侵略の一面もありますが…この件については後日に再び取り上げます。
> しかし、当時の日本の兵力のレベルが高かったとは意外でした。
> ある空気とは、豊臣離れ?
100年以上続いた戦国時代を乗り越えた精鋭中の精鋭でしたからね。
空気については…まずは次回(17日)の内容をご覧下さい。