現代の我が国での宗教は、法事などの一定の行事の際に、お坊さんが有難いお経(きょう)を読むなどの「平和の象徴」という印象が強く、宗教が政治に深く関わるというイメージは希薄(きはく)になっていますが、我が国でこうした宗教のイメージが定着したのは、実は江戸時代以降のことなのです。
それまでは、国を挙げて仏教を信仰するなど、我が国の宗教は、政治と深く関わっていました。当初は単なる儀式などの形式的なものや、仏像や寺院などの文化の面が強調されていましたが、いわゆる「政教一致」(せいきょういっち)の状態が続いたことで、宗教勢力は次第に武力を持つようになり、やがては巨大な圧力団体と化していったのです。
では、そんな圧力団体と化した宗教勢力が、現代のように「大人しい」存在となったのはなぜでしょうか。実は、戦国時代を終わらせ、我が国に平和をもたらした織田信長(おだのぶなが)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)、徳川家康(とくがわいえやす)のいわゆる三英傑(さんえいけつ)が、政教分離の実現に深く関わっているのです。
今回の講座では、我が国に政教分離の原則が定着した過程を、三英傑それぞれの政策を振り返りながら探っていきたいと思います。




いつも有難うございます。
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智里 政教分離してから、たった400年しかたってないんですね。
でも良く宗教と政治が分かれる事が出来たもんです。
あれだけ力を持っていた仏教に政治的介入を許す事がなくなったのって気になりますね(*゚∀゚)*。_。)*゚∀゚)*。_。)ウンウン
でも、一向一揆なんかは明らかに宗教的な反乱だよね~。
う~ん、今後の講座が楽しみ♪
智里さんへ
黒田裕樹 > 政教分離してから、たった400年しかたってないんですね。
> でも良く宗教と政治が分かれる事が出来たもんです。
そのとおりです。政治と宗教との深いかかわりを断ち切るには、それなりの「大手術」も必要でしたし、権力者による「仕掛け」などの権謀術数(けんぼうじゅっすう)もありましたね。
> あれだけ力を持っていた仏教に政治的介入を許す事がなくなったのって気になりますね(*゚∀゚)*。_。)*゚∀゚)*。_。)ウンウン
> でも、一向一揆なんかは明らかに宗教的な反乱だよね~。
> う~ん、今後の講座が楽しみ♪
有難うございます。最近の教科書では一向一揆を肯定的に取り上げているところが多いようですが、それによって被害を受けた人も大勢いますし、なるべく公平な目で紹介できればと思っております。
.
スカイラインV35 この時代は政教分離や刀狩の兵農分離など、意外と現代にもつながっている事が多いんですね。
三英傑はやはり傑出した存在だったんでしょうね。
そして、講座の内容とは直接の関係は無いですが、現代の靖国神社、大喪の礼や大嘗祭、建国記念の式典など、余力があれば講座と並行して、一寸考えてみたいと思います。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > この時代は政教分離や刀狩の兵農分離など、意外と現代にもつながっている事が多いんですね。
> 三英傑はやはり傑出した存在だったんでしょうね。
そうですね。三英傑の誰か一人が欠けても、政教分離は成し得なかったでしょう。
> そして、講座の内容とは直接の関係は無いですが、現代の靖国神社、大喪の礼や大嘗祭、建国記念の式典など、余力があれば講座と並行して、一寸考えてみたいと思います。
確かに直接関係はないですが、最後のあたりで…まぁ、あとのお楽しみにしましょうか(笑)。
スカイラインV35さんのお考えも是非拝聴したいと思います。
.こんばんは
りら 政教分離
日本ではこの頃から始まっていたんですね
現在も日本は政教分離がよく行なわれれている国に思えます
それに宗教の自由が認められています
当り前のようでいて世界中では当たり前では無い国が多いですよね
.今の日本をどう思われますか?
ぽっきー 公明党、幸福実現党、など等、他国から、カルト指定されている党が堂々と、政党として存在して、多大な権力を行使している現実は、政教分離できていると言えるのですか、
テストには出ないけど不思議に思っていたのでお聞きします。
阿修羅と言う掲示板を見ました、今の日本は大丈夫なのか、大変なことになってるのではと、私たちの将来が不安になりました。
りらさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、政教分離の原則とともに、信仰の自由は国民にとって大切な原則ですね。
我が国では当たり前のことが、海外では認められていない。恵まれているがゆえに気づかないことが、この国では多いような気がします。
ぽっきーさんへ
黒田裕樹 他国が認定しているからといって、我が国にそのまま適用できるとは限りませんから一概には言えないですが、不思議に感じておられる皆さんも多いようですね。
我が国で議席を持っている公明党の場合は「宗教団体の政治参加」であり、「宗教団体が国家的権力を握って立法権や司法権を支配する」ところまでには至っていないので問題ないとする通説がある一方で、批判も多いようです。
ぽっきーさんのお歳(とし)を存じないので軽々しいことは申せませんが、我が国に対する不安を一掃するには、遠くても「過去の歴史に学ぶ」ことが一番の近道と信じております。
我が国の独立を守るために父祖が成しとげてきたことや、あるいは失敗したことなどを自分の糧として行動することと、自分たちが先祖からのバトンを受け継いでおり、それを時代につなぐ責務があることを自覚すること。それさえできれば、我が国もまだまだ大丈夫だと思います。
.
りら 夜分にお邪魔致します
今日 月下美人が咲きました
お時間がある時で結構ですので
りらのお城までお越し下されば
幸いです お待ち致しています
りらさんへ
黒田裕樹 先ほど訪問させていただきました。
本日(4月1日)限定のすがすがしい記事を有難うございます(^^♪
一方、御家人たちも徳政令によって一息ついたものの、依然(いぜん)として厳しい財政状況であることに変わりはありません。時が流れると、やがては生活に困るようになり、再び借上や土倉に借金を申し込むことになります。
しかし、国家権力によって一度痛い目にあっている借上や土倉たちは、余程(よほど)のことがない限り今までどおりにお金を貸してはくれません。永仁の徳政令は、結果として御家人たちの経済活動をかえって阻害(そがい)するという結果をもたらしてしまったのでした。
御家人の窮乏化(きゅうぼうか)の原因に分割相続があったことで、鎌倉時代の後期までには、惣領(そうりょう)が所領のすべてを相続するという単独相続が一般的になり、庶子(しょし)は惣領によって扶養(ふよう、養ってもらうこと)されるようになりました。また、女子に与えられる財産も減少し、相続を本人一代限りとして死後には惣領に返却するという一期分(いちごぶん)が多くなりました。
また、畿内(きない)やその周辺を中心として、武力に訴えて年貢の納入を拒否するなど、荘園領主や幕府に対抗する武士団が多く見られるようになりました。彼らは悪党(あくとう)と呼ばれ、その勢力はやがて各地に拡大して、得宗専制政治を強化した幕府を次第に悩(なや)ませるようになりました。
※明日(3月31日)からは第12回歴史講座の内容の更新を開始します。




いつも有難うございます。
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紗那 ふぅ、良かった。貸し渋りの流れはちゃんと合ってました♪
そして、このころから、単独で相続していくようになるのですか。
この悪党は、鎌倉幕府の討幕の際に活躍した、楠木正成などの悪党と同じ部類のものなんですか?
紗那さんへ
黒田裕樹 > ふぅ、良かった。貸し渋りの流れはちゃんと合ってました♪
ハイ、合ってましたよ(^_^)v
さすがですね(^^♪
> そして、このころから、単独で相続していくようになるのですか。
そういうことです。分割相続は一見公平ですが、結局は一族のためにならないんですよね。
だからといって、誰が相続するかでも揉(も)めるのですが…。
> この悪党は、鎌倉幕府の討幕の際に活躍した、楠木正成などの悪党と同じ部類のものなんですか?
そうですね。鎌倉幕府の滅亡もいずれ取り上げますから、しばらくお待ち下さいね(^ω^)
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.
HANA子 分割相続の弊害と言えば、
遠く欧州のフランク王国の盛衰が思い浮かびます
フランク族の遺産相続が分割相続制だったことから相続争いが頻発して云々と
結果メロヴィンガ朝はカロリンガ朝にとって変わられ、カロリンガ朝も三代と続かず分裂・・・
やはりこの辺は洋の東西を問わないんでしょうね^^;
HANA子さんへ
黒田裕樹 そうですね。分割相続は分裂や弱体化などの弊害を生みますから、おいそれとはできないはずが、気がつくまで、あるいは気がついてもズルズルと続けて自滅する…。
同じように遺産争いが激しい単独相続の方が、基盤がしっかりしている分やはり強いのでしょうか。
いずれにしましても、仰るとおり東西関係なく、人間というのは痛い目にあわないと本当に理解できない生き物なのかもしれません。現状もそうなのかもしれませんが、果たして生き残れるのでしょうか?
.モラトリアム?
オバrev この徳政令は、亀井大臣が打ち上げたモラトリアム法案(骨抜きで可決されましたが)・・+郵貯銀行預け入れ2000万円・・・と同じですね・。
長期的なビジョンのない場当たり的な、今の民○党と似てるような気がします^^;
オバrevさんへ
黒田裕樹 > この徳政令は、亀井大臣が打ち上げたモラトリアム法案(骨抜きで可決されましたが)・・+郵貯銀行預け入れ2000万円・・・と同じですね・。
> 長期的なビジョンのない場当たり的な、今の民○党と似てるような気がします^^;
確かに似ていますね。
同じモラトリアムでも、高橋是清とは随分違いますし。
ビジョンのない政治は、いつの時代も混乱を生むだけです(´・ω・`)
幕府への義務を果たす「奉公」は出費がかさむため、やがては借上(かしあげ)や土倉(どそう)から借金をすることになります。借金を返すことができればいいのですが、返せなければ、御家人は借上や土倉に自らの所領を奪われてしまいました。さらに、元寇による負担が、こうした流れに拍車(はくしゃ)をかけてしまったのです。
通常の場合、御家人は負担した軍役(ぐんえき)の結果、滅亡した相手方の所領から褒美(ほうび)がもらえることで、それなりの収入を得ることができました。しかし、海を渡ってやって来た元軍が国内の所領を持っているわけがありません。従って、九州まで自己負担で遠征して、命がけで戦ったにもかかわらず、褒美でもらえる所領がないという、御家人たちにとっては極めて深刻な事態となってしまったのでした。
困窮(こんきゅう)する御家人の増加に対して、幕府も手をこまねいたわけではありませんでした。執権北条貞時は、1297年に永仁の徳政令(えいにんのとくせいれい)を発布(はっぷ)して、御家人に対して所領の売買や質入を禁じるとともに、既に売却したものについては無償(むしょう)で元の持ち主に返却させることや、御家人が関係する金銭の訴訟(そしょう)を幕府が受け付けない、といったことを定めました。平(ひら)たく言えば「借金の棒引(ぼうび)き」です。
借金がなくなったり、所領が元に戻ったりしたことで、御家人たちは一息(ひといき)つくことができましたが、皮肉なことに、徳政令によって御家人たちはますます追い込まれていくことになったのです。なぜでしょうか?
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紗那 当時の分割相続は、まだ女性も絡むことができていたのでしょうか? どのあたりから、男尊女卑になっていったのかがいまいちよくわかりません(汗
徳政令のはあれですよね。今でいう、貸し渋りをしたんでしたっけ。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 当時の分割相続は、まだ女性も絡むことができていたのでしょうか? どのあたりから、男尊女卑になっていったのかがいまいちよくわかりません(汗
当初は女子も均等に相続していましたよ。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-389.html
男尊女卑というか、相続方法が変わったのはこの頃です。次回(30日)には明らかにできるでしょう。
> 徳政令のはあれですよね。今でいう、貸し渋りをしたんでしたっけ。
よくご存知ですね(^^♪
なぜ「貸し渋り」になるのか。実に皮肉な流れがからんでいるんですよね(´・ω・`)
.
ぴーち こんばんは!
ここで10分くらい考えていたのですが、最後の問いの答えがどうしても判らずに、
ギブアップさせていただきます^^A
赤点、確実ですね(笑)
明日の記事でまた、勉強させてくださいね^^
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > ここで10分くらい考えていたのですが、最後の問いの答えがどうしても判らずに、
> ギブアップさせていただきます^^A
分かりました。明日を楽しみにお待ち下さいm(_ _)m
> 赤点、確実ですね(笑)
> 明日の記事でまた、勉強させてくださいね^^
いえいえ、ここから巻き返せば大丈夫ですよ(^^♪
.今晩は
りら 一言で御家人と言っても
はかなか難しい問題を含んで
いたんですね 借金の棒引をされた
相手に恨まれたことでしょう
それが心配です
明日楽しみにしています
りらさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
「借金の棒引き」の結果がどうなるのか。
確かに気がかりですね。
右翼と左翼とフェミニストの誤解。
晴雨堂ミカエル よく「日本の伝統」をめぐって保革とフェミニストが対立しますが、その「伝統」の殆んどは長い日本の歴史の中では最近のもの、さらにかなりの部分は明治に入ってから確立したもの。
これら誤解がこの講座で氷解することを願っています。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 確かに「伝統」というものほど、時代によって変節しているものはないかもしれません。
ただ、過去の我が国では、そうすることで「国民のため、ひいては国益のため」になると確信して新たな伝統をつくりだして、それが定着しているという面もあります。
保革やフェミニストを問わず、結果として国益にかなうものであれば私たちは賛同し、そうでなければ声をあげて反対する。これが一般的な国民に求められる姿勢でしょう。
そういった判断が下せやすくなっているかどうか分かりませんが、歴史ブログを運営している以上は、心がけていくべきだとは思います。
消費税増税反対 もうひとつあるので、今度はこちらに書き込みします。
元寇が防衛戦争だから勝っても領地が増えず、鎌倉武士の活躍に酬いることができなかった。
一面では正しいと思いますが、全ての戦で領地が増えるわけではない。守りきることも立派な勝利だと思うのです。
武士が領地を与えられているのは軍役を果たすためであって、全ての戦で必ずしも恩賞が貰えるわけではないと武士もわかっていたのではないでしょうか。負ける戦もありますし。
元寇から鎌倉幕府滅亡まで50年もありますし、元寇と徳政令が鎌倉幕府滅亡の要因とは思えないのですが。
これも「通説」に納得がいかないところなので、コメントさせてもらいます。このブログの趣旨が通説の紹介だとはわかっているのですが。
消費税増税反対さんへ
黒田裕樹 鎌倉幕府の衰亡の原因が、仰るとおり「元寇による恩賞がなかった」「徳政令による混乱で御家人がさらに窮乏した」だけではないのは確かです。
その根本は、当該文章の前半にもあるように「分割相続による所領の細分化」にあります。ただでさえ御家人が窮乏している際に、元寇による負担増が追い打ちをかけたといえるでしょう。
その一方で、この先にも載せておりますが、北条氏は得宗専制政治を行い、自分たちの守りを固めようとするが、御家人への対策が徹底されていない以上は現状は変わらず、かえって御家人たちの不満を高めることになる。
これらは「直接の原因」でなくても、幕府をじわじわと追い込むことになります。
そして、やがて後醍醐天皇が挙兵されると、それまでの不満が爆発した御家人たちが幕府を見限ったことで、滅亡への道を歩むのです。
このように、通説「だけ」で考えるのではなく、数々の事象をつなぎ合わせて「大きな歴史の流れ」を導き出し、鳥瞰的に考える手助けをする。
以上が拙ブログの使命であると常々思っております。
今回の「戦国時代の宗教戦争 ~政教分離をもたらした三英傑」は、第10回の「信長と信玄との『決定的な違い』について」で少し取り上げた内容もありましたが、政教分離の流れをしっかりとご理解いただけるように、比較的落ち着いた姿勢で講座を続けることができたと思っております。
講座の詳しい内容は、いつものとおり映像とともに15回に分けて、3月31日から更新を開始しますので、今しばらくお待ち下さい。
なお、次回(第13回)から新年度となりますが、これまでどおり月一回のペースで講座を続ける予定です。
4月以降の講座の予定は下記のとおりです。
第13回 「日本とトルコ ~固い絆(きずな)の物語」
日時:平成22年4月24日(土) 午後3時30分より
場所:梅田東学習ルーム
会費:無料
第14回 「相続法と家族の絆(きずな)について」
日時:平成22年5月22日(土) 午後3時30分より
場所:梅田東学習ルーム
会費:無料




いつも有難うございます。
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没落技術屋 歴史好きの技術屋です。
黒田先生のブログでは、学校で教わるような事実羅列型ではなく、歴史の流れが分かるような解説をされているところが素晴らしい。
私は技術屋のため、原因と結果を求めてしまいます。先生のブログは私のような理屈好きの人間も満足させてくれるので、非常に興味深く拝見させたいただきました。
没落技術屋さんへ
黒田裕樹 はじめまして。過分のお言葉有難うございます。
事実の羅列だけでは、真実の姿は見えてきません。教え手が流れをしっかりととらえ、それを生徒や皆さんに余すところなく伝えてこそ、本当の教師だと常々思っております。
今後ともよろしくお願いいたします。
元寇の後、北条時宗が精神力を使い果たしたかのように、1284年に34歳の若さでなくなると、時宗の子の北条貞時(ほうじょうさだとき)が13歳で第9代執権となりましたが、御内人の代表(内管領=うちかんれい、ともいいます)である平頼綱(たいらのよりつな)が、1285年に貞時の外祖父(がいそふ、母方の父のこと)である有力御家人の安達泰盛(あだちやすもり)を滅ぼしました。
この事件は、旧暦の11月(=霜月、しもつき)に起きたことから、霜月騒動(しもつきそうどう)と呼ばれています。騒動の後は平頼綱が政治の実権を握(にぎ)りましたが、成長した貞時によって1293年に頼綱が滅ぼされると、以後は得宗が絶対的な権力を手に入れるようになり、御内人や北条氏一門が幕政を独占するという得宗専制政治(とくそうせんせいせいじ)がますます強まっていきました。
こうして幕府内の権力争いが激しくなる一方で、一般御家人の生活状況は、元寇をきっかけとしてより一層悪化することになりました。なぜ元寇が御家人の生活の足を引っ張ることになってしまったのでしょうか?
その原因は、鎌倉幕府を支えていた「御恩(ごおん)と奉公(ほうこう)」のシステムの崩壊(ほうかい)にありました。




いつも有難うございます。
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りら 今日は久しぶりの日曜休日です
でも気分が優れず家にいます
11月は霜月と言うのですね
綺麗な言葉で魅かれます
歴史だけでなく 言語も豊富になります
文章を書くのが好きなので
楽しいです 紅茶花物語に
素敵なコメントありがとう
お時間おありの時私のホームページ
ご覧下されば幸いです
ブログからジャンプして小説クリックして下さい
今 杏の題名で小説書き始めた処です
りらさんへ
黒田裕樹 旧暦の月名はどれも風情がありますからね。
師走というように分かりやすいものもありますが(^^♪
ご紹介有難うございます。
HPも拝見させていただきますね(^o^)丿
.
ぴーち こんばんは!
「御恩、奉公」ですか。
今の時代でも、以前ある知り合いの看護師が
お世話になった病院に「お礼奉公」しなくちゃいけないのよ
なんて、言ってましたが、
世話になったら、その人の家に奉公しなければいけないと言った、半ば強制的なそういう制度が今はどうなのかは存じませんが、同じ様な意味合いだったのでしょうか?
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 鎌倉幕府における「御恩と奉公」は、幕府が御家人の所領を保障するという「御恩」に対して、命がけで幕府のために働くという「奉公」の関係、という意味です。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-377.html
強制的という面よりも、「御恩」を感じているので自然と「奉公」するといった意味が当初はあったのですが、様々な理由で「御恩」が不完全になる一方で、御家人に対して幕府が命令することが増えてきたので、システムそのものが崩壊してきたというわけです。
では、その理由はなんでしょうか…については、明日(29日)の更新で明らかにしていきます。
.
HANA子 鎌倉幕府の失墜は元寇における勝利の時にすでに始まっていた・・・・・・
そう言ってしまったら暴論でしょうか?
実の所日露戦争の勝利に沸いていた時、日本は後の太平洋戦争での敗北が運命付けられてしまっていたように考えたことがあるんです
それにしても、当初上手く働いていたシステムが時を重ねて動作不良を起こし始め、破滅の到来を見る
歴史の中ではよく起きてしまうことですがまさに諸行無常
いつか自分達の時代もそのように語られる時がくるのかと思うと・・・なんだか言葉に出来ないような怖さを覚えてしまいます
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 鎌倉幕府の失墜は元寇における勝利の時にすでに始まっていた・・・・・・
> そう言ってしまったら暴論でしょうか?
> 実の所日露戦争の勝利に沸いていた時、日本は後の太平洋戦争での敗北が運命付けられてしまっていたように考えたことがあるんです
暴論というよりは、むしろ慧眼(けいがん)だと思いますよ。
勝利に沸く一方で、思想面はともかく、今後のビジョンをしっかりと見極める具体的な姿勢が見られませんからね。
> それにしても、当初上手く働いていたシステムが時を重ねて動作不良を起こし始め、破滅の到来を見る
> 歴史の中ではよく起きてしまうことですがまさに諸行無常
> いつか自分達の時代もそのように語られる時がくるのかと思うと・・・なんだか言葉に出来ないような怖さを覚えてしまいます
確かに怖いですね。先人たちはあらん限りの智慧をしぼって危機を回避してきましたが、現代の私たちに同じような離れ業ができるでしょうか…。
さて、去る2月27日に第11回「黒田裕樹の歴史講座」を開催致しましたところ、ブログをご覧になられて初めてご参加いただいた方や、いつもお越し下さるレギュラーの方々を中心に、11名の皆様がご参加されました。
お蔭様をもちまして、当ブログも3月26日で開設以来一周年を迎えます。記念すべき次回(第12回)の講座は「戦国時代の宗教戦争 ~政教分離をもたらした三英傑」と題して、大阪・梅田で3月27日の午後3時30分より開始いたします。
現代の我が国での宗教は、お坊さんが有難いお経を読むなどの「平和の象徴」という印象が強く、また宗教が政治と関連するのを避(さ)けようとする「政教分離」(せいきょうぶんり)の傾向がありますが、我が国でこうした宗教のイメージが定着したのは江戸時代以降のことです。
実はそれ以前の我が国、特に戦国時代では「政教一致」(せいきょういっち)が当然であり、政治と宗教が結びついたことで一向一揆(いっこういっき)が多発するなど、様々な争いが起きていました。
しかし、戦国時代から天下統一へと導いた織田信長(おだのぶなが)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)、徳川家康(とくがわいえやす)のいわゆる三英傑(さんえいけつ)によって、我が国の宗教は政治と完全に切り離(はな)されることになったのです。
信長による比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の焼討(やきう)ちや、一向一揆における女性や老人、あるいは子供に至(いた)るまでの皆殺しも、実は政教分離への流れの一環(いっかん)という側面があるのですが、それでは秀吉や家康は、どのようにして政治と宗教を切り離すことに成功したのでしょうか?
カギを握るのは、二つに分裂した「ある巨大な勢力」と、現代の私たちには当たり前となった「ある制度」です―。詳しくは是非講座にご参加下さって、直接お聞き下さい!
第12回「黒田裕樹の歴史講座」
日時:平成22年3月27日(土)午後3時30分より
内容:「戦国時代の宗教戦争 ~政教分離をもたらした三英傑」
場所:梅田東学習ルーム
会費:無料
ブログをご覧の皆様も、よろしければ是非ご参加下さい。この記事のコメント欄をご活用いただければと思います。また、今回の講座の内容については、前回までと同様に、後日にはブログ上で映像とともに発表しますので、是非ご覧になって下さい。
なお、予約の都合上、当日の教室一覧(午後)の掲示板に「大阪読書研究会」と書かれているのが「黒田裕樹の歴史講座」の会場となります。ご注意下さい。
4月以降の講座の予定は下記のとおりです。
第13回 「日本とトルコ ~固い絆(きずな)の物語」
日時:平成22年4月24日(土) 午後3時30分より
場所:梅田東学習ルーム
会費:無料
第14回 「相続法と家族の絆(きずな)について」
日時:平成22年5月22日(土) 午後3時30分より
場所:梅田東学習ルーム
会費:無料




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てっちゃん中尉 黒田裕樹さん、こんにちは。
もうすぐ、一周年ですね。
この予告編、見てるだけですごくわくわくしちゃいます。
.
シン 初めまして。私は鬱病と統合失調症で闘病中のシンと言います。生きている事がよく分からなくなりネットサーフィンをしているうちにたどり着きました。面白くて夜中に一気読みをしてしまいました。少し眠いです。私もブログを最近始めました。もしよろしければ相互リンクさせては頂けないでしょうか?お時間がある時に除いてやって頂ければ幸いです。
http://blog.livedoor.jp/dreamcatchshin-zibunsagashi/
基本的に闘病記ですが、病気は辛いですが日々をなるべく面白く生きてそれを記事にしたり、役立つ裏情報等もたまに書いてます。ご検討頂ければ幸いです。
応援クリックさせて頂いて帰らせて頂きます。
突然のコメントで失礼致しました。
失礼します。
シン
てっちゃん中尉さんへ
黒田裕樹 > 黒田裕樹さん、こんにちは。
> もうすぐ、一周年ですね。
> この予告編、見てるだけですごくわくわくしちゃいます。
お言葉有難うございます。
気がつけばまもなく1周年です。記念すべき講座にふさわしい(?)ように、今回から「予告編」を公開し始めたのですが、お気に召していただけたようで光栄です(^^♪
もちろん、本編もご期待下さい!
シンさんへ
黒田裕樹 はじめまして。
ご訪問ならびにお言葉有難うございます。
私の拙いブログが、シンさんにとって少しでもお役に立てるのであれば、喜んで相互リンクさせていただきます。
今後ともよろしくお願いします。
.
シン こんにちは。自分探しのブログのシンです。わざわざブログにコメントを頂けて幸いです。今後ともよろしくお願い致します。本当にありがとうございましたm(__)m
シンさんへ その2
黒田裕樹 ご丁寧なお言葉有難うございます。
こちらこそよろしくお願いいたします。
.
ウミタク こんばんは!
このたびはお祝いの言葉ほんとにありがとうございます<(_ _*)>
毎回コメントしていただいてありがたかったです♪
相互リンクの件は喜んでお受けします、よろしくお願いします。
歴史は大学生以前に日本人として大切な教養ですものね!(笑)
お先にリンク貼らせていただきますね。
ウミタクさんへ
黒田裕樹 > このたびはお祝いの言葉ほんとにありがとうございます<(_ _*)>
> 毎回コメントしていただいてありがたかったです♪
いえいえ、とんでもないです。
夢がかなって本当に良かったですよね(^^♪
> 相互リンクの件は喜んでお受けします、よろしくお願いします。
> 歴史は大学生以前に日本人として大切な教養ですものね!(笑)
> お先にリンク貼らせていただきますね。
有難うございます。
こちらも早速登録させていただきますね(^_^)v
ところで、元の襲来という国難を乗り越えた際に二度も暴風雨が発生したことで、「我が国は神風(かみかぜ)に守られている」とする神国思想(しんこくしそう)が、この後に主流となっていきました。神国思想は、やがて我が国に対して大きな影響を与えていくことになります。
さて、あきらめきれないフビライは、我が国に対して三度目の来襲を計画しましたが、諸般(しょはん)の事情で中止となり、元軍はその後二度と我が国を攻めませんでした。一方、我が国では九州沿岸の警戒体制をゆるめず、1293年には鎮西探題(ちんぜいたんだい)を設けて、北条氏一門を派遣して九州の御家人を統括(とうかつ)するなど、元軍襲来を機会に幕府の影響力は西国にも広まりました。
また、幕府は、それまでは支配の外にあった国衙領(こくがりょう、国の領地のこと)や荘園の非御家人の武士を動員できる権利を朝廷から与えられるなど、元軍襲来は結果として幕府の支配を強化するという効果も生み出しました。




いつも有難うございます。
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スカイラインV35 元寇を機に幕府の支配権は強まったんですね。財政的には逼迫の原因にもなったりと、色々あるんですね。
それにしても、中国の万里の長城など、今でこそ無用の長物とも云われますが、日本でも元寇の際は石塁など延々20kmほど作っているんですね。程度の差こそあれ、外敵に対しては真剣そのものの対応なんでしょうね。
.今晩は
りら 今日も講座お疲れ様
私も今会社から帰った処です
神国思想ここから始まったのですね
これが戦争にわが国は負けないと言
う思想の源だったのですね
明治以来の戦争を考えると
繋がりの大きさに驚かされます
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 元寇を機に幕府の支配権は強まったんですね。財政的には逼迫の原因にもなったりと、色々あるんですね。
元寇が我が国に与えた影響は、プラス面も、そしてマイナス面でも想像以上に大きかったということだと思います。
> それにしても、中国の万里の長城など、今でこそ無用の長物とも云われますが、日本でも元寇の際は石塁など延々20kmほど作っているんですね。程度の差こそあれ、外敵に対しては真剣そのものの対応なんでしょうね。
実際に危機を体験している鎌倉幕府のほうが、現代よりもよっぽど真剣だったということだと思います。石塁も、実際に元軍の上陸を防ぐ手段の一つとして機能していたといえますからね。
りらさんへ
黒田裕樹 りらさんもお疲れ様でした。
感動の一日から一夜明けて、ご気分はいかがでしたでしょうか。
神国思想は、色んな意味で我が国に影響を与えていますね。
「勝つんだ」という姿勢自体は良いことだと思いますが、すべての戦いに勝てるはずがありませんから、時には「引く」という姿勢が認められてもいいはずです。
物事というのは本当に難しいですね。
.
佐佐木あつし 実際、自界反逆難や他国侵逼難を含む末法思想も
この頃に熟成されましたね。
様々な鎌倉仏教の祖も、まさか本来の小乗仏教には
実はそんな末法思想なんかなかった事も知らずに
成立させてしまい、
そのまま現代につながってる事を知ったらどう思うんでしょうね(笑)、
そのあたりも歴史の皮肉さを感じます。
佐佐木あつしさんへ
黒田裕樹 > 実際、自界反逆難や他国侵逼難を含む末法思想も
> この頃に熟成されましたね。
日蓮の「立正安国論」ですね。災害や元寇などの数々の国難が、鎌倉仏教が成立する一つのきっかけになったのかもしれません。
> 様々な鎌倉仏教の祖も、まさか本来の小乗仏教には
> 実はそんな末法思想なんかなかった事も知らずに
> 成立させてしまい、
> そのまま現代につながってる事を知ったらどう思うんでしょうね(笑)、
> そのあたりも歴史の皮肉さを感じます。
確かにそうですね。本来の上座部とは全く異なる大乗仏教なうえに、神仏習合や本地垂迹説などの大きな変化をとげた我が国の仏教ですから、日本という国は不思議です(笑)。
さて、外国による本格的な襲来という、有史以来最大の危機を乗り切った我が国でしたが、その背景には勇敢に戦った鎌倉武士の功績が大きかったのはまぎれもない事実です。元寇の時期がたまたま武力政権の鎌倉幕府の支配であったことも幸いしましたが、それ以外にも、我が国の勝利には様々な原因がありました。
まず、元軍といってもその大半が征服した異民族の連合軍であり、各人の戦意が乏(とぼ)しいのみならず、意志の疎通(そつう)が十分に行われなかったことでした。また、突貫工事で高麗に作らせた船は丈夫でなく、しばしば転覆(てんぷく)の憂(う)き目にあいました。
また、大陸を縦横無尽(じゅうおうむじん)にかけ回る陸上と違って、元軍にとっては不慣れな海戦であり、また我が国の風土に合わない兵士が次々と疫病(えきびょう)で倒れるという不利もありました。
さらに、何よりも元軍を悩ませたのは、それまでに他国を征服した際に大いに利用してきた騎馬軍団(きばぐんだん)が、元寇の際には全くといっていいほど使えなかったことでした。




いつも有難うございます。
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りら 元軍にとっては不慣れな海戦が
わが国にとっては幸いでしたね
この辺りは学校で勉強しましたが
ここまで詳しくではありません
興味深く読ませて頂きました
記事とは関係ありませんが
黒田さんの後輩 高橋大輔選手
世界選手権優勝おめでとうございます
私は仕事のローテーションを
友達に代わってもらいテレビに釘付け
今彼の特集記事アップしました
お時間おありでしたらご覧下さると光栄です
りらさんへ
黒田裕樹 我が国を占領しようにも、仰るとおり元軍には不利な条件が揃いすぎていました。
その中でも最大の理由が最後の段落ですが、この件については明日も続けたいと思います。
高橋選手、やりましたね!
オリンピックのメダルが彼の更なる成長をもたらしたに違いありません。
お祝いの言葉をりらさんのブログに書かせていただきます。
.
紗那 元寇の際には、「神風が吹いた」という話がクローズアップされがちな気もしますが、やはりそれだけでは元軍には勝てるわけないですよね(汗
まぁ、元軍が基本的に騎馬軍団であったことが、大きな要因だったような気がします。個人的には。
.
スカイラインV35 成る程、我が国は海に囲まれて外敵に攻められにくい、とはいえ、やはり来る時は来るんですね。
ところで話は元寇から飛躍して申し訳ないのですが、この元はいずれ衰亡してモンゴル民族は歴史の表舞台から姿を消してしまう。こないだの朝鮮出兵の歴史講座のスペインも無敵艦隊の敗北以降、衰退してやはり影が薄くなってしまう。
という事は、日本の先の大戦の敗戦、そして廃墟からの復興は、決して必然ではなく、我々の祖父母、父母の世代の努力の賜物だと。世界史的に見ても、そのように感じてきました。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 元寇の際には、「神風が吹いた」という話がクローズアップされがちな気もしますが、やはりそれだけでは元軍には勝てるわけないですよね(汗
大きな原因の一つではありますが、色んな要素がからみ合わないと、やはりここまで元軍が敗北するとは考えにくいですからね。
> まぁ、元軍が基本的に騎馬軍団であったことが、大きな要因だったような気がします。個人的には。
紗那さん、鋭いですねぇ(^^ゞ
明日(27日)の更新をお楽しみに!
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 成る程、我が国は海に囲まれて外敵に攻められにくい、とはいえ、やはり来る時は来るんですね。
元寇の最大の原因は、やはり朝鮮半島(高麗)が征服されてしまったことです。朝鮮半島からだと、いかに島国といえども、対馬や壱岐を経由して容易に我が国に攻め込むことができますからね。
> ところで話は元寇から飛躍して申し訳ないのですが、この元はいずれ衰亡してモンゴル民族は歴史の表舞台から姿を消してしまう。こないだの朝鮮出兵の歴史講座のスペインも無敵艦隊の敗北以降、衰退してやはり影が薄くなってしまう。
> という事は、日本の先の大戦の敗戦、そして廃墟からの復興は、決して必然ではなく、我々の祖父母、父母の世代の努力の賜物だと。世界史的に見ても、そのように感じてきました。
世界の歴史の中で、数多くの国が生まれては消えてゆきました。そんな中で、少なくとも1500年以上も同じ皇室の血が続く我が国の存在は、実はとてつもなく貴重なのかもしれません。仰るとおり、父祖の血のにじむような努力と智慧に、私たちは感謝するとともに、時代にバトンをつながなければいけません。
.
オバrev 何か、この鎌倉時代の構図は、現在も続いているような気がします(;^ω^)
でも、元元(もと・元)の国は、現在その経験を生かし?海軍を強化しております。空母も建造中です。
日本も鎮西探題を強化しなくてはいけないのに、えぇ!何やってんだろう?
.
けん爺ちゃん こんにちは!
おぉっ!遂に元寇が始まってますね(^ワ^)
今までの元寇記事を、夜勤明けの眠さも吹っ飛ぶ勢いで
読ませて頂きました。
元軍も色々と
問題を抱えていたようですね(^^;)
騎馬という長所が封じられ、上陸も出来ず仲も割れ、
補給や武器の調達も不可能なら、ジリ貧状態に陥るだけで
暴風雨が来なくても撤退するしかなかったと思います。
外圧に毅然たる
態度を取れた鎌倉幕府の姿勢の裏には
幕府が成立した背景が関係しているというお話、
目からウロコでした。
事を処する姿勢や
勝つために必要な状況とは何かなど、
学ぶべき事柄が多い元寇の記事、
次回も楽しみにしてますね☆(^o^)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 何か、この鎌倉時代の構図は、現在も続いているような気がします(;^ω^)
言われてみればそうですね。侵略されたときの備えは、現代の我が国にはできているのでしょうか…。
> でも、元元(もと・元)の国は、現在その経験を生かし?海軍を強化しております。空母も建造中です。
> 日本も鎮西探題を強化しなくてはいけないのに、えぇ!何やってんだろう?
以前から何度も指摘しておりますが、結局はとっくの昔に消えている「島国の恩恵」を未だに忘れられていないことや、戦争に対するアレルギーの相当な強さが足を引っ張っているのかもしれません。
人間は痛い目を一度見ないとわからないといいますが、国家はどんな状況でも自国の独立を守るのが本来の姿のはずですが…(´・ω・`)
けん爺ちゃんさんへ
黒田裕樹 > こんにちは!
> おぉっ!遂に元寇が始まってますね(^ワ^)
> 今までの元寇記事を、夜勤明けの眠さも吹っ飛ぶ勢いで
> 読ませて頂きました。
有難うございます。けん爺ちゃんさんの力作には比ぶべくもないですが、それなりにわかりやすく書いたつもりです。
> 元軍も色々と
> 問題を抱えていたようですね(^^;)
> 騎馬という長所が封じられ、上陸も出来ず仲も割れ、
> 補給や武器の調達も不可能なら、ジリ貧状態に陥るだけで
> 暴風雨が来なくても撤退するしかなかったと思います。
そうなんです。暴風雨が直接の原因とはいえ、いわゆる「神風」が吹かずとも、当時の我が国の武力を考えれば、ハンデなしでも勝てたかもしれません。
> 外圧に毅然たる
> 態度を取れた鎌倉幕府の姿勢の裏には
> 幕府が成立した背景が関係しているというお話、
> 目からウロコでした。
確かに盲点かもしれません。でも、大国に立ち向かうという覚悟は、武力政権という自負がなければ、おいそれとはできなかったと思います。
> 事を処する姿勢や
> 勝つために必要な状況とは何かなど、
> 学ぶべき事柄が多い元寇の記事、
> 次回も楽しみにしてますね☆(^o^)
確かに学ぶべきことが多いですね。これぞ「歴史に学ぶ」ことだと思います。
今から1年前といえば、私は私立高校の教師から大学の事務職員として再出発する直前でした。このご時世に新たな職に就けることへの有難みは感じつつも、「自分はもう二度と教師には戻れないのか」という無念の思いもありました。
そんな折、私の恩人たる知り合いから「黒田君は教師になるために一所懸命勉強を続けてきたんだから、今まで自分が学んできたことをインターネットで発表したらどうか」との言葉をいただいて、「確かに良い機会かもしれない」と思って始めたのが当ブログ「黒田裕樹の歴史講座」でした。
ブログを始めるにあたっては、「どんなに忙しくても毎日更新する」「読まれやすいように文章量は4~6段落と短めにする」という目標を定めるとともに、「分かりやすい歴史」「流れでとらえる歴史」「人物の生き様を見極める歴史」を中心に、全体の分かりやすさや歴史の流れを重視する内容を心掛けました。
当初は一日に一ケタのHIT数という静かなスタートでしたが、時が経つにつれてHIT数があれよあれよと増加し、今では一日平均約150のHIT数を記録するとともに、通算HITも35000を突破するという日本史No.1(にほんブログ村)のブログにまで成長することができました。
そんな私のブログの読者様の年齢層は多岐にわたっておりますが、なかでも中学生や高校生のブロガーの皆様の割合が非常に多いのが、当ブログの大きな特徴です。学生の皆さんの通常の予習・復習や受験勉強に当ブログが役立っているのであれば、こんなに嬉しいことはありません。
その他にも、本物の歴史講座を原則として月に一回行い、You Tubeで公開を続けるとともに、思い切って東京へ進出した際にも大盛況になったり、他の主催者様から講演を依頼されたりするなど、ブログという枠を超えた活動が皆様のご支援によって可能となったことも、私にとっては大きな収穫になりました。
「やはり自分の選んだ道に間違いはなかった」。ブログを1年間続けたことで、失いかけていた自信や熱意を取り戻せた自分の大きな目標は、何をおいても教師として復帰することです。再び教壇に立てる日を目指しながら、いや目標を達成した後も、自分の生活の一部であるブログ「黒田裕樹の歴史講座」を続けてまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
平成22年3月26日 黒田裕樹




いつも有難うございます。
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Masa ブログ開設一周年本当におめでとうございます。
先生のブログに知り合ったのは実はつい最近だったりするのですが、とても深く充実した内容の記事ばかりで楽しく歴史を学べた気がしますっ!
毎日、先生のブログを見に来ることが楽しみでなりませんw
先生が再び教職に就けること心から期待しています。
また、近いうちに先生の講座を見に行きたいと思っています。
これからも、よろしくお願いします。
.
てっちゃん中尉 本日は、ブログ設立一周年おめでとうございます!!
黒田裕樹さんのますますのご活躍を祈念し、お祝いの言葉とさせていただきます。
これからもよろしくお願いします。歴史講座を楽しみにしています。
.
或世梨音 開設一周年おめでとうございます!
自分は北海道在住なので講座を見に行くことができず、いつもYouTubeを利用しているのですが、モニター越しでもものすごい熱意が伝わってきます。
教師復帰とブログ運営、ともに頑張ってください!
これからも宜しくお願いします。
.おめでとうございます
うにた 開設1周年おめでとうございます。
黒田さんを
ごく一部の生徒を育てる「一教師」にするなんて
もったいない。
黒田さんは
日本を育てる人物ですよ。
日本中の学生の教師になるのも
新しいタイプの「教師」かも。
黒田さんがパイオニアかもしれませんね。
そういう「新しい道」を開いていくのも
いいんじゃないですかね。
.
ちゃてれ こんにちは。
ブログ開設1周年おめでとうございますー!
今後も頑張ってください。
これからもよろしくお願いしますー。
.
佐佐木あつし 1周年おめでとうございます。
毎日更新は本当にすごいと思います。まさに継続は力ですね。
先生の熱い思いが伝わってくるブログは歴史大好きな僕にとっては毎日の楽しみでもあります。
先日直接先生とお話しできた光栄は
今でも忘れません。
また、東京にお越しの際は
美味い酒を酌みかわしましょう。
今後とも先生のご健康とご多幸をお祈りします。
Masaさんへ
黒田裕樹 > ブログ開設一周年本当におめでとうございます。
> 先生のブログに知り合ったのは実はつい最近だったりするのですが、とても深く充実した内容の記事ばかりで楽しく歴史を学べた気がしますっ!
Masaさんと相互リンクさせていただいたのはつい最近ですからね。私もMasaさんの「らららじお」にメールを送るのが楽しみです(笑)。
> 毎日、先生のブログを見に来ることが楽しみでなりませんw
> 先生が再び教職に就けること心から期待しています。
有難うございます。
私も早く復帰できればと願っております。
> また、近いうちに先生の講座を見に行きたいと思っています。
> これからも、よろしくお願いします。
お忙しいとは思いますが、お越しいただければ私も嬉しいです(^^♪
こちらこそ、よろしくお願いします。
てっちゃん中尉さんへ
黒田裕樹 有難うございます。
歴史講座は大阪ばかりでなく、再び東京で行いたいですね。
ブログもこれからもっと頑張りますよ(^^♪
或世梨音さんへ
黒田裕樹 > 開設一周年おめでとうございます!
> 自分は北海道在住なので講座を見に行くことができず、いつもYouTubeを利用しているのですが、モニター越しでもものすごい熱意が伝わってきます。
有難うございます。
インターネットというのは本当に便利ですね。
もちろん本物の講座自体もこれから頑張らなければなりませんが…。
> 教師復帰とブログ運営、ともに頑張ってください!
> これからも宜しくお願いします。
或世梨音さんも新しい環境で、新しい世界が始まりますから頑張って下さいね(^^♪
こちらこそよろしくお願いします。
うにたさんへ
黒田裕樹 現役の先生からの力強いお言葉、感激です。
自分にそこまでの器量があるかどうかは分かりませんが、努力を怠ることなく、天命に従ってブログを続けることが、自分の道筋をおのずと決めることになると信じております。
今後ともよろしくお願いします。
その他にも「てつはう」と呼ばれた爆発物(ばくはつぶつ)に馬も武士も大いに戸惑(とまど)うなど、幕府軍は苦戦を強(し)いられましたが、一方の元軍も幕府軍による激(はげ)しい抵抗(ていこう)によって大きな被害(ひがい)を受けたことで、やがて沖合(おきあい)に船を避難(ひなん)させると、何とそのまま退却(たいきゃく)してしまいました。この戦いは当時の年号から文永(ぶんえい)の役(えき)と呼(よ)ばれています。
なお、これまでの通説では季節外(きせつはず)れの暴風(ぼうふう)が吹き荒(あ)れたことで元軍が退却したとされてきましたが、実際には意外な抵抗を受けて怖(こわ)くなった元軍らが逃げ帰ったというのが真相(しんそう)であり、日本側の記録にも「朝になったら敵船も敵兵もきれいさっぱり見あたらなくなったので驚(おどろ)いた」と書かれています。
翌1275年、フビライは様子を見るために我が国に使者を送りましたが、幕府は使者の首をはねて外交拒絶(きょぜつ)の意志を明らかにしました。これは、以前に元が送った使者が我が国に長期間滞在(たいざい)したことで、スパイ活動をしていたのではないかと疑われたからでもあります。その他にも、幕府は異国警固番役を強化するとともに、博多湾沿いに石造の防塁(ぼうるい)である石塁(せきるい)を築いて、元の再来襲に備えました。
我が国の強硬な姿勢に対して、再び日本を攻める決断をした元は、1279年に南宋を滅ぼすと、返す刀で1281年の5月~6月にかけて、兵数約14万人、軍船約4000隻(せき)で二手に分かれて再び博多湾に侵攻(しんこう)しました。




いつも有難うございます。
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てっちゃん中尉 こんにちは、元寇ですか。
教科書のも載ってる、矢やてつはうで攻撃されている武士の画像がとても印象的です。
今晩は.
りら この時代からスパイがいたのですか!!
凄いお話しで興味深深です
日本は島国なので
比較的 外敵からは安全なのだと
誤解していました
今までのお話しを聞いていて
かなり危険が1杯だったんですね
自分の無知を知らされます
有難う御座います
絶体絶命?
オバrev 弘安の役は、14万の大軍ですか。本当に日本は危うかったですね。
ちょうど、台風の時期に重なっていたという話を読んだことあったけど、中国を統一した元ともあろう国がその辺のことを知らなかったんですかね?
てっちゃん中尉さんへ
黒田裕樹 > こんにちは、元寇ですか。
> 教科書のも載ってる、矢やてつはうで攻撃されている武士の画像がとても印象的です。
「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」ですね。資料的にも大変貴重だと思いますし、見た目で元寇の恐ろしさが分かりますよね。本当によく勝てたものだと思います。
この講座では、我が国がなぜ勝つことができたかについても紹介する予定ですので、楽しみにお待ち下さい(^_^)v
りらさんへ
黒田裕樹 仰るように、近代以前は海に囲まれているという利点はあったのですが、かえって海を渡ってきたスパイに気づきにくいという弱点がありました。元寇の際には、その弱点をうまく相手につかれたと思います。
もっとも、スパイに関しては21世紀の現代においても無縁といえるかどうかは分かりませんが…。
知識は無知から始まるものです。何ら恥ずかしいことはないですよ(^_^)v
.
HANA子 実は神風はなかった!
という説もあるそうなんですよね
実は元寇を記した記録の中に、神風を詳しく記した物がないものがあったとか
では、どうして日本軍は勝てたのか?
ていう疑問から元寇についての文献を色々読み漁ったのですが・・・
実は元寇は元による侵略ではなかった・・・なんて資料も
事の正否はともかくとして、やはり諸説様々な歴史上の大事件を調べるのはとても面白いモンです
センセの次回の講義も楽しみにしてま~す!
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 弘安の役は、14万の大軍ですか。本当に日本は危うかったですね。
文永の役の約3万の5倍近くでしたからね。元軍の本気ぶりが伝わりますが、迎え撃つ方も準備万端ですからね。
> ちょうど、台風の時期に重なっていたという話を読んだことあったけど、中国を統一した元ともあろう国がその辺のことを知らなかったんですかね?
モンゴル帝国は海の戦の経験がほとんどありませんし、何よりも本拠地は内陸部ですから、海に関する知識がなかったと思われます。そして、この欠点が元軍にとって最大のアキレス腱になるのですが…詳しくはもうしばらくお待ち下さいm(_ _)m
HANA子さんへ
黒田裕樹 神風については確かに存在を否定する説がありますね。
特に文永の役の頃は晩秋ですから、台風が来るとは考えにくいですし。
ただ、台風でなかったとしても、ちょっとした嵐が海の戦に不慣れな元軍の足を引っ張った可能性があるのと、元軍の船が欠陥品だった(理由は講座でも考察します)ために、台風クラスの暴風雨でなくても簡単に転覆したとも考えられます。
仰るとおり、元寇については様々な説がありますが、私たちがそうした説をあれこれ述べることができるのも、我が国が元軍に勝ったからこそなんですよね。少なくとも、その点における感謝の気持ちは忘れないでいたいものです。
消費税増税反対 4年前の記事にコメントしてすいませんが、元寇に関しては「通説」とは違う考えがあるので書き込みさせていただきます。
日本側の伝統的な戦法「一騎討ち」で元軍に挑み通用せず損害を被ったのが「通説」です。
しかし「一騎討ち」は日本の伝統的な戦法ではありません。儀礼的な戦いならともかく大戦で一騎討ちなどするでしょうか。
保元の乱や源平の戦いなどで武た士は集団戦どころか、夜襲などを平気で行っています。軍事的天才の義経は型破りな戦法を次々編み出しています。
その系譜である鎌倉武士団が一騎討ちなどという戦法を取るでしょうか。幕末では鉄砲を足軽道具などと馬鹿にしていたわけですが、常在戦場の鎌倉武士が非合理な戦法を取ったとは思えません。
日本側が取った「一騎討ち」はある宗教書にしか書かれておらず日本側を故意に貶め宗教を持ち上げるためにそう書かれたのではないかとの説もあります。
自分独自の考えではなく、ウィキペディアや他の書籍やブログなどの受け売りが大きいのですが。どうでしょうか?
消費税増税反対さんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
通説と言えども様々な考えがあり、時を経て新たな通説が生まれることもあります。貴殿のお考えもいずれは新たな説として人口に膾炙することもあるかもしれませんが、当ブログは個人の説を主張するのではなく、我が国の伝統に即した「歴史の大きな流れ」に基づく考えを貫いております。
従って、貴殿の説を決して否定するものではありませんが、これまでどおりとさせていただきますのでご理解くださるようお願いします。