鎌倉幕府は、そもそも武力によって他の勢力を自分の支配下に置くことで成立しました。そんな幕府が、いかに強敵とはいえ元の朝貢に応じて軍門に下るとすれば、幕府以外の組織や武士団にはどのように映(うつ)るでしょうか。
「鎌倉幕府は敵に対して尻尾(しっぽ)を巻(ま)いて逃げた」ということになり、幕府のメンツが丸潰(つぶ)れになるどころか、権威が失墜(しっつい)して以後の支配に悪い影響を及ぼすことは間違いありません。
当時の鎌倉幕府の若き第8代執権(しっけん)の北条時宗(ほうじょうときむね)は、元からの再三の使者に対して、服属する意志のないことを強い姿勢で示しました。元の来襲を予想した時宗は、九州の御家人に対して異国警固番役(いこくけいごばんやく)を課して、沿岸の警備を強化しました。




いつも有難うございます。
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満柚子 いつもコメありがとうございます♪
それなのになかなかコメ出来なくて
すみません(><;)
現社のテストは…駄目でした((殴☆
…やってしまいました;
テストいつも難しいんですよ←当たり前だ
平均はあるので許してください♪w
月曜は楽しかったです!!
カラオケに行けて最近
上機嫌なんですw
.
ぴーち こんばんは!
そうですか。
元々、鎌倉幕府とは武力で自分の支配下に置くことで成立して来たのですね。
その体質を念頭に置いておくと、
おのずと答えが見えて来るのでしょうけれど、私には何も見えて来ませんねぇ(大汗)
応援凸
満柚子さんへ
黒田裕樹 > いつもコメありがとうございます♪
> それなのになかなかコメ出来なくて
> すみません(><;)
いえいえ、学校も忙しいでしょうし、お越しいただいて有難いですよ(^^♪
> 現社のテストは…駄目でした((殴☆
> …やってしまいました;
> テストいつも難しいんですよ←当たり前だ
> 平均はあるので許してください♪w
それは残念でしたね(´・ω・`)
新学年では日本史&世界史でしょうか?
いずれにせよ頑張って下さいね(^o^)丿
> 月曜は楽しかったです!!
> カラオケに行けて最近
> 上機嫌なんですw
カラオケは良いですよね。私も大好きですよ(^_^)v
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですか。
> 元々、鎌倉幕府とは武力で自分の支配下に置くことで成立して来たのですね。
> その体質を念頭に置いておくと、
> おのずと答えが見えて来るのでしょうけれど、私には何も見えて来ませんねぇ(大汗)
武力で頂点に立った組織は、相手がどんなに強くても武力に屈するわけにはいかないのです。
鎌倉幕府の成立過程を理解できれば、おのずと見えてくるものですよ(^^♪
また明日(25日)もお越し下さいね(^_^)v
.:黒田裕樹さん
りら 北条時宗カッコ良いですね
日本男子ここにありですね
元の来襲のことは社会科で勉強して
いますがここまで詳しくはありません いつも楽しく拝見しています
講義お疲れ様です
また明日お城にてお待ちしております
りらさんへ
黒田裕樹 そうですね。北条時宗の決断力と行動力は鎌倉武士ならではだと思います。
優秀な為政者がいたからこそ、元の来襲にも負けることがなかったのでしょう。
こちらこそ、心のこもったお言葉有難うございます。
また拝見しますね(^o^)丿
.不思議
クメゼミ塾長 不思議
1.元寇の時、二回とも台風が…!?
2.日本が侵略されて、元にはむかっ(`・ω・´;)と来ますが
中国には、日本人は朝鮮進攻のように恨みつらみはないように思いますが…?
元が滅亡した所為でしょうか?
クメゼミ塾長さんへ
黒田裕樹 > 1.元寇の時、二回とも台風が…!?
確かに暴風雨が吹いて元軍の船団が壊滅したという記録がありますし、これが大きな敗因の一つには違いありません。ただ、講座の中で説明させていただくことになりますが、それだけで元軍が負けたわけではないと思います。
> 2.日本が侵略されて、元にはむかっ(`・ω・´;)と来ますが
> 中国には、日本人は朝鮮進攻のように恨みつらみはないように思いますが…?
> 元が滅亡した所為でしょうか?
仰るとおり、元が存在しないのも大きな原因ですね。他に考えられるのは、私たち日本人の国民性として、時が経てば恨みや憎しみ、悲しみを「水に流す」ということだと思います。このあたりが、儒教の精神に由来した中国や朝鮮半島の「父祖の恨みは永遠に続く」という考えとの大きな違いだと思います。
.
紗那 なんか、3月27日は携帯を買いに行くらしく…… まぁ、どうせ交通費もなかったんですけどね!(ぁ
やむを得ず、の強行的な態度だったのですね。でも、そんな中でも、胸を張って全力で抵抗するのは容易ではないと思います。時宗はすごい人だなぁと。
教科書では1274年以降の、沿岸防備強化しか触れられていませんでした。 1274年以前にも注目してほしかったな、と教科書に注文をつけてみます。
世界史の教科書で元寇のあたりをパラパラ見てましたw
.
明天会更美好 元寇といい、先の秀吉の朝鮮出兵といい、朝鮮はいつも周辺国の「踏み台」になってきたんですよね・・
そのあたり同情しちゃいます。
ある種その環境が、現在の朝鮮の人たちの歪んだ「コンプレックス」になっているとわたしは考えています。
満州からモンゴル高原東部にまで及ぶ帝国を築いた遼(りょう)は、1125年に女真族(じょしんぞく)が興(おこ)した金(きん)によって滅ぼされました。金はその後も領土を拡大し続け、1127年には中国の北宋(ほくそう)をも滅ぼしました。宋の皇帝の一族は南方へ逃れて南宋(なんそう)を興し、以後は金と南宋による二つの王朝が中国大陸を支配するようになりました。
そして、我が国で鎌倉幕府が成立した直後の13世紀始め頃、中国大陸で金の支配下にあったモンゴル高原にテムジンが現れると、モンゴルはたちまちチンギス=ハーンと称したテムジンによって統一されました。チンギス=ハーンはその後も征服を続けて、中央アジアから南ロシアに至(いた)る広大な地域を領有しました。
チンギス=ハーンの後継者であるオゴダイ=ハーンは遠くヨーロッパまで征服するとともに、1234年には金を滅ぼし、アジアから東ヨーロッパにまたがる大帝国を建設しました。チンギス=ハーンの孫のフビライ=ハーンは、中国を支配するために都を大都(だいと、現在の北京)に定めて国号を元(げん)と改め、朝鮮半島の高麗(こうらい)を服属(ふくぞく)させました。
中国大陸に広大な領土を持つ帝国が現れ、かつ朝鮮半島が支配下に置かれたことによって、周りを海で囲まれた我が国といえども、他国からの侵略(しんりゃく)にさらされる危険性が生じたのです。1268年には、高麗王の使者がフビライの国書をもたらして、我が国に対して朝貢(ちょうこう)を要求してきました。要するに「日本よ、自分の家来になれ!」と言ってきたわけです。
大国である元からの朝貢の要求に対して、鎌倉幕府はどのような態度をとったでしょうか?




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
おっと、昨日の記事から
また以前のお話に戻ったのですね^^;
チンギス=ハーンや、フビライ=ハーンのお名前は存じておりましたが、後継者であるオゴダイ=ハーンという方のお名前は初めて伺いました^^;
見てて良かった黒田さんの記事です!
このまま、一生知らずに過ごす所でした^^;
鎌倉幕府は、どのような方針を取ったのでしょうか。。気になります^^
また、お邪魔しますね☆
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > おっと、昨日の記事から
> また以前のお話に戻ったのですね^^;
はい、そのとおりです。
今日からしばらく通常の更新が続きますので、よろしくお願いします。
> チンギス=ハーンや、フビライ=ハーンのお名前は存じておりましたが、後継者であるオゴダイ=ハーンという方のお名前は初めて伺いました^^;
> 見てて良かった黒田さんの記事です!
> このまま、一生知らずに過ごす所でした^^;
有難うございます(^o^)丿
二代目というのはなかなか印象に残らないものですからね。
でも、オゴダイの時にモンゴル帝国は大きく飛躍しましたから、世界史としては結構有名な人物ですよ。
> 鎌倉幕府は、どのような方針を取ったのでしょうか。。気になります^^
> また、お邪魔しますね☆
幕府の成立過程を考えれば、取り得る手段はどうしても限られますね。
明日も是非お越し下さい!
今晩は.
りら 今日は私のアップも中国です
興味深く読ませて頂きました
チンギス・ハーンの話は
興味が付きませんよね
ありがとう御座います
私の拙いブログの説明への
温かいコメント頂き
感謝の気持ちで1杯です
りらさんへ
黒田裕樹 りらさんのブログ、早速拝見させていただきました。
チンギス=ハーンは確かに英雄ですが、その一方で多くの名も無き国民が虐殺されています。
チンギスの孫であるフビライに対しても、危うく我が国が犠牲になるところでした。
そんな昔に思いをはせながら、明日(24日)以降も更新を続けていきます。
お言葉有難うございます。
蛇足にならないかどうか心配ではありますが、今後ともできるだけコメントさせていただきたいと思います。
.
紗那 うわぉ。急に話が戻ってびっくりしました(汗
今日は、聞いたことのある人ばかりでよかったです♪ オゴタイハンさん!
朝鮮半島は、やはり日本の国防にとっていつの時代も重要なのですねー。
紗那さんへ
黒田裕樹 > うわぉ。急に話が戻ってびっくりしました(汗
失礼しました(^^ゞ
一ヶ月半ぶりでしたからね。
> 今日は、聞いたことのある人ばかりでよかったです♪ オゴタイハンさん!
> 朝鮮半島は、やはり日本の国防にとっていつの時代も重要なのですねー。
オゴダイ=ハーンは地味ですけど、その役割は大きかったですよね。
朝鮮半島については仰るとおりです。高麗が占領されたことで、我が国に危機が訪れることになりました。その後の展開が重要ですね。
平和条約?
オバrev 日宋貿易という言葉は聞きますけど、日元貿易って言葉は聞いたこと無いですね。随分乱暴な国ですね。
多分、元についての情報はある程度入ってきてたでしょうから、相当強力な政権で、まともにやっても勝てないと分かっていたと思います。
と、なると・・・賄賂を送って平和条約を結ぼうとした?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 日宋貿易という言葉は聞きますけど、日元貿易って言葉は聞いたこと無いですね。随分乱暴な国ですね。
元とは14世紀になってから当時の足利幕府との間で民間の貿易が実現しますが、それまでは波乱万丈の歴史でしたからね。
> 多分、元についての情報はある程度入ってきてたでしょうから、相当強力な政権で、まともにやっても勝てないと分かっていたと思います。
> と、なると・・・賄賂を贈って平和条約を結ぼうとした?
大胆なお考えですね(^^♪
確かに元は強大ですが、幕府がそもそもなぜ成立したのかという理由がカギを握りそうです。
こんばんは
スカイラインV35 コメントせずにいられない場面かもしれません。
確か、、、元からの国書の意味が読み取れず、朝廷では正式に返書しましょう、となった所を、幕府はピンときて国書を持参した使者をスパイ容疑で斬殺し、返書しなかった。と記憶しています。。。
自分が当事者であったら、こんな事が出来るか分かりませんが、鎌倉武士の面目躍如といった所でしょうか。素晴しい。
.
HANA子 元寇については色々と調べたことがありまして、
・なぜ元寇は起きたのか? なぜ日本は標的とされたのか?
・圧倒的であるはずの元軍に幕府─日本はなぜ勝てたのか?
・神風は本当にあったのか?
などなど色んな文献や資料を読み漁ってこれら疑問の答えを求めたものです
まずは最初の接触のお話からなのでしょうか?
次回も楽しみにしています!
もしスペインがアルマダの海戦に勝利していれば、明の征服も成功していたかもしれません。そうなれば我が国の運命がどうなったのか見当もつきませんが、間違いなく断言できることは、アルマダの海戦の結果が、遠く我が国にも大きな影響を及ぼしたということです。
また、明は秀吉の出兵から約半世紀後の1644年に満州(まんしゅう、現在の中国東北部)の女真族(じょしんぞく)のヌルハチによって滅ぼされ、新たに清(しん)が誕生するわけですが、清が建国できた原因の一つに、明が我が国と戦ったことで勢力が低下していたという事情があったことは間違いありません。
これらの事実を知れば知るほど、世界の歴史にも大きな流れがあり、それが我が国における歴史にすべてつながっていることがよく理解できますね。「太閤殿下(たいこうでんか)の夢」を賭けた秀吉による朝鮮への出兵も、こういった世界史のレベルから見るべきだと私は思います。
(第11回歴史講座の記事はこれで終了です。)




いつも有難うございます。
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Masa 中学では「朝鮮出兵」という単語で習いましたが、内容は、“豊臣秀吉は朝鮮へ侵略行為を働いた”というものでした。
でも、先生の講座を通して、考え方が変わりました。
秀吉は、やむなく出兵せざるを得なくなってしまったのですね・・・。
これからは、日本史の勉強をしているときでも、常に世界にも目を向けようと思いますっ!
次回も楽しみにしていますねっ。
.
紗那 無敵艦隊の 敗北って、そのタイミングだったんですね! ちょっと、頭にメモです。
うーん、世界史は嫌いだと思ってますけど、こうやって考えてみると、世界史にも興味が・・・・・・! ちょっと頑張ってみようか、と思いました♪
こんばんは
スカイラインV35 今回の講座で気付いたのですが、私はてっきり白人が横暴になったのは、産業革命で文明の利器が発展して以降の事と思っていました。それ以前から白人至上主義的な行いや思想があったんですね。ちょっと意識を変えて調べようかと思ってきました。
そして、世界史と日本史の連動も興味がわいてきました。興味がつきませんね。
Masaさんへ
黒田裕樹 やはり「朝鮮への侵略行為」と断定しているんですか…。
秀吉の事情をもっと歴史教育にも加味してほしいですね。
日本史といえども、世界史にも目を向けなければなりませんから、相乗効果で両方とも成績が上昇できればいいですね。
> 次回も楽しみにしていますねっ。
有難うございます。明日(23日)からは通常の更新に戻りますので、こちらもよろしくお願いします。
紗那さんへ
黒田裕樹 > 無敵艦隊の 敗北って、そのタイミングだったんですね! ちょっと、頭にメモです。
そうなんですよ。こんなところで世界史と結びついているんですよね。
> うーん、世界史は嫌いだと思ってますけど、こうやって考えてみると、世界史にも興味が・・・・・・! ちょっと頑張ってみようか、と思いました♪
いいことですね。高校では世界史が必修ですから、この際日本史と両方とも頑張ってみましょう!(^o^)丿
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 産業革命以前から白人の横暴は続いていますからね。とはいえ、産業革命も「文明を引っ張る白人」という強引なイメージを植えつけていますから、こちらにも注意が必要ですね。
日本史と世界史の連動は、より歴史の知識を深めることになります。明日(23日)からの更新もその一つになると思いますよ。
.
miwa スペインの無敵艦隊が敗北した時代と同時期だと初めて認識致しました。
つまりイギリスではエリザベス一世が統治していた頃の話。
「日本の歴史」でひとくくりに出来ませんね。世界史と繋がっているのですものね。
.
ぴーち こんばんは!
なるほど、おなじ地球上で起こった問題である限り
「風が吹けば、桶屋が儲かる」的なバタフライ効果ではありませんが、こうして事実が繋がると、世界はやはり良くも悪くも連動しているものなのですね~。
応援凸
miwaさんへ
黒田裕樹 > スペインの無敵艦隊が敗北した時代と同時期だと初めて認識致しました。
> つまりイギリスではエリザベス一世が統治していた頃の話。
> 「日本の歴史」でひとくくりに出来ませんね。世界史と繋がっているのですものね。
仰るとおり、イギリスはエリザベス一世の時代でした。その後、スペインに代わってイギリスか我が国との交易を目指しましたが、オランダとの競争に敗れて撤退しました。
もしイギリスがオランダを差し置いて唯一の貿易国になっていれば…そう考えると、本当に「日本の歴史」だけでは語れませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、おなじ地球上で起こった問題である限り
> 「風が吹けば、桶屋が儲かる」的なバタフライ効果ではありませんが、こうして事実が繋がると、世界はやはり良くも悪くも連動しているものなのですね~。
確かに「風が吹けば桶屋が儲かる」という世界でもありますね。そんな偶然が、我が国の歴史に大きな影響を及ぼしているんですから、世の中というのは面白いものです。
なぜなら、そうしたへりくだった行為は秀吉の朝鮮出兵に秘められた真意を始めとする、我々の祖先が代々バトンをつなぐようにして続けてきた、我が国の独立を守るための血のにじむような努力の一切が無駄(むだ)であると断言するに等しいからです。
今回の秀吉による「朝鮮出兵」に限らず、我々は日本人なのですから、他国の感情には理解を示しつつも、我が国の立場で堂々と歴史認識を持てばよいのです。
また、我が国には様々な事情で永住権(えいじゅうけん)を持った外国籍の人々が暮らしており、彼らの子供たちが我が国の学校で学んでいる機会も多いですが、我が国の公教育である以上は、一定の配慮(はいりょ)は必要だとしても、他国に遠慮(えんりょ)する必要はないでしょう。他国籍の人間に対する差別はあってはいけませんが、それと我が国による歴史認識とは別問題であり、区別することは決して間違ってはいないからです。
ところで、秀吉による朝鮮出兵は失敗に終わりましたが、だとすれば待っていましたとばかりにスペインが我が国との戦いで体力の弱った明を攻め込みそうなものですよね。しかし、現実にはスペインが明を侵略することはありませんでした。なぜだと思いますか?
それは、秀吉が死亡した頃までに、スペインの勢力が衰(おとろ)えを見せ始めていたからなのです。




いつも有難うございます。
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紗那 スペイン、衰えてましたっけ・・・・・・? 無敵艦隊がどうしたこうしたの流れでしたか。 詳しく覚えてません……
確かに、国ごとに固有の考え方がある以上、相手に一定の理解をするにしても、必要 以上にへりくだることは 確かに必要ないかもです。
紗那さんへ
黒田裕樹 > スペイン、衰えてましたっけ・・・・・・? 無敵艦隊がどうしたこうしたの流れでしたか。 詳しく覚えてません……
明日(22日)の今講座最後の更新で明らかになりますが、無敵艦隊が歴史を左右していますね。
> 確かに、国ごとに固有の考え方がある以上、相手に一定の理解をするにしても、必要 以上にへりくだることは 確かに必要ないかもです。
そのとおりです。「一定の理解」と「へりくだり」は全くの別物。自国の主張をすることに、他国への配慮はあっても、何の遠慮をする必要があるでしょうか。
こんばんは
スカイラインV35 そうですね。配慮は必要であっても遠慮は必要ないですね。それは相手がどの国であっても、と思います。
そして国会議員レベルでも、歴史教育と歴史研究がゴッチャになってる人が多いような気がするので、この辺の区別もはっきり認識してもらいたいと個人的には思います。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > そうですね。配慮は必要であっても遠慮は必要ないですね。それは相手がどの国であっても、と思います。
仰るとおりです。人間関係でもへりくだることなく、自分の立場を堂々と主張してこそでしょう。国家レベルとて同じことです。
> そして国会議員レベルでも、歴史教育と歴史研究がゴッチャになってる人が多いような気がするので、この辺の区別もはっきり認識してもらいたいと個人的には思います。
本当にそうですね。内政・外交ともに歴史認識の欠如が、今の政治家には多すぎます。
.
明天会更美好 わたしが学生時代、この歴史を勉強したときは「朝鮮出兵」だったような・・今はそれを「侵略」になおしているのならば、日本人として少々違和感を覚えますね。
歴史認識についてはわたしも統一するする必要はないと思います。個々の国の歴史認識を尊重すればいいことですから。
明天会更美好さんへ
黒田裕樹 > わたしが学生時代、この歴史を勉強したときは「朝鮮出兵」だったような・・今はそれを「侵略」になおしているのならば、日本人として少々違和感を覚えますね。
1980年代辺りから「侵略」と書かれるようになっていきました。そもそも「出兵」だったものをわざわざ変えるあたり、何らかの事情が隠されているような気がしますね。
> 歴史認識についてはわたしも統一する必要はないと思います。個々の国の歴史認識を尊重すればいいことですから。
まさしくそのとおりです。相手国の歴史認識を尊重することは、決してへりくだることではありません。
.
ぴーち こんばんは!
現代でも、(靖国神社参拝などに関しては特に)アジアの国々は
事ある毎に、日本のやり方に口を挟んで来る傾向が強いように感じます。
内政干渉も程ほどにして欲しいですよね。
主張すべきことはしっかり主張し、間違った認識には関しては毅然とした態度で
応じる。昔の日本人にはそういう気骨さが
あったように思います。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 現代でも、(靖国神社参拝などに関しては特に)アジアの国々は
> 事ある毎に、日本のやり方に口を挟んで来る傾向が強いように感じます。
> 内政干渉も程ほどにして欲しいですよね。
> 主張すべきことはしっかり主張し、間違った認識には関しては毅然とした態度で
> 応じる。昔の日本人にはそういう気骨さが
> あったように思います。
仰るとおりだと思います。
戦争では負けてしまいましたが、戦前の日本人には確固たるアイデンティティと毅然さがありました。ひるがえって現代では、経済的な恩恵のみを追求するという浅ましさが目立っているような気がします。
そんな姿勢が、諸外国からつけ狙われる根本なのかもしれませんね。
.
麻友∩・3・∩ いつもコメありがとです!
TOPの動画など、歴史が苦手な私でも
わかりやすい感じしました★
これからも
頑張ってくださいd(-∀-。)ネッ
応援してまぁす!
.
クメゼミ塾長 他国の感情には理解を示しつつも、我が国の立場で堂々と歴史認識を持てばよい 』
⇒まさに、言い得て妙ですね
日本人は日本人らしく
拍手~♪
パチパチ(^~^)/
だとすれば、秀吉は明を「侵略」する意思はあったとしても、朝鮮半島そのものを侵略するという概念はなかったといえます。それなのに、秀吉の行為を「朝鮮侵略」と断言することは、秀吉の真意を見誤るだけではなく、歴史的にも正しい表現とはいえません。従って、ここはやはり「朝鮮出兵」と表現すべきなのです。
もちろん、現代にもつながる朝鮮半島の人々の秀吉に対する恨みや憎しみは理解しなければなりませんが、その一方で世界史には共通の原則があるのも事実です。それは「ある民族にとっての英雄は、他民族にとっての虐殺者(=戦争勝利者)である」ということです。
秀吉は、朝鮮半島の人々から見れば確かに許されざる侵略者ではありますが、その一方で、我が国にとっては天下統一を果たした英雄であり、戦国の乱世(らんせ)が続いた世の中に平和をもたらすきっかけをつくってくれた恩人でもあります。
また、先述したアレクサンドロス大王やチンギス=ハーンも英雄としての顔を持つ一方で、彼らによって虐殺され、滅ぼされた民族も大勢います。こうした現実を考えれば、我が国に関わらず、違う国同士で共通した歴史認識を持つという理想は、結局のところは不可能といえるのかもしれません。




いつも有難うございます。
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スカイラインV35 日本において「共通の歴史認識を持ちましょう」と主張する人は、「相手に合わせましょう」と言っているように聞こえますね。異なる歴史認識を全く受け入れられない人は、大人っぽくは感じられませんね。
歴史認識や政治的な意味合いは全くないと思いますが、美智子さまの「人は生きていくために多くの複雑さに耐えていかなければならないことを学んだ」というお言葉をふと思い出しました。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 日本において「共通の歴史認識を持ちましょう」と主張する人は、「相手に合わせましょう」と言っているように聞こえますね。異なる歴史認識を全く受け入れられない人は、大人っぽくは感じられませんね。
本文にも書きましたが、国同士で共通の歴史認識を持つというのはどう考えても無理がありすぎます。仰るとおり、どちらかが一方的に相手の主張を受け入れて終わり、では何の解決にもならないでしょう。
> 歴史認識や政治的な意味合いは全くないと思いますが、美智子さまの「人は生きていくために多くの複雑さに耐えていかなければならないことを学んだ」というお言葉をふと思い出しました。
皇后陛下のお言葉には重みが感じられますね。単純な人生なんてありえないように、国の歴史も一筋縄で語れるはずがありません。こういった基本的な理解も歴史教育の過程では必須といえるでしょう。
.
明天会更美好 例えば、中国はこれまで他国を侵略したことがないと主張していますが、欧米列強が進出するまでの1000年にわたって北ベトナムを中国領とし、現地人に漢字を強要するなどの漢化政策を実施してきました。
ですから、ベトナム人はベトナム戦争でアメリカ人にあれだけ被害をこうむったにもかかわらず、アメリカ人よりも中国人に対する反感が高いと聞きます。
これからもわかるように歴史というのはその国の為政者の「都合のいいように」伝えられるのが常なんですよね・・日本にせよ、韓国、中国にせよです。
わたしは「新しい歴史教科書」の見解には批判的ですが、今の学生たちに歴史の表裏をまず提示し、彼ら自身に選択させるような教育をしてほしいと切に願っています。
明天会更美好さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、歴史は国や環境によって様々な表情を見せます。他国から見れば「都合がよい」歴史であっても、別の国からはそれが「独立を守るためには仕方がない」歴史に化けるように。
それだけに、歴史の光と影の両方を示した教育をするというお考えは私も同意ですが、我が国の歴史である以上、我が国側の立場での教育もまた重要だと思います。
.
ぴーち こんばんは!
私がよく使わせていただいている
言葉なのですが、
人間強い光を浴びると、濃い影が出来るものです。
光と影は常に表裏一体。
名声を浴びる側面もあれば、悪い噂を流される側面も持ち合わせているように思います。
ある反面ではそういう事実があり、またある反面ではこういう一面もあった・という
事で無理に事実を捻じ曲げて脚色する必要は無いようにも感じます。
応援凸
.
紗那 あぁ、そういえば確かに秀吉の目的は、明の征服でしたね。
確かに、表現は朝鮮出兵でいいかと思いますが、結果的に朝鮮を蹂躙したという事実は重く受け止めていくべきかなとは思います。
ただ、依然として、朝鮮の二国とはいろいろ揉めてるわけですから、こちら側だけ反省するのもなんとなく癪ですね。
先月くらいに、日本と中国の有識者で、歴史に対する見解のすり合わせみたいなのをやってましたが、あれを見てる限り、確かに見解の統一は難しそうですね。
.今晩は
りら 私への台湾編への貴重なコメント
ありがとうございました
私の拙い記事にいつも補足していた
だき感謝の気持ちで一杯です
これからも宜しくお願い
致します
.
オバrev 仰るとおり、違う国で歴史認識を同じくするということは不可能でしょうね。
無理矢理やろうとしても、どちらかが妥協するしかないと思います。
となると、いつまでもそれを問題にするのではなく、ある時点で表面上精算しないと未来が開けないのではないでしょうか。
しかしそういう歴史認識の違いを差し置いて、民間の経済的結びつきは遙か先を行っているように思います。
.
彩 こんにちは。
ご訪問ありがとうございました。
最後の一文、共感します。
歴史というのは一方だけから
見られるものではないのでしょうね。
国が違うのなら尚更なのでしょう。
原爆投下の話題でも同じように思います。
秀吉の話で思い出したのですが、
彼の死因は脚気だったという見方があるそうですが
どうやって調べるのかご存知ですか?
仰るとおりです。
晴雨堂ミカエル むかし、日本人がコロンブスのアメリカ大陸「発見」500周年記念に、復元したサンタ・マリア号で航海した事がありますが、私はそのニュースを聞いて「日本人はおめでたい馬鹿が多い」と思ったものでした。
欧米人が喜々として行うならまだしも、なぜアジア人である日本人がありがたがるのか。
日本人の特質なのか、アメリカに遠慮した教育の成果なのか。
黒田氏のご見解を講座を通してお聞かせくださるとありがたい。
我が国が韓国を併合するに至った道のりについては別の機会で詳しく紹介する予定ですが、間違いなくいえることは、日韓併合という事実によって、第二次世界大戦後に朝鮮半島が独立した後も、我々日本人の多くが朝鮮半島の人々に対して、ある程度の「負(お)い目」を感じていることです。
そして、その負い目からなのか、我が国は北朝鮮や韓国による歴史認識に対して他国と比べて強い態度に出ることがなく、その結果として秀吉による朝鮮出兵を、北朝鮮や韓国が主張するままに「朝鮮侵略」と表現し、我が国の歴史教科書にも採用されていることが多くなっています。
しかし、我々日本人の朝鮮半島の人々への個人的な感情はともかくとして、秀吉の行為そのものが、果たして本当に「朝鮮侵略」だったといえるのでしょうか?




いつも有難うございます。
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クメゼミ塾長 いよいよ佳境ですね
次の記事が楽しみです~♪
違った視点、目からウロコです
ありがとうございます
.
イルカ あ、これ!!
(時事ネタ大好きな)ウチの県の
前期入試で出るといわれながらも
結局出なかったヤツですッ←
あ~~。
たしかに「朝鮮侵略」てノートに書いた覚えがry
.
紗那 あれ?日韓併合っていうんですねー。学校では、韓国併合で習ってます。
うちの先生、朝鮮侵略って書いてたかなー・・・・・・ 書いてないかもです。あとで確かめてみます。
しかし、いつも記事がすごく面白いですw
クメゼミ塾長さんへ
黒田裕樹 こちらこそ、いつもご訪問下さって有難うございます。
そうですね。この数日間でいよいよまとめに入りますので、最後まで是非お楽しみ下さい。
.
ぴーち こんばんは!
あははっ!見事に大はずれでしたね(笑)
失礼しました^^;
しかし、負い目ですか。。
負い目を感じながらのお付き合い程惨めさを感じるものは無いですね(><)
いづれ、対等で同等な立場でお付き合い出来る国同士になりたいものです。
応援凸
イルカさんへ
黒田裕樹 > (時事ネタ大好きな)ウチの県の
> 前期入試で出るといわれながらも
> 結局出なかったヤツですッ←
そうだったんですか。今年は記念の年ですから、確かに出てきてもおかしくないですよね。
> あ~~。
> たしかに「朝鮮侵略」てノートに書いた覚えがry
やっぱり…(´・ω・`)
そのあたりについては明日(20日)以降に改めて紹介します。
紗那さんへ
黒田裕樹 > あれ?日韓併合っていうんですねー。学校では、韓国併合で習ってます。
「韓国併合」だと、どの国が韓国を併合したのか分からなくなりますから正しい表現とはいえませんね。もっとも、最近の教科書ではそういう表現が多いようですが…。
いずれ通史か特別講座でこの問題は取り上げないといけないのかも。
> うちの先生、朝鮮侵略って書いてたかなー・・・・・・ 書いてないかもです。あとで確かめてみます。
学校での教育は先生次第ですからね。よろしければお教え下さい。
> しかし、いつも記事がすごく面白いですw
有難うございます(^o^)丿
高校生になっても、当ブログを是非お役立て下さいm(_ _)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!
> あははっ!見事に大はずれでしたね(笑)
> 失礼しました^^;
いえいえ、正解を追求する姿勢こそが重要です。
もし間違えていても、次回のために理解を深めればいいんですよ。
> しかし、負い目ですか。。
> 負い目を感じながらのお付き合い程惨めさを感じるものは無いですね(><)
> いづれ、対等で同等な立場でお付き合い出来る国同士になりたいものです。
負い目を感じることの是非はともかく、いつまでも過去のしがらみにこだわり続けるのは日本人らしくないことですからね。ただ、外国相手だとそういった感情が通用しないのが悩みどころでもあります。
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オバrev 韓国併合でしたか。
でもこれについては、やはり大陸へ進出する狙いがあったように理解しています。
このことについては、韓国や中国の批判は当たっているように思いますが・・・理科系の日本史ですので中途半端 ^^;
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 韓国併合でしたか。
> でもこれについては、やはり大陸へ進出する狙いがあったように理解しています。
最終的に我が国が選択した道は確かに大陸進出(あるいは侵略)でした。しかし、なぜ進出する必要があったのかについてまではなかなか語られていないのが不思議です。一方的に我が国が悪いとすぐに結論を出してしまうことが本当に正しいのでしょうか。
> このことについては、韓国や中国の批判は当たっているように思いますが・・・理科系の日本史ですので中途半端 ^^;
他国からの批判は批判として受け止めることは何ら差し支えはありません。それよりも問題なのは、批判に対する我が国の受け答えだと思います。これに関しては明日(20日)以降の更新で引き続き取り上げます。
特に豊臣家が滅ぼされた後は、秀吉のことを賞賛する内容を口にしたり、文章を残したりするだけで取り潰(つぶ)される可能性がありましたから、各国の大名は、かつては秀吉の朝鮮出兵に賛成していたという事実を徹底して隠(かく)すようになりした。
また、秀吉の出兵によって悪化していた李氏朝鮮との関係修復を目指して家康が交渉した際にも、自分が朝鮮半島に攻め込まなかったという事実や、豊臣家を倒して自身が新たな我が国の支配者となったことを強調することで、国交の回復に成功しました。
このうち、家康が朝鮮半島を攻めなかったのは事実ですが、これは逆に「攻めさせてもらえなかった」という説もあります。なぜなら、秀吉は明の征服に成功すると確信しており、宿敵である家康に領地の拡大を認めるような戦闘行為をさせたくなかったからだという見方があるからです。
いずれにせよ、家康が最終的に我が国の支配者となったことで、秀吉による朝鮮出兵はその意義をすべて否定されるだけでなく、「無益な戦い」「晩年の愚行」という歪(ゆが)んだレンズを通した見方しかされなくなっていきました。そして、その見方が現代にも続くきっかけとなった「ある事実」が20世紀に起きているのです。




いつも有難うございます。
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紗那 んー、民主党が政権をとった際に、経団連(あってますか?)が政治献金、特に自民向けを禁止したのと同じ感じですかね?
確かに、無益な戦いというイメージは、僕の中でも醸成されてますけど・・・・・・
紗那さんへ
黒田裕樹 > んー、民主党が政権をとった際に、経団連(あってますか?)が政治献金、特に自民向けを禁止したのと同じ感じですかね?
雰囲気は確かにそうですね。権力者が変わっただけで、実際には何も変わっていないわけでもありますが、前任者の名誉を傷つけて良いはずがありません。
> 確かに、無益な戦いというイメージは、僕の中でも醸成されてますけど・・・・・・
イメージは時として、徳川綱吉や田沼意次のような誤解を生みますからね。今回の場合は…。
.
オバrev 確かに、歴史はのちの支配者に都合良いように書き換えられていますね。
無益な戦いと言われるものと言えば、やはり太平洋戦争でしょうか。
しかし、当時子供で戦時下を過ごした方に話を聞いたことがありますが、やはり日本が滅びるかどうかの瀬戸際で、皆が日本のために貧しさに耐え、日本のために戦いたいと思っていたそうです。
それを無益な戦争であったという人に対して(左翼等)は、強い憤りを感じると言っておられました。
ちょっと目が覚めてきました
スカイラインV35 成る程、秀吉と家康にそんな思惑があったんですね。
それにしても、話をスペインやポルトガルに戻しますが、今回の話は固有名詞を入れ替えれば、第二次大戦あたりといっても良いぐらいの話になりますね。
白人国家というのは、武力以外にもキリスト教であったり、関税自主権であったり、経済封鎖であったり、自虐史観や憲法9条であったり、手を変え品を変え、利益を求めようとするんですね。
欧州以外にも不凍港を求めるロシア、中華思想の中国など、日本は国益や国防など一寸のんびりし過ぎているのでは、と思ってきました。
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ぴーち こんばんは!
無益な戦い。とあるのだからやはり「戦争」関係の話でしょうか・・。
第二次世界大戦も、日本がアメリカに対して先に戦いを仕掛けたとありますが、日本がそうせざる負えない理由があった様で。。日本は無謀な戦いを仕掛けたとはいえ、そう仕掛けられた・・という説を聞いた事がありますが、真意はいかに・・?
応援凸
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 確かに、歴史はのちの支配者に都合良いように書き換えられていますね。
徳川家が豊臣家を完全に滅ぼしたことで、豊臣家の名誉が甚(いた)く傷つけられましたからね。
> 無益な戦いと言われるものと言えば、やはり太平洋戦争でしょうか。
> しかし、当時子供で戦時下を過ごした方に話を聞いたことがありますが、やはり日本が滅びるかどうかの瀬戸際で、皆が日本のために貧しさに耐え、日本のために戦いたいと思っていたそうです。
> それを無益な戦争であったという人に対して(左翼等)は、強い憤りを感じると言っておられました。
私も戦争当時に現役の軍人さんだった人にお会いした際にお話をうかがいました。我が国が敗れれば、残してきた身内を含む一般人がどんな目に合わされるか分かったものではない。そのために、当時の軍人の大部分が命がけで戦い、そして多くの人が散っていったらしいです。
私が後に教師になることを決意したのも、そんな戦いを「無益である」と一方的に決めつける歴史教育に激しい違和感を感じたのがきっかけの一つですね。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、基本的な流れは時代を超えて共通なところが多いように感じられます。
手を変え品を変えて我が国に圧力をかける他国。防衛のために智慧をしぼり、多くの貴重な生命を失ってきた過去に比べて、現状では確かに「一寸のんびりし過ぎて」いるような気がします。
我が国の真の目覚めの日はやってくるのでしょうか…。
キクメモドキ 歴史の真実っていうものは 絡んだ紐を解くように いろんな方向から見ないと判らないものですね
昔、学校で教わった事柄が今は解釈が全く違う事も多いですし
講義を見に行きたいですが 休みが合わず毎回 指をくわえていますが 機会があれば 伺いたいものです
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 無益な戦い。とあるのだからやはり「戦争」関係の話でしょうか・・。
> 第二次世界大戦も、日本がアメリカに対して先に戦いを仕掛けたとありますが、日本がそうせざる負えない理由があった様で。。日本は無謀な戦いを仕掛けたとはいえ、そう仕掛けられた・・という説を聞いた事がありますが、真意はいかに・・?
秀吉に限らず、時が流れることで当時では見えなかったものが見えてきたり、隠されていたものが白日の下にさらされたりということが良くあります。それは第二次世界大戦においても例外ではなく、少しずつですが真実が明らかになってきていますね。
私が昭和史を担当できる日がいつになるのか全く検討も就きませんが(笑)、いつかは必ず正面から取り上げてみたいものです。
キクメモドキさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
> 歴史の真実っていうものは 絡んだ紐を解くように いろんな方向から見ないと判らないものですね
> 昔、学校で教わった事柄が今は解釈が全く違う事も多いですし
仰るとおりです。一つの物体も光と影の当て方によって見た目が全く異なるように、複眼的な観察で歴史をながめなければいけません。歴史の解釈も年々異なっていくうえに、教科書だけの知識では真の理解には程遠いですから、それこそ歴史の教師の力量が問われます。
> 講義を見に行きたいですが 休みが合わず毎回 指をくわえていますが 機会があれば 伺いたいものです
有難うございます。いつの日か講座でお会いできる日を楽しみに待っております。
このプロジェクトに対して、皆さんはどう思われますか?
それまでやる事なす事が当たり続けた社長の言うことであり、またそれだけの信頼や実績もあります。だとすれば、勝ち馬に乗らんとするばかりに皆がこぞってプロジェクトに参加しようとしますよね。中にはプロジェクトの重要な役目を自ら志願する社員もいるでしょう。
しかし、結果としてそのプロジェクトは大失敗に終わって社長は急死し、社運も一気に傾(かたむ)くことになってしまいました。幸いにも別の企業の社長が再生に乗り出したことで会社そのものはなんとか存続しましたが、こうなると、それまでプロジェクトに賛成していた人々はどう考えるでしょうか。
もし自分がプロジェクトに積極的だったことが世間に知られては、とんだ赤っ恥(あかっぱじ)をかくことになりますし、また新たな社長ににらまれて会社を辞めさせられるかもしれません。だとすれば「俺はあの時は本当は反対だったんだ。でも社長が強引だったから嫌々(いやいや)従うしかなかったんだ」とか、あるいは「俺はあの時反対したんだ。だから(本当は実力不足で参加できなかったんだけど)プロジェクトにも参加しなかったんだ」などと自分を少しでも良く見せようは思いませんか?
実はこれと同じことが、秀吉が死んだ後にも行われていたのです。




いつも有難うございます。
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紗那 なんと・・・・・
みんな、保身に走るんですねー。
てか、あれですね。関が原が絡んでませんか?その話。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なんと・・・・・
> みんな、保身に走るんですねー。
大人の社会というのは時としてこういうものです(^^ゞ
> てか、あれですね。関が原が絡んでませんか?その話。
さすがに鋭いですね。このカラクリは次回(18日)以降に明らかにしますよ(^^♪
今晩は
りら 秀吉が死んだ後?
かなり後世まで秀吉の
愚弄を責められたはず
?????
明日が待ちきれません
りらさんへ
黒田裕樹 > 秀吉が死んだ後?
> かなり後世まで秀吉の
> 愚弄を責められたはず
> ?????
ヒントを挙げるとすれば、秀吉が死んだ後に、結果として失敗に終わった朝鮮への出兵の評価がどうなったか、ということですね。
> 明日が待ちきれません
有難うございます。今しばらくお待ちください。
こんばんは
スカイラインV35 今日の会社の話は、もろにいくらでもいますね。この手のタイプは。(^□^)
ところで、「唐入り」を前提にした朝鮮出兵にはいろいろな説があるようですね。
・中華秩序への挑戦、冊封体制への反発
・スペイン・ポルトガルの明・日本征服計画への示威行動、先制行動
当時の欧州は大航海時代で、日本もそれに触発されるかのように東南アジアなどに日本町が出来るほど進出して行く。
明は北方騎馬民族の侵入を防ぐため万里の長城を建設し、その為に南方の海側の軍事が手薄になり、倭寇が活発化する。その当時の明は海禁政策を取っていたが、ちょっと弱体化していたんですかね。
そして、日本側もモンゴル帝国のあたりから中国大陸に対して、文化レベル等で尊敬の度合いが減って来ていたのかもしれませんね。
このような背景があったとすれば、仮に織田信長が存命であっても同じ行動に出たであろう。といったところでしょうか。
私の勝手な憶測ですが、ちょっと調べてみました。この辺はひょっとすると、現代にも通じる目茶目茶大事な事柄なのでは、といった思いが出て来てしまいました。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 今日の会社の話は、もろにいくらでもいますね。この手のタイプは。(^□^)
そのとおりですね。今回の秀吉の場合も全く同じことが言えます。
詳しいご高察有難うございます。仰るような背景があったからこそ、秀吉による明への侵攻は決して無茶ではなかったと思いますし、信長だったら成功していたかもしれません。
また、この背景は1世紀も経っていない近現代も似たようなものですから、第二次大戦の研究に関しても非常に重要になってくると思います。
.
ぴーち こんばんは!
人間の考える事とは、どんな時代に生きようと、どんなに歴史が変わろうと、そんなに大きな変化は無い様ですね^^;
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 人間の考える事とは、どんな時代に生きようと、どんなに歴史が変わろうと、そんなに大きな変化は無い様ですね^^;
仰るとおりですね(´・ω・`)
今回の場合は、それがさらに露骨になっていったのが、秀吉にとっては更なる誤解を生むことになってしまいます。詳しくはこの後の展開をご覧下さい。
.
HANA子 歴史は勝者が作るとよく言われますが、正確には勝者とそれを取り巻く状況が作るといったところなんでしょうね
王朝が変わると前王朝の完全否定から始まる大陸ほどあからさまではないにしろ、
我が国でもそのような“歴史の慣わし”と無縁ではなかったようです
一方では勝者の傲慢ですが、
前政権を否定、あるいは貶めることで自分の政権の正当性をうたい、安定統治の基盤とする・・・理解できる話です
倫理的善悪だけではなかなかはかれないことですね
とはいえ、家康のしたたかさによって後世「置いて地に落ちた愚かな君主」扱いされている秀吉が哀れなことにはかわりないのですけど
次回も楽しみにお待ちしております!
HANA子さんへ
黒田裕樹 確かに我が国も王朝の交代こそないですが、為政者の交代によって前政権が悪し様にののしられるということがありますね。
善悪論でひとくくりにできないとはいえ、大阪の人間としては秀吉が本当に哀れです。
次回もご期待下さい!(^^♪
秀吉は当時の朝鮮半島を支配していた李氏朝鮮(りしちょうせん)に対して「我が国が明へ軍隊を送るから協力してほしい」と使者を出しましたが、立場上は明を宗主国(そうしゅこく)と仰(あお)いでいた李氏朝鮮には出来ない相談でした。
進退きわまった秀吉は、明を征服する前提として、やむなく朝鮮半島から攻め込んでいったのです。これこそが、1592年に起きた一回目の朝鮮出兵である文禄の役の本当の理由でした。
当初は我が国が圧倒した戦いでしたが、李氏朝鮮の名将である李舜臣(りしゅんしん、イ・スンシン)の活躍があったり、縦に伸びきった我が国の軍勢の補給路が断たれたことで、多くの兵が飢(う)えや寒さに苦しんだりするなど、戦いは膠着(こうちゃく、ほとんど動きがなくなること)した状態になり、やがて休戦となりました。
その後、我が国と李氏朝鮮や明との間で和平交渉が行われましたが、失敗に終わったことで、1597年に秀吉は再び朝鮮半島を攻めました。これが慶長の役です。戦いは一進一退を繰り返しましたが、1598年に秀吉が亡くなったことで休戦となり、我が国は朝鮮半島から撤退(てったい)しました。
こうした二度にわたる朝鮮出兵は、秀吉の悲願であった当初の「唐入り」の目的を果たせなかったばかりか、朝鮮半島へ多大な影響を及ぼしただけでなく、我が国にも豊臣家を始めとして多数の損害をもたらした結果となってしまいました。さらに、この「失敗」が戦後の人々の間に「ある空気」をもたらすことになったのです。




いつも有難うございます。
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クメゼミ塾長 「唐入(からい)り」の真相ですか…びっくりしました
秀吉は九州佐賀(私の故郷)の名護屋城を拠点にしましたね
そういえば、今でも佐賀では、「さつまいも」のことを「唐(から)いも」といいますよ
また「かささぎ」のことを「かちがらす」と呼んでいます
秀吉が「かささぎ」を朝鮮から持ち帰り「かちがらす」=戦勝、とした
言い伝えがあります
今もロマンは続きますね(^~^)/
クメゼミ塾長さんへ
黒田裕樹 > 「唐入(からい)り」の真相ですか…びっくりしました
> 秀吉は九州佐賀(私の故郷)の名護屋城を拠点にしましたね
一般にはなぜか知られていない、朝鮮出兵、いや「唐入り」の真実です。
仰るとおり、名護屋城を前線基地にしていましたね。
> そういえば、今でも佐賀では、「さつまいも」のことを「唐(から)いも」といいますよ
> また「かささぎ」のことを「かちがらす」と呼んでいます
> 秀吉が「かささぎ」を朝鮮から持ち帰り「かちがらす」=戦勝、とした
> 言い伝えがあります
> 今もロマンは続きますね(^~^)/
サツマイモは文字どおり薩摩から伝播してきましたが、元はといえば外来種ですからね。同じように外来種といわれているカササギですから、秀吉の伝説もあながち眉唾物とはいえませんよね。
確かにロマンを感じます(^^♪
.
ぴーち こんばんは!
なるほど、明を征服する為の
足がかりに使われてしまった朝鮮半島に住む人々にとっては、迷惑千万だった事でしょうね。
このお話を伺っただけでしたら、
朝鮮の人々の恨みは、致し方ないようで気の毒に思います。
その後は、どうなるのでしょうか。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、明を征服する為の
> 足がかりに使われてしまった朝鮮半島に住む人々にとっては、迷惑千万だった事でしょうね。
> このお話を伺っただけでしたら、
> 朝鮮の人々の恨みは、致し方ないようで気の毒に思います。
この点では私も同感です。我が国を取り巻く歴史的経緯を知ることは重要であり、外国から我が国がどう思われているかを正確に知らなければ、我が国の本当の針路は見えてこないでしょう。
> その後は、どうなるのでしょうか。
秀吉の朝鮮出兵が起きてしまったことは現実として受け止めるとして、その後はどうなったのかを知ることも重要ですからね。
今晩は
りら いつも楽しくお話し
聞かせて頂いています
私へのコメントも素晴らしく
有り難く思っています
りらさんへ
黒田裕樹 こちらこそ有難うございます。
りらさんのブログも画像をふんだんに用いた素敵なブログで、コメントするのが楽しみです(^^♪
結果だけを見れば
オバrev なるほど、その志は高かったけど、焦りすぎたんでしょうか。
結果だけを見れば、日本が朝鮮に侵略してきたとしか残りませんね。
しかし、当時の日本の兵力のレベルが高かったとは意外でした。
ある空気とは、豊臣離れ?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > なるほど、その志は高かったけど、焦りすぎたんでしょうか。
> 結果だけを見れば、日本が朝鮮に侵略してきたとしか残りませんね。
秀吉にとって最大の誤算は朝鮮半島の攻略から開始しなければならなかったことですが、それならそれでもう少し準備を整えてからの方が良かったのではとも思えます。
また、確かに「結果だけを見れば」朝鮮侵略の一面もありますが…この件については後日に再び取り上げます。
> しかし、当時の日本の兵力のレベルが高かったとは意外でした。
> ある空気とは、豊臣離れ?
100年以上続いた戦国時代を乗り越えた精鋭中の精鋭でしたからね。
空気については…まずは次回(17日)の内容をご覧下さい。
これらの点に目をつけた秀吉は、まずはスペインとの外交による妥協(だきょう)を目指しました。つまり、スペインと我が国とが同盟を結ぶことによって、両国が共同して明を征服し、戦後は明国内でのカトリックの布教を許す代わりに、スペイン所有の外航用の軍艦を売却してもらうという条件を示したのです。
しかし、秀吉の提案はスペインによって拒否されました。スペインは武力による我が国の征服を断念していなかったからです。
スペインとの同盟に失敗した秀吉は、明がスペインに征服されるのを黙(だま)って見ているよりも、機先(きせん)を制して自分が明を征服してしまう以外に、我が国をスペインによる侵略から救う道はないと覚悟を決めました。全国を統一した彼の兵力は、全体で数十万人にまで膨(ふく)れ上がっており、これらの精鋭(せいえい)を投入すれば、我が国単独での中国大陸の征服も不可能ではないと考えたからです。
そして、こうした秀吉の決断は、天下が統一されたことで力を持て余(あま)していた兵士たちにとっても、新たな領土を手に入れる可能性が出てきたことで好意的に迎えられました。秀吉の決断は、古代マケドニアのアレクサンドロス大王や、モンゴルの英雄チンギス=ハーンと同様に、巨大な兵力を持つ人間が当然のように行う遠征(えんせい)でもあったのです。




いつも有難うございます。
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りら 秀吉の明 出兵は自分の子供が死ん
で生きがいを失っての愚弄と
どのドラマでも
伝えています
今回は特に興味深かったです
映画お好きですか?
今日は太宰治の人間失格アップです
宜しければ御出で下さい
.
ぴーち こんばんは!
秀吉の朝鮮出兵劇の裏には
スペインの一件が絡んでいたなんて
初めて知りました!
やはりそれなりの理由・原因があって、結果があるものなんですね。
続きを楽しみにしています。
応援凸
りらさんへ
黒田裕樹 朝鮮出兵の真の理由が分からないからこそ、秀吉の個人的なことを挙げて「これが理由に違いない」と邪推する。邪推だからこそ愚弄する。そしていつの間にか「史実」となる。
歴史の真実や事実を探ることは、時として困難なこともありますね。
映画ですね。またブログを拝見させていただきます(^^♪
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > やはりそれなりの理由・原因があって、結果があるものなんですね。
仰るとおりです。理由や原因のない結果はあり得ませんから、いくら知られていないからといって、適当な理由を考えることは許されません。
> 続きを楽しみにしています。
有難うございます。明日はいよいよ本番です!
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miwa すごくすごーく面白いです(=゚ω゚)=3
国民が奴隷として売られるのを防ぐためにキリスト教を禁じた事は知っていましたが、朝鮮出兵とも関係があったのですね。
miwaさんへ
黒田裕樹 > すごくすごーく面白いです(=゚ω゚)=3
有難うございます。そう仰っていただけると光栄ですm(_ _)m
> 国民が奴隷として売られるのを防ぐためにキリスト教を禁じた事は知っていましたが、朝鮮出兵とも関係があったのですね。
結果としてカトリックの信仰が世界侵略と結びついていましたからね。秀吉もある意味では苦渋の決断だったと考えられます。
半信半疑
スカイラインV35 こんばんは。不可解なSubjectですみません。
当時の中国大陸の国家、明にしても、その後の清にしても、欧州で産業革命が起こるまでは、GDP的なものがあるとすれば世界一だといった記憶があります。そんな大国に戦いを挑むのが、ちょっと半信半疑の部分があるのですが。
但し、その後の清にしても、(少数の)満州民族が(多数の)漢民族を従えてしまったと考えれば、合点がいくのでしょうか?
チンギス=ハーンも最初は一部族程度だったんですよね?
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 スカイラインV35さんのご意見も一理あると思います。
ただ、ヌルハチにせよ、チンギス=ハーンにせよ、相手が大国であっても征服に成功しているという事実や、時代が違うとはいえ日清戦争における明暗を鑑みれば、スペインや我が国にも十分に勝機はあったと私は考えております。
逆に言えば、滅びない国はどこの世界にも存在しないわけであり、我が国にも重要な教訓になっているといえるでしょう。
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HANA子 後の日清戦争前後の状況で考えれば、遥かに広大な国土と国民を有する清の方がアジア随一の大国であり、国土も人口も少ない日本が勝つわけがないというのが道理でしたが、フタを開けてみれば日本のほぼ圧勝だったわけで
考えてみるに「勝因のある勝利」とは国の“大きさ”ではなく“強さ”の結果だってことですよね
国が“大きい”からといって、その国が“強い”こととはならない
それを考えれば秀吉の「大陸侵攻」は決して勝算のない計画ではなかったとも思えてきます
次回もまた楽しみに待ってますネ!
HANA子さんへ
黒田裕樹 そうですね。仰るとおり、国の大きさで勝負が決まるわけではありませんから、秀吉の決断も決して無謀ではなく、それなりの勝算があったと思います。
ただ結果的に失敗に終わったことが、後々までに影響を与えているのだと考えられます。
そのあたりの流れはもうしばらくしたら登場しますので、よろしくお願いしますね(^^♪