田沼意次という人物ほど、時代劇で悪役扱いされている人物はいないでしょう。その理由はズバリ「賄賂政治」(わいろせいじ)と呼ばれた彼の一連の政策です。賄賂によって特定商人と結託(けったく)し、私腹(しふく)を肥(こ)やすという政治の腐敗(ふはい)によって、名もなき庶民(しょみん)が苦しめられる、というのが典型的なパターンです。
そんな折に、まさに「正義の味方」として現れる人物がいます。彼こそが松平定信(まつだいらさだのぶ)であり、定信は正義の力で意次を江戸幕府から追放することに成功する(ドラマによっては意次が殺されることもあります)と、以後は定信による「寛政の改革」(かんせいのかいかく)によって江戸の庶民に平和が訪れるというストーリーがほとんどなのですが、この話って、本当のことなのでしょうか?
綱吉の場合もそうですが、私たちは意識的につくられたイメージを頭から信じ込んで疑わなかったり、あるいは始めから結論を意識したうえで行動を起こしたりすることが良くあります。時と場合にもよりますが、こうした固定観念(こていかんねん)や先入観(せんにゅうかん)にこだわっていては、歴史の実像をつかむのは難しいといわざるを得ません。
今回の講座では、田沼意次と松平定信のそれぞれの実像に迫(せま)ることによって、二人のうちどちらが本当の悪役、いや「悪人」なのかを考えてみたいと思います。




いつも有難うございます。
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智里 え~!!
田沼意次って悪代官様じゃ無かったの!?
本当はどうなの?
すごい気になるわ(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
もしかして、いままでの概念を覆す講座だったのか!!
黒田さん、今年1年大変お世話になりました。
来年もひとつヨロシクお願いします。
あと少しですが、良い年を迎えてくださいね。
.
安眠癒しグマ 本年はどうも有難うございました。
来年もよろしくお願いいたします。
黒田さんのより一層のご活躍お祈りしております☆
智里さんへ
黒田裕樹 > え~!!
> 田沼意次って悪代官様じゃ無かったの!?
> 本当はどうなの?
> すごい気になるわ(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> もしかして、いままでの概念を覆す講座だったのか!!
そうかもしれませんよ( ̄ー ̄)ニヤリ
年始から1月の上旬にかけては、驚きの連続になるかも!?
> 黒田さん、今年1年大変お世話になりました。
> 来年もひとつヨロシクお願いします。
> あと少しですが、良い年を迎えてくださいね。
有難うございます。智里さんも良い年をお迎え下さいm(_ _)m
安眠癒しグマさんへ
黒田裕樹 > 本年はどうも有難うございました。
> 来年もよろしくお願いいたします。
> 黒田さんのより一層のご活躍お祈りしております☆
お言葉有難うございます。
安眠癒しグマさんも良い年をお迎え下さい。
来年も素晴らしい一年でありますように…。
.
ta-ta いつも訪問ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。コメントできるほど知識がないのですが、楽しみにブログ読ませていただいています
ta-taさんへ
黒田裕樹 ご訪問ならびにお言葉有難うございます。
こんなブログではありますが、来年もよろしくお願いいたします。
.
ぴーち こんばんは!
そうですよね。
下手な固定観念や、先入観は
知識を吸収しようとする気持ちの妨げになりますね。
私のように、歴史の記憶喪失状態のようなタイプの方が、逆に何の先入観もなく、覚える事が出来るので、良いのかもなんて・・・良い方に考えてみたりします(笑)
それでは、今年は大変お世話になりました^^
来年の目標は、リアル黒田さんの講座に参加させていただくことです★
是非、東京講座が成功されますよう、心よりお祈りしております♪
それでは、良いお年をお迎えくださいね!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですよね。
> 下手な固定観念や、先入観は
> 知識を吸収しようとする気持ちの妨げになりますね。
> 私のように、歴史の記憶喪失状態のようなタイプの方が、逆に何の先入観もなく、覚える事が出来るので、良いのかもなんて・・・良い方に考えてみたりします(笑)
思い込みそのものは決して悪いことではありませんが、時と場合によりますよね。
私の講座が、ぴーちさんにとっての新たな知識の吸収の手助けとなれるのであれば、こんなにうれしいことはありません(^^♪
> それでは、今年は大変お世話になりました^^
> 来年の目標は、リアル黒田さんの講座に参加させていただくことです★
> 是非、東京講座が成功されますよう、心よりお祈りしております♪
> それでは、良いお年をお迎えくださいね!
> 応援凸
気がつけば1ヶ月半後ですからね。
是非とも今回の講座を成功させて、東京で継続的に行えればと私も願っております。
ぴーちさんもよいお年をお迎え下さいm(_ _)m
.
こえめ 先入観、固定観念。これらをはずしてみると、
新しい事実が見えてくるのね。
そうですよね。根っからの悪人なんて、いないんです。
みんな親から生まれて、人の中で育ってきたんですものね。
どんなビックリの実像か、楽しみにしていまーす。
今年はこの講座と出会えて、物の見方が広がったように思います。
ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
こえめさんへ
黒田裕樹 > 先入観、固定観念。これらをはずしてみると、
> 新しい事実が見えてくるのね。
そのとおりです。私たちは自分で真実を見極める習慣を身につけないと、知らず知らずのうちにニセの情報をつかまされている可能性も否定できません。何事も自分の目で確かめることの重要性を実感しますね。
> そうですよね。根っからの悪人なんて、いないんです。
> みんな親から生まれて、人の中で育ってきたんですものね。
> どんなビックリの実像か、楽しみにしていまーす。
「田沼=悪人」説の「虚像」をどう打ち破っていくかですが、そのためには真実の裏付けがカギを握ることになるでしょう。もちろんその逆も…ですね。
> 今年はこの講座と出会えて、物の見方が広がったように思います。
> ありがとうございました。
> 来年もどうぞよろしくお願い致します。
丁寧なお言葉、有難うございます。
こちらこそよろしくお願いいたします。
え? 主人公?
確かに主役がいなければ話になりませんが、主人公が活躍するためには絶対に必要な人々がいますよね。
そう、悪役です。悪役が物語などの世界の中で憎々(にくにく)しげに振舞(ふるま)えば振舞うほど、最後の場面での主人公の大活躍に、私たちは溜飲(りゅういん)を下げることができます。
数多くの歴史上の人物の中には、いわゆる「悪役」扱いされている人々も結構います。しかし、そのうちのほとんどは、私たちが悪役と一方的に決め付けていることが多いのも現実です。以前に紹介した徳川綱吉(とくがわつなよし)も、生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)が誤解されたことによって「犬公方」(いぬくぼう)という有難くもない名前をつけられてしまいました。
そして、その綱吉と同じくらい、あるいはそれ以上に「誤解」されたがゆえに、江戸時代きっての「悪役」というレッテルを貼られてしまった人物こそが、今回紹介する田沼意次(たぬまおきつぐ)なのです。




いつも有難うございます。
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しらさぎ こんにちわ。
いつも、記事拝見させていただいております。
あと、今年も残す所1日半となりました。いつも、読み逃げで、失礼しております。
来る年も、日本歴史を、もう一度僕たちに伝えていっていってぐださい。
先生の御多幸をお祈りしております。
しらさぎさんへ
黒田裕樹 > いつも、記事拝見させていただいております。
有難うございます。
> あと、今年も残す所1日半となりました。いつも、読み逃げで、失礼しております。
> 来る年も、日本歴史を、もう一度僕たちに伝えていっていってぐださい。
> 先生の御多幸をお祈りしております。
ご丁寧なお言葉、感謝します。
来年もブログの更新に励みますので、こちらこそよろしくお願いします。
なお、年末年始も欠かさず更新を続けます。
歴史学者の怠慢?
オバrev 田沼意次と言えば、賄賂で私腹を肥やしたというイメージしかありません。
その前後の改革は3大改革と呼ばれているのに、田沼意次の改革には名前さえありません。
歴史学者が十分な検証もせずにいたためという疑いを持ちますが、どうなんでしょうか。
.
ぴーち こんばんは!
動画はまた後ほど拝見させてくあださいね^^(どうも、パソコンの調子が悪くて今は拝見することが出来ませんTT)
仰る通り、悪役がいかにも憎々しげに演じるからこそ、主人公がより際立つというものですよね。
それと、恥ずかしながら、
「溜飲を下げる」という言葉を初めて伺いましたよ^^;
すごい表現もあるものですね~!
田沼意次。。名前は存じておりましたが、直接お会いしたことが無いので、詳しくは知りません。(当たり前ですね爆)
どんな展開になるのでしょうか。。また、楽しみにお邪魔させてくださいね!
では、応援凸
.
スポーツ猫 こんばんわお邪魔します。
今回は田沼意次ですね。
この方に関しては前にも言ったかと思われますが
賄賂で政治を乱したというイメージの人物なので
本当はどんな事をした人物だったのか興味がありますね。
次回が楽しみです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 三大改革といっても「幕府側の改革」であり、また幕府側の立場としては(後に紹介しますが)幕府公認の学問や宗教に反した政治を否定したいという固定観念があったことで、徳川綱吉や田沼意次の政治が不当な扱いを受けてきたんです。
そして、歴史学者が幕府による「洗脳」から目覚めることなく、先入観で同じような研究を長い間行ってきた、といったところでしょうか。
もっとも、戦後に入ってからは、洗脳を受けなかった、あるいは脱出した歴史学者によって、綱吉や意次の政治も少しずつ見直されているようです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 動画はまた後ほど拝見させてくださいね^^(どうも、パソコンの調子が悪くて今は拝見することが出来ませんTT)
もちろん、いつでもご覧になれますから大丈夫ですよ(^^♪
> 仰る通り、悪役がいかにも憎々しげに演じるからこそ、主人公がより際立つというものですよね。
> それと、恥ずかしながら、
> 「溜飲を下げる」という言葉を初めて伺いましたよ^^;
> すごい表現もあるものですね~!
確かに悪役の活躍(?)がなければ、私たちは溜飲を下げてスッキリすることができませんからね。表現的には仰るとおり結構凄いかもしれません(^^ゞ
> 田沼意次。。名前は存じておりましたが、直接お会いしたことが無いので、詳しくは知りません。(当たり前ですね爆)
> どんな展開になるのでしょうか。。また、楽しみにお邪魔させてくださいね!
> では、応援凸
私もお会いしてみたかった歴史上の人物の一人ですね(笑)。
これから約2週間半かけてじっくりと進めていきますので、よろしくお願いしますm(_ _)m
スポーツ猫さんへ
黒田裕樹 > 今回は田沼意次ですね。
> この方に関しては前にも言ったかと思われますが
> 賄賂で政治を乱したというイメージの人物なので
> 本当はどんな事をした人物だったのか興味がありますね。
> 次回が楽しみです。
お言葉有難うございます。
スポーツ猫さんが抱いているイメージが、通常の歴史教育を受けてこられた皆様の多数のお考えだと思います。これからの展開にご期待いただければ幸いです。
.
ケンシロウ こんにちは。
今年は色々お世話になりました。
先生の今年のご活躍には
おいらなりに励まされました。
良いお年をお迎え下され。
.
佐佐木あつし ついに来ましたね。田沼意次!
従来のイメージをどう先生が払しょくされるのか期待バリバリです。
北方問題、松前藩、アイヌなどのキーワードも大きいテーマだとは思いますが、楽しみに拝見させていただきます。
頼朝の思惑に気づかれた後白河法皇は、征夷大将軍の代わりに頼朝を右近衛大将(うこのえたいしょう)に任じられましたが、遠征のできない右近衛大将では頼朝は幕府を開けません。そこで頼朝は喜んで任官を受けたふりをすると、すぐに辞任しました。このあたりにも頼朝の「大物政治家」ぶりがうかがえます。
トップ会談から2年後の1192年3月に後白河法皇が66歳で崩御されると、頼朝が改めて朝廷に迫ったことによって、同1192年7月、頼朝はついに征夷大将軍に任じられました。この段階で、初めて鎌倉幕府(かまくらばくふ)が名実ともに成立したのです。そして、これ以降の時代は鎌倉時代(かまくらじだい)と呼ばれています。
ところで、最近の歴史教育では鎌倉時代がいつ成立したかということについて様々な説が出されているようですが、朝廷が頼朝を征夷大将軍に任命したことによって、鎌倉の軍事政権が初めて公認されたという幕府成立の事情を考えれば、やはり「いい国つくろう鎌倉幕府」の1192年こそが成立の年にふさわしいと私は思います。
頼朝が鎌倉幕府を開いたことで、朝廷が政治の実権を失うと同時に、いよいよ「武士による政治」が本格的にスタートすることになったのですが、それと同時に、頂点を極めた一族の「役目」が終わっていたことが、当の本人には全く気がついていませんでした。
(※明日(30日)からは第8回歴史講座の内容を更新します)




いつも有難うございます。
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スポーツ猫 こんばんわお邪魔します。
幕府や征夷大将軍にはそんな意味があったんですね
勉強になりありがとうございました。
確かに武力を完全に掌握してしまえば強引ではありますが
国を支配をする事は不可能ではないですからね。
しかしそれと同時にやっぱり
今の時代と比べると恐ろしい時代だったと思いますね。
スポーツ猫さんへ
黒田裕樹 > 幕府や征夷大将軍にはそんな意味があったんですね
> 勉強になりありがとうございました。
いえいえ、ご理解いただけて何よりです。
> 確かに武力を完全に掌握してしまえば強引ではありますが
> 国を支配をする事は不可能ではないですからね。
> しかしそれと同時にやっぱり
> 今の時代と比べると恐ろしい時代だったと思いますね。
「力あるものが勝つ」という意味では武力至上主義は恐ろしいものがあるのは事実ですが、その一方で「大人しく従えば守ってやる」という心意気もあった時代だと思います。
今とどちらが良いかと言われればやはり今だとは思いますが…。
.
ぴーち こんばんは!
そうなんですか。。
私などは、全く疑いもなく、
鎌倉幕府は「1192(いいくに)作ろう鎌倉幕府」だと思っていました(苦笑)
なんにでも通じる事だとは思いますが、余りにもその事を深く追求し、知り過ぎてしまうと、かえってそれが足かせになり、色々な知識、情報が邪魔する場合があるものですよね。
たまには、シンプルに
考える事も大切ナのかも知れませんね^^;
それでは昨日はコメント残せずに
ゴメンなさいね(><)
応援凸
また、お邪魔しま~す☆
ぴーちさんへ
黒田裕樹 歴史研究が進むことは良いことなんですが、最近はどうも物事を複雑に考えることが多すぎるような気がしますね。
鎌倉幕府の場合も、頼朝が東国の支配権を認められたり、守護や地頭が置かれたり、あるいは奥州藤原氏を滅ぼして敵対勢力がいなくなったりという「事実上」の出来事ばかりに目を取られて、それまで非合法的な存在だった幕府が朝廷から始めて公認された「征夷大将軍の就任」という歴史的な出来事を軽視しているような気がします。
政権をスタートさせようと思えば、一番大切なのはやはり「正当性」なのですから、どう考えても1192年が鎌倉時代の最初の年だと考えて問題ないと思うのですが、ぴーちさんの仰るように、シンプルに考えられないのが不思議ではありますね。
.
まり姫 こんばんは☆
コメントありがとうございました。
激動の年もあと2日ほどになりましたね。
来年はどんな年になるでしょうね~
黒田さんもよいお年をお迎えくださいませ。
まり姫さんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございました。
毎年言っているような気がしますが(苦笑)、来年こそはいい一年であってほしいものですね。
.
miwa >そこで頼朝は喜んで任官を受けたふりをすると、すぐに辞任しました。
頼朝は武士と言うよりは
狡猾な政治家タイプですね。
兵士を滅ぼした立役者である、しかも弟でもある義経を討ち、
安泰は保証すると約束しながら藤原氏も滅ぼし、
その後も頭に描いた通りに事を進めていく。
きっちり絵が出来ていたから邪魔されたくなかったのでしょうね。
.腹の探り合い
オバrev 本日仕事納めで、先ほどまでバタバタしておりました。
鎌倉幕府設立に向けた、頼朝と後白河法皇の駆け引きは、どちらも譲らず、表だっては笑顔で会話しながら実は腹の探り合いですかね?
中々見応えありますね(;^_^A アセアセ…
幕府設立が色々説があるとは知りませんでした。でもやはり公認された年という先生の考えが納得しやすいです。
それにしても、盤石と思われた源氏政権が、あれだけ早くくずれるとは、いったい裏で何があったんでしょうか。楽しみです(^o^)・・・エェッ!もしかしてここでいったん中断ですかΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン イイトコナノニ
miwaさんへ
黒田裕樹 頼朝については仰るとおりだと私も思います。
自分の目標に向かって綿密に計画し、キッチリと結果を出す。そこには幸運もありましたが、歴史をつくる人間というのは、時として非情に、時として狡猾にならないとならないと、自分の目標を達成することができないのでしょう。
信長や秀吉、家康あたりもそうですね。
そして非情になれなかったがゆえに混乱をまとめきれなかったのが足利尊氏あたりでしょうか。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 本日仕事納めで、先ほどまでバタバタしておりました。
お疲れ様でした。私は昨日でしたが、年内最後の日というのは慌しいものですね。
> 鎌倉幕府設立に向けた、頼朝と後白河法皇の駆け引きは、どちらも譲らず、表だっては笑顔で会話しながら実は腹の探り合いですかね?
> 中々見応えありますね(;^_^A アセアセ…
そのとおりだと思います。今回は一国の主権をかけた話し合いだったわけですが、考えてみれば国同士の外交でも全く一緒ですよね。○愛だのと言っている場合ではないと思うのですが…。
> 幕府設立が色々説があるとは知りませんでした。でもやはり公認された年という先生の考えが納得しやすいです。
以前は1192年で一致していたのに、いかに自由な論議が重要とはいえ、何ゆえに混乱させるようなことを言うのかが私には分からないです。まさか朝廷=天皇の権威をおとしめるために1192年を認めたくないわけではないと思うのですが…。
> それにしても、盤石と思われた源氏政権が、あれだけ早くくずれるとは、いったい裏で何があったんでしょうか。楽しみです(^o^)・・・エェッ!もしかしてここでいったん中断ですかΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン イイトコナノニ
スミマセン(´・ω・`)
19日の講座についても更新しなければいけませんし、年末年始の慌しさに加えて1月は業務多忙なので、復活は1月17日(予定)までしばらくお待ち下さいm(_ _)m
源氏政権は崩れましたが、武士の政権はそのままですよね。このあたりにヒントが隠されていると思いますよ(^^♪
秀衡の後を継いだ子の藤原泰衡(ふじわらのやすひら)は、頼朝からの「義経を殺せば藤原氏の安泰は保証する」という言葉を真(ま)に受けて、1189年に義経を自害に追い込みましたが、その行為は同時に頼朝への切り札を自らの手で失ったことを意味していました。事実、待っていましたとばかりに同じ1189年7月、後白河法皇の院宣なしで頼朝は自(みずか)ら大軍を率いて泰衡を攻め、約100年続いた奥州藤原氏を滅亡させました。
自分に対抗する勢力をすべて滅ぼした頼朝は、1190年11月に自ら上洛(じょうらく、京都へ向かうこと)を果たすと、後白河法皇と二人でトップ会談を行いました。この場で何が話されたかの記録は残っていませんが、事後の展開から、おそらく頼朝は自らを征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命するように後白河法皇に迫ったと考えられます。
なぜ頼朝は征夷大将軍という官職(かんしょく)を要求したのでしょうか。そこには「幕府」の誕生とも密接にかかわる、頼朝の最高傑作ともいうべき発想がありました。




いつも有難うございます。
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とまと いつもご訪問&温かいコメントをありがとうございますm(__)m
今年も、残すところあと数日となりました。
何かと、用事の多い年末ですが、お体にお気をつけて…
どうぞ、明るい年をお迎えください。
この一年の、感謝の気持ちを込めて、ぽち♪ ヾ(*´∀`*)ノ
記事とは関係のないコメントですので、読後は、管理人様のご判断で、削除くださいm(__)m
とまとさんへ
黒田裕樹 心のこもったお言葉ならびにポチ有難うございます(^o^)丿
削除するなんてとんでもないです。
とまとさんも良い年をお迎えくださいね(^_^)v
管理人のみ閲覧できます
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ロベルト・ジーコ・ロッシ 黒田 様
こんばんは。
ご無沙汰しております。
さて、頼朝ですが、日本史上最高の政治家だと非常に高く評価しています。
彼なくしては、武家社会の到来はなかったでしょう。
最も、頼朝は単なる神輿で実際は鎌倉幕府は北条親子の傑作だったのかもしれませんが。
ちなみに、ベスト3は、源頼朝、織田信長、伊藤博文です。
今後とも宜しくお願いします。
.
スポーツ猫 こんばんわお邪魔します。
いよいよ鎌倉時代に始まり間近になりましたね。
そして藤原氏はここで完全に歴史の舞台から姿を消したんですね
勉強になります。
そしていつも不思議に思うのは
頼朝も家康も征夷大将軍と武士の頂点と取ったものは
ほとんどこの役職を要求しているいのですが
それ程意味がある役職なのか気になる所ですね。
ロベルト・ジーコ・ロッシさんへ
黒田裕樹 > ご無沙汰しております。
こちらこそ読み逃げばかりで申し訳ないですm(_ _)m
> さて、頼朝ですが、日本史上最高の政治家だと非常に高く評価しています。
> 彼なくしては、武家社会の到来はなかったでしょう。
> 最も、頼朝は単なる神輿で実際は鎌倉幕府は北条親子の傑作だったのかもしれませんが。
> ちなみに、ベスト3は、源頼朝、織田信長、伊藤博文です。
なるほど、ロベルト・ジーコ・ロッシさんにとっての歴史上の三大人物ですね。
私の場合は聖徳太子と…残りはいずれご紹介する機会があると思います。
頼朝に対する私の見解は、来月には発表できますので、今しばらくお待ち下さい。
> 今後とも宜しくお願いします。
有難うございます。
スポーツ猫さんへ
黒田裕樹 > いよいよ鎌倉時代に始まり間近になりましたね。
> そして藤原氏はここで完全に歴史の舞台から姿を消したんですね
> 勉強になります。
有難うございます。鎌倉幕府の成立が目前に迫ってきましたね。
確かに藤原氏などの朝廷が持っていたはずの政治の実権は風前の灯ですが、ダメを押したのが…。
> そしていつも不思議に思うのは
> 頼朝も家康も征夷大将軍と武士の頂点と取ったものは
> ほとんどこの役職を要求しているのですが
> それ程意味がある役職なのか気になる所ですね。
スポーツ猫さんもそう思われるんですね。
確かに「将軍=幕府」という図式はご存知でも「なぜ?」かは一般には知られていませんからね。
明日(29日)の更新で、おそらくその答えが出せると思いますよ(^^♪
こんばんは
スカイラインV35 征夷大将軍ですか。。。
最近でも、先の大戦での南方諸地域を占領した軍司令官や日本に君臨したマッカーサーなど、軍政を施行するため、本国から許可を得なくてもある程度総合的な権限を行使出来る存在として”将軍”と呼称される場合がありますが。。
明日のブログを拝見して考えを整理整頓したいと思います。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 さすがにスカイラインV35さんは鋭いですね。
本日(29日)の正午の更新までお待ちいただければ、ご自身のお考えがさらにまとまると思います。
気になる
JJSG 鎌倉幕府の誕生。
征夷大将軍というのは頼朝が最初でしたっけ?
続きが楽しみになってきました。
義経が去った後の1185年11月、頼朝は舅(しゅうと、自分の妻の父のこと)である北条時政(ほうじょうときまさ)を筆頭とする大軍を京へ送り、後白河法皇に以下のように迫りました。
「法皇様の命令によって平氏滅亡に尽力したこの頼朝を、こともあろうに討てとはどういうおつもりですか?」
後白河法皇をはじめとする朝廷は恐怖に震(ふる)え上がり、頼朝をなだめるためにやむなく二つの権利を認めました。後世に名高い「守護(しゅご)・地頭(じとう)の設置」です。
このうち守護は、設置当時は追捕使(ついぶし)といいました。後白河法皇に「義経追討」の院宣を出させることに成功した頼朝が、行方(ゆくえ)の分からない義経を捕まえるため、という名目で全国に追捕使を置くことによって、軍事・警察権を事実上握ることになりました。
また地頭とは公的に認められた土地の管理人ですが、任命権は(守護を含めて)頼朝側にあるために、武士が初めて自分の土地を公的に所有できる道を開くことになりました。この他にも、全国の土地から一反(いったん)ごとに五升(ごしょう)の米、すなわち収穫量全体の5%を兵糧米(ひょうろうまい)として徴収(ちょうしゅう)できる権利を獲得しました。これにより、公領や荘園にも武士の手が伸びることになり、将来の下地中分(したじちゅうぶん)や半済(はんぜい)につながっていくことになります。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
守護・地頭という言葉は、確かに習った記憶はあります^^;
けれど、黒田さんの今日の記事で、それぞれの役割や、内容が
私の中で、それまで明解では無かったのですが、お蔭さまですっきりしました^^
ありがとうございます!
所で、野暮な質問かもしれませんが、この頃の「守護」は、現代にも存在する「駐在所」と同じような規模のものなのでしょうか。
それとも、もう少し規模が大きい、都道府県毎に存在する「警察本部」くらいに値するものなんでしょうか・・?
それとも、全く関係ない別物なのでしょうか。。?
それでは、応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 守護・地頭という言葉は、確かに習った記憶はあります^^;
> けれど、黒田さんの今日の記事で、それぞれの役割や、内容が
> 私の中で、それまで明解では無かったのですが、お蔭さまですっきりしました^^
> ありがとうございます!
有難うございます!(^o^)丿
そうおっしゃっていただけると、記事にした甲斐があるというものです(^_^)v
鎌倉幕府の成立までに2週間以上かかっているというゆっくりとしたスピードですが、その分きめ細やかな説明ができているようで何よりです。
> 所で、野暮な質問かもしれませんが、この頃の「守護」は、現代にも存在する「駐在所」と同じような規模のものなのでしょうか。
> それとも、もう少し規模が大きい、都道府県毎に存在する「警察本部」くらいに値するものなんでしょうか・・?
> それとも、全く関係ない別物なのでしょうか。。?
守護は基本的に国ごとに置かれましたから、鎌倉時代の頃はどちらかといえば「警察本部」というべきでしょうか?
もっとも、時代が移るにつれて守護の役割が様変わりして、室町時代には権力が大きくなって大名化するのがややこしいですね。
.
スポーツ猫 こんばんわお邪魔します。
守護・地頭はなんとなく言葉では
覚えていましたが内容まではよく知らなかったので
勉強になりましたありがとうございます。
そして今回の記事では北条氏の名前も出てきていますね。
この時代の北条氏と言えば個人的に
北条政子と北条時宗を真っ先に思い付きますね。
スポーツ猫さんへ
黒田裕樹 > 守護・地頭はなんとなく言葉では
> 覚えていましたが内容まではよく知らなかったので
> 勉強になりましたありがとうございます。
お言葉有難うございます。
言葉は覚えていても、内容となると覚えていない…。
昨今の歴史教育の典型的な悪弊(あくへい)を見る思いがしますね(´・ω・`)
> そして今回の記事では北条氏の名前も出てきていますね。
> この時代の北条氏と言えば個人的に
> 北条政子と北条時宗を真っ先に思い付きますね。
北条政子はしばらくしたら再び表舞台に出てきますね。
北条時宗といえばやはり元寇でしょうか。鎌倉時代の一つのクライマックスですね。
.大義名分
オバrev やはりまつりごとには大義名分が大事ですね。それがないと理屈で問われたときに返答できないです。
後白河法皇は、まんまと頼朝にしてやられましたね。
・・・しかし今の政局は、数が多けりゃ道理は引っ込むという感じで、大義名分うんぬんは通用しなくなってしまっているのようにも見えます(>_<)ザンネン
オバrevさんへ
黒田裕樹 > やはりまつりごとには大義名分が大事ですね。それがないと理屈で問われたときに返答できないです。
> 後白河法皇は、まんまと頼朝にしてやられましたね。
大義名分を与えたり、相手にスキを与えてはいけないということですね。これも歴史に学ぶ教訓といったところでしょうか。
> ・・・しかし今の政局は、数が多けりゃ道理は引っ込むという感じで、大義名分うんぬんは通用しなくなってしまっているのようにも見えます(>_<)ザンネン
まさしくそのとおりですね。ただ、「数の論理」という無茶な話のきっかけをつくってしまったのは、選挙で選んだ国民の産物ともいえるわけでして、そのあたりを「歴史に学ぶ」べきかもしれません。もっとも、次があればの話ですが…。
.
紗那 あぁ、こういう流れで守護地頭が設置できたんですか。そりゃ、何も無いのに朝廷が認めるわけ無いですものねー。これで、合法的(?)に設置できたと。
農民にとっては苦しいでしょうね。調停にも武士にも年貢が要りますし。
.おはようございます^^
waravino 1春1000冬。waravinoです。
12/26から冬休み。ということで。
しばらく更新お休みします。
いつも。ご訪問・拍手など。
ありがとうございます^^
1/7以降には再開予定です。
こちらには。
いつものように訪問させていただきますので。
よろしくお願いします。
頼朝は冷徹漢のような気がしていましたが。
そういうことでもなかったようですね^^;
兄弟同士とは言え。頼朝の理想のためには。
義経を切らざるを得なかったのでしょう。
頼朝にとっても。断腸の思いだったのかもしれませんね。
世評では。そうではありませんが・・・
それでは。
よい年をお迎えください^^)/
.
ケンシロウ こんにちは。
年末の慌しい時期となりましたね。
5%の兵糧米は現在の消費税のようなものでしょうが
昔から権力のあるものが得をする仕組みは
変わらないって事ですね。
紗那さんへ
黒田裕樹 > あぁ、こういう流れで守護地頭が設置できたんですか。そりゃ、何も無いのに朝廷が認めるわけ無いですものねー。これで、合法的(?)に設置できたと。
そういうことです。相手のミスにつけ込んで合法的に権利を獲得するあたりがいかにも政治家ですよね。
> 農民にとっては苦しいでしょうね。朝廷にも武士にも年貢が要りますし。
収穫量の5%ですから大きな負担というわけではないんですが、今後は様々な手段を用いて朝廷や貴族の取り分を奪っていくんですよね。朝廷公認という「錦の御旗」に武力が加われば、まさに「鬼に金棒」といったところでしょうか。
そればかりでなく、頼朝によって自分の領地をすべて取り上げられ、暗殺までされかけた義経は、ついに頼朝との全面対決を決意しました。義経は後白河法皇から「頼朝追討」の院宣(いんぜん、上皇=法皇からの命令書のこと)を強引にもらうと、九州で再起を図ろうと考え、精鋭とともに船出をしましたが、不運にも嵐にあって難破(なんぱ)してしまいました。
屋島の戦いで嵐の中を短時間で四国に上陸を果たしたときと比べて、何という違いでしょうか。これ以降、それまでの幸運から見放された義経には苦難の道が続くことになります。
精鋭の大半を失った義経は、わずかの手勢を率いて、かつて自分をかくまってくれた奥州の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)を頼って落ちのびました。尚、この逃亡の際において、北陸の安宅(あたか)の関における「勧進帳」(かんじんちょう)の伝説が残されており、現代でも歌舞伎(かぶき)を通じて有名になっています。
一方、義経が没落していったのと対照的に、頼朝は後白河法皇による「大きなミス」につけ込むことで、「武士の悲願」を達成できる大きなチャンスがめぐってきました。




いつも有難うございます。
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イルカ なーーーー。
勧進帳!!
(って、前もこんなことコメした気がry)
弁慶の…飛び六法(??)がかっこよかった気がします←
イルカさんへ
黒田裕樹 > なーーーー。
> 勧進帳!!
> (って、前もこんなことコメした気がry)
そういえばありましたね(笑)。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-158.html
7月の義経講座ですね。あれからもう5ヶ月か…。
> 弁慶の…飛び六法(??)がかっこよかった気がします←
弁慶は勧進帳の事実上の主役ですからね。
見せ場がたっぷりだと、歌舞伎も盛り上がります。
久しぶりにコメントしてみます
スカイラインV35 「大きなミス」=「頼朝追討」の院宣で、
「武士の悲願」=義経追捕の為「守護・地頭の全国への設置」
ですかね(大雑把ですが)?
それにしても頼朝の政治家っぷりも中々のものなんですね。
それに比べて現代の政治屋は・・・
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 お久しぶりです。いつもご覧くださって有難うございますm(_ _)m
> 「大きなミス」=「頼朝追討」の院宣で、
> 「武士の悲願」=義経追捕の為「守護・地頭の全国への設置」
> ですかね(大雑把ですが)?
スカイラインV35さんのお考えが正しいかどうか、明日(27日)までお待ちくださいね(^^♪
> それにしても頼朝の政治家っぷりも中々のものなんですね。
> それに比べて現代の政治屋は・・・
個人の軍事力を高めるのではなく、戦争は軍人に任せて後始末をキッチリと行う。これぞ本当の政治家であり、「シビリアンコントロール」でもありますね。現代には彼のような政治家は存在しないのでしょうか…。
.
ぴーち こうして義経の人となりを
通して伺っていると、
義経という方は、戦に関しては、
秀でた才能を持っていたのでしょうけれど、どうも、我が道を行くとでも申しましょうか。
もっと、現代風に言うと「KY」
な方だったんじゃないかと思いました。
回りの空気や、人の気持ちの配慮に欠け、自分の行動でどうして頼朝が立腹しているのかさえ、想像しようとしない。
逆にどうして、自分はこんな目に遭わなきゃいけないんだと、
困惑する・・。
と。。。ここまで書かせていただくと、現代にも増えているタイプにもお見受けしましたが。。
それでは、応援凸
また、お邪魔しますね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに仰るとおりの分析ができますね。
一つの道に秀でている人にありがちな特徴ですが、「自分こそ一番」という自負が、かえって自分の首を絞めてしまうような感じがします。
現代にもいそうですね。有能だけと使いにくい、といったような…。
能力は劣っても、接着剤のように周囲の環境になじむ人の方が、本当は有難いのかもしれませんね。
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.
スポーツ猫 こんばんわお邪魔します。
義経は自分の目指す道が既に兄頼朝とは違う道になっている事を
もっと早くに気づくべきだったと思いますね。
兄弟である頼朝なら分かってくれるという想いを抱きすぎたのが
義経の最大の失敗だった思います。
しかしだからこそ今でも義経は人気があるんでしょうね。
スポーツ猫さんへ
黒田裕樹 > 義経は自分の目指す道が既に兄頼朝とは違う道になっている事を
> もっと早くに気づくべきだったと思いますね。
そうですね。がむしゃらに突っ走ること自体は決して悪くはないのですが、気がつくのが遅かったのか、あるいは気がつかないままだったのか、といったところでしょうか。
> 兄弟である頼朝なら分かってくれるという想いを抱きすぎたのが
> 義経の最大の失敗だった思います。
> しかしだからこそ今でも義経は人気があるんでしょうね。
義経が今でも人気があるのは、やはりその「悲劇性」でしょう。
でもその悲劇の原因を考えると、何ともいえない気持ちになりますね。
.
なみなみ こんばんは!
政権成立の過程で
必ずと言っていいほど、
戦争上手派と政治上手派で
揉め事がおこるのは必然なんでしょうか。。。
そして、ほとんどの場合、
負けるのは戦争上手派・・・
戦争上手はドコへ行った???
って感じであっさりやられてサヨウナラ;;
なんでなんでしょう?
この場合は兄弟なんで悲しいです。
一方、官位というものは朝廷から授かるものですから、それを頼朝の承認もなく受け取るということは、頼朝の権威をまるつぶれにしてしまいかねない愚(おろ)かな行為なのです。それなのに、よりによって頼朝の実の弟である義経があっさりと朝廷から勝手に官位を受けてしまったのですから、頼朝にとってはたまったものではありませんでした。
現実に、この後多くの頼朝の家臣が「弟の義経様が受け取るのであれば」と朝廷から次々と任官を受けてしまいました。これらに対する頼朝の嘆(なげ)きや怒りは凄(すさ)まじいものであったと伝えられています。しかし義経は、三種の神器と同様に、自分が犯した大きなミスに全く気がついていませんでした。何しろ後に頼朝に送った手紙のなかで「自分が朝廷の任官を受けることは、源氏一族にとって名誉なことではないですか」と書いているくらいです。
「政治家」の頼朝と「軍人」の義経とでは、考えがまるで異なるのはむしろ当然とも言えました。この二人の間を取り持つ優秀な人材がいなかったことが、お互いの意思の疎通(そつう、とどこおりなく通じること)を欠かせて、ついには兄弟で対立するという結果を生んでしまったのです。




いつも有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 私の時代、学校の授業では頼朝が征夷大将軍になって鎌倉時代がはじまり、幕府が都の朝廷に代わって国政を担う格好で説明されていました。
「あれ? 征夷大将軍でそんなに偉い? 役職名はどうみてもただの武官なのに?」「鎌倉時代に入って、天皇や朝廷は無くなったのかな?」といった疑問を持つ暇もなく暗記させられた子供たちが多い。後の時代で再び天皇やら朝廷やらが出てきて、訳がわからなくなって歴史が嫌になった級友もいました。
学校教育では、「征夷大将軍」とは何なのか、「幕府」とは何か、殆ど説明しませんからね。
大河ドラマ「草燃える」は当時の鎌倉と京の関係をかなり丁寧に描いていました。源平合戦モノの時代劇ではかなり貴重な存在ではないでしょうか。
平清盛が斃れて、石坂浩二扮する頼朝らは難敵が居なくなって大喜び、そこへ国広富之扮する義経が「父の敵が討てなくなったのに、そんなに嬉しいのか!」と怒鳴りだし、頼朝は軽蔑と嫌悪の顔で義経の顔を見る場面。
義経軍が壇ノ浦の合戦で平家の漕ぎ手を射かけ、平知盛が「おのれ!卑怯な!」と叫ぶ場面。他の時代劇と違って、あまり義経をカッコ良く描いていませんでした。
その他、頼朝が朝廷との交渉で軍事的権限が強大な「征夷大将軍」をとるため後白河法皇と駆け引きをする場面。
後白河法皇は征夷大将軍より位階が上の右大将を授けて懐柔、頼朝は右大将の権限で、法的には私的な関東地方政権を幕府として合法化する、といった描写がなかなか細かかったのが印象に残っています。
大がドラマの中ではあまり人気の無い作品でしたが、政治ドラマとしてはなかなか面白い一品です。
.
えめる 二人の考え方の違いが、はっきりとでてしまったのにゃね。
うーん。二人でもっと、話し合ったりする仲だったらよかったのにね。
気持ちを伝えるのは直接本人にいわないとわからないニャ。
あいつなら分かってくれると思っていたのに裏切られた、ってなっちゃう。
あうあうーだニャ。
.
佐佐木あつし 腰越状での義経のトホホぶりは
かなりうらさびしいモノがありますよね。
頼朝も苦労したんでしょうねー
ああいった暴れん坊の弟ってのは
スサノオ以来の伝統なんでしょうか?(爆)
徳川家光も弟には苦労しましたしねー
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 確かに「将軍」や「幕府」についての本当の意味を教えてくれませんからね。
私の講座でも工夫しなければなりません(^^ゞ
「草燃える」全話見つかったらしいですね。
CSで来年放送されるらしいので楽しみです(^_^)v
えめるさんへ
黒田裕樹 兄弟といっても腹違いですし、離れて育ちましたから他人みたいなものだったでしょう。
加えて「兄弟なら分かってくれる」というかすかな思いすら伝わらないのであれば、逆に憎しみ出して「近親憎悪」が止まらなくなる。
現代でもありそうな話ですね(´・ω・`)
佐佐木あつしさんへ
黒田裕樹 > 腰越状での義経のトホホぶりは
> かなりうらさびしいモノがありますよね。
自分が何にも分かっていませんからね。
それで「私の思いを分かってくれ」と言われても…。
> 頼朝も苦労したんでしょうねー
> ああいった暴れん坊の弟ってのは
> スサノオ以来の伝統なんでしょうか?(爆)
ずいぶん昔の話ですね(笑)。
確かに「大人しい兄」「暴れん坊の弟」という図式は多いですね。
> 徳川家光も弟には苦労しましたしねー
忠長との確執も有名ですね。
近親憎悪というのはいつの時代も困ったものです(´・ω・`)
.
ぴーち こんばんは!
同じ親から生まれた兄弟でも、
命が、一人、一人違いますので、
考え方の相違、また、それまで学んで来た経験から、意見が対立してしまう事もありますよね。
よく会社の会議などで、意見がまとまらず自分の意見ばかりを押し通そうとする人が多く結局話しがまとまらずに、泣き別れしてしまう場合がありますが、面白い視点でその現象を考えた方がおりまして、血液型でその会議がまとまるか、まとまらないかの予想が付くんだそうです。
比較的自分の意見を押し通そうとする0型人間の多い会議は、まとまり辛いそうですね。
一番理想なのは、まんべんなく
それぞれ4つの血液型が揃っている場合・・。
それぞれの意見を、接着剤のようにくっつけて、癒合させようとする人が間に入る事で、意見が穏やかにまとまる場合が多いそうです。
今日のお話で、そんなエピソードを思い出しました^^
それでは、応援凸
また、お邪魔しますね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 血液型とはまた素朴な考察ですね(^^ゞ
確かに「○型人間」でくくられそうな感じがしますから、仰るとおりな感じはします。
私の血液型は…ガタガタでしたっけ(笑)。
すみません、A型です。
A型らしいかな?
.まとめ役
オバrev どちらの言い分も一理あると思います。
でもこれだけ優秀な2人、それも兄弟で争うことになるとはねぇ。
色んなケースに当てはまると思うけど、まとめ役のような人の重要性を改めて思いました。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > どちらの言い分も一理あると思います。
確かにそうですね。新しい時代で考える頼朝と、旧来の考えにこだわる義経。ただ、時代は「武士のための政治」の実現を目指した頼朝を選びましたね。
> でもこれだけ優秀な2人、それも兄弟で争うことになるとはねぇ。
> 色んなケースに当てはまると思うけど、まとめ役のような人の重要性を改めて思いました。
お互いの言い分の調整役がいれば、確かに対立はなかったかもしれませんね。
そうすれば、義経も時代の流れに沿った人生が送れたかも…。
神器のうち、勾玉(まがたま)と鏡は取り戻せましたが、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)は海の底に沈んでしまって、ついに取り戻せなかったのです。これでは切り札として後白河法皇に武士の要求を認めさせるどころか、失態を問われることで頼朝の地位が危うくなる可能性すらありました。
頼朝は、軍事の天才である義経なら三種の神器を取り戻してくれると期待していただけに、義経に対してより一層激怒したわけですが、義経は平氏を滅亡させたことの方がよほど重要であると信じ込んでおり、頼朝がなぜ自分に激怒するのか分からないままでした。
これに加えて、義経はさらに致命的なミスを犯していました。頼朝の許可もなく、後白河法皇から検非違使(けびいし、主として京都の治安維持を担当する役職のこと)への任官(にんかん)を勝手に受けてしまったのです。尚、任官後の義経は「九郎判官」(くろうほうがん)と呼ばれましたが、これが後に「判官贔屓」(ほうがんびいき)という言葉を生むことになります。
この義経の「朝廷からの任官を頼朝の許可なく勝手に受ける」という行為は、実は頼朝のそれまでの血のにじむような努力を全部無駄にしてしまいかねない、とんでもないことでした。なぜそう言い切れるのでしょうか?




いつも有難うございます。
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ぴーち (*´∀`)【☆・゜:*メリィクリスマス*:゜・☆】(´∀`*)
頼朝と義経の間の目的の違いや、意思の疎通が
益々、不運を呼んでしまったんですね~。
やはり、判ってくれるだろう。判るはず・・という見切り発車が、命取りだったのかもしれませんね。
話し合いは、大切ですね。
という件じゃないのかな?(笑)
それでは、今日は、ワインを持参して来たので、乾杯しましょうw
黒田さんの益々のご活躍を祝して♪(クリスマスのじゃないのかいw)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > (*´∀`)【☆・゜:*メリィクリスマス*:゜・☆】(´∀`*)
メリークリスマス!(^o^)丿
> 頼朝と義経の間の目的の違いや、意思の疎通が
> 益々、不運を呼んでしまったんですね~。
> やはり、判ってくれるだろう。判るはず・・という見切り発車が、命取りだったのかもしれませんね。
> 話し合いは、大切ですね。
> という件じゃないのかな?(笑)
いや、決してそんなことはありませんよ(^^ゞ
我が国の人々は本来は話し合って分かる人間同士。
ですが、この場合はあまりにも考えが違いすぎました…(´・ω・`)
歩み寄りができれば、もっと時代が変わっていたかもしれませんね。
> それでは、今日は、ワインを持参して来たので、乾杯しましょうw
> 黒田さんの益々のご活躍を祝して♪(クリスマスのじゃないのかいw)
クリスマスらしいですね(^^♪
私にとっては活躍を祈念して下さったほうが有難いです(^_^)v
.
スポーツ猫 こんばんわお邪魔します。
戦の天才ではあったが政治に疎かった義経と
義経と正反対である頼朝とでは価値観の違いからくる
すれ違いは仕方なかったと思いますが
兄弟だからこそ争いあわずに協力して
新しい世を作って欲しかったですね。
いつの時代でも肉親がいがみ合うのは悲しい事ですからね。
スポーツ猫さんへ
黒田裕樹 > 戦の天才ではあったが政治に疎かった義経と
> 義経と正反対である頼朝とでは価値観の違いからくる
> すれ違いは仕方なかったと思いますが
> 兄弟だからこそ争いあわずに協力して
> 新しい世を作って欲しかったですね。
お互いに歩み寄る思いがあれば、という気持ちにもなりますが、そりが合わなかったのかもしれませんね。
> いつの時代でも肉親がいがみ合うのは悲しい事ですからね。
全くです。骨肉の争いほど虚しいものはありません。しかし、現実問題としては多いのが何とも…(´・ω・`)
.
紗那 あぁ、やはり武士が絡むこのあたりの話は全部知ってましたー。
「武士が絡むと」強いんですけどね!
文化史とかだめだめですorz
でも、最後の問いの理由が分かりません。次の記事の答えに期待します!
.
晴雨堂ミカエル 巷で義経=ジンギスカン説が流布されていますが、説得力を感じられない原因がこれです。どう考えても、義経はジンギスカンになりえる器ではない。
石坂浩二氏が頼朝を演じた大河ドラマ「草燃える」は同様の視点で描かれていますね。
紗那さんへ
黒田裕樹 > あぁ、やはり武士が絡むこのあたりの話は全部知ってましたー。
> 「武士が絡むと」強いんですけどね!
> 文化史とかだめだめですorz
文化史も重要ですよ。
この頃からは「武士と絡ませる」ことも可能ですし。
> でも、最後の問いの理由が分かりません。次の記事の答えに期待します!
答えを載せましたが、いかがでしたか?(^^♪
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 > 巷で義経=ジンギスカン説が流布されていますが、説得力を感じられない原因がこれです。どう考えても、義経はジンギスカンになりえる器ではない。
そうですね。一方で「逆もまた真なり」です。
ジンギスカンのような残虐性を義経は持っていませんし。
> 石坂浩二氏が頼朝を演じた大河ドラマ「草燃える」は同様の視点で描かれていますね。
そうなんですか?
ぜひ見てみたいものです(^^♪
登場
JJSG こんにちは。
義経は軍事の天才であっても、政治には暗かったのですねぇ。
でも、頼朝も失敗を義経のせいにしていて、自分がもっとよく義経に説明しなかったことを反省すべきで。。。
とはいえ、難しい世の中なのかな。
さてさて、今の世の中でも、上司の許可を得ず、勝手なことしていては、戦略はうまく運びませんからねぇ。
JJSGさんへ
黒田裕樹 > 義経は軍事の天才であっても、政治には暗かったのですねぇ。
> でも、頼朝も失敗を義経のせいにしていて、自分がもっとよく義経に説明しなかったことを反省すべきで。。。
> とはいえ、難しい世の中なのかな。
お互いの長所と短所をうまく利用してここまで来ましたからね。平氏を倒したことで軍事性に重要さがさほどなくなったという事実もありますし、頼朝の考えが今ひとつ分からないところでもあります。
ただはっきりいえることは、義経の失敗による地位の低下は、長い目で見れば頼朝の幸運でもあった、ということです。
> さてさて、今の世の中でも、上司の許可を得ず、勝手なことしていては、戦略はうまく運びませんからねぇ。
そうですね。部下が勝手に独走しては、上司は責任が取れません。とはいえ、部下の優秀さを憎むあまり、何もさせずに飼い殺しにするのも大いに問題があると思います。
頼朝個人としては、父の源義朝の仇(かたき)である平氏が滅亡して嬉しくないはずがありません。しかし、彼は自分の利害よりも、武士全体の利益を優先し、そのための戦略(せんりゃく、戦争に勝つための総合的あるいは長期的な計略のこと)を考える政治家でもありました。
関東で力をつけて、平氏を滅亡寸前にまで追い込んだ頼朝でしたが、それはあくまで軍事力のみの結果であり、武士に土地の個人所有を認めさせるといった「武士のための政治」を行うにはまだまだ力不足でした。そこで頼朝は、形式化してはいたものの荘園などを監視する立場である朝廷との交渉によって目標を実現させようと考えており、その際の切り札となるのが三種の神器だったのです。
「治天の君」の権威で後鳥羽天皇をご即位させた後白河法皇でしたが、やはり三種の神器なしではまずいのでは、という後ろめたさを持っておられました。政治家であった頼朝はこの点に目をつけ、三種の神器を自らの手で取り返して後白河法皇に引き取らせることによって、武士側の要求を認めさせようと考えていたのでした。
このため、頼朝は義経に対して「平氏滅亡よりも三種の神器の奪回(だっかい)を優先させて、どんなことがあっても取り戻してこい」と厳命(げんめい)したに違いないのです。




いつも有難うございます。
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オバrev なるほど、頼朝はそういう戦略を考えていたんですね。
そういう戦略に沿って、その目的を達成するために戦術を練って戦うことが大事だったけど、義経には戦略が理解できてなかったんでしょうか。
でも今の鳩山内閣よりはましかな?
どうも内閣には戦略も戦術もなくて、党の幹事長の言いなりになっているように見えてしまいます。
まあ、それによる実際の結果が出てみないと何とも言えないデスカネ゙・・・
.
monariz おお、なるほど...
でも今三種の神器があるなら取り戻せたのではないでしょうか?
.
ぴーち こんばんは!
私も女性に不可欠な
「三種のアイテム」である
「気品のりんご」
「お色気パイン」
「知識のクルミ」
を手に入れたいものです(爆)
応援凸
オバrevさんへ
黒田裕樹 > なるほど、頼朝はそういう戦略を考えていたんですね。
> そういう戦略に沿って、その目的を達成するために戦術を練って戦うことが大事だったけど、義経には戦略が理解できてなかったんでしょうか。
一般的な軍人にありがちなのが「目先の勝負」にこだわりすぎる姿勢なんですね。勝ちすぎたゆえに相手の恨みを買ったり、手を広げすぎて自滅したり…。後者なんかは先の大戦での我が国の敗因の一つですよね(´・ω・`)
> でも今の鳩山内閣よりはましかな?
> どうも内閣には戦略も戦術もなくて、党の幹事長の言いなりになっているように見えてしまいます。
> まあ、それによる実際の結果が出てみないと何とも言えないデスカネ゙・・・
100日経って「結果を待て」といわれても「?」という気がしますが…。
特に現政権は前政権に対してあれだけ批判的だったのですから、それなりの自覚を持ってほしいものですね。
monarizさんへ
黒田裕樹 > おお、なるほど...
> でも今三種の神器があるなら取り戻せたのではないでしょうか?
現代の技術なら可能だったかもしれませんね。
ただ、剣というのは重いものですから沈みやすいでしょうし、何よりも三種の神器と一緒に海に飛び込まれたのは、いかに不意をつかれたからとはいえ、失策以外の何物でもないような気がします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!
> 私も女性に不可欠な
> 「三種のアイテム」である
> 「気品のりんご」
> 「お色気パイン」
> 「知識のクルミ」
> を手に入れたいものです(爆)
「三種の神器」というのは色んな意味に派生されていますからね(笑)。
そういえば、私が生まれた頃は「カラーテレビ、クーラー、自動車」でしたっけ。
.頼朝の性格
車 寅三郎 「頼朝の冷淡な性格は、父義朝から受けついだ― というより平治の乱に破れ、逃避行中の義朝が、若い頼朝を盾にするような行為をとったから」。と某講座で聞きました。
事実、二人は別行動をとっています。そのあたりの史実は?
車 寅三郎さんへ
黒田裕樹 > 「頼朝の冷淡な性格は、父義朝から受けついだ― というより平治の乱に破れ、逃避行中の義朝が、若い頼朝を盾にするような行為をとったから」。と某講座で聞きました。
> 事実、二人は別行動をとっています。そのあたりの史実は?
頼朝が義朝と逃走中に、馬上で居眠りしている間にはぐれてしまうという話は聞いたことがありますが、寅三郎さんのお話は初耳ですね。
「頼朝の冷淡な性格」は、本人の資質よりも、義経に対する「仕打ち」が曲解されて伝わった可能性があると思います。義経びいきがら見れば、頼朝の行動が冷たく見えて仕方がないでしょうし。
ありゃまー!
JJSG ここまで戻って読んで、コメントしたのに、エラーで消えた。。。
くやしいです!(笑)
今日はこれだけにしときます。
眠いので。。。(><)
また明日、この続きから読みまーす。
JJSGさんへ
黒田裕樹 う~ん、それは残念ですね…(´・ω・`)
次回は無事にコメントができるように願っておりますm(_ _)m
一方の源氏は山育ちだったのが災(わざわ)いし、本格的な海戦は未だに経験がありませんでした。こうなると、さすがの義経も苦戦するかと思われたのですが、いざフタを開けてみれば、義経が世界の海戦史上でも例を見ない完勝で終わりました。1185年3月に行われたこの戦(いくさ)は壇ノ浦の戦いと呼ばれています。それにしても、なぜ義経は未経験の海戦で勝つことができたのでしょうか?
実は義経は、平氏の軍船の操縦者をことごとく射殺すことによって、敵の船を動けなくしてしまったのです。船の操縦者は殺してはいけない、というよりそもそも戦いに参加していないというそれまでの常識を打ち破る、まさに「コロンブスの卵」的な義経の柔軟な発想でした。
船が動かなくては勝てるはずがありません。平氏側の武将も奮戦(ふんせん)して一時は義経を追いつめ、この際に義経が八艘(はっそう)飛びで難を逃れるという場面もありましたが、結局あれほどの栄華を誇った平氏もついに海の藻屑(もくず)と消え、義経は会心の大勝利を収めたのですが、皮肉なことに「平氏を滅亡させる」という役目を終えた義経には、この頃から既に破滅の兆(きざ)しが見えていたのでした。
尚、1180年の以仁王の挙兵から1185年までの平氏滅亡までの一連の戦いは、当時の年号から治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)と呼ばれています。




いつも有難うございます。
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えめる 船を操縦する人をやっつけちゃったのかニャ。
眼の付け所がいいというか、
見方によっては卑怯というか……。
勝つためには、利用できるものは利用すべきってことかニャ。
.
ぴーち こんばんは!
う~ん。。勝つためなら、
どんな手段も選ばない。。
という事ですね~。
確かに、スポーツの世界なんかも、
「スポーツマン精神に則り、正々堂々と戦う事を誓います!」
なんて、宣言しますが、
内容は、勝つためには姑息な手段をいとわなかった選手こそが
最後まで勝ち残ったりして、あらゆる戦略、出来る限りの手練手管を考えたものが勝利するという
勝負の世界の怖さ(醜さ?)みたいなものをよく見せつけられますが、
まさに、義経の戦法も姑息な小技勝負だったんですね。
そう言えば、現役時代の「舞の海」も、技の百貨店と言われるくらいに、小技で相手を翻弄させていましたっけね^^
と、何故か相撲の話に脱線しちゃました(汗
応援凸
またお邪魔しますね^^
.時代を変える人は
オバrev それまでの常識を打ち破る作戦は、天才たる所以か、単なる卑怯者かは何とも言えませんが。、平氏としたら危機管理がなかったと思います。
時代を変える人と、変わった時代を熟成させていく人はタイプが違うんでしょうね。
どうしても、時代を変える人は、エネルギッシュだけども、敵が多いという気がします。
義経の今後はどうなるんでしょうか。
えめるさんへ
黒田裕樹 > 船を操縦する人をやっつけちゃったのかニャ。
> 眼の付け所がいいというか、
> 見方によっては卑怯というか……。
> 勝つためには、利用できるものは利用すべきってことかニャ。
義経の場合は典型的な「勝利至上主義」といえるかもしれません。
確かに勝たないことには話になりませんが、そのしっぺ返しが全く別のところで起きるのですから、世の中というのは分からないものですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!
> う~ん。。勝つためなら、
> どんな手段も選ばない。。
> という事ですね~。
> 確かに、スポーツの世界なんかも、
> 「スポーツマン精神に則り、正々堂々と戦う事を誓います!」
> なんて、宣言しますが、
> 内容は、勝つためには姑息な手段をいとわなかった選手こそが
> 最後まで勝ち残ったりして、あらゆる戦略、出来る限りの手練手管を考えたものが勝利するという
> 勝負の世界の怖さ(醜さ?)みたいなものをよく見せつけられますが、
> まさに、義経の戦法も姑息な小技勝負だったんですね。
勝つためには手段を選ばない、という考え方は一見卑怯ではありますが「それならどうやって勝てばいいんだ!」というのが義経の言い分でしょう。
観客のいるスポーツと違って、卑怯であっても「金返せ」という相手がいませんから(笑)、綺麗事を言っている場合ではない、というところでしょうか。
> そう言えば、現役時代の「舞の海」も、技の百貨店と言われるくらいに、小技で相手を翻弄させていましたっけね^^
> と、何故か相撲の話に脱線しちゃました(汗
いえいえ、私は相撲好きですから一向に構いませんよ(笑)。
舞の海の場合は小技で観客を喜ばせていますから、それはそれでいいのかもしれませんね(^^♪
オバrevさんへ
黒田裕樹 > それまでの常識を打ち破る作戦は、天才たる所以か、単なる卑怯者かは何とも言えませんが。、平氏としたら危機管理がなかったと思います。
一ノ谷や屋島で何度も痛い目にあっているのですが…。
確かに危機管理や防衛能力に疑問符がつきますね。これも人材不足なのか、あるいは「貧すれば鈍す」というべきなのか…。
> 時代を変える人と、変わった時代を熟成させていく人はタイプが違うんでしょうね。
> どうしても、時代を変える人は、エネルギッシュだけども、敵が多いという気がします。
> 義経の今後はどうなるんでしょうか。
義経は典型的な「時代を変える人間」ですからね。こういうタイプの人間は、世の中が変わったら「役目を終えた」ことで歴史から退場させられてしまいがちです。義経の場合も…。
.
スポーツ猫 こんばんわお邪魔します。
いつの時代でも、いつも常識を破って活躍した人間は
その当初は卑怯者とされ後世で評価されるものですね。
しかしいつも常識破りの卑怯者呼ばわりされた人物は
生きて後世の評価を聞く事ができずに
無念のままに死んでいくのは少しかわいそうに思いますね。
ただそんな人達は周りの評価程度で
自分の信念を曲げない立派な人達だとは思っていますね。
スポーツ猫さんへ
黒田裕樹 > いつの時代でも、いつも常識を破って活躍した人間は
> その当初は卑怯者とされ後世で評価されるものですね。
> しかしいつも常識破りの卑怯者呼ばわりされた人物は
> 生きて後世の評価を聞く事ができずに
> 無念のままに死んでいくのは少しかわいそうに思いますね。
まさしくそのとおりです。今回の源義経のみならず、平清盛や織田信長、徳川綱吉に田沼意次なども皆が同じような一面がありますね。
> ただそんな人達は周りの評価程度で
> 自分の信念を曲げない立派な人達だとは思っていますね。
仰るとおりです。皆が自己の生涯を信念をもって生き抜きました。そのことを評価せずして、歴史を語るべきではないと思います。
.
MAHHYA 義経は戦いの天才と、呼ばれましたが、「意表を突く」というのは「約束事を破る」という側面もありますね。
もちろん、戦いというのは、それほど甘くないということなのでしょうが・・・。
平清盛の話を書きました。TBさせてくださいませm(_ _)m
MAHHYAさんへ
黒田裕樹 > 義経は戦いの天才と、呼ばれましたが、「意表を突く」というのは「約束事を破る」という側面もありますね。
> もちろん、戦いというのは、それほど甘くないということなのでしょうが・・・。
確かに義経の行為は「掟破り」であり、「卑怯者」呼ばわりされても致し方がないのですが、そこまで踏み込まなければ平氏を打ち破ることは不可能だったのでしょう。「勝てば官軍」というのは義経のための言葉なのかもしれませんね。
> 平清盛の話を書きました。TBさせてくださいませm(_ _)m
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