さて、先日(4月25日)に第1回「黒田裕樹の歴史講座」を開催致しましたところ、5名の皆様にご参加をいただきまして、誠に有難うございました。
前回に引き続きまして、5月30日(土)に再び歴史講座を開催すべく準備を重ねてまいりましたが、新型インフルエンザによる関西での様々な状況から慎重に判断した結果、誠に断腸の思いながら、一ヶ月延期することに致しました。
いかに事情があるとはいえ、このような次第になってしまったことを深くお詫び申し上げます。
次回(第2回)の歴史講座は、大阪・梅田で6月27日(土)の午後3時より開始致しますので、是非多数の皆様にご参加いただければと願っております。
第2回「黒田裕樹の歴史講座」
日時:平成21年6月27日(土) 午後3時より
内容: 「『鎖国』という名の悲劇」
講師:黒田裕樹
場所:梅田東学習ルーム
会費:無料
ブログをご覧の皆様も、宜しければ是非ご参加下さい。この記事のコメント欄をご活用いただければと思います。また、今回の講座の内容については、前回同様後日にはブログ上で発表しますので、是非ご覧になって下さい。
尚、予約の都合上、当日の教室一覧(午後)の掲示板に「大阪読書研究会」と書かれているのが「黒田裕樹の歴史講座」の会場となります。ご注意下さい。



いつも有難うございます。
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bunyan こんばんは~
コメントありがとうございました。
二回目の講座の開催が決まって、張り切っていらっしゃると思います。
参加者が多くなって成功することを祈っています。
頑張ってくださいね !
bunyan様
黒田裕樹 応援有難うございます!
あと3週間近くしかありませんが、何とか成功に導きたいと願っております。
こんばんは~
bunyan NETで検索したら黒田さんと同姓同名の大学教授の名前を発見しました。
黒田姓の人は学術・教育関係の人が多いのに驚いています !
歴史学者の人もいらっしゃるのでしょうね。
bunyan様
黒田裕樹 私も興味半分で検索したことがあります。
字の違いでは元広島でドジャースの黒田博樹投手もいますが、全くの同姓同名は仰った大学教授くらいですね。
歴史学者ですか…。私なら努力すれば「学者もどき」にはなれるでしょうか?
けん爺ちゃん こんばんは(^△^)
おお~歴史講座ですか!
しかも鎖国!
非常に興味があります…実は本当に
静岡大学の黒田裕樹准教授では?(笑)
大阪の方だったんですね(^^)
梅田は本社から近いので(尼崎です)
何回か訪れようとした事はあります…
近場だったら参加してみたかったです。
5月30日でしたらあと10日ですね!
今回も無事成功されますように。
けん爺ちゃん様
黒田裕樹 残念ながら同姓同名の赤の他人です(笑)。
「黒田」はともかく、「裕樹」は結構珍しいと思うんですけどね。
講座にご出席されようとするお気持ちだけでも十分感謝しております。講座の日にたまたま大阪にいる…なんて、普通はやっぱりないですよね(^^ゞ
準備をしっかりしておかないと、講座の日まであっという間ですからね…。頑張ります!
講座延期
bunyan こんばんは、コメントありがとうございました☆
講座延期されたんですね。
関西はインフルエンザとか大変でしょう。
近畿高校野球も中止になったみたいだから、延期もやむを得ないかも。
一ヶ月後は無事に開けるといいですね。
管理人のみ閲覧できます
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bunyanさんへ
黒田裕樹 こちらこそコメント有難うございます。
インフル騒ぎは週がかわってようやく落ち着きを取り戻しつつあるようです。
仰るとおり、一ヶ月の延期は止むなしと考えたうえの決断でした。
来月までには何とか収束されるよう祈っております。
頑張ってください
ふとかつ 黒田裕樹様
こんばんは。大切なセミナーがインフルエンザのために延期とのこと、非常に残念です。
私は東京在住のため、参加はできませんが、毎日このブログで少しずつ歴史を勉強しています。
くれぐれも、インフルエンザに感染なさらないようにお気をつけください。
老いてなお盛んであった蘇我馬子は、聖徳太子という後ろ盾(だて)を失われた推古天皇に対して、かつては蘇我氏の所有地で、その後は皇室が支配していた葛城(かつらぎ、現在の奈良県)の地を返還するように迫(せま)りました。
推古天皇は馬子の無茶な要求に対して、下記のようにきっぱりと拒否されました。
「私は蘇我氏の血を引いていますし、貴方(=馬子)は大臣(おおおみ)で私の叔父でもあります。しかし、だからといって公(おおやけ)の土地を私人(しじん)に過ぎない貴方に譲ってしまっては、後世の人に私が愚かな女だと言われるのみならず、貴方も不忠な人間だと後ろ指を指されますよ」。
こうした高い見識をお持ちであった推古天皇も、628年に75歳で崩御(ほうぎょ)されました。馬子もそれ以前の626年に亡くなっており、政治の実権は馬子の子である蘇我蝦夷(そがのえみし)が握ることになりました。



いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
ここにも「ひとつの時代が終わった」があったのですね。
新しい政権も国民が幸せになればと期待します。
もちろん、現代でも。
今日はお疲れ様でした。
ゆっくりして下さいね。
応援♪
sisi 聖徳太子が49歳の若さの生涯でしたね。つまり、織田信長と同じ年齢で生涯を閉じましたよね。
ぴーち こんばんは!
推古天皇、当時としてはかなりの長命だったようですね。
今日は午前中にご訪問くださいまして、ありがとうございました^^
そして、講座もきっと大盛況だったことでしょう^^
お疲れ様でした!
応援させてくださいね^^
凸
mee; 講座お疲れ様でした。
いかがでしたか?
聖徳太子が亡くなったのは49歳だったんですね
推古天皇は素晴らしい女性だったんですね
推古天皇も蘇我馬子も当時としては随分 長く生きられたのではないですか?
ちょっとびっくりしました
ヒロキ 古代で75歳までなんてかなり長く生きていますね!
生活が充実していたのですかね?
いよいよ蘇我蝦夷の登場ですね!
さすらいさんへ
黒田裕樹 > ここにも「ひとつの時代が終わった」があったのですね。
そうですね。聖徳太子の死に続いて、有力者が数年のうちに全員この世から去ってしまいました。
歴史上ではよくあることですね。
> 新しい政権も国民が幸せになればと期待します。
> もちろん、現代でも。
新しい政権ですが、今回の場合は…。
一方、現代では総選挙の後はどうなるのでしょうか?
> 今日はお疲れ様でした。
> ゆっくりして下さいね。
お気遣い有難うございます!
今日(28日)からまた新たなスタートです。
sisiさんへ
黒田裕樹 > 聖徳太子が49歳の若さの生涯でしたね。つまり、織田信長と同じ年齢で生涯を閉じましたよね。
そうですね。我が国の歴史を激変させた二人が、同じ歳で亡くなっているのは不思議な偶然です。
「人生五十年」を見事に使いきった生涯というべきなのでしょうか。
東洋劇場 おはようございます。
聖徳太子なき後の展開に
興味津々です。
とても分かりやすいお話
ありがとうございます。
ポチ!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 推古天皇、当時としてはかなりの長命だったようですね。
当時の寿命を考えれば、75歳は長い方ですね。
摂生をされて、かつ流行病の影響を受けなかったことで、天寿を全うできたのかもしれません。
> 今日は午前中にご訪問くださいまして、ありがとうございました^^
> そして、講座もきっと大盛況だったことでしょう^^
> お疲れ様でした!
時間がなかったので、コメントなしでポチだけさせていただきました。
今日からはまたゆっくりと拝見したいと思います。
別記事に書きましたが、講座も6名の皆様に参加いただき、成功裏に終わりました。
有難いことと感謝しております。
応援有難うございます!
mee;さんへ
黒田裕樹 > 講座お疲れ様でした。
> いかがでしたか?
有難うございます。
お蔭様で6名の皆様に参加をいただき、無事に終了しました。
当日の内容は順次公開していきます。
> 聖徳太子が亡くなったのは49歳だったんですね
そうです。当時の寿命からすれば長い方なのか、それとも短い方なのか、意見が分かれるところだと思います。個人的には、今後の展開を考えれば「もっと長生きして欲しかった」ですね。
> 推古天皇は素晴らしい女性だったんですね
年齢を重ね、また後ろ盾を失くしても毅然とした態度をおとりになるあたり、さすがは最初の女性天皇という感じがします。
> 推古天皇も蘇我馬子も当時としては随分 長く生きられたのではないですか?
> ちょっとびっくりしました
蘇我馬子の生年は不詳ですが、推古天皇よりは早く生まれたと思われますので、やはり長寿ですね。
馬子の場合は、「政権への執着」が長生きさせたのかもしれませんね。天然痘にかかっても乗り越えたほどの生命力の持ち主ですから。