そして、聖徳太子による対等外交の精神は、それまでの中国による冊封体制 (さくほうたいせい)から抜け出すきっかけとなり、我が国に自主独立の精神と、独自の文化を生み出す遠因(えんいん)にもなったのです。
さて、608年に聖徳太子は3回目の遣隋使を送りました。この際に聖徳太子を悩ませたのは、国書の文面をどうするかということでした。
一度煬帝を怒らせた以上、中国の君主と同じ称号を名乗ることは二度と出来ませんが、だからといって再び朝貢外交の道をたどることも許されません。考え抜いた末に作られた国書の文面は、以下のように書かれていました。
「東の天皇、敬(つつ)しみて、西の皇帝に白(もう)す」。
我が国が皇帝の文字を避けることで隋の立場に配慮しつつも、それに勝るとも劣らない称号である「天皇」を使用することで、両国が対等な立場であるという方針を変更しないという断固たる決意を示しました。ちなみに、この国書が「天皇」という称号が使われた始まりとされています(ただし、異説あり)。



いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
これが「天皇」と言った始まりというのは
聞いたことがありました。
断固たる決意
素晴らしかったですね。
現代の我が国も
しっかりとした外交をして欲しいものです。
応援♪
咲霧 アドバイスありがとうございます♪
聖徳太子はすごい人なんですね・・・
あんまり気にしてはいなかったんですけど
歴史上の人物も大体のことしか
知らないんだなって思いました。
あの、もし良かったらなんですが
リンクしてもいいですか?
ぴーち こんばんは^^
これまでの聖徳太子の偉業や
その人と為りを拝見させていただきましたが、
臨機応変にその場その場に応じた判断や、
対応をちゃんとしっかりと見極めて、
対処していける優れた人物
だったのだなと改めて感じました。
それでは応援です凸
さすらいさんへ
黒田裕樹 > こんにちは。
> これが「天皇」と言った始まりというのは
> 聞いたことがありました。
そうなんです。「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の「皇」ですから、大陸の「皇帝」に対抗するにはピッタリですね。
> 断固たる決意
> 素晴らしかったですね。
> 現代の我が国も
> しっかりとした外交をして欲しいものです。
昨日も書きましたが、ぶれない外交ほど大切なものはないと思いますね。
今日も応援有難うございます!
咲霧さんへ
黒田裕樹 > アドバイスありがとうございます♪
いえいえ、お役に立てれば光栄です(^o^)丿
> 聖徳太子はすごい人なんですね・・・
> あんまり気にしてはいなかったんですけど
> 歴史上の人物も大体のことしか
> 知らないんだなって思いました。
歴史に名を残す人たちは、どのような形であれ、我が国の歴史をつくってきた人たちですから、それぞれに様々なドラマがあるんです。
そのドラマを一つ一つ追っていくだけで、数多くの楽しみがあるんですよ(^^♪
> あの、もし良かったらなんですが
> リンクしてもいいですか?
もちろん、大歓迎です!
こちらもリンクさせていただきますので、今後ともよろしくお願いします(^_^)v
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > これまでの聖徳太子の偉業や
> その人と為りを拝見させていただきましたが、
> 臨機応変にその場その場に応じた判断や、
> 対応をちゃんとしっかりと見極めて、
> 対処していける優れた人物
> だったのだなと改めて感じました。
仰るとおりです。
1400年も昔の政治家ですが、現代に蘇っても立派に活躍してくれそうな、素晴らしい才能の持ち主ですね(^_^)v
今日も有難うございます!\(^o^)/
煬帝もお手上げ?
オバrev 東の天皇、敬しみて、西の皇帝に白す、ですか~、
相手を立てながら、自分の立場もきっちり主張する。
これしかない、まさに針の穴を通すというキラーパスだぁ(^^)/
こりゃあ、煬帝もお手上げですね。
がつんと一発かませるておきながら、
フォローもちゃんとやってるってのが凄いです。
もしかして優秀なブレーンがいたんですかね?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 東の天皇、敬しみて、西の皇帝に白す、ですか~、
> 相手を立てながら、自分の立場もきっちり主張する。
「皇帝」に対して「天皇」ですからね。
> これしかない、まさに針の穴を通すというキラーパスだぁ(^^)/
> こりゃあ、煬帝もお手上げですね。
> がつんと一発かませるておきながら、
> フォローもちゃんとやってるってのが凄いです。
一度怒らせてから持ち上げる。煬帝としても拳の振り下ろし先がなかったでしょうね。
この国書を受け取った際の煬帝の記述がないのが残念です。
> もしかして優秀なブレーンがいたんですかね?
高句麗の僧の恵慈などから国際情勢について学んだ際に、直接レクチャーを受けたか、あるいは学んだ事実から聖徳太子が自らシナリオを描いたか…。
いずれにせよ、諸外国からの渡来人や帰化人から積極的に学んだ聖徳太子の姿勢が生んだ痛快編ですね。
東洋劇場 おはようございます。
自分の不勉強を恥じ入るばかりですが…
楽しみに読ませていただいてます。
ありがとうございます。
東洋劇場さんへ
黒田裕樹 > 自分の不勉強を恥じ入るばかりですが…
> 楽しみに読ませていただいてます。
> ありがとうございます。
いえいえ、何を仰います。
誰だって初めは何も分からないものですよ。私だって分からなかったからこそ、今のブログにつながっていると思いますし。
こんな内容で宜しければ、是非またお越し下さいね!