その一方で、蘇我氏は冠位の例外とされていました。おそらくは従来どおりの大臣(おおおみ)として、冠位をもらう側よりも授(さず)ける立場にあったからと考えられています。さすがの聖徳太子も、蘇我氏の立場にまで踏み込んで改革することはできなかったのでした。
しかし、曲がりなりにも昇進が可能な身分制度ができたことにより、冠位を授ける立場の朝廷の権力は向上し、相対的に蘇我氏の権力が後退する遠因(えんいん)をつくったことにもなったのです。
尚、冠位十二階によって大礼(だいらい、濃い赤の冠)の地位にいたある男性が、後に外交における活躍が認められて、最高位の大徳(だいとく、濃い紫の冠)にまで出世した事実が伝えられています。
その男性の名は、小野妹子(おののいもこ)と呼ばれています。



いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
小野妹子は有名ですね。
何となくすぐ覚えられました(笑)
この制度によって
蘇我氏の権力が後退ですか。
歴史の流れがあったのでしょうね。
応援♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 今回のように、きっかけがあれば覚えやすいんですよね。無理に暗記するから残らなくなります。
蘇我氏の権力は突然になくなったわけではなく、何らかのかたちで、大なり小なりの影響があったと考えられます。冠位十二階の制度も、後から考えれば、ボディーブローのように効いているんですよね。
まるで初代のロッキーのように(笑)。
いつも有難うございます(^o^)/
わあ、コメント消してもうた!
h.hamauzu こんにちは!
コメントを書いていたのですが、うっかり消してしまいました。
小野妹子が聖徳太子の制度によって取り立てられたんですね、とか、私は紫が好きです・・・とか、
つまらないことですがw
12色のユニフォーム
tycoont 黒田裕樹さん、こんにちは!
聖徳太子は蘇我氏を冠位の例外としながらも、
(上に祭り上げておきながら)「冠位十二階位」
という別の階級をつくり、蘇我氏をはじめとする、
旧勢力に対抗しうる人材・勢力が出世できる
新たなルートをつくったんですね

しかも、十二の色に分かれているから、
位が明確かつ客観的ですね

(なんとも、心憎い!聖徳太子の苦心の程が
伺えます

h.hamauzuさんへ
黒田裕樹 > コメントを書いていたのですが、うっかり消してしまいました。
私もたまにやってしまいます(>_<)
一度消されてしまったにもかかわらず、再度コメントを書いて下さって有難いです。
> 小野妹子が聖徳太子の制度によって取り立てられたんですね、とか、私は紫が好きです・・・とか、
小野妹子は聖徳太子のお陰で出世したといっても過言ではないですね。もっとも、そこまでの実力があればこそでもありますが(いずれ講座で紹介します)。
紫は古来より高貴な色とされていますからね。紫色の法衣(ほうい)や袈裟(けさ)は高僧が朝廷より賜(たまわ)りますし、大相撲でも紫の化粧回しは大関以上に許されています。
私は…歳を重ねてからは名前に合わせて(?)黒が好みですね(笑)。
tycoontさんへ
黒田裕樹 こんばんは!
お言葉、まさに我が意を得たりの思いです。
ひとつの政策が行われる背景には、必ずといっていいほど隠された理由があります。その理由を知らずして歴史を学んだり、語ったりしても意味がありません。
昨今の歴史教育に最も欠けている点だと思います。
bunyan こんばんは~
黒田さんの講座を見てると、学生時代を思い出して懐かしくなります。
お返しのポチ&拍手しておきますね。
27日の歴史講座の成功を祈ってますσ(゚ー^*)
ぴーち こんばんは!いつも応援ありがとうございます^^
現代の政治家も、世襲制重視せずに
この時代のように、民間からの実力や才能のあるものを
どんどん登用して行って欲しいと思いますね。
それと・・この「冠位十二階」のように
冠の色分けで階級が一目で分かる方法というのは、柔道などの競技にも応用されているんでしょうか?
なんて、ちょっと思ってしまいました^^;
それでは、応援です凸
歴史の醍醐味
tycoont お褒めの言葉有難うございます

後世の人間は歴史の結末を知っていますからね

黒田裕樹さんが仰るように、
「なぜ、このような政策が必要っだのか?」
と考えることこそが、歴史を学ぶ醍醐味だと思います

凄いぞ聖徳太子
オバrev なるほど、蘇我氏に冠位を授けるとなると蘇我氏よりも上ということになるから、あなたは特別だから冠位十二階の位は授けませんよ、とでも言われたら、確かに自分が下と認めるわけにいかないから、聖徳太子の企みが分かっていても認めざるを得ない。
そして、人事権を握って自分が抜擢してきた優秀な若者をどんどん増やし、蘇我氏の影響力を消していったんだろうな。
蘇我氏も地団駄踏んで悔しがったことでしょう。当然殺害も企てたと思うのですが、どうなんでしょうか。
というよりも、聖徳太子は表で大義名分を述べながら、裏でも色々手を回していたかもしれん。
凄いぞ、聖徳太子!
そしてその中から出てきたのが小野妹子ですか。
でも初の遣隋使ってことしか知りません。