我が国からの危険極まりない国書を持参することで、下手をすれば殺されるかもしれないという命がけの仕事を完全に果たしたばかりか、隋からの返書に問題があると判断すれば、自己の処遇(しょぐう)を無視して、我が国の名誉のために「失くした」と平気で言い切る度量の持ち主でした。
そんな人物だったからこそ、当初は大礼(だいらい)という冠位十二階で5番目の地位に過ぎなかった彼が、後には最高位である大徳(だいとく)にまで昇進したのでしょう。
また、遣隋使には「文化の交流」というもう一つの側面も見逃せません。608年の3回目の遣隋使の際に、隋への留学生として高向玄理(たかむこのくろまろ)や南淵請安(みなぶちのしょうあん)、僧旻(みん)らが同行しています。
彼らは大陸の優れた政治制度や仏教文化を学んだ後に帰国し、来るべき新時代に文化面から大きな貢献を果たすのですが、この話はいずれ別の機会で取り上げます。
ところで、遣隋使は朝鮮半島内部の政治情勢をも動かすことになりました。任那(みまな)を滅ぼした新羅(しらぎ)の我が国に対する態度が一変するのです。実は、遣隋使の成功は新羅にとっては困った事態をもたらしたのです。



いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
文化交流というのは大きいですよね。
まさに現代の日本の歴史文化の始まりでしょうか。
さて、新羅の態度
次回が楽しみです。
応援♪
咲霧 小野妹子ってすごい人なんですね・・・
肝が据わってる?って言うんでしょうか
殺されるかもしれないのに・・・
尊敬出来ますよね
でわ、また・・・
ヒロキ >新羅にとっては困った事態
いったいどんなことなんですかね!?
楽しみです♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 文化交流というのは大きいですよね。
> まさに現代の日本の歴史文化の始まりでしょうか。
大陸の優れた文化を持ち帰って、それを我が国の風土に合わせているわけですから、仰るとおり歴史文化の魁になったことは間違いないですね。
> さて、新羅の態度
> 次回が楽しみです。
そう仰っていただけると有難いです(^_^)v
応援感謝です!
咲霧さんへ
黒田裕樹 コメント有難うございます!
> 小野妹子ってすごい人なんですね・・・
> 肝が据わってる?って言うんでしょうか
> 殺されるかもしれないのに・・・
> 尊敬出来ますよね
怪我をしたり、命を落とすかもしれないと分かっていても、任務をこなさないといけないこともあるんですよ。警察や消防署、自衛隊などもそうですよね。小野妹子の果敢な行動が我が国の今後にどれだけ役に立ったことでしょうか。有難いことだと思いますし、仰るとおり尊敬できますよね。
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > >新羅にとっては困った事態
> いったいどんなことなんですかね!?
> 楽しみです♪
有難うございます。
ヒントを一つ挙げるとすれば、我が国との同盟や国交ですね。
明日をお楽しみに!(^o^)丿
ぴーち こんばんは!
聖徳太子の偉業や才覚が後世にまで
こうして伝えられた裏には、小野妹子のような
忠誠心溢れる優れた人物が彼をしっかりとサポートしていたというのも、大きな要因だったという事でしょうか。。
野球なども、ピッチャーばかりが花形で目立ちますが
ピッチャーばかりが良くても、チームは勝てませんものね^^
黒田さんはそう云えば、広島のファンでいらっしゃいますね!
私はスワローズファンなのですが、広島とスワローズは境遇が良く似通ったチーム(すぐに良い選手がどこかのチームに引き抜かれてしまうw)なので、他人事ならぬ親近感を覚えます^^
それでは、またまた脱線してしまい、すみません^^;
応援させてくださいね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 聖徳太子の偉業や才覚が後世にまで
> こうして伝えられた裏には、小野妹子のような
> 忠誠心溢れる優れた人物が彼をしっかりとサポートしていたというのも、大きな要因だったという事でしょうか。。
そうですね。ブレーンはもちろんのこと、聖徳太子の手足となって活躍する人がいないと、ここまでの偉業はなし得なかったと思います。
> 野球なども、ピッチャーばかりが花形で目立ちますが
> ピッチャーばかりが良くても、チームは勝てませんものね^^
> 黒田さんはそう云えば、広島のファンでいらっしゃいますね!
> 私はスワローズファンなのですが、広島とスワローズは境遇が良く似通ったチーム(すぐに良い選手がどこかのチームに引き抜かれてしまうw)なので、他人事ならぬ親近感を覚えます^^
野球に例えられましたか。確かのそのとおりですね。
でも引き抜きは勘弁してもらいたいものですね(>_<)
ヤクルトは今絶好調ですね。我がカープも5割ですから、まだまだこれからです。CSで是非対決したいものですね。
今日も応援、有難うございます!
こんばんは
スカイラインV35 歴史講座を拝見させて頂きました。量がありますので時間をかけて拝見させて頂きます。
国民国家の誕生と共に発見発明された”国民の為の歴史”。”歴史を学ぶ権利”もタダで手に入った訳では無いと思っています。正しい歴史観を目指したいと思います。
お互い”思うところ””考えるところ”がんばっていきましょう!
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 コメント有難うございます!
> 国民国家の誕生と共に発見発明された”国民の為の歴史”。”歴史を学ぶ権利”もタダで手に入った訳では無いと思っています。正しい歴史観を目指したいと思います。
> お互い”思うところ””考えるところ”がんばっていきましょう!
そうですね。お互いの思いや考えを述べながら、歴史観を高めていけるようになりたいものです。
今後ともよろしくお願いいたします。
そして、聖徳太子による対等外交の精神は、それまでの中国による冊封体制 (さくほうたいせい)から抜け出すきっかけとなり、我が国に自主独立の精神と、独自の文化を生み出す遠因(えんいん)にもなったのです。
さて、608年に聖徳太子は3回目の遣隋使を送りました。この際に聖徳太子を悩ませたのは、国書の文面をどうするかということでした。
一度煬帝を怒らせた以上、中国の君主と同じ称号を名乗ることは二度と出来ませんが、だからといって再び朝貢外交の道をたどることも許されません。考え抜いた末に作られた国書の文面は、以下のように書かれていました。
「東の天皇、敬(つつ)しみて、西の皇帝に白(もう)す」。
我が国が皇帝の文字を避けることで隋の立場に配慮しつつも、それに勝るとも劣らない称号である「天皇」を使用することで、両国が対等な立場であるという方針を変更しないという断固たる決意を示しました。ちなみに、この国書が「天皇」という称号が使われた始まりとされています(ただし、異説あり)。



いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
これが「天皇」と言った始まりというのは
聞いたことがありました。
断固たる決意
素晴らしかったですね。
現代の我が国も
しっかりとした外交をして欲しいものです。
応援♪
咲霧 アドバイスありがとうございます♪
聖徳太子はすごい人なんですね・・・
あんまり気にしてはいなかったんですけど
歴史上の人物も大体のことしか
知らないんだなって思いました。
あの、もし良かったらなんですが
リンクしてもいいですか?
ぴーち こんばんは^^
これまでの聖徳太子の偉業や
その人と為りを拝見させていただきましたが、
臨機応変にその場その場に応じた判断や、
対応をちゃんとしっかりと見極めて、
対処していける優れた人物
だったのだなと改めて感じました。
それでは応援です凸
さすらいさんへ
黒田裕樹 > こんにちは。
> これが「天皇」と言った始まりというのは
> 聞いたことがありました。
そうなんです。「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の「皇」ですから、大陸の「皇帝」に対抗するにはピッタリですね。
> 断固たる決意
> 素晴らしかったですね。
> 現代の我が国も
> しっかりとした外交をして欲しいものです。
昨日も書きましたが、ぶれない外交ほど大切なものはないと思いますね。
今日も応援有難うございます!
咲霧さんへ
黒田裕樹 > アドバイスありがとうございます♪
いえいえ、お役に立てれば光栄です(^o^)丿
> 聖徳太子はすごい人なんですね・・・
> あんまり気にしてはいなかったんですけど
> 歴史上の人物も大体のことしか
> 知らないんだなって思いました。
歴史に名を残す人たちは、どのような形であれ、我が国の歴史をつくってきた人たちですから、それぞれに様々なドラマがあるんです。
そのドラマを一つ一つ追っていくだけで、数多くの楽しみがあるんですよ(^^♪
> あの、もし良かったらなんですが
> リンクしてもいいですか?
もちろん、大歓迎です!
こちらもリンクさせていただきますので、今後ともよろしくお願いします(^_^)v
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > これまでの聖徳太子の偉業や
> その人と為りを拝見させていただきましたが、
> 臨機応変にその場その場に応じた判断や、
> 対応をちゃんとしっかりと見極めて、
> 対処していける優れた人物
> だったのだなと改めて感じました。
仰るとおりです。
1400年も昔の政治家ですが、現代に蘇っても立派に活躍してくれそうな、素晴らしい才能の持ち主ですね(^_^)v
今日も有難うございます!\(^o^)/
煬帝もお手上げ?
オバrev 東の天皇、敬しみて、西の皇帝に白す、ですか~、
相手を立てながら、自分の立場もきっちり主張する。
これしかない、まさに針の穴を通すというキラーパスだぁ(^^)/
こりゃあ、煬帝もお手上げですね。
がつんと一発かませるておきながら、
フォローもちゃんとやってるってのが凄いです。
もしかして優秀なブレーンがいたんですかね?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 東の天皇、敬しみて、西の皇帝に白す、ですか~、
> 相手を立てながら、自分の立場もきっちり主張する。
「皇帝」に対して「天皇」ですからね。
> これしかない、まさに針の穴を通すというキラーパスだぁ(^^)/
> こりゃあ、煬帝もお手上げですね。
> がつんと一発かませるておきながら、
> フォローもちゃんとやってるってのが凄いです。
一度怒らせてから持ち上げる。煬帝としても拳の振り下ろし先がなかったでしょうね。
この国書を受け取った際の煬帝の記述がないのが残念です。
> もしかして優秀なブレーンがいたんですかね?
高句麗の僧の恵慈などから国際情勢について学んだ際に、直接レクチャーを受けたか、あるいは学んだ事実から聖徳太子が自らシナリオを描いたか…。
いずれにせよ、諸外国からの渡来人や帰化人から積極的に学んだ聖徳太子の姿勢が生んだ痛快編ですね。
東洋劇場 おはようございます。
自分の不勉強を恥じ入るばかりですが…
楽しみに読ませていただいてます。
ありがとうございます。
東洋劇場さんへ
黒田裕樹 > 自分の不勉強を恥じ入るばかりですが…
> 楽しみに読ませていただいてます。
> ありがとうございます。
いえいえ、何を仰います。
誰だって初めは何も分からないものですよ。私だって分からなかったからこそ、今のブログにつながっていると思いますし。
こんな内容で宜しければ、是非またお越し下さいね!
文章はさらに続きます。
「皇(=天皇)は海の彼方(かなた)にいながらも良く人民を治め、国内は安楽で、深い至誠(しせい=この上なく誠実なこと)の心が見受けられる」
朝貢外交にありがちな高圧的な文言(もんごん)が見られないばかりか、丁寧(ていねい)な文面で、我が国をほめる内容にもなっています。
この国書が意味することは非常に重要です。つまり、聖徳太子のように終始ぶれることなく対等外交を進めたように、国の支配者が主張すべきことは主張する態度を堂々と貫けば、たとえ世界の超大国を自負する隋であっても、まともに応じてくれることを示しているのです。
一方、隋からの激しい攻撃をはね返しながらも朝貢外交を続けた高句麗に対して、隋は「いつでもお前の首をすげかえられるが、皇帝たる自分にそのような面倒をかけるな」と一方的に突き放した内容の国書を送りつけています。



いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
こういう歴史があるのですから
朝鮮は中国にもっとガンガン言って欲しいですよね。
日本ばかりをイジメないで。。。(笑)
応援♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 > こういう歴史があるのですから
> 朝鮮は中国にもっとガンガン言って欲しいですよね。
> 日本ばかりをイジメないで。。。(笑)
朝鮮半島にとっては、大陸と我が国との三者間で様々な因縁がありますからね。
時代が下るにつれて、これからもっと複雑になっていきますかr、現代ではどうなのでしょうか…。
応援有難うございます!
ぴーち こんにちは!
いつもお世話になります^^
そうですか。。
こういうお話を伺っていると
今の日本の政治とダブらせてしまいます。
特に北朝鮮への一貫とした態度を
示すという点では、頑張ってほしいところです。
ただ、内政がぐらついている内は、どうにもなりませんけれど。。(^^A
それでは、応援です凸
咲霧 いつも、コメントありがとうございます!!
今私の学校では公民なんですけど、
社会がどうもニガテで・・・
暗記物とかも・・・
なんかいい方法ありますかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですか。。
> こういうお話を伺っていると
> 今の日本の政治とダブらせてしまいます。
> 特に北朝鮮への一貫とした態度を
> 示すという点では、頑張ってほしいところです。
外交問題については「相手の出方をうかがってから考える」よりも「ぶれずに最後まで意志を貫くこと」が大切なんだ、ということを聖徳太子から学べますね。現代の北朝鮮に対しても、政府の方針がぶれることなく良い方向に持っていければと思います。
> ただ、内政がぐらついている内は、どうにもなりませんけれど。。(^^A
そうですね。どんなに外交をしっかりやろうとしても、国内がぐらついてしまっていては「相手になめられる」だけですからね。内政や外交をしっかりやってこその政治でしょう。
応援有難うございます!
こんばんは☆
bunyan いつもありがとうございます。
少し遠出をしてましたので、コメントが遅れました。
たくさんの黒田さん支持者ができましたねσ(゚ー^*)
今後も増えていくといいですねm(__)m
応援のポチ
咲霧さんへ
黒田裕樹 > いつも、コメントありがとうございます!!
いえいえ、こちらこそ毎回楽しい記事を有難うございます!
> 今私の学校では公民なんですけど、
> 社会がどうもニガテで・・・
> 暗記物とかも・・・
> なんかいい方法ありますかね?
現在の社会科教育で最も不足しているのは、「理由」を教えていないことなんです。それを教えずして暗記に頼らせようとするから、暗記が苦手な人にとっては苦痛でしかないうえに、覚えたとしてもすぐに忘れてしまい、無意味で終わってしまうんです。
公民の場合も同じです。例えば、現代で社会権(=生存権)が幅広く認められているのは、もともとは産業革命以後の労働者のひどい環境への救済のためであり、だからこそ労働者の権利が細かく認められたり、子供の頃から労働ばかりさせないように教育を受ける権利を認めたりしているんです。
関連づけて理解することによって、今までとは段違いに覚えやすくかつ忘れにくくなるうえに、一度完全に身についた知識を生かすことができれば、次のステップが比較的簡単になります。クラリネットの演奏の基本を身につけたら難しい曲への挑戦をしやすくなり、より楽しくなるのと同じですね。
もし咲霧さんが今後公民で「どうしても分からない」と困ったことがあれば、このコメント欄を利用して何でも聞いてください。「歴史講座」の名前に関係なく、私の分かる範囲ならお答えしますよ。教師時代は公民が専門でしたので(笑)。
では頑張って下さいね!
bunyanさんへ
黒田裕樹 > たくさんの黒田さん支持者ができましたねσ(゚ー^*)
> 今後も増えていくといいですねm(__)m
カウント数が増えていることは素直に嬉しいですが、中味をより一層充実させる必要があるでしょうし、何よりも皆様の信頼を裏切るようなことがあってはいけませんから、プレッシャーでもあります(^^ゞ
そもそも普段から誤解を招きやすい性分なんで気をつけないと…。
応援有難うございます!
聖徳太子 Come Back
オバrev 聖徳太子~、Come Back!
本当に、現代に蘇って欲しいですね。
この経済危機を期に東アジアは、日・中・韓を中心に・・・いや中国を中心に大きく変わろうとしています。日本は取り残されるかもしれない(T_T)
今こそ、聖徳太子~、Come Back!(古いですが、シェーン風にお願いします(^^;))
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 聖徳太子~、Come Back!
> 本当に、現代に蘇って欲しいですね。
私も正直そう思います。現代の政治家たちは何をやっているのか…。
> この経済危機を期に東アジアは、日・中・韓を中心に・・・いや中国を中心に大きく変わろうとしています。日本は取り残されるかもしれない(T_T)
オバrevさんの仰られることが杞憂で終わってくれればいいんですけどねぇ…(´・ω・`)
> 今こそ、聖徳太子~、Come Back!(古いですが、シェーン風にお願いします(^^;))
これはまた懐かしいですね!
外交官が国書を紛失するという信じられないミスに、朝廷は大あわてとなりましたが、本来なら死罪になってもおかしくなかった小野妹子は、結局は軽い罪に問われたのみで、すぐに許されました。
これには、隋からの返書の内容があまりにも我が国にとって厳しく(例えば我が国を臣下扱いにするなど)、とても見せられるものではなかったゆえに「失くした」ことにしたからだという説があります。聖徳太子や推古天皇が小野妹子の罪を軽くしたのも、妹子の苦悩を察したからかもしれませんね。
さて、煬帝からの返書とは別に、裴世清が我が国からの歓待を受けた際に送ったとされる国書が「日本書紀」に遺(のこ)されています。
その内容は、従来の中国の諸外国に対する態度とは全く異なるものでした。



いつも有難うございます。
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オバrev う~ん、小野妹子もなかなかやり手じゃ~!
まあ、もし妹子が脳天気なB型・・・私と同じ(T_T)・・・だったとしても、さすがに不注意でなくすことはないです。
実際に何が書いてあったかは、煬帝と妹子のみぞ知るですか。
推古天皇も聖徳太子も、まさに以心伝心というか、阿吽の呼吸で伝わっていたんでしょうね。美しい話です。
ケンシロウ こんにちは。
手紙紛失の件は以前にお聞きしたのでおkです。
ちと先走りすぎて申し訳なかったです。
いよいよ1週間後ですね。
頑張って下さいな。おいらは引越し準備を頑張ります。
さすらい こんにちは。
私も小野妹子が「失くしたことにしちゃえ」とした説
だと思います(笑)
各国文書の内容はそれぞれ異なっていたでしょうね。
報道の真実なんてなかったでしょうし(笑)
後の人々(我々)がおもしろおかしくしているから
色々な説があって興味あるものです。
次回の講義が楽しみです。
応援♪
およよのよ 有名な話ですね。
自分も妹子が嘘をついた説に賛成です。
って言うか処分軽かったんですね!
ずいぶん前法隆寺の記事を書いた時に妹子は朝鮮半島で手紙無くして官位落とされた的な話をしたんですけどあれ間違いだったんでしょうか。あわわ、どうしよう。よく調べてみます。
こみー 小野妹子は、紛失しちゃったんですね(^_^;)
初めて聞きました。。。
大変なことを・・・
でも、死罪が軽い罪になる程すごい内容だったんでしょうか・・・
管理人のみ閲覧できます
-
オバrevさんへ
黒田裕樹 > う~ん、小野妹子もなかなかやり手じゃ~!
> まあ、もし妹子が脳天気なB型・・・私と同じ(T_T)・・・だったとしても、さすがに不注意でなくすことはないです。
聖徳太子の代役を務められるほどの逸材である妹子が「不注意」なんて、考えられませんからね。
> 推古天皇も聖徳太子も、まさに以心伝心というか、阿吽の呼吸で伝わっていたんでしょうね。美しい話です。
推古天皇も聖徳太子もこういう結果を予測していて「見せられない国書なら失くせ」と事前に言ったのか、あるいは小野妹子のとっさの行動の「真意」をすぐに察したか…。いずれにせよ見事な連係プレーですね(^o^)丿
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 > 手紙紛失の件は以前にお聞きしたのでおkです。
> ちと先走りすぎて申し訳なかったです。
いえいえ、むしろ「先見の明」をお持ちでいらっしゃると思いますよ。
> いよいよ1週間後ですね。
> 頑張って下さいな。おいらは引越し準備を頑張ります。
有難うございます。お互い頑張りましょう!(^^♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 各国文書の内容はそれぞれ異なっていたでしょうね。
> 報道の真実なんてなかったでしょうし(笑)
当時はマスコミなんて存在しませんからね(笑)。
> 後の人々(我々)がおもしろおかしくしているから
> 色々な説があって興味あるものです。
そうですね。
明日の「もうひとつの国書」も評価が分かれるところだと思います。
> 次回の講義が楽しみです。
> 応援♪
有難うございます!\(^o^)/
およよのよさんへ
黒田裕樹 > って言うか処分軽かったんですね!
> ずいぶん前法隆寺の記事を書いた時に妹子は朝鮮半島で手紙無くして官位落とされた的な話をしたんですけどあれ間違いだったんでしょうか。あわわ、どうしよう。よく調べてみます。
当初は流刑だったんですが、推古天皇が気を利かせてすぐに都に戻しているんです。本来なら重罪のところを放免したわけですから、「軽い刑罰」という表現にしました。
小野妹子はこの後大出世している訳ですから、ある意味「すべては打ち合わせ」の出来事だったのかもしれませんね。
だとすれば、隋は我が国からの国書を黙って受け取るしか方法がありませんが、その行為は我が国が隋と対等外交を結ぶことを事実上認めることを意味しました。
聖徳太子は、遣隋使を送る以前から朝鮮半島をめぐる情勢や、隋の現状などを徹底的に調査し続けたことで、東アジアの正確な国際情勢をつかんでいました。
その結果、隋が我が国を攻める可能性がゼロに等しいことを見越した上で、対等外交を一方的に宣言した国書を隋に送りつけたのです。いうなれば聖徳太子の完全な作戦勝ちでした。
煬帝も愚かではありませんから、聖徳太子の作戦が理解できて、自分に対等外交を認める選択しか残されていないことが分かったからこそ、より以上に激怒したのかもしれませんね。



いつも有難うございます。
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のらねこみゅー 授業では表面的なことしか習っていなかったので・・・・・
いろんな思惑があったのですね~勉強になります^v^
のらねこみゅーさんへ
黒田裕樹 教科書は紙面や時間にどうしても限りがある以上仕方ないんですが、本当の意味で理解するのには向いていないんですよね。
まぁ、受験重視の傾向からすればどうしようもないのかもしれませんが…。
この講座では、今回のような普段は取り上げられないような興味ある話については、特に重視していきたいと考えておりますので、今後とも宜しくお願いします。
会心の勝利
オバrev すばらしい!まさに聖徳太子、会心の勝利ですね(^^)/
ナポレオンというトランプゲームがありますが、苦しい手札ながらも、すべて自分の思い通り、作戦通りに進んで、見事に勝利したときの気分?
煬帝も、怒り心頭だったけど、小野妹子はそのまま帰すしかなかったんでしょうね。
ヒロキ 聖徳太子の完全勝利ですね!
ここまで上手くいくと気持ちが良さそうですね(*^_^*)
この時代の情報収集能力の高さはすごいんですね^^;
ぴーち こんばんは!
そうだったんですか。
やはり地味な聞き込み調査や、時には
長時間の張り込み。雨の中でもずぶ濡れになりながら、
アンパンをかじり牛乳を飲んで、ひたすら相手の動きを監視する姿勢・・・?!
という地道な苦労がやがて、実を結ぶ時が来るんですね!作戦はやはり根気よく練るものなんですね~^^
それでは、応援凸
また、お邪魔します^^
オバrevさんへ
黒田裕樹 > すばらしい!まさに聖徳太子、会心の勝利ですね(^^)/
そのとおりです。煬帝が国書を受け取ったときが、聖徳太子がまさに我が国の歴史を変えた瞬間でもありました。
> ナポレオンというトランプゲームがありますが、苦しい手札ながらも、すべて自分の思い通り、作戦通りに進んで、見事に勝利したときの気分?
手札が苦しいだけでなく、副官が「一人相撲」で勝利したような感じでしょうか?(笑)
> 煬帝も、怒り心頭だったけど、小野妹子はそのまま帰すしかなかったんでしょうね。
外国からの使者に危害を加えることはそのまま宣戦布告になりますからね。煬帝にとっては悔しくても無傷で返すしかない訳です。
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > 聖徳太子の完全勝利ですね!
> ここまで上手くいくと気持ちが良さそうですね(*^_^*)
聖徳太子はもちろん、現場にいた「男性の」小野妹子さんも最高の気分だったことでしょう(笑)。
> この時代の情報収集能力の高さはすごいんですね^^;
情報量の多寡がそのまま外交につながりますからね。現代ではどうなんでしょうかねぇ…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > やはり地味な聞き込み調査や、時には
> 長時間の張り込み。雨の中でもずぶ濡れになりながら、
> アンパンをかじり牛乳を飲んで、ひたすら相手の動きを監視する姿勢・・・?!
> という地道な苦労がやがて、実を結ぶ時が来るんですね!作戦はやはり根気よく練るものなんですね~^^
具体的な「地道な努力」ですね(笑)。
まさに仰るとおりです。
今日も応援有難うございます!
さすらい こんばんは。
遅くなりました。
煬帝もまた歴史を読み切れなかったのでしょうか。
過去の皇帝政治から学びとれれば
もっとうまく自国をまとめる方法があったのでしょうが
そこをうまく聖徳太子が突いたなんて
我が国の方が「その時歴史が動いた」だったんですね。
応援です♪
えめる 外交手腕に長けていた人物。
聖徳太子のイメージが、私の中で新しくなりました。
有り難うございます。
さらに、我が国が島国であるために、攻めようとすれば多数の大きな船が必要になるなど、多額の出費がかさむことも十分予測できました。
そんな状況の中で、無理をして我が国へ攻め込もうとしても、もし失敗すれば国家の存亡にかかわるダメージを与えかねないことが、煬帝をためらわせました。
それに加えて、我が国が高句麗や百済と同盟を結んでいることが、煬帝には大きな足かせになっていました。隋が我が国を攻めようとすれば、同盟国である高句麗や百済がまず黙っていません。
それどころか、逆に三国が連合して隋に攻め寄せる可能性も考えられますし、そうなればいかに大国隋といえども、苦しい戦いになることは目に見えていました。



いつも有難うございます。
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ヒロキ なるほど!
日本を攻めようにも、島国だから軍を送るにもリスクが高いから簡単には攻めることが出来ないんですね!
いくら隋とはいえど、3つの国が手を組んで攻められたらひとたまりもないですね(*^_^*)
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > 日本を攻めようにも、島国だから軍を送るにもリスクが高いから簡単には攻めることが出来ないんですね!
そうなんです。6~7世紀の頃は、島国というだけでかなり恵まれていたんですよね。
> いくら隋とはいえど、3つの国が手を組んで攻められたらひとたまりもないですね(*^_^*)
どんな強敵でも三人がかりなら互角かそれ以上といわれていますね。例えば剣術とか…。
ぴーち こんばんは!
やはり日本は周囲が海に囲まれているので、
その点、攻め込むのには困難を要するわけですね。
それに、丁度、高句麗と百済と同盟
を組んでいるので、将棋やオセロのように
挟まれて、四面楚歌状態になるわけですね。
応援凸
また、お邪魔させてくださいね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > やはり日本は周囲が海に囲まれているので、
> その点、攻め込むのには困難を要するわけですね。
そのとおりです。まさか泳いで渡るわけにもいきませんからね。
船を用意するだけで莫大な費用がかかってしまいますから、もし失敗すれば…ですね。
> それに、丁度、高句麗と百済と同盟
> を組んでいるので、将棋やオセロのように
> 挟まれて、四面楚歌状態になるわけですね。
「将棋」や「オセロ」は思いつきませんでした(笑)。
仰るとおり、周りを囲まれてしまっては、まさに「四面楚歌」状態ですね。
いつも有難うございます!
島国は温室?
オバrev でた~!島国防御最強伝説(^^)/?
島国のおかげか、第二次世界大戦直後を除き、日本は外国に支配されることがなかったですよね・・・でもひょっとして今、アメリカに支配されているような気もするけど?
こう見ると、常に他国から攻められる危険性のある中国大陸や朝鮮半島に比べて、日本は温室みたいなもんですね。
これは、メリット、デメリット両方あると思います。
けん爺ちゃん こんばんは(^ワ^)
夜勤明けで変な時間ですが、遊びに来ました☆
倭は、高句麗とも同盟を結んでたんですね!
広開土王のイメージで、対立しているとばっかり…
勉強になりました。
当時の北東アジアの政治情勢上、隋という大国に
対する備えとして、中小諸国連合的な動きがあったと
いう事ですか?
海は、ありがたい防壁ですね(-人-)
オバrevさんへ
黒田裕樹 > でた~!島国防御最強伝説(^^)/?
そうです(笑)。今回はこの伝説(?)についても取り上げております。
> 島国のおかげか、第二次世界大戦直後を除き、日本は外国に支配されることがなかったですよね・・・でもひょっとして今、アメリカに支配されているような気もするけど?
これだけ世の中が複雑になると、何を以って「支配されている」のか、判断の難しいところですね。
> こう見ると、常に他国から攻められる危険性のある中国大陸や朝鮮半島に比べて、日本は温室みたいなもんですね。
> これは、メリット、デメリット両方あると思います。
私もそう思います。
以前に江戸時代まで特別講座で取り上げたように、この問題は非常に幅が広いです。仰ったメリット・デメリットについてお答えできるか分かりませんが、27日の講座でも一部取り上げることになると思います。
けん爺ちゃんさんへ
黒田裕樹 > こんばんは(^ワ^)
> 夜勤明けで変な時間ですが、遊びに来ました☆
いえいえ、何時でも歓迎しますよ。当方がコメントするのが遅くなってしまった場合は申し訳ないですが…。
> 倭は、高句麗とも同盟を結んでたんですね!
> 広開土王のイメージで、対立しているとばっかり…
> 勉強になりました。
6世紀頃から我が国と高句麗は急接近します。その背景のひとつに「隋による統一」があるわけです。
> 当時の北東アジアの政治情勢上、隋という大国に
> 対する備えとして、中小諸国連合的な動きがあったと
> いう事ですか?
まさにそのとおりです。人間の世界と同じですね。
> 海は、ありがたい防壁ですね(-人-)
この当時はまだまだメリットの方が大きかったですからね。
ひるがえって現代は…。
隋は大陸統一後に、朝鮮半島にある隣国の高句麗と激しく戦いました。一度は隋の猛攻を跳ね返した高句麗でしたが、いつまた隋が攻め寄せてくるか分かりません。
そこで、高句麗は隋に勝ったにもかかわらず、その後はひたすら低姿勢を貫き、屈辱的な言葉を並べて許してもらおうとする朝貢外交を展開しました。
高句麗でさえこの態度だというのに、対等な関係を求めるという、ひとつ間違えれば我が国に対して隋が攻め寄せる口実を与えかねない危険な国書を送りつけた聖徳太子には、果たして勝算があったのでしょうか。それとも、あまりにも無謀な作戦だったのでしょうか。
結論を先に言えば、当時の隋には、我が国に攻め寄せる余裕が実は全くといっていいほどなかったのです。



いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!今日は早目にお邪魔させていただきました^^
いつもありがとうございます!
聖徳太子の事ですから、やはり勝算する見込みが
十分にあったからこその作戦だったのではないでしょうか。
それと、勝手な推測ですが、我が国は海に囲まれた国ですので、その辺りで隋も攻め入るのには難しかったのでしょうかね?それとも、隋は全く違う方にどこかの驚異を感じていたのかしら。。
余裕が無かったというのは、財政面の事か、それとも・・?
それでは、応援です凸
ヒロキ 聖徳太子は「隋は攻めてこないだろう」って考えていたんですかね。
情報がしっかりしていないとこんな危険な賭けは出来ないですよねー。
隋は高句麗に一度負けているから、高句麗が朝貢外交をしているからといって油断が出来なかったのですかね(>_<)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 聖徳太子の事ですから、やはり勝算する見込みが
> 十分にあったからこその作戦だったのではないでしょうか。
結論としては仰るとおりです。その内容については明日をお楽しみに(^^♪
> それと、勝手な推測ですが、、その辺りで隋も攻め入るのには難しかったのでしょうかね?それとも、隋は全く違う方にどこかの驚異を感じていたのかしら。。
> 余裕が無かったというのは、財政面の事か、それとも・・?
「我が国は海に囲まれた国ですので」。鋭いですね。4月の大阪での講座でも少し紹介しましたね。
余裕がないのは、財政面ももちろんですが、それよりも…。
繰り返しになりますが、明日の更新までしばらくお待ち下さいm(_ _)m
いつも有難うございます!\(^o^)/
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > 聖徳太子は「隋は攻めてこないだろう」って考えていたんですかね。
> 情報がしっかりしていないとこんな危険な賭けは出来ないですよねー。
今も昔も情報は大切です。聖徳太子の真髄もそこにありますよ(^^♪
> 隋は高句麗に一度負けているから、高句麗が朝貢外交をしているからといって油断が出来なかったのですかね(>_<)
高句麗と我が国とでは陸続きかそうでないかという大きな違いがあります。でも、それ以上に大事なことは「相手になめられない」ことなのです。
内政の混乱か
オバrev なるほど~、そういう情報を聖徳太子は掴んでいたんですね。
その情報は、内乱というか内政が混乱していた?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > その情報は、内乱というか内政が混乱していた?
相変わらず核心を突くご指摘ですね(^^ゞ
内政はもちろん、もうひとつの方は…?
今の段階ではっきりいえることは、本人の能力は別にして、聖徳太子と煬帝とでは為政者としてどれだけの違いがあるか、ということに尽きると思います。
さすらい こんばんは。
まあ、暴君は栄えず、ということですねえ。
次回、「その時歴史が動いた」ですね(笑)
楽しみにしています。
応援♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 コメント&応援有難うございます(^^♪
> まあ、暴君は栄えず、ということですねえ。
煬帝のことですね。実際に隋は彼の代で…おっと、話が先走りすぎました(笑)。
> 次回、「その時歴史が動いた」ですね(笑)
> 楽しみにしています。
ありますね、そういう番組が。
スケールはまったく違いますが、目指していいかもしれません(!?)
コメント消えてしまいました
h.hamauzu ご無沙汰しています。またも書いたコメント消してしまいました。
ここ数日分一気に読みましたが、今日のを読んでやはり一言!
「続きが気になって仕方がないじゃないか~」w
あ、こちらもリンクはらせて頂きます。
よろしくお願いします
h.hamauzuさんへ
黒田裕樹 > ご無沙汰しています。またも書いたコメント消してしまいました。
お久しぶりです。ハプニングにもかかわらず、コメントして下さりうれしく思います。
> ここ数日分一気に読みましたが、今日のを読んでやはり一言!
> 「続きが気になって仕方がないじゃないか~」w
「通史」というだけあって「続き物」ですので(笑)。
冗談はともかく、またお時間ができましたら、是非お越し下さい(^^♪
> あ、こちらもリンクはらせて頂きます。
> よろしくお願いします
ご快諾有難うございます。
こちらこそ宜しくお願い致しますm(_ _)m
今から2200年以上前に中国大陸を史上初めて統一した秦(しん)の王(おう)であった政(せい)は、各地の王を支配する唯一(ゆいいつ)の存在として「皇帝」という称号の使用を始め、自らは最初の皇帝ということで「始皇帝」(しこうてい)と名乗りました。
これが慣例となって、大陸の支配者が変わるたびに自らを「皇帝」と称し、各地の有力者を「王」に任命するという構図が完成しました。そして、この構図は大陸周辺の諸外国にも「強制」させることになったのです。
例えば、57年に奴国(なこく)が後漢に使者を送った際には「漢委奴国王」(かんのわのなこくおう)という金印を授かっていますし、邪馬台国(やまたいこく)の女王である卑弥呼(ひみこ)は、魏(ぎ)から「親魏倭王」(しんぎわおう)の称号を授けられています。5世紀の「倭の五王」も、中国の歴史書には「倭王」と書かれていますね。
これは、我が国の支配者が中国の権威に勝てずに、その臣下(しんか)となって許してもらうようにお願いするという、いわゆる朝貢外交(ちょうこうがいこう)を意味しました。独立国である我が国、そして朝廷にとっては、こんな屈辱的(くつじょくてき)な話はありません。
聖徳太子は、中国大陸の支配者が替わったのを機会に、これまでとは違う態度で、すなわち「『皇帝→天皇』と名乗れるのは我が国も同じだ」という強い意思で、対等な関係の外交に臨(のぞ)む姿勢を「天子」という言葉に示したのでした。



いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
まだまだ人間社会は未熟のようで
世界の権力者は
それぞれ「お山の大将」だったんですねえ。
あ、今も未熟ですがね(笑)
応援♪
管理人のみ閲覧できます
-
さすらいさんへ
黒田裕樹 > まだまだ人間社会は未熟のようで
> 世界の権力者は
> それぞれ「お山の大将」だったんですねえ。
> あ、今も未熟ですがね(笑)
仰るとおりでして、なかなか「成熟した権力者」というのにはお目にかかれませんね…。
期待する方が無理なのでしょうか?
いつも有難うございます!
ぴーち こんばんは!まずは、記事総数100回目
記念。おめでとうございます

以前にも書かせていただきましたが、黒田さんの記事は
相手の目線に立った分かりやすい解説で
本当に助かります。
これからも、応援させてくださいね^^
昨日、宮崎康平という島原出身の古代研究者の方の映画を鑑賞しました。そこで卑弥呼の話が登場しまして、卑弥呼の名前の由来は干潟の女王という言う事をはじめて知りました。彼は九州に卑弥呼の墓があると主張していましたが、最近、奈良の方のお墓の新説が有力視されているようですね。これは決定的な説なんでしょうか・・。
あ、すみません、話がつい脱線してしまいまして^^;
天子の意味、よく理解出来ました!
ありがとうございます^^
では、また、お邪魔しますね~
凸済みっ♪
ヒロキ 100回目おめでとうございます♪
確かに朝貢外交っていうと屈辱的ですが、貿易的にはものすごくお得ですよね(*^_^*)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!まずは、記事総数100回目
> 記念。おめでとうございます

有難うございます!(^o^)丿
> 以前にも書かせていただきましたが、黒田さんの記事は
> 相手の目線に立った分かりやすい解説で
> 本当に助かります。
> これからも、応援させてくださいね^^
過分のお言葉、恐縮です。これからも分かりやすい講座を心がけたいと思います。
> 昨日、宮崎康平という島原出身の古代研究者の方の映画を鑑賞しました。そこで卑弥呼の話が登場しまして、卑弥呼の名前の由来は干潟の女王という言う事をはじめて知りました。彼は九州に卑弥呼の墓があると主張していましたが、最近、奈良の方のお墓の新説が有力視されているようですね。これは決定的な説なんでしょうか・・。
古代は決定的な根拠というのがなかなか存在しませんから、数々の説があります。卑弥呼については、箸墓古墳がいつ造られたかについての新説が出ましたが、まだ決定的とはいえないと思います。ちなみに、私は邪馬台国=大和説を考えております。
> あ、すみません、話がつい脱線してしまいまして^^;
> 天子の意味、よく理解出来ました!
> ありがとうございます^^
いえいえ、どういたしまして。
また宜しくお願いしますm(_ _)m
おめでとうございます
オバrev 歴史講座100回目 おめでとうございます。
また、1つ1つの記事もすばらしいです。
とても分かりやすくて面白いです。
秦の始皇帝、漢委奴国王の意味よ~く分かりました。こういうのって、人に言いたくなる知識ですね(^^;)
しかし、聖徳太子に本当に勝算があったのか、やけくそだったのか、その辺はどうだったのでしょうか?
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > 100回目おめでとうございます♪
有難うございます!(^_^)v
> 確かに朝貢外交っていうと屈辱的ですが、貿易的にはものすごくお得ですよね(*^_^*)
そうなんですよね。朝貢外交は屈辱的な反面、「進んだ国が遅れた国に手ほどきをする」立場になりますので、朝貢する側はいわば「もらいっぱなし」で、ほとんど何もしなくても良いんです。
しかし、中世の一時期を除いて我が国は、いかにお得であろうと独立国のプライドをかけて、あえて対等の関係をめざしています。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 歴史講座100回目 おめでとうございます。
> また、1つ1つの記事もすばらしいです。
> とても分かりやすくて面白いです。
有難うございます。いただいた一つ一つの言葉が、とても励みになります!(^o^)丿
> 秦の始皇帝、漢委奴国王の意味よ~く分かりました。こういうのって、人に言いたくなる知識ですね(^^;)
そうですね。宜しければ、どんどん仰って下さい!(^^♪
> しかし、聖徳太子に本当に勝算があったのか、やけくそだったのか、その辺はどうだったのでしょうか?
鋭い質問ですね(笑)。数日中には答えが出ると思いますので、今後の更新にご期待下さい!
祝100回
tycoont 黒田裕樹さん、こんにちは

100回おめでとうございます。色付きの文字

歴史を観る視点、文章の読みやすさどれをとっても
通史を振り返るのにとても勉強になります

これからも、頑張ってください

応援です
「日出(ひい)ずる処(ところ)の天子(てんし)、書(しょ)を日没(ひぼっ)する処の天子に致(いた)す。恙無きや(つつがなきや=お元気ですか、という意味)」。
一見すると、「日出ずる」と「日没する」に問題があるような感じがしますね。「日の出の勢い」に対して「日が没するように滅び行く」とは何事か、という意味に取れなくもありません。
しかし、この場合の「日の出」と「日没」は、単なる方角として使われただけです。すなわち「日の出」が東、「日没」が西という意味であり、煬帝が激怒した理由は別にあります。
それは「天子」という言葉です。天子とは中国では皇帝、我が国では天皇を意味する君主の称号ですが、この言葉を隋に対して格下の(と思っていた)我が国が使ってくるとは、予想もしていなかったのです。
なぜなら、中国の考えでは「皇帝」というのは世界で一人しか存在してはいけないことになっているからなのです。



お蔭様でカウンターが3000を突破しました! いつも有難うございます!
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さすらい こんばんは。
古今東西、「わしが一番じゃあ」という
権力者は多いですよね。
「天子」のこだわりより
「天使」の優しさが欲しいものです(笑)
応援♪
海豚 へぇ、「天子」の意味やっと知りました・・・(そこかよww
実は今・・・。
三国志読んでるんですけど・・・
なかなかわからない言葉ばっかりで・・・。
ヒロキ 中国を「中華」、その周辺の国はそれぞれ「東夷」「北狄」「西戎」「南蛮」と呼ぶんですよねー。
「東夷」は日本の事を表してるから中国と日本の立場を同じ「天子」とされたのが気に食わなかったそうで・・・。
本来なら「中国」対「日本」になりそうな感じですが、当時の情勢だと日本にかまってられないのが本音だったんですね!
聖徳太子はこのことも「読んで」いたんですかね??
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 古今東西、「わしが一番じゃあ」という
> 権力者は多いですよね。
権力者のほとんどは自分の地位にしがみつこうとしますからね。
実力のない人間は尚更、ということで(笑)。
聖徳太子のように実力も兼ね備えた人物は別ですが。
> 「天子」のこだわりより
> 「天使」の優しさが欲しいものです(笑)
座布団1枚(失礼)!
今日もさえていらっしゃいますね(^^♪
海豚さんへ
黒田裕樹 > へぇ、「天子」の意味やっと知りました・・・(そこかよww
そうですか…。大事なことなのに学校では教えてないんですね。
だから最近の歴史教育は(ry
> 実は今・・・。
> 三国志読んでるんですけど・・・
> なかなかわからない言葉ばっかりで・・・。
おっ、三国志デビューですか(^o^)丿
難しい言葉を調べて理解できれば、さらに知識が増えますよ。
頑張りましょう!
もし分からないことがあれば、講座と無関係でもコメしてOKですよ(^^♪
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > 中国を「中華」、その周辺の国はそれぞれ「東夷」「北狄」「西戎」「南蛮」と呼ぶんですよねー。
> 「東夷」は日本の事を表してるから中国と日本の立場を同じ「天子」とされたのが気に食わなかったそうで・・・。
そのとおりです。「世界の中心は自分ひとり。それを他人が名乗るのはもってのほか」という怒りの感情ですね。
> 本来なら「中国」対「日本」になりそうな感じですが、当時の情勢だと日本にかまってられないのが本音だったんですね!
> 聖徳太子はこのことも「読んで」いたんですかね??
相変わらず鋭いですね(^^ゞ
果たしてヒロキさんの推察どおりか……これから先もお楽しみに!
tycoont 黒田裕樹さん、こんにちは

なるほど


あと、3000アクセス、おめでとうございます

これからも応援してます

えめる おお、そうであったか。
全く、わがままなお人だにゃ……。
bunyan こんばんは☆
天子というのは水滸伝にも出てくるくらいだから、煬帝が激怒したのもうなずけます。
でも皇帝は世界に一人だけというのは少し違うような気がします。
ヨーロッパにも皇帝は存在してたのでは?
tycoontさんへ
黒田裕樹 > なるほど


そのとおりです。中国における「天子=皇帝」の定義については、次回以降の講座で詳しく説明しますね。
> あと、3000アクセス、おめでとうございます

> これからも応援してます

有難うございます!(^o^)丿
「何だ、この失礼な物言いは!」
あまりの怒りに隋の外交官たちが震え上がる一方で、我が国からの使者である小野妹子(おののいもこ)は涼しい顔をしていました。
「こんな無礼な蕃夷(ばんい=野蛮という意味)の書は、今後は自分に見せるな!」
煬帝の怒りは収まらず、周囲にこう言い放つと、そのまま立ち去らんとする勢いでした。さて、煬帝をここまで激怒させた国書の内容とは、どのようなものだったのでしょうか。
「日出(ひい)ずる処(ところ)の天子(てんし)、書(しょ)を日没(ひぼっ)する処の天子に致(いた)す。恙無きや(つつがなきや=お元気ですか、という意味)」。
皆さんは、煬帝を怒らせたのは国書のどの部分だと思いますか?



いつも有難うございます。
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えめる 日本が日の出、自国を日の沈む国との記述、
それを国の勢いに例えて考えたからでしょうか?
親善大使
tycoont 黒田裕樹さん、こんにちは

もちろん
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子致す。」の部分

大国中国にこんな無礼な言い方すれば、怒るでしょう

しかも、「恙無きや」ですからね

聖徳太子も小野妹子を遣る際、相当な賭けをしたんだと思います

しかし、聖徳太子のすごいところは、朝鮮を通さず直接隋と交流し
、表向き「文化交流」(親善大使)という位置づけで行ったことですかね

煬帝も「正式な外交」ならタダじゃ置かないが、「文化交流」なら
許してやるか~、ってな感じですかね

えめるさんへ
黒田裕樹 > 日本が日の出、自国を日の沈む国との記述、
> それを国の勢いに例えて考えたからでしょうか?
仰ることも良く分かりますが、果たして…。
明日の更新をお待ち下さい。
tycoontさんへ
黒田裕樹 > もちろん
> 「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子致す。」の部分

> 大国中国にこんな無礼な言い方すれば、怒るでしょう

> しかも、「恙無きや」ですからね

「恙無きや」は相当くだけた表現ですからね。でも一番怒らせたのは…。
> 聖徳太子も小野妹子を遣る際、相当な賭けをしたんだと思います

そうですね。これだけの大仕事で自分の代わりを務められる人材はそういません。冠位十二階の制度が生かされてますね。
> しかし、聖徳太子のすごいところは、朝鮮を通さず直接隋と交流し
> 、表向き「文化交流」(親善大使)という位置づけで行ったことですかね

> 煬帝も「正式な外交」ならタダじゃ置かないが、「文化交流」なら
> 許してやるか~、ってな感じですかね

後日書きますが、文化交流は確かに行われています。ただ、それでもカバーしきれないほどの怒りを買った「ある言葉」があったんですよね…。
ケンシロウ こんにちは。
ご無沙汰しております ペコリ(o_ _)o))
講義まであと2週間ですね。
延期になったのでしっかり準備は整っていると思います。
おいらは行けませんが頑張って下さいね。
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 講座への励ましのお言葉有難うございます。
あと2週間ですが、しっかりと準備をして頑張りたいと思います!
ぴーち こんばんは!
皆さん、素晴らしい回答ばかりで
私の出る幕はありませんが。(汗
あくまで私の単純な推測ですが、
「日出ずる処の天子」と自分を煬帝よりも
上であるという表現をあえてしたことに
怒りを感じたのかも知れないかなと思いますが
どうでしょうかね・・・^^
それと前回のお返事に私の記事リンクをわざわざ貼ってくださいまして、恐縮しております,・・というか、蛇足な事ばかり書いてしまいすみません^^;
そう云いつつ、私も言葉のキャッチボールは好きですので、また、ご面倒でもたまには遊びにお付き合いくだされば、ありがたく存じます^^
それでは、応援です凸
およよのよ 朝鮮討伐でこっちに手が回らないのを良い事に挑発的な文章を送るとは卑怯ですね(笑)
でもいつまでも中国にへこへこ頭を下げているのはいけないと聖徳太子は判断したのかもしれませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > あくまで私の単純な推測ですが、
> 「日出ずる処の天子」と自分を煬帝よりも
> 上であるという表現をあえてしたことに
> 怒りを感じたのかも知れないかなと思いますが
> どうでしょうかね・・・^^
「日出ずる天子」と「日没する天子」の違いですね。目の付け所は悪くないんですが…。
明日の更新をお待ち下さいm(_ _)m
> それと前回のお返事に私の記事リンクをわざわざ貼ってくださいまして、恐縮しております,・・というか、蛇足な事ばかり書いてしまいすみません^^;
いえいえ、私が長々とコメするよりもその方が分かりやすいかな、と思っただけですので。
「勝手に引用していいのかな」と考えていたので、ぴーちさんのお言葉にほっとしました。
> そう云いつつ、私も言葉のキャッチボールは好きですので、また、ご面倒でもたまには遊びにお付き合いくだされば、ありがたく存じます^^
こちらこそ宜しくお願いします!\(^o^)/
およよのよさんへ
黒田裕樹 > 朝鮮討伐でこっちに手が回らないのを良い事に挑発的な文章を送るとは卑怯ですね(笑)
確かに卑怯かも(笑)。でも、綺麗事だけでは外交が務まらないのも事実ですからね。
> でもいつまでも中国にへこへこ頭を下げているのはいけないと聖徳太子は判断したのかもしれませんね。
仰るとおりだと思います。だからこその「卑怯」なんですよね。