また、大伴(おおとも)や物部(もののべ)、あるいは中臣(なかとみ)のように武力など特定の能力を持った有力豪族には連(むらじ)が与えられ、筑紫(つくし)や毛野(けの)などの地方の有力豪族には君(きみ)が、それ以外の一般地方豪族には直(あたえ)が与えられました。
中央の政治は、臣や連の姓をもつ豪族から有力な者が大臣(おおおみ)や大連(おおむらじ)として選ばれ、彼らを中心として進められました。
一方、地方の豪族からは、国造(くにのみやつこ)や県主(あがたぬし)などの地位が与えられ、それぞれの地方の行政を担当しました。



お蔭様でカウンターが2000を突破しました! いつも有難うございます!
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オバrev 大化の改新ころ蘇我入鹿とか出てきてたと思うのですが・・・ウン十年前の記憶 ^^;
あと物部氏とか大伴家持とか中臣鎌足とか出てきた記憶も・・・。
豪族達は皆さん姓をもってたんですね。
ところで、氏はそれぞれ名前がついてたんですか?
中臣鎌足は何氏に属しているとかあったんでしょうか??
承 なかなか大変ですが、skypeのおかげでさびしさは感じませんw
甲子園にそんな選手が実在したんですか!?笑
ヒロキ 日本史でいつも思うのですが、
読み方が独特ですよね^^;国造もそうですが人名などww
誰がそう読んだのですかね・・・。。
さすらい こんばんは。
名前をたどっていくと面白いですよね。
歴史上、潰された一族も
残っていれば多彩な名前があったでしょうね。
2000ヒットおめでとうございます。
これからも楽しみにしています。
プロフ、きっちり載せられたのですね。
凛々しく格好いいです!
応援♪
えめる 自分の苗字のルーツをたどると、
もしかして何かいいこと(?)が分かるのでしょうか。
せ、せんせいっ。写真!公開ですね。すてきです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 蘇我入鹿も、物部氏(物部守屋)も、大伴家持も、中臣鎌足も有名な歴史上の人物ですね。これから私の講座でもとりあげる予定です。
仰るとおり、それぞれ「○○氏」と呼ばれる一族に属しています。
中臣鎌足も、もともとは「中臣氏」の一員でした。彼が死ぬ直前に当時の天智天皇から与えられた姓の一族が、その後の我が国の歴史をになっていくことになりますね。
承さんへ
黒田裕樹 コメント有難うございます。逆境に負けずに頑張って下さいね。
甲子園の選手については、承さんのブログにコメントさせていただきましたm(_ _)m
ヒロキさんへ
黒田裕樹 読み方が独特なのは、本来我が国にあった「大和言葉(やまとことば)」に、外国から伝わった漢字の音を無理やり当てはめたからだと考えられています。
でも、その「当てはめ」から、やがて漢字の訓読みや、ひらがな・カタカナが用いられるきっかけにもなるのですから、歴史は面白いですよね。
さすらいさんへ
黒田裕樹 そうですね。長い歴史の中で埋もれてしまった一族も多いですから、名前の種類は現代よりもはるかに多かった可能性もあると思います。
> 2000ヒットおめでとうございます。
> これからも楽しみにしています
有難うございます。2000ヒットとブログ開始からちょうど2ヶ月経ったのを機に、自分のプロフを公開することにしました。これからも自分の文章に責任を持てる内容を目指しますので、宜しくお願いします。
えめるさんへ
黒田裕樹 皆さんそれそれの苗字に歴史がありますから、たどっていくと何か興味を持てることが見つかるかもしれませんね。
2000ヒットとブログ開始2ヶ月を機にプロフを公開することにしました。過分のお言葉、恐縮です(^^ゞ