これらは、家族墓(かぞくぼ)的な性格をもつようになったことによって葬送儀礼(そうそうぎれい)も変化し、副葬品も、それまでの故人の権威を示すという意味から、故人の生前の思いが込められた内容に変化していったことをあらわしています。
また後期の古墳には、九州地方を中心に、古墳内部の壁や石棺(せっかん)に朱色などの顔料を用いた彩色壁画(さいしきへきが)が描かれた装飾古墳(そうしょくこふん)がみられるようになり、古墳の地域による違いがはっきりしてきました。
これらの古墳の変化が定着することにより、やがて権威の象徴としての古墳は意味をなさなくなりました。そして、7世紀半ばには墳墓の大きさが制限され、古墳文化は終焉(しゅうえん)を迎えたのでした。




いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
そうなんですか。
また勉強になりました。
何でもカンでも埋葬すりゃあいい
ってもんじゃないですよね(笑)
故人の権威もなくなれば
古墳の意味合いも変わりますよね。
応援♪
こんにちは
ことぶきのこめや この狭い国土で、古墳が作り続けられたら、お墓で埋まってしまいますから、終焉してくれたよかったです(笑)
このような流れで古墳時代が変遷していったというのは、あまり意識したことがなかったので、勉強になりました。
壁画については、世界中でそうですが、紙のない時代に、なんであんなに上手に、同じような絵が描けたのかが不思議です。
ヒロキ なるほど、もうこの時点で葬送儀礼というのは今のような意味合いになってきたんですね(*^_^*)
装飾古墳というのは、高松塚古墳やキトラ古墳のことでしょうか??
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bunyan こんばんは♪
訪問&コメントありがとうございました。
私はランキングは気にならないけど、拍手の数は気になります(*^_^*)
歴史講座が近づいてきましたね。
準備に大変でしょうが頑張ってください。
こみー 古墳は最後は権威の象徴では無くなってたんですか・・・
それにしても、大きさに制限があったなんて・・・驚きです(^_^;)
さすらい様
黒田裕樹 古墳に限ったことではないですが、いつのまにか当初の意志とは全く異なる方向へ物事が進むことがありますよね。
そうなった場合、大抵は当初の役割を終えてしまうものなんです。古墳も例外ではなかった、ということですね。
今回も有難うございます♪
ことぶきのこめや様
黒田裕樹 > この狭い国土で、古墳が作り続けられたら、お墓で埋まってしまいますから、終焉してくれたよかったです(笑)
その発想はなかったです(笑)。こちらこそ勉強になりました(^^♪
> 壁画については、世界中でそうですが、紙のない時代に、なんであんなに上手に、同じような絵が描けたのかが不思議です。
確かにそうですよね。紙がない分、趣味の少ない時代ですから、平らな場所であればどこにでも書いているうちに上達したのでしょうか?
ヒロキ様
黒田裕樹 葬送儀礼の変化は、副葬品の違いで分かる訳です。故人の思い出の品を棺に入れる習慣は、現代でも同じですよね。
高松塚古墳もキトラ古墳も壁画で有名ですから、仲間に入りますね。壁画はカビやすいから保存が大変ですよね…。
bunyan様
黒田裕樹 拍手も大切ですよね。私も忘れないように押さないと…。
歴史講座ですが、実は…。明日には結論を出しますね。