一方、北方の高句麗(こうくり)も、半島南部の鉄資源や先進技術を求めて南下策を進めていました。こうして、高句麗と大和朝廷とは交戦状態となりました。
現代の中国と北朝鮮との国境付近には、6mの高さを持つ、見上げるように大きな碑(ひ)が残されています。それは高句麗の好太王碑(こうたいおうひ)です。実在した高句麗の好太王の戦績を称(たた)えた碑文(ひぶん)には、4世紀末から5世紀初めにかけての高句麗と大和朝廷との激しい戦闘の記録がつづられています。
高句麗と大和朝廷との戦いは一進一退(いっしんいったい)が続きましたが、結局大和朝廷は高句麗を滅ぼすことができませんでした。高句麗を倒せなかった一番の原因は、高句麗にはあって、大和朝廷にはないものがあったからです。
それは何だと思いますか?
※教科書によっては、任那のことを加羅(から)、あるいは加耶(かや)と書いているのもあり、同様に好太王のことを広開土王(こうかいどおう)と書いているのもありますが、この講座では上記の呼称(こしょう)で統一します。




いつも有難うございます。
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ヒロキ 高校ではただ単に大和朝廷が負けたっていったナ^^;
朝鮮半島で戦争していたから、大和朝廷は海を渡っていたわけですね。。
・・・ということは、
前回のお話にも書かせていただいた「馬」を用いていたか否かですかね??
管理人のみ閲覧できます
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ヒロキ様
黒田裕樹 教科書にはただ単に結果しか書かれていない場合が多いですからね。実際にはかなりの接戦だったんですよ。それこそ「高句麗にあって大和朝廷にないもの」がなかったら、大和朝廷が勝っていたかもしれません。
それは何か?
ヒロキ様のお考えが当たっているかどうか、明日の更新をお楽しみに!
こんばんは!
ことぶきのこめや 高句麗にあって、朝廷にないもの。。なんでしょう?
これまでにないない視点で書かれていて、非常に興味深いです!
さすらい こんばんは。
6mの高さの高句麗好太王碑!?
素晴らしい!
見てみたいです。
北朝鮮が管理しているんですか?
もう少し注目してもらいたいですね。
応援♪
栗原、やりましたね!
ぴーち こんばんは!
今日も何やら、出題形式の記事ですね^^
何でしょう・・・?
冒頭の鉄資源や先進技術に
関係することでしょうかね?
明日がまた、楽しみです^^
それでは、応援させてください!
大相撲も、近頃は色々と叩かれていますが、
取組自体は、大変見ていて面白いですよね!
アメフトよりも、あのぶつかったときの衝撃が
強いらしいですものね。迫力あります^^
ことぶきのこめや様
黒田裕樹 歴史の普通の教科書や参考書は「答えが書いてある問題集」のようなものですから、単純な暗記でしかないんですよね。
私の講座では、ご覧になる皆様が少しでも歴史に興味を持って下さるように書いているつもりですので、ことぶきのこめや様のお言葉は本当に励みになります。
有難うございます!\(^o^)/
さすらい様
黒田裕樹 好太王碑はギリギリで中国領にあるんですよ。
ですから中国が管理しています。石碑なので、風化を防ぐために大きな屋根が取り付けられていますよ。
火曜日は散々な目にあいましたから、昨日くらいはお返しさせていただかないと…。いずれにせよホッとしました(^o^)丿
いつも応援、有難うございます。
ぴーち様
黒田裕樹 私のブログでは、出題形式の記事が結構ありますよ(笑)。
皆様に少しでも歴史に興味をお持ちいただくための工夫でもあります。
ぴーち様のブログにも書かせていただきましたが、実は私は大の相撲ファンでもあります(笑)。
真剣勝負の取組は、見ているとやはり迫力が違いますね。
次回以降もお待ちしております!
戦略の差
オバrev 歴史的結果には原因があり過程があります。
そこまで分かれば歴史って面白いですよね。
高句麗との差ですか。
南北朝時代を生き抜いた経験の差で、戦略的に高句麗の方が上だった?・・・そう、まるで今の日本と同じかも。個々の技術はすばらしいのに、国家的な戦略ができてない・・・カープも同じかorz