大陸の混乱状態によって、周辺の諸民族に対する中国の影響力が弱まると、それを待っていたかのように東アジアの諸地域は次々と国家形成へと進んでいきました。
朝鮮半島では、現在の中国東北部からおこった高句麗(こうくり)が南下して、313年に中国の植民地であった楽浪郡(らくろうぐん)を滅ぼしました。
一方、南部では馬韓(ばかん)・辰韓(しんかん)・弁韓(べんかん)の3つの地方に分かれ、それぞれ小国の連合が形成されていましたが、4世紀の半ば頃には馬韓から百済(くだら)が、辰韓から新羅(しらぎ)がそれぞれおこりました。
こうして、朝鮮半島には北部に高句麗、南西部に百済、南東部に新羅の三国が成立したのです。尚、弁韓と呼ばれた朝鮮半島南部の地域は国家統一がなされず、小国分立の状態が続きました。




いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
現在の中国本土でもヨーロッパのように
国がたくさんできていても
おかしくなかったですよね。
複数の民族と地域がありますが
ヨーロッパのようにならなかった歴史は
この頃からそんな土壌が
繰り返されてきたからでしょうかね。
仰るように日本が島国でなかったら。。。
と思うと、やはり歴史は面白いですね。
今日もありがとうございます。
応援♪
歴史の流れ
オバrev なるほど~、中国が南北朝時代になって朝鮮半島が手薄になったところで、高句麗、百済、新羅の三国成立になるんですね。
となるとこのころの朝鮮の資料に日本のことが書かれているわけですね。
日本と朝鮮半島は結構交流がありましたからね。
歴史はお互いに影響し合って、流れができていくんですね。
中国はこの後、隋が統一していくんでしたっけ?
えめる なんだか懐かしいですね。
百済、新羅とか、とりあえず名前だけは覚えています。
名前だけニャ。
あの頃はよかった……(遠い日を思い出しています)
ヒロキ この頃の朝鮮半島ってけっこう複雑ですよね^^;
弁韓って、伽耶ことでしたっけ??
ケンシロウ こんにちは。
今の日本が好きなおいらは
やはり島国で良かったと考えさせられます。
↑2回目の講義が決まったようですね。
頑張って下さいね。
報道ギャング ちょうど、歴史の授業で勉強してるところです
テストも近いんでそろそろ復習でも始めようかなー、とか思ったりw
漢字の読み方が独特で手こずってますw
ぴーち こんばんは!
高句麗、百済、新羅・・・
そういえば、息子の勉強を馬鹿みたいに
お付き合いしている時に、
私の方が、勉強に夢中になり、中学程度の歴史
ですが、息子よりも、私の方が得意になって
しまった事がありましたっけ^^;
それでは、応援させてくださいね^^
また、お邪魔します。
さすらい様
黒田裕樹 中国史の話になってしまいますが、紀元前221年に秦の始皇帝が大陸を統一しなければ、中国大陸は今のヨーロッパみたいに異なる言語や文字、文化を持ついくつかの国に分裂したままであっただろうといわれています。
もしそうなら朝鮮半島ももっと早くに独立できていたでしょうし、島国である我が国もどのような影響を受けていたのか…考えると興味が尽きませんね。
応援有難うございます♪
オバrev様
黒田裕樹 はい、朝鮮半島のある「文面」に我が国に関することが書かれています。
明日あたりには登場すると思いますよ(^^ゞ
歴史は一国だけがつくるものではありませんからね。人間が一人で生きていけないようなものでしょうか。
隋の統一はまだまだ先の話です。ここでは当分の間、南北朝時代が続きますよ。