3世紀後半といえば、邪馬台国の卑弥呼(ひみこ)が亡くなる前後の頃ですね。『魏志』倭人伝によれば、彼女は鬼道(きどう)、つまり呪術的な力で国を治めていたとされていますから、前期の古墳の特徴と話の辻褄(つじつま)が合います。
尚、3世紀後半につくられたとされる奈良県桜井市にある箸墓古墳(はしはかこふん)は、全長280mの大きな古墳であり、我が国最古級の前方後円墳ですが、卑弥呼の墓ではないかとする説もあります。




いつも有難うございます。
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ヒロキ 古墳とか懐かしいなー(*^_^*)
古墳文化の中期・後期のお話も聞きたいです!!!
小さい古墳は気が付かない?
オバrev 近くに、県内最大の前方後円墳が・・・といっても全長92mとかわいいもんですが・・・あります。
古墳の周りには、埴輪が並べられ、古墳を中心に公園になってます。
広大などの調査で412年頃作られたものだと確定できたそうです。
でもこのくらいの大きさだと、何とか古墳だ!って思うんですが、小さい古墳の場合は気が付かないことがよくあります(^^;)
ケンシロウ こんにちは。
おいら地方の最大前方後円墳は
断夫山古墳
です。
bunyan こんばんは~
古代史のロマンですねー
研究者の色々な仮説が入り混じって、卑弥呼の墓も諸説あるそうですが、黒田さんはどの説をとっていらっしゃるのでしょうか。
東海・関東にも巨大古墳が発見される可能性があるのかも知りたいですね。
ヒロキ様
黒田裕樹 古墳文化の中期・後期はこれから取り上げていきますからお楽しみに!
また、前・中・後期の文化のそれぞれの違いも分かりやすく文章にする予定です(^^♪
オバrev様
黒田裕樹 小さくても古墳は古墳ですからね(^^ゞ
ただ、古墳の大きさによって、現地を支配していた豪族の実力のおおよその見当がつくとよく言われています。
広島あたりに「鯉古墳」という名前の大きな古墳があればよいのですが(笑)。
ケンシロウ様
黒田裕樹 断夫山古墳といえば熱田神宮公園ですね。
日本武尊ゆかりの古墳だったと思います。
皆様の地元のそれぞれに、歴史をもつ古墳がたくさんありますよね。
bunyan様
黒田裕樹 現在は否定説が強いのですが、個人的には卑弥呼の墓だったほうが夢があるような気がします。卑弥呼が亡くなった直後なら、まだ邪馬台国があったのは確実ですし。
東海や関東に巨大古墳が見つかったら、大和朝廷を越えるだけの勢力があったということになりますから、それはそれで大発見になると思うのですが、どうでしょうかねぇ…。
ぴーち こんにちは!
度々ご訪問くださり、ありがとうございますm(_ _)m
歴史には、とても疎い私ですが、
黒田様の記事は、相手の目線にまで腰を落とした、とてもわかり易い解説ですね^^
お人柄が伺えます。
また、お邪魔させてくださいね^^
ランキング、応援させてください!
では、失礼致しました^^
こんにちは~
スズメちゃん 三角縁神獣鏡は黒塚古墳で発掘された頃、
たまたま寄った天理の柿の葉寿司店で
地元の人が撮った写真を見せていただきました。
スズメは明日香村によく行くので、
桜井の箸墓古墳にも行ってみようかな~?