また、方形(ほうけい)の低い墳丘(ふんきゅう)の周りに溝(みぞ)をめぐらした方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)も各地でつくられ、後期には大規模な墳丘墓(ふんきゅうぼ)も出現しました。大型の墳丘墓の中には、大量の青銅製の武器などの副葬品も見られます。
こうした墓の出現から考えられることは何だと思いますか?
そもそも農作業というものは簡単に一人でできるものではなく、共同作業がどうしても必要になりますよね。効率よく共同作業をやろうと思えば、一定のルール、すなわち秩序が必要です。水田の開発や灌漑(かんがい)、治水(ちすい)など、共同作業が大規模になればなるほど秩序が重視され、集落の中でもっとも優秀な人が指導者として作業を引っ張ることになります。
こうして人々の間に集落の統一者が現れることにより、統一者の死後の墓も、それまでの簡素なものからやがて外観・内部ともに大きく進化していくのです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
bunyan こんばんは
古代史は専門でないので(もちろん近現代史も)難解なことはムリだけど、この頃の共同生活や作業に指導者が必要になったことはわかりますが、まだ上下関係はなかったのじゃないかしら。
さすらい こんばんは。
すみません
少しバタバタしてまして
講義に来れませんでした(笑)
にもかかわらず
ウチの講義には来ていただいて
ありがとうございます。
歴史の時間
私も好きなので
出来る限り受講したいと思います。
さてウチの近所にも
東京では珍しい古墳があります。
時の支配者の権力の
象徴だったんですね。
エジプトにはピラミッドもありますし
中国にもまだまだ発見されていない
古墳がたくさんあります。
先生の講義
また聞きにきます。
では応援していきます。
2ポチッと♪
管理人のみ閲覧できます
-
コメント有難うございます。
黒田裕樹 bunyan様
本文に書いたとおり、弥生後期の大規模な墳丘墓からは大量の副葬品が見つかっています。たった一人の墓のためにそれだけの外観や内部を充実させるということは、指導者が単なるリーダーではなく、事実上の支配者として君臨していたと考えられ、そこから身分の差が広がっていったと思われます。
さすらい様
いつも応援有難うございます。古墳の話もいずれこの講座で詳しく行いますので、またお越し下さい。
管理人のみ閲覧できます
-